夢の中
フィアレインは勇者と言う呼びかけに呆然と周囲を見渡した。
自分は勇者ではない。ただの魔法使いである。
それにここは何処だろう。自分は寝ていたはずだ。
自らを見下ろす。生成り色の寝巻きに素足。いつも二つに結んでいる長い金髪はまっすぐにおろされている。
まさに眠った時のその姿だ。
もしかしてこれは夢なのだろうか。
それならば納得がいく。やけに生々しい夢だと思うが考えればたいていの夢は起きれば忘れている。
だから生々しいから夢でないとは言い切れないのだ。では実際の夢はどんなものかと問われれば答えられないのだから。
フィアレインはそう思うことにした。
その時、群衆の中から一人の老人が祭壇へと歩み寄ってきた。祭壇の下からフィアレインを見上げ厳かに語りかけてくる。
「勇者さま。我々はあなた様をお待ちしておりました」
夢だから構わないかもしれないが自分は嘘が得意でない。だからここは正直に話すべきだ。
そう決意し、真っ白な法衣を着た老人を見下ろして言った。
「フィア、勇者じゃないよ」
だが老人は納得しない。とんでもないとばかりに首を振り、祭壇の上の台座を指差す。
「我々は本日勇者さまが降臨されると言う予言を受け、ここでお待ちしておりました。そしてあなた様が現れた。
あなた様が紛う事ない勇者さまである事を証明するすべがございます。
そこの台座に刺された剣。それは勇者さまにのみ抜ける代物。
どうぞその剣を抜いてくださいませ」
フィアレインは祭壇の上の剣に目を移す。
祭壇同様、石造りの立派な台座に刺さっている。
近づきまじまじと眺めた。
どうやらこの台座は祭壇と一体になっているらしい。
そしてそこに刺さる剣。グレンが持つオレイカルコス製の剣を思い出すような立派な代物だ。
刀身は黒く光り、握りの部分は濃紺である。
これを抜けば自分も勇者。見事に抜いて剣を頭上に掲げる姿を想像したら胸が高鳴る。
いざとばかりに手を伸ばして気付く。慌てて祭壇の下にいる老人へと言った。
「フィア、小さいからこのままじゃ抜けない」
剣を抜くには真上に引かねばならない。だが自分の身長では無理である。
それを聞いた老人が慌てて背後を振り返り、控えていた若者に命じた。
「勇者さまに踏み台を!」
しばらく待っていると踏み台が届けられる。フィアレインはそれを受け取り、剣が刺さった台座の前へと置いた。
そして踏み台へとよじ登る。
ここからが本番だ。
ぐっと両手で剣を握る。そして少し力を込めて引っ張った。
だが、剣は抜けない。
もうちょっと力を込めねばいけないのだろうか。
気合を入れて今度こそと思い切り引っ張る。
鈍い音がして抵抗が消える。フィアレインは少し後ろへとよろめいたが堪えた。
手にずっしりとした重みを感じる。
祭壇の前にいた人々からどよめきが聞こえた。何か雰囲気が変だ。
フィアレインは首を傾げ、下を見た。
パラパラと細かい石の欠片が祭壇の上へと落ちる。
確かに抜けてはいる。
だが抜けたのは剣ではない。剣の刺さった台座ごと祭壇から抜けていた。
台座があった部分は穴があき、そこからヒビが少し走っている。
やはり自分は勇者でないから抜けないのか。困った。
ふとそこでフィアレインは思いつく。ここは自分の夢だ。ならば思い通りになるはずなのだ。
だが剣は抜けない。これはきっと自分は勇者でないと言う強い思い込みのせいであろう。
そうすると取るべき手段はただ一つ。
思い切り息を吸い叫んだ。
「シェイドー!助けてー!」
いでよ、勇者!
心から強く願う。ここは夢だ。自分の思い通りになるのだ。
「おわっ……な、なんだ!」
声が聞こえ、何かが落ちた音がした。
そちらを向くと、念願の勇者がそこにいた。何やら驚いた顔であちこち見渡している。
彼の足元には杯が転がり、中に入ってたであろう液体が祭壇へとこぼれていた。
そう言えばフィアレインが寝る時、シェイド達三人は酒を飲んでいたはずだ。こんな所まで細かく再現されるとは、なかなか現実を反映した夢だ。
「シェイド」
落ち着きなく周囲を見渡していた彼がフィアレインの方を向く。
「フィアか?ここは一体」
「夢」
「はい?俺はルクスとグレンの三人で飲んでたんだが」
腑に落ちないという表情を浮かべるシェイドに一つ頷いておく。とりあえずこの剣を脱いてもらえばよいのだ。
フィアレインは手にした台座付きの剣を見せる。
「これ、勇者にしか抜けない剣。フィアじゃ駄目だったから抜いて」
はい、とシェイドに手渡す。
「なんか全く意味が分からないんだが、とりあえずこれを抜けばいいんだな」
「うん」
シェイドは渡された剣を握り、台座部分を足で固定して剣を抜いた。
先ほどのフィアレインの悪戦苦闘がまるで嘘のようにあっさりと抜ける。祭壇の前で見守っていた者達から歓声があがった。
「勇者さま!」
さすがは勇者である。夢の中でもやはりシェイドは勇者だ。
法衣を着た老人が再び話しかけてきた。
「勇者さま。我々はあなた様をお待ちしておりました」
「そうか?今一つ訳が分からんけど、まあいいや」
シェイドは手の内にある漆黒の剣と老人の顔を見比べている。
「今お手元にあります剣は勇者様のみが使える聖なる剣でございます」
「聖なる……って割に随分見た目が禍々しいよな……」
確かに聖剣というより魔剣の言葉が似合いそうだ。凄い力を秘めてるらしいのは感じられるが、聖なる剣と言われると疑問である。
シェイドの呟きに構わず老人は続けた。
「どうぞその剣でもって我々を苦しめる魔王を倒してくださいませ!」
「は……?」
「魔王はここから近い洞窟におります。何卒お力をお貸しください」
魔王、の一言にシェイドの顔が盛大に引きつる。彼はしばらく黙り、そしてフィアレインを見下ろした。
シェイドは小声でフィアレインに言う。
「フィア、転移魔法で逃げるぞ」
「なんで逃げるの?」
「馬鹿、魔王なんかと戦うなんてとんでもない!さっき言っていたよな。ここは夢なんだろう?なら逃げても問題ない!」
「んーでも。夢だから死なないと思うし、洞窟行ってみようよ」
折角夢の中なのだから魔王とやらを見てみたい。
シェイドがフィアレインを引っ張り祭壇の奥へと連れていく。祭壇の前にいる者たちへ聞こえないようにしたのだろう。
「なあ、本当にここは夢の中なのか?さっきまで俺は三人で飲んでて気づけばここにいたんだぞ」
「うん、フィアの夢」
「いや……だからな……って言ってもな。俺が夢の登場人物じゃないって証明する手段はないし……」
シェイドは俯きブツブツ言っている。フィアレインは浮かんできた疑問をそのまま口にした。
「シェイドは夢じゃないっておもうの?」
フィアレインの言葉にシェイドは顔をあげる。
「ああ。夢だって言われても信じられん」
「でもね、転移魔法使えないんだよ」
「使えない?」
シェイドの表情が一瞬で厳しくなる。だが今転移魔法を使えないのは事実なのだ。
「うん」
「そうか……と、言う事は前に魔界のお偉いさんに放り込まれた空間みたいな所の可能性もあるな……」
一人でブツブツ言い始めたシェイドのシャツの裾をひっぱる。彼は我に返った様にフィアレインを見た。
「ねえ、行こうよ。魔王の洞窟。危なかったら逃げればいいんだもん」
シェイドはフィアレインの顔を見、祭壇の前の人々を見る。そしてため息をついた。
「そうだな。いつまでもここにいても仕方ない。でも危なそうだったら逃げるからな」
勇者、敵前逃亡宣言である。
フィアレインはうんうんと頷いた。夢の中で死んだりするのはごめんである。
シェイドはフィアレインを伴い老人の目の前へと進み出た。
「魔王のいる洞窟とやらの場所を教えてくれ」
シェイドの言葉に安堵したように老人は魔王のいる洞窟の場所の説明を始めた。
「あそこか」
「みたいだね」
二人は教えられた洞窟の入り口が見える草むらに身を潜めていた。
「なあ……変じゃないか?」
「何が?」
フィアレインは意味が分からず問い返す。
シェイドは洞窟の入り口の上を指差した。
「あれだ、あれ。あんなもん掲げてたら変だろ?」
シェイドの指差す先には、横長の木の板に『まおうのすみか』と彫られ、表札のごとく打ち付けられていた。
「魔界だと普通なのかも」
「そう言われると否定できんが……」
あいつら変だしな、とシェイドは己に言い聞かせている。
それに何よりこれは夢だ。何があっても変じゃない。
「まあ何より魔王がこんな洞窟の中に住んでるってことが変だ」
「うーん……暗くてジメジメしたところが好きなのかも」
「やめてくれ……俺の大嫌いな某家庭害虫を思い出す」
シェイドは青くなり身震いした。
フィアレインはイェソド帝国の帝都での事を思い出した。あの黒光りする虫は勇者の天敵だったはずだ。
「あの虫がまお……」
「聞きたくない!」
叫ぶシェイドにやれやれとフィアレインはため息をついて立ち上がった。もし万が一、あの虫が魔王だったら自分一人で戦う他あるまい。
シェイドもつられて立ち上がる。
「ま……まあ、いつまでもここで議論していても仕方ない。さっさと行って片づけよう」
二人は頷きあい、茂みから出て洞窟の中へと足を踏み入れた。
フィアレインは魔法で光球をいくつか作り、自分たちの周りに浮かべた。自分は闇の中でも問題ないが人間であるシェイドはそうでない。
二人は警戒しながら洞窟を奥へと進む。
「改めて考えると、俺たち装備も何もないんだよな」
確かに自分は寝巻き姿に素足であるし、シェイドも防具がなく剣だけだ。
だが自分は素足でずっと歩いているのに痛くない。地には石ころが大小問わず転がっているにも関わらず。
そういった点が現実感を奪い夢であると感じさせる。
その時フィアレインは遠くから駆けてくる足音を聞いた。
「誰か走ってきてる」
フィアレインの警告にシェイドは鋭い視線を先の暗闇へと向けた。二人はそこで立ち止まり敵が現れるのを待つ。
間もなくして二人の前に三体の魔物が現れた。その姿を見て、フィアレインは視線を鋭くし、シェイドは目を丸くした。
現れたのはシェイドの天敵ではない。己の天敵だ。
思わず叫ぶ。
「魔王の手下!」
「は……?どっからどう見ても、フィアの嫌いな野菜を巨大化させて手足付けただけだろ?」
フィアレインは激しく首を振った。これは魔王の手下である。
一体目は橙色の根菜、赤サティウス。二体目はさやに入った状態だが中身は己の嫌う青臭い豆ピースム。三体目は紫色の果皮に薄緑色の果肉を持つ加熱したらぐにゃぐにゃした食感になるメリザナ。
どれもこれも大嫌いな野菜である。
これが手下ならば魔王の正体はあれに違いない。
三体の魔王の手下たちは二人めがけて駆けて来た。
だがシェイドの剣の一撃でそれぞれが両断されあっさりと倒れる。それを見下ろし彼は呟いた。
「呆気ないな。まあ野菜だしな。包丁で良かったか……」
そしてまた奥へと歩いていく。途中何度か忌々しい魔王の手下たちに遭遇したが、シェイドが聖なる剣とやらで斬り捨てた。
しばらく進むと岩の扉があった。ためらう事なくフィアレインは叫ぶ。
「開け、ゴマ!」
重たい音をたて、ゆっくりと扉は横へと動き開いていく。シェイドのつぶやきが背後で聞こえた。
「またその言葉で開くわけか……」
少しずつ扉の先が見えてくる。
二人は厳しい視線でその先を見つめた。間違いなくこの扉の先には魔王がいる。
扉が完全に開き、その動きを止めた。
二人は警戒しながらその中へと進んでいった。中は広々とした部屋となっている。
その部屋の奥にその者はいた。
しかし魔王は地に倒れ伏していた。
その身体は真緑色で中は種以外空洞、苦い味はフィアレインにとって天敵だ。これの肉詰めが出されたら中の肉だけ食べるであろう。そんな野菜ピペリアである。
巨大ピペリアに手足のついた魔王は『まおう』と書かれたタスキをかけていた。倒れたその身体のそばには王冠が転がっている。
その憎き仇敵は近くの大きく平らな岩に座っている者に足蹴にされていた。
魔王を踏みつけにしているのは長い金髪に緑色の瞳をした男である。その耳はエルフ特有のとがった耳だ。
フィアレインは一目で分かった。これは純血のエルフで、それもヴェルンドよりも強い。
笑顔で自分たちを見つめる謎のエルフにフィアレインとシェイドは驚く。
何故このような所に純血のエルフがいるのだろう。
だが、そんな事は今はどうでもいい。
仇敵を倒す手柄を横取りされたのだ。怒りがこみ上げてくる。
こんなエルフにやられるなど、魔王を名乗りながら弱すぎだ。
「やられちゃってるね……」
フィアレインは倒れた魔王を眺め呟いた。
「ああ、魔王のくせに弱すぎだ」
シェイドも倒れた魔王を見下ろし苦々しく言う。
「でも……中身、種しか入ってないから……空洞だもん」
「そうだな……空洞だから打たれ弱いんだな……」
二人はなんとも言えない沈痛な面持ちで緑色の物体と成り果てたそれを見つめた。
「お前たち……私のことは無視か?」
「え……ああ、そういえば居たんだな」
「あんた誰?」
二人の反応にエルフは顔を引きつらせる。不愉快そうな表情を浮かべエルフは名乗った。
「私はフレイ。原初のエルフだ」
「へー。ここで何を?まさか魔王退治なんて言わないよな」
「まさか。私は知りたいことがあったからここへ来たまで」
「知りたい事って何なの?」
フレイと名乗ったエルフは不愉快そうな表情を消しフィアレインに向かい笑みを浮かべた。
「君の事だ。君の正体を知る為に夢の中にまでやって来たのだよ」




