魔界 3
ハモンドが店の奥から両親を連れて来た頃にはフィアレインは衝撃から立ち直っていた。
何故ならばあのあと始まった『魔界戦隊マレンジャー』とやらが面白いからである。悪の組織の手下をバッタバッタと倒す姿に釘付けになっていた。
ハモンドの両親がお礼を言うのを失礼にならない程度に頷き聞きながらも、意識はマレンジャーから離せない。
「すぐにお食事お持ちしますね」
と言ってハモンドの両親は奥へと姿を消した。奥が厨房になっているのだろう。
ハモンドもフィアレインの隣の椅子にすわり、二人並んでマレンジャーを見る。
奥から肉が焼ける匂いが漂ってきた。さっき一番人気の豚の生姜焼き定食とやらを出してくれると言っていた。アスタロトはこのメニューがお気に入りとの事だ。
程なくして料理が運ばれてくる。
盆の上には炊いた穀物を盛り付けた椀と豚汁と呼ばれていたスープの椀、そしてメインとなる豚の生姜焼きとやらが盛られた大皿がのっていた。
「おかわりもありますので、言って下さい」
ハモンドの母親に頷き返し、フォークを手に取る。
まずは生姜焼きとやらから食べ始める。肉は柔らかく、噛むと肉汁があふれた。その脂身は甘い。独特の味付けと肉の旨味がよく合う。
ご飯と呼ばれていた穀物との相性が抜群だ。豚汁というスープを飲み、一息つく。
「おいしい」
「ありがとうございます」
フィアレインの呟きにハモンドが嬉しそうに答えた。
マレンジャーを見ながら生姜焼き定食を食べる。おかわりも何度かもらった。
マレンジャーが終わり最後の音楽が流れはじめたその時、ちょうど食べ終えフォークを置いたフィアレインの背後で声がした。
「魔界全土を混乱に陥れておいて、自分は呑気にアニメ見ながら豚の生姜焼き食ってるとはなぁ……。いい度胸だな、幼体」
フィアレインは慌てて振り返る。そこにはアザゼルが立っており、笑顔で自分を見下ろしていた。
この笑顔はあれだ。確実に怒っている。
アザゼルが自分へと手を伸ばしたのを見た途端、慌てて椅子から飛び降り卓の下をくぐって反対側へと逃げる。
こいつは自分を人間世界へと送り返すために来た刺客に違いない。
手近な椅子に身を隠しつつ、アザゼルへと叫んだ。
「フィアはシェイドを助けるんだもん!そのためにルシファーに会いにきたんだから!」
おそるおそるアザゼルの様子を伺う。力尽くでこられたら自分に勝機はない。
だがアザゼルは呆れたような顔でこちらを見ているだけだ。
「あのな……言ってる事は立派なんだが。そんな口周りにあちこちご飯粒つけて言っても説得力ないぞ」
失敗だ。豚の生姜焼き定食とやらが美味しすぎたのだ。
フィアレインは慌てて卓の上の紙ナプキンに手を伸ばす。
だがなかなか紙ナプキンに手が届かない。苦戦していると横から紙ナプキンが差し出される。
アザゼルが差し出したそれを受け取りご飯粒を全て取る。
これでいい。仕切り直しだ。
再び椅子の影に隠れ、アザゼルに叫んだ。
「フィアはシェイドを……」
「もういい!やり直さんでいいわ!」
「なんで?」
思わずむくれてしまう。
だが次の瞬間、フィアレインは荷物のようにアザゼルの小脇に抱えられていた。手足を使いじたばたと暴れる。
ここまま人間世界へと連れ戻されたら全て無意味だ。
「はなせぇ!おろせぇ!」
「あー、うるせぇな。お前のご要望通り、あのお方のとこへ連れてってやるよ」
フィアレインはぴたりと動きを止めた。今、この魔族はなんと言った。
見上げてくるフィアレインにアザゼルが続けた。
「あのお方直々のご命令だ。お前を連れてこいとな」
フィアレインにそう言うとアザゼルは奥から出て来て様子を伺っていたハモンドの父親である店主に声をかける。
「おい、店主。この幼体の食ったもんの支払い、いくらだ?」
「いえいえ、今回は私どもがお招きしたので……お支払いは結構でございます」
「お招き?」
「はい、息子が助けて頂いて……」
その時アザゼルにハモンドが駆け寄った。
「ベリアル様のご子息に僕が虐められていたの助けてもらったんです」
「ベリアル殿の?あのクソガキ、ろくな事しねぇな。悪かったな、あのボンクラ小僧が迷惑かけて。じゃあこれで、俺たちは帰るぞ」
アザゼルがそう言うなり転移魔法を使う。薄れていく視界の中のオーク親子にフィアレインは手を振って別れを告げた。
転移先は巨大な扉の前だった。
アザゼルがフィアレインを床へと下ろす。
周囲を見回す。魔界だからと言って特に物珍しい風景ではない。フィアレインが城と言うものに行ったのは限られるが、その人間世界の城とよく似たつくりだ。
「開けるぞ。あのお方がお待ちだ。魔界中から高位魔族が集まっている」
アザゼルはそう言うと扉に手を当て、それを開いた。ゆっくりと扉が開いていくのを見つめる。
扉の先には両脇に高位魔族たちがずらりと並んでいた。その先は少し高くなっており、玉座があった。
玉座に座る男と目が合う。
フィアレインは首を傾げた。長い波打つ金髪をまとめたその男はどこかで見たことがあるような顔をしている。
眉間にしわを寄せて考えこんでいたフィアレインをアザゼルが促した。慌てて深紅の絨毯が敷かれたそこを奥へとむけて歩き始める。
両脇に並ぶ者たちを眺めながら長いそこを歩いた。奥まで長すぎだ。
半ばをちょっと過ぎたあたりでメフィストフェレスとルキフグスなんとかを見かける。さらに彼らを通り過ぎ前方へと進めば、ずっと先玉座の近くにアスタロトの姿が目に入る。
アスタロトへと近づく少し前の地点で
「じゃ、あとは一人で行け」
とアザゼルが並ぶ者たちの間に行ってしまった。
仕方ないので一人で玉座の前まで歩き、そして立ち止まる。
やっと目の前まで寄ってきたフィアレインにルシファーと思われるその男が口を開いた。
「まずは魔界にまでやって来れたことを褒めてやろう。だがこの私の前に現れたことを後悔……」
「ルシファー様」
脇に並ぶ者達の最前列、一番玉座に近いところに立っていた茶色い髪の魔族がルシファーの言葉を遮った。
「なんだ、ベルゼブブ?」
「恐れながら、質問させて頂きたいのは私の方です。何なのですか、先ほどの口上は?もしやまだ全魔界会議で否決されたご自身のプランとやらを強行されるおつもりでしょうか?」
「……そんなことは考えていない」
ベルゼブブは視線を鋭くした。ルシファーはそんな彼と目が合わないようにしてるのか、顔を背ける。
「本当ですか?それならばそのような無駄な口上は省いて早く本題に入って頂きたいのですが。
そもそも、そこの幼体を迎えに行くのが遅れたのは全魔界会議が長引いたからです。その長引いた原因は他でもない。
あなた様の毒の沼や溶岩の川をつくろう、とか各層転移門にボスを配置しろとか、洞窟の中に宝箱をとか言う謎の発案のせいですよ。一体どこの夢物語ですか?
そんな事をした日には魔界全土から苦情がきます。魔界中の住人から税金泥棒呼ばわりされたいのですか?
そしてそう言う騒動が起こるとその対応をするのは全て私なのですよ」
ベルゼブブはご立腹らしい。だがこれ以上彼のルシファーへの説教が長くなっては困るのだ。シェイドが待っているのだから。
フィアレインは慌ててベルゼブブに近づく。それに気づいた彼は言葉を止め、フィアレインを見下ろした。
「あんまり怒るとハゲちゃうよ」
フィアレインの一言にベルゼブブが少しよろめく。背後からアザゼルの怒鳴り声がした。
「幼体!てめーベルゼブブ様になんて事を言ってやがる!」
「アザゼル、お前……」
ベルゼブブがアザゼルがいるであろう場所を見た。だがアザゼルは構わず続けた。
「確かに俺たちは人間と違うからな。ハゲたりしねぇ。でも最近ベルゼブブ様は抜け毛を気にしておられるんだ!」
静まり返っていたその場に、ベルゼブブ様おいたわしい、とか、ご心労が、とか言うざわめきが広がる。
次の瞬間、その場に轟音が響き渡った。
フィアレインは驚き、音がした方を振り向く。するとアザゼルを雷撃が襲っていた。
攻撃魔法の直撃を受けた彼はその場に崩れ落ちる。ところどころ焦げている気がする。
フィアレインはこっそりベルゼブブを盗み見た。きっと犯人はこいつだ。
だが倒れたアザゼルはまるで何事もなかったかのようにあっさりと立ち上がる。そして笑顔で言い放った。
「いやぁ、やっぱりベルゼブブ様の一撃は効きますね」
ベルゼブブが顔を引きつらせ、一歩下がった。
「お前たち話がずれているぞ」
黙って玉座で成り行きを見ていたルシファーが口を挟んだ。何か言おうとしたベルゼブブを手をあげて制し続けた。
「ベルゼブブ、落ち着け。お前の言いたいことは分かった。だが私もここに座り続けて長い。勇者が私を倒しにやって来るでもないし、色々退屈しているのだ。だからいまだかつて来なかった人間世界からの客人を趣向を凝らして迎えたいだけだ。
肝心の勇者は人間世界で死にかけているようだが」
フィアレインはベルゼブブから離れ、一歩ルシファーに近づいた。その為に魔界まで来たのだから。僅かな可能性であったとしても、それにすがるために。
「フィア、シェイドを助けたいの」
「助けるとは?短い寿命をのばしてやりたいと言う事か?」
「うん」
ルシファーは少し笑った。その笑いはとても冷たい。フィアレインは凍りついた。
「のばしてやってどうする?延々と人間どもの為に己を犠牲にして世界をまわり魔物を滅ぼしてまわれと?」
フィアレインは俯いた。それは長生きしてもシェイドは幸せではないと言う事なのだろうか。
確かに勇者は大変だ。人間の中で一番の貧乏くじだ。更に言うならシェイドは運が悪すぎて余計に困難を多くしている。
でも、だからと言って早く死ぬ事が幸せなのだろうか。
「フィア、シェイドに長生きして欲しいもん……。それが幸せなのかは分からないけど」
「無責任な願いだな」
「でも、でも……シェイドは幸せになる権利があるよ。皆の為に世界中まわって戦ってるんだもん。
お嫁さんもらって、こどもが出来て、幸せに生きて死ぬくらいのご褒美がないと変だよ。
死んじゃったらここで終わるもん。そんな未来なんてない。
フィア、シェイドのかわりに勇者のお仕事してもいいもん。それでシェイドが幸せになれるなら。
フィアが今幸せなのはシェイドのおかげだもん!シェイドに会うまでに会った人たちは、フィアの魔族の血の事知らないときは良くても、正体知ったら一緒にいていいって言ってくれなかったんだもん!」
別にシェイドと知り合う前にともにいた人々を責めるつもりはない。仕方ないことだろうから。そうはわかっていても、心に澱む思いはある。
何故母親なのに愛してくれないのか。何故復讐の道具に自分を使うのか。何故魔族の血が入っていると言うだけで側においてくれないのか。
納得したくても出来ない哀しみがいつもあった。
だからこそ、自分と一緒にいてくれたシェイドにはとても感謝しているのだ。ならばその恩返しとして、彼が幸せになる機会をと思う。
「正体なぁ……」
フィアレインはむっとした。今シェイドの話をしてるのに、何故そこに反応するのだろうか。話を元に戻すべく続けた。
「だから、フィアはシェイドを助けたいの。このまま死んでほしくない……」
「なるほどな。とは言え、それを願う相手を間違えている。お前の願いを叶えてやれる可能性があるのは神だけだ。
私は破壊の神なんて呼ばれているが、自分を神だとは思ってない。何より破壊の力しかもっていない私にお前の願いを叶えてやることは出来ん」
ルシファーの言葉に一縷の望みが潰えるのを感じた。絶望感が胸を占める。
もし駄目だった時のことなど考えてなかったのだから。
だが、うなだれるフィアレインにルシファーは続けた。
「私にはどうしようもないが、一つだけ可能性を教えてやろう」
フィアレインははじかれたように顔を上げた。ルシファーの笑顔が目に入る。
だが何だろう。この悪巧みしているような笑顔は。
そんな油断ならない笑顔でルシファーが言い放った。
「教えてやってもいいが、交換条件がある」