天界 2
フィアレインはぽかんとミカエルを見つめた。
一旦勇者を殺そうとは……。
以前自分もシェイドが風邪で寝込んだ時、とどめを刺して蘇生魔法使えば一瞬で治るのではないかと提案したこともあったのを思い出す。
だがあのときと今回は微妙に違う気がするのだ。
「今回の件ですが勇者を生かしたまま全てを行うのは何かと厄介なのです。勿論こういった作業は過去に例がないので全て俺の推論ですが……。
まず勇者の魂と肉の器を切り離します。そして肉の器の強化を行い、次に魂と肉の器を繋ぐ生命の糸の強化をします。この生命の糸の強化によって寿命を人並みに出来るはずです」
「その生命の糸の強化だけじゃ、駄目なの?」
「普通の人間ならばそれで良いでしょう。ですが勇者の場合、肉の器がそのままではまた生命の糸が過分な力によって侵食されてしまいますので……」
そうか、とフィアレインは頷く。そもそも寿命が短いのは人として過分な力に器が耐えられないからだろうとエルヴァンが言っていた。彼の推測は正しかったのだろう。
だがそこで一つ思い出す。死ねば人の魂は転生するはずだ。肉の器の強化をしているうちにどこか別の場所で生まれ変わったりしないものか。
「その間魂はどうするの?」
「魂は捕縛しておきます」
「転生しちゃったりしないの?」
「問題ありません。そもそも人間の魂は死ねば一度天界へと戻ります。そしてここで全ての記憶を洗われ、まっさらな状態となってはじめて転生出来るのです」
「じゃあ、大丈夫だね」
だがそこで今まで黙って話を聴いていたルシファーが口を挟んだ。
「簡単に言うけどなぁ、ミカエル……。そこのちっこい神様は先代の神様と違うぞ。
世界や生命の創造を一度もした事がない。今まで神の力を使った事のないお子様だ。
そのお子様神様がそんな難しい前例のない事できると思うか?」
くるりとフィアレインの方を振り返り続ける。
「お前も簡単に考えてるみたいだが……今回行うのはミカエルが見つけてきた方法の応用編だ。そこの資料に書いてある事、ちゃんと出来るか?それ以上に難しいことをこれからやるんだぞ。
一つ間違えば勇者は死ぬ。その覚悟あるのか?」
フィアレインは俯き、ミカエルに渡された資料を見る。確かにそこに書かれていることはとても難しい。しかもやったこともない事をぶっつけ本番でやらねばならないのだ。
失敗は許されない。
「フィア、頑張るもん……」
「頑張るだけじゃ何ともならないことが多いんだぞ」
ルシファーはフィアレインの手にした資料を取り上げ流し読みした。そしてミカエルを振り返りたずねる。
「ミカエル、これを利用して生命の糸を創りかえるのは分かるが、肉の器の方はどうする。無から新しいものを創るのか?
このお子様神様だと勇者の肉体が謎生命体になる可能性大なんだが」
「先代の神様が人間を創造する時に使われた土人形を使う。神様、どうぞこちらへ」
立ち上がり歩きはじめたミカエルの後に続く。フィアレインの後ろにはルシファーも続いた。
それにしても自分がシェイドの肉体を創ることになろうとは。
思わず唸る。
人間の身体は脆いから戦い暮らす勇者の為に特別な仕様にしてあげた方がいいかもしれない。例えば手がもう一つあったりしたらどうだろう?いやいや、そんなことよりも首をはねられたり心臓を抉られても死なないほうが良いだろうか?
あれこれと考えていると背後からルシファーに声を掛けられる。
「おい、お子様神様」
「なぁに?」
「余計な事は考えるなよ」
「余計な事って?」
思わず立ち止まり振り返る。そこには呆れ顔のルシファーがいた。
「お前のことだ。ろくでもない事を考えているだろう。勇者を人外の謎生命体にするなと言っている!恨まれるぞ」
恨まれるの一言にフィアレインは震え上がりコクコク頷いた。よくわからないが、勝手なことをしないほうが良さそうである。
ミカエルに連れていかれた部屋は雑然とした何か作業をするような部屋であった。
神がいなくなって久しいという割に埃も積もっていない。この辺りはさすが天界と言う所か。
ミカエルは土人形をとってくると言い残し奥へと消えた。間もなくかなり大きな人型のそれを持ち現れる。
そして成人男性ほどもありそうなそれを大きな作業台の上にのせた。
「これで勇者の新しい肉体を創ります。すでに有るものを真似て創るので通常の創造とは違ってきますが……。強化については先ほどの資料を参考に行いましょう」
「じゃあ、まず人間界にある勇者の魂を刈るところからだな。その後向こうにある肉体はどうする?」
「参考の為にこちらに持ってこようかと思っている」
「そうだな、このお子様神様のイメージで創られると他人事ながら勇者が気の毒だ」
フィアレインは二人の会話を聞いていたが目の前の土人形とやらに興味を引かれてしまった。二人の様子を伺うと真剣な面持ちで話し合っている。これなら大丈夫だ。
そろそろと作業台に近づき土人形を指でつつく。土人形といっていたから、地面の土のようなものを想像していたが違った。粘土のような土である。
おそるおそる両手をのばし、さらに土人形に触る。
これで生命体が創れるならとても面白い。
腕が何本もあったり、自分の大好きなチョコレート製の生き物も創れるかもしれない。お腹が空いた時には腕を一本くれるのだ。ちょうど今自分がお腹を空いているから、その姿を想像して笑みを漏らす。
その時、台の上の土人形が震えた。慌てて手をはなそうとしたが遅い。
見る見る間に土人形は腕を八本に増やし、その表面は赤土色からチョコレートの艶のある茶色へと色を変える。
呆然とするフィアレインの前でそれは起き上がり、こちらを向いた。顔はのっぺらぼうである。
背後からルシファーの怒鳴り声が響き渡った。
「お前は!だから言ったろうが!余計な事をするなと!なーにこんな謎生命体創ってんだ!」
「だって、だって……」
そんな触るだけで生命体ができると思わなかったのだ。
「ミカエル!お前もこのお子様神様から目をはなすんじゃない!」
「だが、神様が立派に力を使えることは証明されたわけだ」
「立派?立派か……これ?」
ルシファーはわなわなと怒りに震えていた。天界だけあって天然しかいないのかと毒づいている。
その時フィアレインの肩がポンポンと叩かれた。叩いたのはルシファーでもミカエルでもない。彼ら二人は目の前で言い争いをしている。
驚いて肩を叩いた主を見る。先ほど出来てしまった生命体だ。
彼と言うべきか彼女と言うべきか分からないそれは突然自分の腕を一つ折る。固い物が折れる音が部屋に響き渡った。
思わずルシファーとミカエルもこちらを見る。
三人が見守る中、謎生命体は折った腕をフィアレインへと差し出した。
「な、なんだ?」
「一体どうしたのでしょう。神様、お分かりになりますか?」
フィアレインは厳かに頷いた。そして受け取ったそれを口に運び齧る。
「チョコレート……」
フィアレインの呟きにルシファーは空を仰いだ。
「とりあえず、この生命体はアダムと名付けましょう。そうですね……ここの中庭の生命の木の世話でもしていなさい」
ミカエルにそう命じられたアダムは頷くと立ち上がり部屋から出て行った。
折った腕の再生には少し時間がかかるのかもしれない。先ほどより長くはなっているが、完全に指先まで再生されていない。
フィアレインはアダムの腕をもぐもぐやりながらミカエルにたずねる。
「溶けちゃったりしない?」
「大丈夫でしょう……おそらく」
その時、じっとルシファーがフィアレインを見ていることに気づいた。
「なあに?」
「美味いか、それ?」
「うーん……」
フィアレインは食べているそれの指を一本折りルシファーに渡した。
ルシファーはそれを口に放り込みつぶやく。
「不味くはないが、少し足りない感じだ。ミルクチョコレートとも言えないし、ビターのそれとも違う。やはり創り手の能力が反映されるな……」
やれやれと彼は首を振ると、再度フィアレインを見下ろした。
「ところでお前、話を聞いていたか?これから行うことに関して」
「……うん」
「何か怪しいから再度説明するぞ。まず人間界の勇者の魂を刈ることから始める。天界にある水鏡ごしにそれを行い、刈った魂が何処かにいかないよう結界魔法で捕縛。そして勇者の肉体をここへ持ってくる」
「最初にシェイドの身体を持ってきたら駄目なの?」
先に持ってきたほうが面倒がない気がする。もしくは水鏡ごしなどと言わずに人間界で魂を直接刈る方が良いのでないか。
その疑問には奥から再び土人形を持ってきたミカエルが答えてくれた。
「魂の入っている……生きている状態の人間を天界へ運びこむことは出来ません。魂をここから刈るのは、人間世界で魂を刈ると転生の流れに乗ろうとした魂に逃げられる可能性があるからです。神の領域からの絶対的な干渉の力で刈った魂は転生の流れに自分から入れません。
万が一のことを考えてのことです」
万が一と言いながらミカエルは作業台の上に土人形をのせる。フィアレインから遠い手の届かないところに。
「んーでも。ここで新しくシェイドの身体を創って蘇らせて……シェイドはまた人間界に戻れるの?」
「ここに入るのは無理ですが、ここから出ることは可能です」
ミカエルの言葉に頷いた。
「そして持ってきた勇者の肉体を参考に新しく肉の器と生命の糸を創造。その際にはこの資料にある強化法を使う」
「ではさっそく水鏡の間にまいりましょう」
先導するミカエルの後に続いて歩き始める。
どこもかしこも真っ白な廊下を歩きやって来た水鏡の間は薄暗い。中央に大きな池のようなものがあった。
ミカエルが水面に手を翳すとそこにはシェイドが寝ている一室が映し出された。
「でははじめましょう」
ミカエルが何か細長いものを渡してくる。それを受け取りまじまじと見つめた。
「ここで操作してください……そうです。そのように」
ミカエルに教えられるがまま、その細長い先端にハサミのようなものがついているそれを操作する。
「大丈夫、使えそう!」
力強く頷いたフィアレインにミカエルが満足そうに微笑み、己が手にしたそれを見せ言った。
「神様はそれで勇者の生命の糸を断ち切って下さい。ご覧ください。あの通り勇者はすでに魂が肉体から浮遊し、それを切れかけた生命の糸で何とか繋いでいる状態です。断ち切られた魂はこれで俺が捕縛します」
「なあ、ミカエル……高枝切りバサミと虫取り網にしか見えないんだが、大丈夫なのか」
「問題ない」
ミカエルにきっぱりと言い切られルシファーは肩を落とす。もう魔界に帰りたいなどと呟いているのが聞こえた。
根性なしめ。
罵りたいのを我慢し、水鏡のふちギリギリまで近づいて覗き込んだ。
確かにミカエルの言うとおり、シェイドの身体からは今にも消えそうな細い光の糸がのび、その先には白く輝く丸い光がくっ付いている。
フィアレインは隣にミカエルがいるのを確認し、手にした長いそれを水鏡へと入れる。生命の糸の近くまで伸ばし、先ほど習った方法でハサミを操り糸を切断した。
ミカエルはそれを見届けると、手にした捕縛魔法で出来た虫取り網を使い浮遊していたシェイドの魂を捉える。
二人は頷きあい、水鏡の中から己の得物を引き抜いた。
その間にルシファーは水鏡の向こうのシェイドに転送魔法を施す。先ほどの作業台の上に現れる予定だ。
これで全ての準備が整った。
これからが本番である。
失敗は許されない。
***
フィアレインはがくりと床に膝をついた。崩れ落ちそうなからだを両手を床につくことで支える。
「大丈夫ですか、神様?」
ミカエルの言葉に頷いた。
もう何十回……いやすでに百は超えているだろう。何度となく土人形へと力を振るったが、結果は出なかった。
今も目の前の土人形は生命のなりそこないとなり、ぐずぐずとその土とも肉ともいえないそれを崩壊させている。
となりに並ぶ魂の抜けたシェイドの身体をとは程遠い。
「だめか」
ルシファーの呟きが耳に入り、思わず首を振った。
諦めたら全てが終わってしまう。
しかしそんなフィアレインの様子に構うことなく、ルシファーは物憂げに呟いている。
「やはり神とは選ばれし者にしかなれぬ存在。力を植え込んだだけでは意味はないのか」
神がどうかなんてどうでもいいのだ。ただシェイドをその運命から救いたいだけなのだから。
フィアレインはもう一度消滅した神が残した資料を手にし、自分が間違えていないか確認する。
そんなフィアレインの横をいつのまにか立ち上がっていたルシファーが通り過ぎる。座り込んだままの状態でそれを仰ぎ見た。
彼は台の上に横たえたシェイドの身体のそばまで行き、魔力を集中する。
フィアレインはその気配に慌てて立ち上がった。
ルシファーが発動しようとしている魔法の気配。それは消滅魔法のように思われた。
フィアレインが止めるべく駆け寄ったその時、消滅魔法が発動した。
「やめてよ!」
ルシファーが何の目的でそんなことをしたのかわからないが、フィアレインは彼を突き飛ばす。
だがシェイドの身体はすでに消滅魔法に包まれていた。
フィアレインは頭が真っ白になった。だが自分のやらねばならないことが無意識の内に浮かんで来て、本能のままに魔力を使う。
崩壊する肉体の修復、保持、模写、そしてそれを土人形に複写、土人形に生命を与える際に肉体強化と生命の糸を強化、強化には神の力を与える、加護、神の祝福、強化した糸へ再度魂を接続、魂と肉体を融合。
頭の中に浮かぶ言葉のままに力を使った。
いや力を使うと言うより、己が神の力に支配され動かされているような感覚だ。
「追い詰められないと力を発揮できない辺りがやはりお子様だな」
ガラガラと石が崩れおち、崩壊した壁からルシファーが自らの身体を引き抜いている。突き飛ばされた勢いで壁にめり込んだらしい。
だがルシファーなどどうでも良いのだ。
目の前の土人形が白い光に包まれ、光が収まったその時。そこにはシェイドそのものの肉体があった。
魂も融合したそれはシェイド以外の何者でもない。呼吸にあわせ胸が上下する。
ミカエルがシェイドを確認する。頭に手を載せ、しばらくしてミカエルは顔をあげた。
「魂が定着しています。記憶も人格も問題なく移行されているようですので……成功ですね」
その一言にシェイドのあたたかい手を握りしめた。背後にどこか不吉なルシファーの言葉を聞きながら。
「ギリギリ及第点というところだが、まあ合格だ。これならば私の目的の達成にも問題あるまい」