加護という名の呪い
シェイドが倒れた。
フィアレインは呆然とエルヴァンを見つめた。あまりの事に思考がついていかない。
「定期便の中で倒れたらしい。車掌室からうちに連絡があった」
「シェイドが……」
「とりあえず、家に帰ろう。私が勇者君たちを迎えに行くから」
エルヴァンはそう言うと店の老婆を呼び金を支払った。そしてフィアレインを抱え転移する。
エルヴァンの家の入り口だ。
入ってすぐのシェイドが土間と呼んでいた場所には子ブタちゃんがいた。エルヴァンは黙り込むフィアレインの靴を片手で脱がせると、家へ上がらせた。
「子ブタちゃん。私は勇者君たちを迎えに行ってくるよ。フィアの事、よろしくね」
そう言うなりエルヴァンの姿はその場から消えた。
その後のことはよく覚えていない。
今フィアレインはシェイドが横たわる布団の横に座り込んでいる。襖が開く音がした。
「フィア?夕食だよ」
エルヴァンの声が背後から聞こえる。
もうそんな時間なのかと驚き、フィアレインは首を振った。食欲はない。それに目を離している間にシェイドに何かあったら嫌なのだ。
「フィア、食べなくてもいいからとりあえずおいで。子ブタちゃんがフィアが戻るまで彼を見ててくれるし。それに私も勇者君の事で話がある」
シェイドの話と聞いて慌てて振り向いた。もしかしたらエルヴァンは何か知ってるのかもしれない。
今朝自分とシェイドのことを調べていたではないか。
エルヴァンは柱にもたれ、こちらを見下ろしていた。
フィアレインが立ち上がったのを見てエルヴァンは踵を返した。その後に続く。
襖を閉じる前にもう一度シェイドを見た。その枕元には自分が渡した『長生き健康法』が置いてある。ちゃんと読んでくれていたらしい。途中にしおりが挟んであった。
静かに襖を閉じ、かなり先を歩くエルヴァンを駆け足で追う。
よく磨かれた廊下は滑りそうだ。
離れから渡り廊下へと進む。真っ赤な夕陽が眩しい。
夕陽は嫌いだ。
母親に殺されかかっていた日々もいつも床に横たわり窓から夕陽を眺めていた。嫌な事を思い出し、その記憶を追い出すように頭を振る。
もうあれは過去だ。終わった事だ。
とはいえ夕陽に良い思い出がないのは事実である。
はっと我に返ると少し先でエルヴァンが戸を開けて自分を待っていた。そこは昨日みなで夕食を食べた部屋だ。
急いで部屋に入る。ルクスとグレンの二人はすでに座っていた。二人とも難しい表情を浮かべている。
エルヴァンは戸を閉めた。そしてフィアレインを座らせてから、彼自身も座った。
「シェイド殿は?」
ルクスの問いかけに首を振る。
「一体どうなってるわけ?医者は?シェイドは大丈夫なの?」
グレンはエルヴァンに矢継ぎ早に尋ねた。
医者、確か人間が病気になった時に呼ぶ相手である。でもエルヴァンは医者など呼んでいない。
フィアレインは不思議に思い、二人分のチャを追加で用意している彼を見つめた。
「医者、呼んでも意味がないよ」
「エルヴァン殿……意味がないとは?」
「結論から言うよ。彼はもう寿命だ」
エルヴァンから発せられた言葉に全員が黙り込む。
思わぬ発言に頭が真っ白だ。
エルヴァンが目の前にチャの入ったカップを置いた小さな物音に意識を戻される。
「寿命とは……?シェイド殿はまだ十九なのですが」
いくら人間が短命とは言え早すぎではないか。フィアレインは白い湯気をぼんやりと見つめる。
昨日長生きしてくれと言ったばかりなのに。
「私は今日勇者君を調べるまで、勇者という存在がどういう生命なのか詳しく知らなかった。
だけどね、過去の勇者たちを観察していて一つだけ気づいていた事がある。昨日少し言ったかもしれないけど……勇者はみな短命だ。
確かに戦闘で命を落とす勇者もいるけどね。それを抜きにしても長生きするものはいない。
早ければ十代遅くても二十代のうちに皆死んでいる」
「どうして?」
フィアレインは恐る恐るエルヴァンに尋ねた。何故勇者は早く死ぬのか。神の加護とやらがあるのではないのか。
「勇者は肉の器を持つ有限の人間には不釣り合いな力を持っているからだよ。人間は我々魔力で身体を構成している者たちとは違う。
不釣り合いな力は肉の器に悪影響を及ぼし、寿命を縮めるんだ」
神の加護のせいで早死にするなんて、それはもう加護ではなくて呪いじゃないかとフィアレインは感じた。散々人間の為に戦わせておいて、さっさとその命を奪うなんて酷すぎる。
「それにしたって……急すぎない?今までなんの予兆もなかったけど……」
戸惑いながらグレンが言った言葉にエルヴァンは頷く。
「急な体調不良については思い当たる節がある。それは……」
そこでちらりとエルヴァンがフィアレインを見た。意味が分からず首を傾げる。
少し言い淀み、だがエルヴァンは続けた。
「フィアが勇者の剣と言っていたあれが原因だと思われる」
フィアレインは凍りついた。その様子をエルヴァンは困ったような表情で眺めている。
「あの黒い剣か……突如現れた。だが何故あれが?」
「今日勇者君にちょっと見せてもらったけど。あれはね。多分なんだが……フィアの破壊の力そのものなんだと思う。
それが物質化したのがあの剣。魔族はみな破壊の力を持っているから、フィアも例外じゃない。
ただ破壊の力がそんな風に実体化するものなのかどうかについては……私は魔族について研究してないから詳しいことは言えないけど。でもあれが創造の力で物質化した本来形なきものだと言うのは感じ取れた」
「あの剣がフィアの破壊の力だとしても、何でそれがシェイドの寿命を縮めるわけ!」
グレンが叫ぶ。ルクスが落ち着け、となだめた。
フィアレインは俯いた。顔をあげられない。自分のせいでシェイドは死ぬかもしれないのだ。
「魔の力は他のものを侵食する。君たちも知ってるのでは?ただの獣が魔獣となりやがて魔物となる。
それと似たようなものだよ。
破壊の力に勇者君は侵食され命を縮めた。ただそれだけだ」
「だからって……!」
反論しようとしたグレンがフィアレインを見て言葉を止める。
フィアレインは涙をぼろぼろと零し泣いていた。
握りしめた拳で涙をぬぐうが後から後から流れてくるため意味がない。
そんな危険な物を創り出し、あまつさえそれを使うように彼に強要したのは自分である。
「フ、フィアのせいで……シェイドが……ううっ」
「フィアだけのせいでない。あの剣を使うように彼に言ったのは私もグレンも同じこと」
「そうだよ。それにあれが何か知らなかったし!
フレイとか言う頭のおかしいエルフがフィアの夢の中に入り込んで来たのが悪いんじゃないの?それがあって、あの剣が現れたんだから!」
フィアレインは涙を流しながら首を振る。理由はどうであれ自分がシェイドに被害をもたらしたのは事実だ。
たとえシェイドが長生きできない身であったとしても、許されることではない。自分で自分が許せないのだ。
顔をあげ、エルヴァンを見る。しゃくりあげるのを堪える。自分には泣く権利などないのだ。
「シェイド……助けられないの?」
「私には、何とも……。言ったかもしれないけど、エルフの力では人間と言う生き物を弄ることは出来ない。それが出来るのは神くらい……」
フィアレインは立ち上がった。その場の全員が自分に注目している。
「フィア、神に会いにいく!」
「え?」
そうだ。それが一番だ。神本人に何とかさせなければならない。
頑張って人間のために戦っている勇者なんだから何かご褒美があっても良いはずだ。
そう考え部屋の出口へと駆ける。これはのんびりしていられない。早速神の元へ乗り込まなくては。
「ちょっと待った!」
走り去ろうとしたフィアレインの首根っこをエルヴァンが掴んだ。
「はなせぇ!」
ジタバタともがく。一刻を争うのだ。邪魔しないで欲しい。
その時エルヴァンが突然手を離した。おかげで勢い余り転んでしまう。
「フィアさ、気持ちは分かるんだけど。でもどこに神がいて、どうやってそこに行くか分かってるの?」
フィアレインは床に手をついて起き上がる。立ち上がる事が出来ず蹲った。
「わかんない……」
「だよね。落ち着きなさい。それに、神はもうこの世のどこにもいないはずだよ。消滅した相手を探すのは不毛だ」
神はどこにもいない、消滅したと言う言葉にのろのろと顔を上げる。そんな事があって良いのか。何のための神だ。
仲間二人は何も言う事も出来ず自分とエルヴァンを見守っている。
「じゃあどうすればいいの?」
ぽつりと呟いたフィアレインにエルヴァンは答えない。
蘇生魔法は寿命には使えない。ならばどうするというのか。諦めると言う選択肢は自分にはないのだ。
しばらく沈黙が続いたあと、エルヴァンが話し始める。
「これは何の確証もないただの可能性だと思って聞いて欲しいのだけど……。我々エルフには無理でも、魔族には人間という生命を弄ることが可能かもしれない。
過去魔族と契約した者の中には人の身を超越した力を手に入れた者もいると言うから」
その時、フィアレインの記憶が蘇った。アスタロトと契約し、人ならざる者へと姿を変えたアカマナフと言う青年のことだ。
だが彼は人である肉体が過分な力に堪えられず崩壊したはずである。
それをエルヴァンに伝えた。
「そう。でもねエルフにはその力を与えるって事すら出来ないんだよ。
その話を聞く限り少なくとも魔族は人という生命体そのものを弄ることが可能なのは確かな訳だ」
「じゃあ……魔界に行けばいいの?」
「断言は出来ないよ……。でも、この世界のどこかにいる者よりも魔界のルシファーの方が何とか出来る可能性はある。
もともと彼は神の一番近くにいた者だから。我々エルフの知らない事を知ってる可能性があるかもしれない」
ただそれもただの推論だけどとエルヴァンは付け足してチャを一口飲んだ。
はっきりとしない事だらけだ。
でも少しでも可能性があるならそれに縋るしかないのである。
「フィア、魔界に行く」
「どうやって?」
エルヴァンに問い返され言葉に詰まる。
「ないの?行く方法?」
「我々はこの天球から出られないって昨日話したよね。だから分からないよ。フィアならば行ける可能性はあるけど、その方法は私には分からない」
あっさりと言われて落ち込んでしまった。ただでさえ心は地底の奥深くにまで落ちているような心境だったのに、これ以上落ち込めるとは。
魔界に行く方法。確かに魔族に知り合いはいるが、フィアレインは彼らを思い浮かべ転移を試みたが何も起こらない。
そう言えばいつも彼らは転移ではなく、魔界へ空間を開いて去っていっている。
渦巻く黒い瘴気を思い出した。
魔界へと通じる綻びた空間を閉じることは出来るが、向こうへと繋ぐことは自分には出来ない。
フィアレインは決意し、顔をあげた。
「魔族を呼び出して連れて行ってもらう」
***
フィアレインは分厚い本を片手にとある生き物を探していた。目を皿にして地面に視線を走らせる。
シェイドが昨日倒れて魔界に行く事を決意したものの、肝心の魔族がいないのだ。エルヴァンの話ではアスタロトはアンブラーに現れないという。偶然他の魔族がアンブラーに現れるのを待つ余裕はない。
そこでフィアレインはエルヴァンに借りた本を片手に早朝から出かけているのだ。
その本は『黒魔術入門書 』である。悪魔を呼び出そう!と書かれた頁を読みながら、召喚の儀式に必要な代物を集めている。
この本をエルヴァンがフィアレインに渡した時、グレンがあぜんとして信憑性はあるのかと聞いた。だがエルヴァンは笑顔で言ったのだ。
自分もこの本の通りにやってアスタロトを呼び出したから平気だと。
ただエルヴァンは生け贄の人間の代わりに自分の血を使ったらしい。フィアレインは己もそうしようと決めている。
「んーと……トカゲ、トカゲ……」
今探すのはトカゲの尻尾だ。何でこんな物が必要なのかは分からないが。
食べたら美味しいのだろうか?
その時植え込みの陰からチョロチョロとトカゲが現れた。逃してはならない。
すかさず手をのばし捕獲しようとする。トカゲは慌てて尻尾を切り捨て逃げていった。
それを摘みあげ笑顔で見つめる。順調だ。早ければ昼にも魔族を呼び出せるかもしれない。
「そんなもん持って何やってんだ、幼体?」
背後から声をかけられる。いそいそと手にした袋の中へトカゲの尻尾を入れて答えた。
「魔族を呼び出すんだもん」
「へ?トカゲの尻尾でか?」
フィアレインは聞き覚えのある声だと気付き振り返った。
そして驚く。
そこにいたのは赤毛の魔族、確かアザゼルと言う名前だったはずだ。
思わず立ち上がった。そして彼へと詰め寄る。ここで会ったが百年目である。
だが何故百年目と言うのか。これはまた後でルクスに聞かねばならない。
「フィア、魔界に行きたいの!連れていって!」
アザゼルは手に何かの包みを持っている。そこから僅かに甘い香りが漏れていた。思わず凝視してしまう。
フィアレインの視線に気付きアザゼルが慌てて言った。
「これはアスタロト様からの頼まれ物だからやらねぇよ!この街にはとんでもないエルフがいるってんで、俺がお使い頼まれたんだ」
「けち」
「けちじゃない!」
これだから幼体は、とブツブツ言っていたアザゼルはフィアレインに背を向け去ろうとした。
慌ててその背中へと飛びつく。
「うわ、何だ?」
「魔界!連れていって!」
「無茶言うなよ!全魔界会議かあのお方の承認がないと無理!」
アザゼルはフィアレインの首根っこを掴みポイっと投げ捨てる。そしてそのまま、魔界へと空間を開いて渦巻く瘴気の中へ消えた。
慌てて身を起こす。渦巻く瘴気はどんどん小さくなる。だが、自分の身体ならばまだ入れる。
フィアレインは駆けた。そして今にも消えそうな渦巻きへと飛び込む。
不思議な感覚だ。転移魔法とはまったく違う。上手くいくだろうかと不安がこみ上げてくる。
そして漆黒の闇に包まれていった。