異形のもの
ズルズルと熱い砂の中を下へと向かい引きずられる。
呼吸出来ない位で死なないが、その時は余りにも長く感じた。
だがそれは突然終わりを告げる。
砂の中から小さな穴のような場所を通過して、広い空間へと落下する。
湿った冷たい空気が頬をくすぐった。
フィアレインは下を見る。
真っ暗な闇の中、化け物が口を開けてフィアレインが落下してくるのを待ち受けていた。
牙がずらりと並んで生える巨大な口が開いている。頭部の周りには無数の触手が蠢いているのが見えた。
触手がフィアレインを解放する。
このまま口の中に落下させて食べるつもりだろう。
考えるよりも前に化け物の口の中へと落ちた。
その瞬間化け物は口を閉じる。
フィアレインは噛み砕かれる衝撃に身構えたが、それは訪れなかった。
そのかわりに化け物の舌のようなもので舐めまわされ気色悪い。
この状態で魔法を食らわせてやろうと思ったその時。
化け物はフィアレインをぺっと吐き出した。
ごつごつした岩の地面へと放り出され転がる。
慌てて顔を上げ、化け物を見る。
全身が真っ白なその化け物は暗闇の中に薄ぼんやりと浮かび上がっていた。
まん丸で巨大な頭部の三分の一は軽く占める大きな口。
目や鼻といった器官は見当たらない。
頭部から直接無数の長い触手が生えている。
化け物はフィアレインとは反対方向へズルズルと音を立てながら触手を使って動いていく。
なにやら先ほどの吐き出されたあの感じは、あれだ。
フィアレインが不味い物を口にいれた時と同じだ。
まさに自分が赤サティウスをシェイドの皿に放り込むように、青臭い豆をテーブルに落とすように、奴も不味い物を吐き捨てたのだ。
フィアレインは腹がたってきた。
こんなところに無理矢理引きずりこんで、人を餌よろしく舐めまわしてポイとは何事か。
ルクスの言葉を思い出す。
人にとって誇りとは失ってはならないものだと。
ならば自分も己の誇りを守るため、不味い餌扱いしてきたコレと戦わねばならぬだろう。
フィアレインは勢いよく立ち上がる。
そして自分の杖を取り出した。
ズルズルと湿った音を立てながら去っていく化け物を追う。
走り寄ってくるフィアレインに気づいたのか化け物も移動速度が上がった。
人間ならば全力疾走と言えるようなスピードで逃げていく。
逃がしてなるものか。
突如白い化け物が目の前から消える。
どうやら道を曲がったか岩陰に隠れるかしたらしい。
ここはごつごつした岩の空間だ。
砂漠の下にこんな所があるとは思えないほど、湿っぽく涼しい。
足元に所々水たまりがある。
急いで化け物が消えた地点まで行くと、再び触手に絡め取られた。
今度は高く持ち上げられてしまう。
無数の触手が最初の一本にならい上へと伸びてくる。
今やフィアレインは触手の上に仰向けに寝ている状態だ。
その状態で触手たちは次々と右へ右へとフィアレインを受け渡していく。
「はなせぇぇ!」
右端までたどり着いたら今度は左へ左へと触手たちはフィアレインを受け渡す。
「おろせぇぇ!」
まさに波乗りでもしているような状態だ。
どう考えてもこの化け物に遊ばれている。
叫んでも暴れても触手達はお構いなしだ。
その時、声が聞こえた。
もしかしたら聞こえる、と言うのは間違いかもしれない。
辺りには水が滴る音、触手がたてる湿った音しか聞こえないのだから。
どこからともなくフィアレインの脳へと流れこんでくる。
「私と同じ神にも世界にも受け入れられない存在よ」
その呼びかけに思わず下を向いた。
自分を触手で持ちあげる化け物。恐らくこれが声の主だ。
「だれ?」
「……少し話でもするか、同類よ。
私は人間であった。もうずっと、考えられぬほど遠い昔。
いや人間と言うのも間違いだろう。
私は母親は人間であった。だが父親は違った。私は父に会った事がないが母の話では美しい魔族であったと言う。
神話や物語の中でしか知られていない人型の魔族」
フィアレインはかつて人であったと言う化け物を見つめた。
どこにもその名残はない。
なのにこれは人であった過去を持ち、それも高位魔族と人間の混血であったと言う。
「だが私はそれを母の作り話くらいに思っていた。
何故なら私はハーフエルフのように寿命が長い訳でもなく、人間を上回る魔力がある訳でもなく、ただそこらにいくらでもいる飛び抜けた所のない人間だったからだ」
化け物の独白は続く。
「それがある日変わってしまった。
突然魔力があふれだし、それを制御することも出来ず翻弄された。
それだけでない。膨大な魔力があふれだすとともに、私は人間としての姿を失った。
気付けばこんな異形へと成り果て、教団から追われた。
だが教団では私を殺すことは出来ず、この地底へと封じたのだ……遥かな昔に」
「教団?」
「水の神の教団だ。ここは大神殿の地下へと続いている。
もっとも入り口は封じられているが」
ピチャンとどこかで水が滴る音がした。
フィアレインは人間と魔族のハーフというのに会ったことがない。
だから、その突然の異形化が一般的なことなのか特異なことなのか判断がつかない。
恐らくそれはこの白き化け物に聞いても分からないだろう。
それにフィアレインには今別に聞かねばならないことがあるのだ。
「ねえねえ。フィアのこと吐き出したのは不味かったから?」
「そうだ、とても食べられた味じゃあ……な、何だ!よせ!」
思わず杖を振り上げたフィアレインを化け物が慌てて制止する。
何てヤツだ、失礼極まりない。
「仕方ないだろう!今となっては私の糧は人間……。
他にも砂漠に生息する魔物なんかを捕まえて食べようとしたが……どうしても無理だった。不味くて、それに腹が満たされない」
何やらしょんぼりとした雰囲気にフィアレインは怒りを少しおさめる。
ずっと人として生きてきたのに、今度は人を餌としなければならないと言うのは複雑だろうと思ったのだ。
それにこの化け物はある意味フィアレインとお仲間なのだ。
その半身が魔族と言う点において。
「死ぬことも出来ず、ここでずっと永らえている。苦痛とともに。
人を糧としておきながら何を、と言われそうだが。
絶食すれば己の中の衝動がどんどん強くなる。
壊せ、殺せ、全て滅ぼせと」
破ろうと思えば大神殿への入り口は破れる、だから危険なのだと化け物は語る。
フィアレインは何故この化け物がこんな話を自分にするのかと疑問に感じた。
ふとその理由に思い当たる。恐らく頼みたいのだ。この化け物は。
「死にたいの?」
「そうだな。疲れたのかもしれない。
私には眠りがなく、気を抜けば抗い難い衝動に駆られ、それを抑えるのに人を糧とせずにはいられない。
こんな姿に成り果てた今でも私は自分を人間だと思い、人間であった頃の理性を持ち続けている」
「殺して欲しいの?」
「ああ」
フィアレインは触手のうえから舞い降りた。
灼熱の炎が躍る。
瞬く間に白い化け物、かつて人間であったそれを包み込む。
フィアレインは俯き、魔法が生み出した高温の炎がまるで蛇の舌のように床を舐めるのを見ていた。
みるみる内に触手も全て灰燼と化す。
業火が消えたその後には何も残らない。
フィアレインは哀れな化け物が消滅したその後も、しばらくじっと暗闇の中で地面を見つめていた。
***
フィアレインはシェイドのもとへと転移した。
突然目の前に現れたフィアレインにシェイドは腰を抜かす。
「ひいぃ!」
しかも声にならない叫びまであげられた。
シェイドは腰が抜けた状態でジリジリと後ろへ下がる。
「フ、フ、フィア!俺が悪かった!あれはわざとじゃないんだ!どうか許してくれ!
神よ!不甲斐ない俺をお許しください!」
シェイドは叫びながら、あわあわとカーテンの陰に隠れる。
何だろう?
様子がおかしい。
フィアレインは辺りを見渡した。
どこかの宿だろうか。
ベッドと机と椅子だけの質素であまり広くない部屋だ。
あの後随分長くあの地底で考え込んでいたので、戻るのが遅くなった。
仲間は先に進み、街へと入ったのだろう。
自分は転移魔法を使えるから、彼らの選択は正解だ。
その時部屋の扉が開いた。
「シェイド殿?」
「何騒いでんのさ?」
ルクスとグレンが入ってくる。
二人はフィアレインを見て、声を上げた。
「無事だったか!」
「心配してたんだよ」
フィアレインはとりあえず二人に頷く。
そんな事よりまずシェイドだ。
「ちょっと、シェイド!しっかりしなよ!これはフィアの亡霊じゃないんだから」
「グレン、少しシェイド殿を脅しすぎたのだろう?
夜な夜なフィアの亡霊が、とか言っておったではないか」
「アンタもフィアの無念がなんとかとか言ってなかったっけ……」
フィアレインは二人の会話から、シェイドが勘違いしているのに気づいた。
シェイドは恐る恐るカーテンから顔を出す。
「シェイド、フィアは死んだら消滅するからオバケとかにはなれないよ」
「そ……そういえば、そうだよな。すまん……動揺して。
あの後皆でさがしたんだが……」
グレンはニヤニヤ笑いながら、二人に近づいてきた。
「そうそう。シェイドってば泣きながら、『俺が悪かった、許してくれ』とか砂に向かって叫んでて」
「散々探してこれ以上の事はできぬから、無事なら転移で戻るだろうと進もうとしたのだが……。
シェイド殿は墓標を作るだの、自分に娘が生まれたらフィアと名付けるだの……」
どんどんフィアレインの眉間にシワがよる。
何だか勝手に死んだことにされるのは複雑だ。
心配してくれていたのは分かるのだが……。
グレンはもう既に腹を抱えてわらっている。
「シェイド……君、動揺しすぎ!わざと手を離した訳じゃないのにさ」
最後のとどめの一言にシェイドは俯いてしまった。
「ごめん、フィア」
「ううん」
いいのだ。お菓子を食べた事は咎められてないし、ほっぺぷにゅぷにゅの刑も受けてない。
シェイドは大げさである。
歩み寄り肩をポンポン叩いてやった。
激励の意味をこめて。
「いて!いてて!」
涙目で痛がるシェイドに笑うルクスとグレン。
それを見ながら、地底で考え込んだ疑問をまた思い出す。
自分もいつかあの化け物のように異形化するのだろうかと。