花の夢
夕食の後、厄介な客人はやって来た。
「待たせたな。色々調べたり今後の段取りに手間取ってた」
突如一行の前に現れたアスタロトは満面の笑みで語り始める。
その笑顔は非常に怪しい。
見るもの全てに警戒心を抱かせる程だ。
「そんな顔をするな。喜べ。王都とやらは消滅していない」
その時フィアレインは食後のチャを飲んでいた。
甘くして動物の乳が入っている飲みやすいチャだ。
卓の上には茶器の他に焼き菓子がのった皿もある。
ちなみにこれはイグニートの美坊主愛好会の会員からルクスがもらったものだ。
シェイドは複雑そうな表情を浮かべアスタロトに聞く。
「で、今どこに?」
「とある空間に」
「王都の民には何事もないのか?」
「何とも言えないな。とばされた場所は時が流れてないからな」
アスタロトは何やら嬉しそうだ。
よほど何か良い事があったのだろうか。
「そこでだ。今回の特別な事態を受けて、あのお方は条件付きで力を貸してやっても良いと仰っている」
「条件付き……。つーか、魔族とその手の約束をすると、人間はたいてい自分の足下をすくわれるんじゃないのか」
シェイドは皮肉げに言い返す。
確かに油断大敵だ。
相手は人で暇つぶししようとする厄介な存在なのだから。
気怠げに椅子の背中にもたれ黙って話を聞いていたグレンが身を起こす。
「まあ、とりあえずさ。その条件とやらを聞いてみたら?
で、その条件をこちらがのんだらどんな風に力を貸してくれるのかもさ」
「さすがに年長者だけあるな、混血」
グレンは混血と言う言葉に一瞬顔をしかめたが、そりゃどうもと流した。
「条件はあのお方が欲しがっていらっしゃる物を手に入れること。
エルフの都アルフヘイムにあるセフィロトの木。その木に咲く花をあのお方はご所望だ。
それと引き換えに力を貸す。王都をもとの場所へ戻してやろうと」
「アルフヘイムのセフィロトの木の花って……正気?無理でしょ」
呆れたようにグレンは言い放つ。
シェイドとルクスは怪訝な表情でそんなグレンを見る。
グレンの言い分は正しい。フィアレインも同じ意見だ。
何故ならエルフの都アルフヘイムへは人間は入れない。
正確に言うとエルフ以外の者は入れないのだ。
フィアレインがヴェルンドから聞いた話ではそうである。
どうやってエルフ以外の者を排除しているのか、その詳細は分からないが。
「どう言う事だ?」
「はぁ、なぁんも知らないんだねぇ。アルフヘイムはエルフしか入れないんだよ」
「そうだ。だから何とか侵入してセフィロトの花を手に入れて欲しいのだそうだ」
沈黙がおりる。
エルフにしか入れぬ場所にどうやって侵入しろと言うのか。
勇者一行に頼むより、あのお方とやらは自分の配下の高位魔族に頼むほうが確実に花を手に入れられる気がする。
フィアレインは何故そんな花が欲しいのかと疑問に思った。
「ねえねえ、その花を何につかうの?」
フィアレインはアスタロトを見上げ聞いた。
そんなに欲しがるなんて何か特別な効力のある花なのだろうか。
セフィロトの木は巨大な木だと聞く。
原初のエルフが創り出した特別な木であるとも。
フィアレインは興味津々といった眼差しでアスタロトを見つめた。
だがアスタロトから返ってきた答えは何ともつまらない答えだ。
「さあ?知らんな。単に興味があるだけではないか。
あのお方は最近植物の観察に凝っておられる。
魔界中から珍しい植物を集めているくらいだ。
だからコレクションの一つに入れたいのでないか?」
アスタロトが本当にセフィロトの花の事を知らないのか、そのフリをしているのかフィアレインにはその様子から判断がつかなかった。
腕を組み考え込むシェイドを皆が見つめる。
決めるのは彼なのだ。
フィアレインは基本的について行くだけ。あまりあれこれ考えるのは得意でない。
そこまで人間の世界そのものに興味がないのだ。
自分の世界は勇者の仲間達というごく狭い中だけである。
ルクスやグレンはシェイドの相談にのり、助言するくらいの事は出来る。
だが勇者の責任をシェイドと共には背負えない。
魔族の出した交換条件をのんででも消えた王都を救うのか、はたまた魔族の手をはねのけて諦めるのか。
柄にもなく難しいことを考えていたら大あくびが出る。
「お子様は寝る時間だよねぇ」
「ああ、もうフィアは寝る時間であったか」
「先に寝てていいぞ」
シェイドの言葉に頷き立ち上がる。
部屋を出ようとした時、アスタロトから声を掛けられた。
「ああ、そうだ。あんまり草木を抜いて帽子がわりに使うもんじゃない。環境破壊だぞ。」
魔族から環境への配慮を促され複雑な気分で部屋を出たフィアレインであった。
フィアレインは夢を見ていた。
自分の目の前には懐かしいヴェルンドがいる。
彼の姿を見るのは三年ぶりだ。
自分とヴェルンドは大きな巨木の前にいる。
知らない場所だ。
どこだろうと見渡そうとしても、不思議なことに自分の身体は動かない。
そして自分の目線が異様に高いのだ。
いつもヴェルンドのことはずっと下から見上げていたのに。
これはどうした事だろう。
もしややっと成長期なるものが訪れたのだろうか。
寝る子は育つとルクスから聞いたことがある。
さっき寝たばかりだから、起きたら大きくなってるのかも知れない。
そんな浮かれているフィアレインにヴェルンドが話しかける。
すぐそばにある木のずっと高いところの枝を指差しながら。
「見てごらん。セフィロトの花だよ。これが咲くのも久しぶりだ。
君が見るのは初めてだよね、フィアレイン」
ヴェルンドはなにやら感慨深い顔で続ける。
「これは特殊な木だから。この木の花が満開になったその時、新しい世界が始まる……」
フィアレインはヴェルンドに話しかけようとした。
だが出来ない。
それどころか視界はどんどん白くなっていき、遠ざかる。
遠くから声が聞こえる。身体が揺さぶられる。
「フィア!フィア!」
眠い。そして身体が重い。
嫌々目を開けるとシェイドが自分を覗き込んでいる。
「朝飯だぞ。起きてこないならお前の分食うからな」
慌てて起きる。勢いよく起き上がった為、覗き込んでいたシェイドの頭とフィアレインの頭がぶつかった。
「いってぇ!」
頭を抱え込みシェイドは叫ぶ。確かに物凄く良い音がした。
シェイドは涙目で平然としてるフィアレインに支度を促す。
フィアレインは急いで顔を洗って髪を梳かし、服を着替えた。
残念なことに身長が伸びている気配はなく、落ち込んでしまう。
シェイドに連れられて既に朝食の準備が整った部屋へと行った。
「ほら、フィアはここだ」
「うん」
シェイドが示した席に座る。既にルクスとグレンは食べ始めていた。
フィアレインもパンを手に取り食事を始めた。
シェイドが食べながら昨日フィアレインが寝た後に決まったことを教えてくれる。
食事をしながら流し聞く。
どうやらシェイドは魔界のあのお方とやらの話に乗る事にしたらしい。
「だからな、とりあえず各地を巡ってアルフヘイムに入る方法を探しつつ、地と風の大陸を目指すことになった」
アスタロトが期限は無いと言ったそうで時間には余裕がある。
何やら気前が良すぎて逆に怖い。
しかしアルフヘイムにエルフでない者が入る手段などあるのだろうか。
グレンはこれに対して否定的だ。
彼はアルフヘイムの近くにあるハーフエルフの村出身だ。なおかつ十代半ばで村を出て世界中を巡っているが、そんな話は聞いた事がないと言う。
「ま……まあ、もしかしたら何かあるかも知れないだろ」
「なんて言うか……本当に君って……まあ、いいけどね」
「それに期限は無いって言うから受けたようなもんだ。
どの道、各地をまわらなきゃいけないんだし、そのついでみたいなもんだよ。
人助けをついでって言うのもどうかと思うが、アテのない中でそれだけを目標には出来ないからな」
「そ、ついでって言うなら、それ以上何も言わないよ」
「まあ、グレンでも聞いたことが無いって言ってるんだから、可能性は薄いって分かってるよ」
恐らく自分がアルフヘイムにいるであろうヴェルンドの元に転移するのも無理だろうとフィアレインは思った。
何せ神や天使たちと戦争してた時もアルフヘイムに攻め込まれた事は一度もないらしいのだ。
アルフヘイムそのものに特殊な結界魔法でもかかってるのだろう。
まあ、そんな事はどうでも良いのだが……。
それよりもスープに嫌いな野菜が入っている。
夢のように身長も伸びてないし、世の中思い通りにならない事ばかりだ。
朝っぱらからフィアレインは深々とため息をついた。
***
一行はその日の内に出発した。
次の目的地は水の神の教団本拠地クロウカシスである。
今まではずっと礫砂漠だったが、今回は途中砂砂漠を経過する。
出発の際に見送りにきた聖職者たちは、勇者殿にやっとお仲間が出来て良かったと語りあっていた。
ルクスの話では基本的に過去の勇者たちは加護を与えた神の教団の僧兵たちを引き連れて各地をまわっていたと言う。
勇者と言うのは各教団にとって最高の布教活動の旗印である。
光の神の教団が本拠地のある大陸とは別の大陸にも多くの信者を持つのは、過去の華々しい勇者一行の遠征のお陰であるのだ。
勇者シェイドに闇の神の教団の僧兵がつかないのは他でもない。
闇の神の教団の財力と人材不足の為である。
「それにしても、今回の王都の一件は各教団にとっちゃありがたかったんじゃない?」
「おい、グレン。そちらの方は光の神の大司祭さまだぞ」
「いや、まさにその通りであろう。厄災を恐れたものが神に縋り入信したり、信者のお布施が増えたりするのだからな」
フィアレインはラクダに揺られながら三人の話に出てきた聞き慣れぬ言葉の意味を思い出した。
お布施とは確かルクスの話では人間から神への賄賂であったはずだ。
ふと疑問に思う。
やはり神もお金が好きなのだろうか。
確かにお金が沢山あれば美味しい物も食べられる。
魔族だって人間界でグルメを楽しむのだ。神だってそんなものかも知れない。
フィアレインは一人納得した。
同じラクダにフィアレインを乗せていたシェイドが何かを思い出したかのように声をあげた。
「あ!そういえばフィア。何かアスタロトが帰り際訳の分からん事言ってたんだが……」
「訳のわからないことって?」
過去を振り返ってみても、そもそもあの魔族の言う事は訳の分からない事が多いのだ。
聞かれても分からないかも知れない。
「タイトルはみっしょんいんぽっしぶるで決まりだな、とか言ってたぞ」
みっしょんいんぽっしぶる……何だろう。
「わかんない」
「そっか。まああいつの言う事だしなぁ」
「うん」
四人ははぐれないように気をつけつつ、会話をしつつ先へと進む。
砂砂漠は礫砂漠よりも移動し辛い。
シェイドの話ではここの砂漠の面積のうち二割が砂砂漠だと言う。
そんなシェイドはラクダ酔い対策に酔い止めとやらをせっせと飲んでいた。
魔物が出ない時は仲間同士で会話をしてるのを聞いたり周りを見渡したりしていたのだが、砂漠というのは景色が変わりばえしないから飽きる。
出発したのは夕方少し前だ。
寒い時間と暑い時間を避けて移動するから仕方ないのだが、日が沈めば魔物が増える。
四人は魔物と戦いながら進んだ。
今回は足元が砂で動きづらい。
今までと出てくる魔物の種類も微妙に違う。
コッコに蛇の尾を生やしたような魔物が多数出現する。
グレンからその魔物の名はバジリスクだと教えてもらった。
かなりの数の群だ。
フィアレインは後方から魔法で迎え討つ。
風の刃を放つと前方にいた三体のバジリスクに当たり、その肉を裂く音がした。
バジリスクの耳をつんざくような断末魔の叫びとともに、その鮮血が砂へと飛び散った。
また一体が前衛の三人をすり抜けて駆けてきた。
やっぱりコッコに似ている。
と、言う事は……。
丸焼きにしたら美味しいだろうか。
こんがり焼けば皮はパリパリで肉はジューシーかも知れない。
卵も美味しい可能性がある。
そんな事を考え、火魔法を使うことに決めた。
今夜は焼き鳥だ。
思わずじっとバジリスクを見つめた。
だが目が合った瞬間バジリスクは急に立ち止まり、慌てて回れ右をしてまた前衛の方へ向かう。
何だろう。逃げられたかも知れない。
だが逃げて行くのを見守る訳にはいかない。
このままだと前衛の三人が後ろからバジリスクに狙われる。
用意しておいた魔法を放つ。
大きな火の玉が駆けて行くバジリスクの背後から襲いかかる。
一瞬で魔物は灰燼と化した。
だがその瞬間。
「うにゃ!」
何かに足を取られ、勢いよく砂の上へと転んでしまった。
足元を見ようと転んだ姿勢で振り返る。
何か触手状のものが自分の足に絡みついていた。
フィアレインはその出どころを探し、凍りつく。
何時の間にやら背後に巨大なすり鉢状のくぼみがある。
触手はそのくぼみの最深部から伸びていた。
これは自分を引きずりこむつもりだと悟る。
案の定ズルズルと背後のくぼみへと引きずられる。
「フィア!」
いち早くバジリスクを片付けたシェイドがフィアレインの様子に気付き駆けてくる。
触手がフィアレインを引き込む早さと力が上がる。
砂地の為、掴まる所もない。
なすがままズルズルと落ちていくフィアレインの手をシェイドが掴んだ。
だが謎の触手は獲物を逃すまいとその力を更に強くする。
「くそ!」
シェイドごと二人は引っ張られる。
とんでもない力だ。
上はシェイドから下は無理やり触手に引っ張られ身体が裂けそうだ。
痛いし手が滑る。もう駄目かも知れない。
そこでフィアレインは閃いた。
このタイミングであの事を告白しようと。
今までいつ言おうか躊躇っていたが、今しかない。
今言えなければ、もう二度と言えないかも知れないのだ。
「シェイド……フィア、シェイドに預かってたお菓子全部食べちゃった」
あまりの美味しさに保存魔法かけてとっておいてくれと言われた焼き菓子。
「なっ……!」
思わずシェイドの手が緩む。
その瞬間を逃さず、触手は今以上の強さでフィアレインを引っ張った。
手が離れ深いくぼみへと勢いよく転がり落ちる。
駆け寄って来たルクスとグレンが怒鳴っているのが聞こえた。
「何をやっておるのだ、シェイド殿!」
「役立たず!」
何やらシェイドに申し訳なくなる。
悪いのは自分なのだが。
言いづらかった告白をする事が出来たのは幸いである。
これで、ほっぺぷにゅぷにゅの刑から免れた。
ルクスの教えは正しかったのだ。
言いづらい事はタイミングを見計らって言い逃げするのも大切である、と。
そんな事を考えながらフィアレインは砂の中へと引きずり込まれていった。