エルフの遺跡 3
三年ぶりの再会だ。
「ヴェルンド」
思わずその男の名を呼ぶ。
エルフである彼のこと、当然ながら三年前と何も変わっていない。その金色の髪も緑色の瞳も何もかも。
「久しぶり、フィア」
笑顔でこちらを見つめる男の様子に先ほどの母親の偽物はこの男の差し金だと悟った。
何が理由かは分らないがヴェルンドはフィアレインの母親クローディアを憎んでいるような節があった。
この男はずっとフィアレインをクローディアを苦しめる道具のように使っていたのだ。彼女に憎らしい娘を可愛がる素振りを見せつけ、嫉妬に狂わせる道具として。
彼女本人に対しては素っ気なく時に冷酷にすら見えるほどの仕打ちをし、彼はクローディアを追い込んでいった。
もちろん彼がいなければ自分は産まれてすぐ母親に殺されていたかも知れない。名前も与えられず、生きていくに必要な知識すら持てなかったかもしれないのだ。
たとえ道具として使う為だとしても、それらのことについては感謝している。
だが母が亡くなった今、彼は自分に何をしたいのだろうか?あんな偽物を自分と対峙させたりして。
憎い者の娘にも嫌がらせしたいのだろうか。
思わずフィアレインは顔をしかめた。
確かに母親はほめられた性格ではなかった。それは自分が一番良く知っている。
ヴェルンドに憎まれるような事をしていたとしてもおかしくない。
だがその責任を取れと言われても困るのだ。確かに親子ではあるが……。
自分は彼女に存在すら呪われた子である。
それにヴェルンドだってフィアレインの事を散々利用していたでないか。
彼は知っていたはずだ。クローディアが嫉妬に駆られ娘に何をしていたかを。
考えると腹が立つ。彼は女々しいし大人げない。
フィアレインは目の前の男を睨み据えた。
「さっきのおかあさんの偽物はヴェルンドが作ったんだよね。
ヴェルンドがおかあさんの事を憎んでたのは知ってるけど、フィアにまで嫌がらせするのおかしくない?
だってヴェルンドはフィアのこと、おかあさんに嫌がらせする為に使ったよね。
それが原因でおかあさんが毎日ヴェルンドのいない時にフィアの事を殺しかけてた事も知らない訳がないよね」
ヴェルンドは浮かべていた笑みに困惑を滲ませた。
しばらく沈黙し、やっと彼は口を開く。
「フィアって、そういう性格だったっけ……?」
フィアレインはむっとした。
そういうとはどういうだ。でも何はともあれ自分はこういう性格である。
力強く頷いてやった。
そこでふと気づく。産まれてから三年もいっしょにいたが、そういえばこの男に対して自分は口が重かった。
人となりを知ることが出来るような会話などした事がない。
だから彼がそう思うのも無理はないのだろう。
「こういう性格だもん」
「そうか……ねえ、フィアは知りたくない?何故、僕が君の母親を憎んでいたか」
「別に」
興味もないし、関係もない。そもそも母親はもう死んでいる。
ヴェルンドはフィアレインの返事に困った顔をして、それでも言葉を続けた。
「僕の好きだった人はね。フィアのお母さんのお姉さんだったんだけど。君のお母さんのせいで死んだ」
むしろ君のお母さんが殺したと言うべきかな、とヴェルンドは続ける。
自分の姉を殺す。あの性格の悪い母親ならばやりそうなことだ。
その性格の悪い女が己の母親であると言うのは複雑極まりないが、残念な事に親は変えられない。もはやため息すら出ない。
「だから僕は永遠に一人で生きていかないといけない」
ヴェルンドは苦笑する。
フィアレインは首をかしげた。
だからフィアレインに嫌がらせするのも許されると言うつもりだろうか。
確かに永遠の寿命なき生を持つ自分たちにとって、大切な者、愛する者との別れは重い。
その苦しみを抱え生きていかねばならないのは、寿命なき自分たちの定めではないのか。
まだ六年しかこの世に生きていない自分とて、その覚悟は出来ている。何しろ自分にとって仲間達の生きる年数は一瞬のようなものだ。
彼らを失い生きる時間の方が長いのである。
だからあらかじめ覚悟しておかねばならない。彼らに寄りかかりすぎてはダメなのだ。自分の生を支えるのは自分自身だ。
そうじゃないと失った時にすべて崩壊する。
まさしく今ヴェルンドがその状態なのかもしれない。
だが寿命がないと言ってもエルフに死が無い訳ではない。
ヴェルンドにあらかじめその心構えがなかった事が不思議だ。
やはりそれは天敵となれる者が神以外存在せず、生を脅かされることもなければ、自分たちの種に傲慢とも言えるほどの自信を持つが故なのかも知れない。
でも彼にそれを言っても仕方ない。
何年かしか生きていない子どもに諭されて納得出来るならば、彼はとうの昔に吹っ切っているだろう。
母親の偽物をフィアレインの前に寄越すなど子供じみた事もしなかったに違いない。
自分には関係ないと突っぱねる事も可能だが、それもどうだろうとフィアレインは悩む。
だが、母の負うべき責を自分が全て引き受けるというのもおかしな話だ。
フィアレインは妥協案を考えた。
とある物を取り出す。これは今自分にとって一番の宝物と言えるものだ。
これを彼に差し出そう。身を切られる思いだが、仕方ない。
「これは?」
差し出されたそれをヴェルンドは不思議そうな顔をして見つめる。
それは小さな紙に包まれた代物。一度開けた包みで小さくなった中身を包み直した物だ。
先日メフィストフェレスからもらった菓子である。茶色でほろ苦くて甘い蕩ける菓子。
最後の一枚を自分への褒美としてちびちびと食べていた残りである。
「フィアの宝物。これあげる」
本当は誰にもやりたくない。これを渡したら、今日は寝ながら泣けそうだ。実はもう涙ぐんでいる。
でもこれが自分なりの誠意のあらわし方である。
母親の罪を全て背負う気はないが、ろくでもない彼女が迷惑をかけたのなら娘としてそれなりに詫びねばなるまい。
たとえ彼女本人がフィアレインを娘と思ってなかったとしても。
ヴェルンドはフィアレインの差し出した残り少ない菓子を受け取る。
しばらくそれを黙って見つめる。
もしかして彼は甘い物が嫌いなのだろうか。共に暮らした三年でそんな話は聞いてないが……もしそうだったらお手上げだ。
しばらくの沈黙の後、彼はぽつりと呟いた。
「フィアは彼女に似てないね」
「似たくないもん」
「そうか。フィアはフィアレインにそっくりだよ」
少し悲しそうに呟くとヴェルンドは俯いた。
フィアはフィアレインにそっくりとはどういう事だろうか。自分はフィアレインである。
その言葉の意味を聞こうとしてフィアレインは口を開きかけた。
だがその前にヴェルンドが背後を振り返る。
彼の視線を追う。その先には今まで気づかなかったが扉があった。
床や壁と同じ白一色で気づかなかったのだろう。
「来たか」
ヴェルンドの言う意味が分からず、彼を仰ぎ見て尋ねる。
「何が?」
「侵入者だよ。ここに侵入者が入ったのを感じたから、僕は来たんだ」
まさか君だと思わなかったけど、とヴェルンドは剣を抜きながら言う。
オレイカルコス製の剣が光を反射する。
侵入者と言う事は、シェイド達が来たのか。
フィアレインもその扉が開くのを見守った。
焦れるほどゆっくりと重そうな扉が開き、予想通りシェイド達三人が部屋へと入って来た。
「フィア!無事だったか!」
「って……ヴェルンド!あんたが何で……」
ヴェルンドと面識のあるらしいグレンが声をあげた。
そう言えば以前グレンはヴェルンドの事をいけすかない純血と言っていた。嫌いなのだろう。
ヴェルンドは今までとうってかわり凍りつくような冷たい視線を彼らに向けた。
「グレン、前に過剰な好奇心は身を滅ぼすと教えてあげた事があったと思うけど」
グレンが嫌そうな顔をするのが目に入った。
「あんた、エルフか……」
「勇者か?まさかフィアが勇者と一緒にいるとはね……。まあいい。ここへの人間の侵入を許すつもりはない」
「侵入者を消す為にわざわざアルフヘイムからいらっしゃったと。ご苦労様だね」
その場に緊張がはしる。
純血のエルフ、それも混沌から生まれた気が遠くなりそうな程の年月を生きる者を相手にして勝てる可能性は万に一つもない。
「我々はまだここを捨てていない。勝手な思い込みで侵入したのはそちらだろう?」
「なるほど。確かに思い込みだな。勝手に入った事は謝罪するよ。すぐに出て行く、それじゃ駄目なのか?」
シェイドが彼自身が言うところの『平和的解決』をしようとするが、ヴェルンドは首を振った。
「君たちがここで何を見たか」
彼ら三人は顔を見合わせている。そこには困惑があった。
何だろう。自分がここへと一人連れ去られた後に何かあったのだろうか。
「見たのだろう?知ってるよ。だから生かして帰す訳にはいかない」
ヴェルンドは三人へと剣を向けた。
フィアレインは思わず一歩踏み出す。
いけない。三人が死んでしまう。
だがそれ以上前に進むことは出来なかった。
突如現れた魔力で出来た檻がフィアレインをその場に閉じ込めている。
これは罪人をとらえる相手の魔力を封じる檻だ。思わず魔力でできた格子を掴むと、手に激痛が走った。
慌てて手を離し、見ると焼け爛れている。
傷は別にいい。治癒魔法を使わずとも自然治癒する。すでに傷は半ば塞がっていた。
だがここに入れられていては仲間を助けられない。何としても出なければ。
フィアレインは焦りと恐怖が入り混じった心境で三人へと歩みよるヴェルンドを見つめる。
また格子を掴む。
この中にいる限り魔力がつかえないなら腕力で何とかする他ない。
何とかなるかは分からないけれど。
手が焼ける痛みが襲う。それに堪えて格子を強く握り締める。
三人へと向かっていたヴェルンドがフィアレインを振り返り忠告した。
「それは僕の魔力で出来てるから無理だよ。大人しくしていなさい」
そう言うなり彼は三人へ向かって駆けた。
恐ろしい程の速度で繰り出された一撃をシェイドは跳躍して避けた。着地とともに回し蹴りを繰り出す。
ヴェルンドもまたそれを避けた。
横からグレンが間合いを詰めヴェルンドに迫る。
グレンは忌々しげに怒鳴った。
「魔法使えば一瞬で消し去れるくせに遊ぶつもり?悪趣味な奴!」
「たまには剣も使わないと腕が落ちるからね」
フィアレインは強く格子を掴み檻を揺さぶった。
傷は深まり格子を握るその部分は骨すら露わになっている。自然治癒力が追いつかない。
だけどここで諦めたら終わりだ。
仲間を助けられるのは自分だけなのだ。
彼らは自分が触手まみれになって転がりながら後をついていくことになっても良いと言ってくれたのだ。
そんな彼らを見殺しには出来ない。
壊れろ!
強く心で願ったその時。
檻が霧散する。
それと同時に何かが破裂する様な嫌な音と続いて金属が床にぶつかる音が響いた。
「なっ……!」
前方を見るとヴェルンドの右腕が肩ぐらいから抉り取られている。
彼の手にしていた剣は石の床の上に血しぶきを浴びて落ちていた。
仲間の三人もそんなヴェルンドを呆然と見つめている。
ヴェルンドがゆっくりとフィアレインを振り向いた。そして檻が消えていることに気づき、目を見張る。
フィアレインは何が起こったのかを察した。
無理やり魔力の檻を破壊したことで、魔法の主である彼は反動を受けたのだろう。
呆然としているヴェルンドにこれは好機だと思い、杖を手にして彼へと駆ける。
そして近づくなり、彼を杖でボコボコ殴った。
「帰れ!こっちだって帰るって言ってるんだもん!
皆に何かしたら許さないんだから!」
ヴェルンドは杖の攻撃から残された腕で顔を庇いつつ、後退りする。
そしてフィアレインの顔を見て何かに気づき凍りついた。
その様子を不思議に思ったが、攻撃の手は休めない。
どうやら彼は咄嗟に防御力向上の魔法を使っていたようだ。これも剥ぎ取った方が良さそうである。
そう思った瞬間、ヴェルンドは少し離れた場所へと転移する。
フィアレインの攻撃は空振りし、少しよろめいてしまった。
慌ててヴェルンドが転移した方向へと向き直る。
だが彼はこちらに攻撃をしてくることはなかった。
ただ呆然とフィアレインを見つめている。
「君は……」
何かを言いかけて止め、そしてそのままその場から転移で消えてしまった。
フィアレインはヴェルンドの気配を探る。だが感じられない。
どうやら彼は退却したようだ。
自分の勝利である。
仲間を守れたことに満足感をおぼえながら、三人を振り返る。
三人もフィアレインの顔を見て目を見開いた。ヴェルンドの様に。
訳のわからないフィアレインにシェイドが告げた。
「フィア……お前、瞳の色が変わってるぞ……」




