勇者の剣
フィアレインはヨロヨロと分析君十三号から出た。そして手近な椅子に座り込む。
乗り物酔いの激しいシェイドなどはフィアレインがこれに入れられていた間、折りたたみ式ベッドに横たわっていたくらいである。
そんな彼は今細長い箱の中へと入れられている。自分も次にこれの中に入るのだろう。
エルヴァンは椅子に腰掛け、机の上に浮かぶ幾つもの四角い水晶板の様な代物に向かっている。
自分の方からは何も見えないが、彼の方からだと水晶板に何か見えるのだろうか。
おもわず気になって、子ブタちゃんのが用意してくれたチャを一口飲み立ち上がる。エルヴァンのそばまで歩み寄ると、彼が見ているものが見えた。
宙に浮かぶ何枚もの水晶板にはよくわからない沢山の図と文字が表示されている。
「何かわかった?」
「うん、これは勇者君のなんだけどね。なかなか興味深いよ」
「ふぅーん」
見れば見るほど自分にはよく分からない。
「よしっ、と」
エルヴァンが手元のボタンを押すと大きな音をたて、シェイドが入ってた箱の蓋が開いた。ゆっくりとシェイドが起き上がる。
「どう?平気?」
「ええ。大丈夫です」
シェイドは箱のふちに掴まり立ち上がり、外へと出た。そして一瞬よろめく。
彼は手のひらを額に当て俯いた。
その様子を見たエルヴァンの顔色が少し変わり、慌てて立ち上がる。シェイドに近づくとその顔を覗き込んだ。
「大丈夫かな?」
「いや……ちょっと立ちくらみがして」
「これで検査は終わりだから、少し座って休むといい」
エルヴァンはそう言うとシェイドを椅子へと座らせた。
フィアレインはさっきから押してみたくて仕方なかった机上のボタンから目を離し、シェイドのそばに寄った。
「気分わるいの?」
「いや、それほどでもない」
シェイドは緩く首を振るとチャを飲んだ。
そして自分を見つめるフィアレインとエルヴァンへ笑いかけ
「大丈夫ですよ。多分昨日船を降りるまで十日間ずっと寝たきりだったのも良くないんでしょう。身体がなまってる気がする」
と言った。
そうかと頷いたが、となりのエルヴァンは難しい表情のままだ。そんな彼の表情を見てシェイドは不思議そうな顔をする。
シェイドの表情にはっと我に返った様子のエルヴァンは、今度は全くの無表情になり
「お大事にね」
と言うと、フィアレインを見下ろした。
「フィアもあれに入るの?」
「ああ、はいどうぞ」
エルヴァンに促され箱の中へ入り横たわる。ゆっくり閉じていく蓋を見ながら、あとであのボタンを押させてはもらえないだろうかと考えた。
無音の暗闇の中に横たわっていると眠気が襲って来た。さっき起きて朝食を食べたばかりなのにおかしい。
瞼を開こうとしたが開けずそのまま深い闇におちていく。自分は箱の中に横たわっているのにどこかへ落ちるなど、これまたおかしい話だ。
どんどん深いところまで落ちたところでやっと止まる。
だが不思議なことに自分の意思で動く事は出来ない。そもそも身体の感覚自体がないのだ。ただ視界に周りの様子だけが飛び込んでくる。瞼を開けたおぼえも無いのにだ。
薄暗い中に何かが見える。その輪郭はぼやけ正体は分からない。だが生命体だと分かった。
フィアレインは蠢いた。
自分の意思によるものではない。自分でない意思があれを喰わねばと囁く。
手も足もない自分は蠢き、その生命体へと近づいていった。そして無抵抗のそれへと襲いかかる。光を放っていた生命体はフィアレインに飲み込まれた。そして漆黒の闇そのもののフィアレインへと溶け込んでいった。
「……ア、フィア!」
呼びかけに閉じていた瞼を開く。真近でエルヴァンが覗き込んでいた。
「寝ちゃってた?ほら、もう終わりだよ」
エルヴァンはフィアレインを抱えて箱の外へと出した。
「なかなか起きないから心配したよ」
「へんな夢見た」
「……へぇ、そうなんだ」
エルヴァンは頷くとまた机へと戻る。
フィアレインは部屋を見渡した。シェイドの姿がない。
「シェイドは?」
「グレン君が呼びに来てね。街へ買い出しに行ったよ。ルクス君も一緒にね。買い出しついでにこの街の神殿に行くらしいよ。
ここの神殿からダンケルハイドの大神殿に連絡してもらうつもりみたいだね。この大陸にいるって。
そんなに大神殿に行きたくないのかな」
どうやら自分はおいていかれたらしい。
思わず不貞腐れてしまう。自分もアンブラーの街を見たかったのに。
頬を膨らませ不貞腐れているフィアレインを見てエルヴァンが笑った。
「そんなむくれなくても。しばらくここにいる予定らしいから、いつでも街には行けるよ。
なんなら私が案内してあげてもいい。お勧めの美味しい店に連れて行ってあげるから」
美味しい店、の一言にフィアレインの機嫌は急上昇した。
そうだ、買い出しや神殿なんて行ってもつまらないのだ。
うんうん頷くフィアレインにエルヴァンは部屋の奥に並ぶ本棚を指差した。
「そこにある本貸してあげるから、それで時間を潰すといい」
その言葉に従い本棚へ近付く。並べられている本の内容は題名を見る限りあらゆる分野に及んでいる。
その中の一つに目を留めた。これはシェイドにぴったりそうだ。後で渡そう、と思って引き抜いた。
『長生き健康法』と書かれたそれを純血のエルフであるエルヴァンが何故所有しているのか不思議だが、これは是非ともシェイドに読んでもらいたい。
フィアレインは自分のために『美味しい野草』と書かれた図鑑をとり、椅子に腰掛けそれを開いた。
フィアレインはお昼すぎまでの間、エルヴァンの研究室とやらで時間を潰した。
子ブタちゃんが運んで来てくれた昼食をここで食べ、また本を読む。
『美味しい野草』シリーズを全巻読み、『農業入門 アルフヘイムを出て人間世界で暮らす君に』を途中まで読んだところで仲間たちが帰ってきた。
何やら浮かない表情でシェイドが入ってくる。フィアレインは本を置いて駆け寄った。
「おかえり」
「ただいま。エルヴァンさん、俺ちょっとダンケルハイドまで行かないといけなくなって。
すぐに行って戻ってくるから、その間フィアをお願いしてもいいですか?」
エルヴァンはじっと眺めていた水晶板からシェイドへと視線を移す。
「私は構わないけど。さっきフィアは置いて行かれて、むくれてたよ」
「ごめん、フィア。用だけ済ませてすぐ戻ってくるから、留守番しててもらえるか」
「うー」
何やら納得出来ない。
「フィア、闇の神の教団は貧乏だ。菓子どころか満足なチャもでない」
「フィア、お留守番する」
「即答だね……。じゃあフィア、さっき言ったけど一緒に街へ行こう」
「すみません」
「いや、いいよ。たまには私も街に出ないと。住人に先生は死んだんじゃないかって言われるし。
そうだ……勇者君。お礼の武具、剣はもう出来てるから持っていくといい。ダンケルハイドへ行く定期便に乗るにしても、道中何もないとは言い切れないからね」
「ありがとうございます」
エルヴァンが剣を取り出す。見事な剣だ。オレイカルコス製だろう。
それを見てフィアレインは言った。
「シェイドには勇者の剣があるのに」
「勇者の剣?」
シェイドに剣を手渡していたエルヴァンが振り返り、不思議そうにフィアレインを見る。
力を込めて頷いた。
シェイドが苦笑してエルヴァンに漆黒の剣を見せる。
エルヴァンはじっとそれを見つめていたが
「ちょっとそれ、いいかな?」
と、言うとシェイドから剣を受け取りまじまじと眺めた。
フィアレインはシェイドの服の裾を引っ張る。
「どうした?」
「シェイド、勇者の剣つかわないの?」
勇者の剣を勇者が使わずどうする。確かにエルヴァンが創った剣は素晴らしいけれど。
「いや、確かにこの剣は一撃必殺で強いんだけどさ。突然姿を消すからなぁ。
いざって時に困るだろ?」
シェイドに諭されフィアレインはしぶしぶ頷いた。
勇者の剣は仲間の危機を見逃せない。だから予備の剣も必要だろう。
「エルヴァンさん?」
「……ありがとう。なかなか興味深い剣だね」
「え、ええ」
エルヴァンはシェイドへと剣を返した。
フィアレインはシェイドの為に選んだ本の存在を思い出し、慌てて座っていた椅子の傍らにある小さな卓へ駆け寄った。
そして本を手にシェイドに近寄る。
「はい、シェイドの為に選んだ本。移動中読んで」
「え、ああ。ありがとう。でもなぁ。移動中か……乗り物酔いしそうだな」
シェイドは本の題名を見て若干引きつっている。
そんなシェイドにエルヴァンが小さな瓶を取り出しながら言う。
「これ、私特製の酔い止め。街でも売ってるけど、よければどうぞ。人間からの評判は我ながら最高だよ」
渡された瓶の表面に貼られた紙を見てシェイドが叫んだ。
「こ……これは最高級酔い止め薬!いいんですか?」
「構わないよ」
「ありがとうございます」
いそいそと薬の瓶を仕舞い、フィアレインへと言い聞かせる。
「くれぐれも迷惑かけないようにな」
「うん」
自分は常に良い子である。何の問題もないのだ。
「では、夕方までには戻ります」
シェイドはそう言い残し、部屋を出ようとした。
彼が扉の向こうへと消える寸前にエルヴァンが呼び止める。
「勇者君。その剣……フィアの言葉を借りれば勇者の剣か。あまり使わない方がいい。私の心からの忠告だ」
「え?あ、はい。分かりました」
理由を聞きたそうな顔をしていたが、ダンケルハイドへの定期便の時刻が迫っていた彼はそのまま部屋を出た。
エルヴァンと二人、部屋に残される。
フィアレインはエルヴァンを見上げた。
「なんで?なんで勇者の剣を使わない方がいいの?」
「うーん……確証はないし、話せば長くなるけど……。
そんな事よりフィア。街へ行こう。準備しておいで。
美味しいお菓子食べに行こう」
そうだ、お菓子だ。
慌てて頷き、出かける準備の為に泊めてもらってる部屋へと転移した。
***
フィアレインはエルヴァンに手を引かれアンブラーの街を歩いていた。
道を歩いていると、エルヴァンはしょっちゅう街の住人から親しげに声をかけられる。聞けば彼がこうやって街を歩く事は殆どないらしい。
昨日勇者一行に声をかけるべく外に出たのが久々の外出だそうだ。
エルヴァンは声をかけられるたびに立ち止まり、住人との雑談に応じた。それはただの近況に関する事であったり、魔法の事や開発している魔道具の事であったりした。
話しかけて来た相手には必ず、姪を連れているからとフィアレインを紹介し話を手短に切り上げる。そしてしばらく歩くとまた声をかけられるの繰り返しだ。
住人と話す様子を見る限りエルヴァンは皆から尊敬され好意を持たれているようだ。
こういう暮らし方もあるのかとフィアレインは感心しながら彼らの会話に耳を傾けた。
エルヴァンが遠くに見える塔を指差し教えてくれる。
「あれが魔法学院の塔だよ。世界各国から魔法の才能がある人間が集まっている。
私も昔は教えてた事があったよ。まだこの街が出来たばかりの頃に、たかだか千年程度の間だけど。
勇者君の魔法の師は理事の一人なんだ。もうご隠居さんだけどね」
ほうほうと頷いた。そんな所があるのならば、シェイドが年寄りになったら自分が教師として働いて養ってあげられるかもしれない。
シェイドにお嫁さんがいたら、それも一緒にだ。
それをエルヴァンに言うと彼は面白そうに笑った。
「勇者君のお嫁さんをいじめる小姑にならないようにね」
「そんな事しないもん」
でも同居が嫌だと言われたらどうしよう。別に屋根裏でも離れでもいいのだけど。
いやその前にシェイドにお嫁さんがちゃんと見つかるかの問題があるではないか。これは困った。
旅暮らしの勇者には出会いがあるようで無いのである。心配だ。
「ここで団子食べて休憩しよう」
エルヴァンがとある建物を指差した。そこはこじんまりとした平屋で入り口の戸が開いている。
開け放した戸の前には木製の長いベンチがあった。ちょうど食べ終わったらしい男二人組が立ち上がり、老年の女性に見送られて立ち去った。
彼女はエルヴァンとフィアレインに気づいて声をあげた。
「まあ!先生、ずいぶんとお久しぶりですね」
「そうだね。今日は私の姪を連れて来たんだ」
「まあまあ、それはありがたいこと。さあ、どうぞお掛け下さいな」
フィアレインはエルヴァンと並んで腰掛けた。
「とりあえず、みたらしと黒糖ときな粉をそれぞれ一本ずつ私とこの子の分頼むよ」
老婆は頷くと店の中へと入って行った。
「ごめんね、フィア。たどり着くまでにかなり時間かかっちゃって。
久々に外に出ると、すぐ人につかまるんだ」
フィアレインは首を振る。
その時老婆が盆に大皿を一つとカップを二つのせ店から出て来た。二人の間にそれを置き、その場を離れる。
皿の上の串を見つめる。二人に三本ずつだ。白い丸い玉に何かがかかっている。一本手にとった。一串に四つの玉だ。
一番上のそれを口に入れる。
「どう?美味しいでしょう?」
団子とやらを頬張りながら頷く。
「ここの団子はアンブラーで一番美味しいんだよ」
エルヴァンの話を聞きながら、ひたすら団子を食べた。最後の一串に齧りついたところで、何か音が聞こえた。エルヴァンの方からだ。
「ん?ああ、子ブタちゃんかな」
彼は呟き、懐から何かを取り出す。手のひらにのる位の大きさで乳白色の石が光り、音を発していた。
フィアレインの視線に気づいて説明してくれる。
「これは遠くの人と会話できる魔道具なんだよ。ちょっとごめんね。
子ブタちゃん?どうしたの?」
エルヴァンは魔道具で家にいる子ブタちゃんと話し始めた。
それに構わず団子を食べていたら、隣のエルヴァンが驚きの声をあげた。
「え!勇者君が?」
団子を食べる手を止めて、思わずエルヴァンを見る。
「分かった、すぐ戻るよ」
エルヴァンはそう言うなり石をまた懐へ仕舞った。
フィアレインの方を向いた彼の表情は厳しい。何か良くない報せだろう。
「フィア、勇者君が倒れたらしい」