エルフの遺跡 2
武器は折れても、勇者の心は折れず。
まさに開き直ったかのように突如変貌したシェイドの動きは凄まじいものだった。
殴り、蹴り、投げ飛ばす。
食らいつこうと飛びついて来たフェンリルの上顎と下顎をそれぞれ手で掴み、腹に蹴りをいれ、とどめに至近距離で魔法を放ち風の刃でズタズタに斬り裂いた。
フィアレインは援護した方が良いかと最初悩んだが、横目で様子を伺う限りその必要は全くなさそうである。なので自分の目の前に集中することにした。
もしかしたら勇者は窮地に陥ると何か覚醒するのかも知れない。
「君ってさぁ、格闘術もいけるんだね」
延々と現れ続けるフェンリルとの戦いにも慣れ、飽きすら感じ始めた一行は戦いながら無駄話をはじめている。
シェイドに話しかけつつ、グレンが向かってくるフェンリルへ向けて魔法を放つ。
突如足元から天井に届く程の火柱が上がり、突っ込んできたフェンリルが火だるまになった。魔法をかいくぐり肉迫したフェンリルの首を彼は一撃ではねる。
「まあ、軽く習った程度だけどな」
「それでそこまで人外の生き物と戦えるとは見事なものよ」
シェイドは駆けて来たフェンリルに回し蹴りを食らわせ、爽やかな笑顔で仲間を見た。
「一人で旅してる時、剣が折れたのに金欠過ぎて新しいの買えなかった事があってな。
しばらく素手で戦ってたんだ。だからこういう戦い方は慣れてる」
「神よ!」
「君さぁ……それあんまりおおっぴらに言わない方がいいと思うよ?世間の勇者に対するイメージが崩れると言うか……」
フィアレインは思わずシェイドを見た。
彼は見事な身のこなしで次々とフェンリルを倒している。
格闘術……これも格好がいいかもしれない。
自分の今の持ち技は飛び蹴りくらいだが、頼んで教えてもらい技の数を増やそうか。どのみち本命の剣術は大人になるまで駄目だと言われているのだ。
後で教えてくれるように頼んでみようとフィアレインは心に決める。
「新手が現れなくなったな」
シェイドの一言に頷く。
まわりのフェンリル達は減る一方で新しく現れなくなった。
「在庫切れでないか」
「よし!じゃあもう一息だから頑張るか」
一行は残されたフェンリルを殲滅すべく戦闘に集中した。
いつまで続くかと思われたフェンリルとの戦いは終わりを告げ、一行は奥へと進み始めた。
「また何か出るかも知れないから注意して行こう」
よく磨かれた石造りの床は靴音を響かせる。四人が歩く音以外には何も聞こえないほど静かだ。
通路は一本道で分岐もない。だがまっすぐ進んだ突き当たりに大きな扉が見える。
警戒しながら扉へと近づく。
予想外のことにこの扉は封じられていない。
シェイドは三人を振り返り、一つ頷いた。そして扉へと手をかける。三人は何が起こっても良いように武器を手にする。
ゆっくりと扉を開いた。中の様子を伺う。何の気配もない。
だが油断は禁物だ。
四人は中へ入り、部屋を見渡した。
かなり大きな部屋だ。
一面の壁に絵が描かれている。
「見事なものだ」
ルクスが思わず感嘆の声を上げる。
フィアレインもまじまじとその壁画に見入った。恐らくかなり昔に描かれたものなのだろう。
その風景画の空には馬が駆けている。
フィアレインはふと気づいた。
「でもこの馬、角がないね」
ああ、とグレンは頷いた。
「前にどこだったかな、忘れたけど……聞いた伝承で馬は二種類いたって言うのがあったな。
今この世に存在する角が生えていて地を駆ける馬。もう一つはもうこの世に存在しない翼があって空を駆ける馬」
フィアレインはこてんと首を傾げた。
今存在している馬は空を飛べず、長く鋭い角が生えている。その馬はかつて翼があったが神に奪われたと言われているのだが、グレンの話だと違うのでないか。
今の馬は昔も今の通りの姿であった事になる。
だがグレンの話はそこで終わりではなかった。
「そのうち翼の生えた馬は神が生み出したものではなかった。それと神の生み出した角を持ち地を駆ける馬との繁殖で翼と角を持つ馬が増えていったんだって。
それを不愉快に思った神が翼を持つ馬を全てこの世から消してしまって、今は僕たちが知る馬しか存在しない、と」
「へえ、そんな話があるのか。人間の思い上がりに怒った神が馬から翼を奪ったって話しか知らなかった」
「意外にこの手の話は伝承のようなものの方が信憑性があるものだからな。
まして人間の思い上がり云々は教団の作った話であろう」
さらっと聖職者としてどうなのかと言う発言をしたルクスをグレンは呆れた表情で見ている。
だがフィアレインはそれどころではない。
面白い物を見つけたのだ。
壁画とは向かい側の壁にいくつもの出っ張りがある。
それはそれぞれフィアレインの小さな手のひらより少し小さいくらいだ。
触って見る。そんなに力を入れずとも出っ張りは引っ込み、壁と平らになった。だが引っ込んだ途端それは乳白色から薄く赤色に輝く。
面白くなってフィアレインは手当たり次第にその場の出っ張りを押していく。
「こういう人間に知られない歴史を語るような代物があるのは流石だな。
……っと、芸術鑑賞はこれくらいにして、部屋を調べないか?
エルフの遺跡だからな。どんな仕掛けがあるか分かったもんじゃない。
怪しいものには迂闊に触れないように……って、フィア!」
「う……!」
シェイドに鋭く名前を呼ばれ慌てて振り返る。
壁の出っ張りを押したそのままの姿で。
仲間は三人揃ってほろ苦い笑みを浮かべた。
「……先に言っておくべきであったな」
「そうだね」
「子どもから目を離すなってのは常識だったよな……」
がくりと肩を落とすシェイドにフィアレインはどうやら自分の行動がまずかったらしい事に気づいた。
思わずしょんぼりとしてしまう。
だがその瞬間フィアレインの足元から突如魔力で編まれた縄がいくつも現れる。
これは拘束魔法の一種だ。
そう思う間もなく、フィアレインはグルグルと縛られ本来は硬い石である床にずるずると引き込まれる。
「フィア!」
仲間達が駆け寄るよりも早くフィアレインは床へと引きずりこまれた。
***
体が痛い。
どこか固い床の上に横になっているらしい。
ゆっくりと目を開くと白く明るい光が飛び込んでくる。
冷たい床に手をついて起き上がった。
周囲を見渡す。床も壁も天井さえも真っ白な石の様な素材で作られている部屋だ。
フィアレインは自分が何らかの魔法を受けて床の中へと引き込まれたのを思い出した。
一体自分はどれ位意識を失っていたのだろうか。
目が痛くなるほど真っ白な部屋は誰もいないし、部屋には家具すらなかった。
その時、部屋の中央部分に何かが現れる気配がした。
立ち止まり警戒する。いつでも攻撃できるように準備して。
フィアレインが見つめるその先に人型が現れる。
そしてそれは一人の女性の姿となった。思わず目を見開く。
「おかあさん……」
母親がそこにいた。
いやこれは母親に似せた何か別の存在だ。彼女はもう消滅したのだ。
他でもない、フィアレイン自身の手によって。
エルフは人間と違う。死は消滅であり、終わりなのだから。
彼女が消えていくのを自分は見たではないか。
だから、これは別物だ。
そう己に言い聞かせ、こちらへと殺気を向け魔力を集中させている彼女へ用意していた魔法を発動させる。
巨大な火柱が母親のような者を焼く。炎にまかれながら、彼女は叫ぶ。
見た目だけじゃない声までそっくりだ。
目の前の母親のような者はまだ倒れない。炎ではきかないのだろうか。
フィアレインは悩み、そして魔の消滅魔法を使う。
漆黒の魔が目の前の女を襲った。身体が徐々に消えていく。
半壊した顔の残された目がフィアレインを見た。
その憎しみに満ちた表情は覚えがある。決して忘れない、母が死ぬ時に浮かべた表情だ。
フィアレインは黙って女が完全に消滅するのを見送った。
別に何も感じない。
これは母でない。別の者だから。
だがもしこれが母親本人だったとしたら、何か思うのだろうか。
一瞬だけそんな疑問が浮かぶ。
だがすぐにそんな考えを切り捨てた。
絶対にありえない仮定など無意味だから。
それにもう自分は彼女と別れを済ませている。確かに母に憎まれ愛されなかったことは悲しい事だけど、もう終わった事だ。
自分の小さく狭い世界に、もはや彼女の存在や居場所はないのだから。
だから何も悲しむ必要はない。
自分以外に誰もいなくなった空間でその様なことを考えていたら、突如背後に誰かが現れた。
笑い声が耳へと飛び込み、慌てて振り返ったフィアレインはその人物を見て凍りついた。