船旅
目の前の橙色をフィアレインは睨みつけた。
まずこれを片付けなければならない。左右の様子をうかがう。
左手前方のルクスは少々距離がありすぎる。ならば右側のシェイドを狙う他ない。
だが相手は常に剣を手放さない。常に臨戦態勢の勇者である。
油断は禁物だ。
注意深くシェイドの様子を窺い、タイミングを計る。
シェイドが何かに気を取られたらしくフィアレインと逆側に顔を向けた。
今だ。
フィアレインは躊躇わずに動いた。
だが次の瞬間、甲高い金属同士がぶつかる音がし、腕に衝撃が伝わる。
シェイドはにやりと笑って告げる。
「甘いな」
思わず顔が引きつる。
どうやら自分はしくじったらしい。もしや違う方を向いたのも彼の策略だろうか。
自分は罠に引っかかったのかもしれない。
「さっきからお前がちらちら俺を見てるのに気づいてた。
しかもこれはお前の嫌いな野菜だと知っている!」
シェイドの視線を追う。そこにはフィアレインのスプーンに載せられた橙色の野菜。
大嫌いな野菜である赤きサティウスだ。地中になるこの野菜は独特の匂いとえぐみがある。甘みもあるだろうと言われるが、全くもって評価をあげることはできない。
シェイドの皿にこっそりいれてやろうと動かしたフィアレインのスプーンは彼のスプーンによって阻止されている。
「二人とも何をしておる?
スプーンをその様に使うのはみっともないぞ」
向かいでルクスが呆れたように二人を眺めていた。
「フィアが俺の皿に赤サティウスこっそり入れようとしてたんだ」
「だって嫌いなんだもん」
思わず俯いた。作戦が失敗してしまった。どうしよう。
先日嫌いな野菜の一つである青臭い小さな緑色の豆が出た時、落としたフリをして食べるのを逃れようとしたのだ。
だがその時は食後のテーブルに緑の豆が大量にコロコロ転がってるのをシェイドに見られバレてしまった。
勿論その後叱られた。今日も叱られるだろうか。
「好き嫌いしてると大きくならないぞ。
赤いサティウスは栄養一杯なんだからな」
「だからあげたのに……」
「俺はもう成長期過ぎてるし、平均より大きい。
って言うか、六歳児のお前が十九歳の俺の成長の心配するの変だろ!逆だ、逆!」
苦し紛れの言い訳もあっさりはねのけられてしまった。
どうしよう。何か良い策は無いものか。
なんとしても食べたくない。
「ほら、さっさと食べろ」
「ううっ……」
シェイドに促され逃れる策を必死に考えていたその時、救いは訪れた。
「こんばんわっす。ここいいですかね?」
シェイドの隣に夕食が載った盆を持った青年が立っていた。
今は夕食時であり食堂は混み合っている。
「ああ、どうぞ」
フィアレインから視線を彼に移し、シェイドは軽く頷いた。
青年はシェイドの隣に座り、人の良い笑顔を見せる。
「勇者さん、船酔いだいぶ良くなったみたいですね」
「お陰さまで」
シェイドは苦笑しながら青年に答える。
ちなみにこの青年は今三人が乗っている船の船員だ。
一行は先日とうとうダアト連邦の港町に辿り着き、そこで船に乗った。
今までの光の大陸を離れ、火と水の大陸へと向かう最中である。
「何回乗っても慣れないんだよなぁ、船。
今日はまだ揺れが少ないからいいんだが。
ルクスにもらった薬草がかなり効いた」
「体質的なものもあるかも知れぬな。私は薬をあらかじめ飲んでおけば問題ない」
ルクスは懐から何やら紙包みを出し青年に見せている。
船酔いとは何だろう?薬?
何やら聞き慣れぬ言葉が耳に入るが二人は青年と話し込んでいる為、尋ねることが出来ない。
「それ港町で売ってるやつですよね?」
「そうだ。これが一番効くと言われてな」
「お陰で助かったよ。
前にこの船に乗せてもらった時は本当にまずかったから」
何やらげんなりしたようにシェイドは呟いた。
嫌な思い出でもあるらしい。
青年はその時のことを思い出したのだろうか、少し笑った。
「確かにあの時は酷かったですね。毎日寝込んでませんでしたか?」
「起きてた日の方が珍しい……」
「例のクラーケンに襲われた日もそうでしたね」
フィアレインはルクスと同時に言った。
「クラーケン?」
「クラーケンに襲われたのか?」
ルクスはそれが何か知っているらしい。
襲われた、と言う事は魔物だろうか。
シェイドはルクスの問いに頷き、フィアレインに説明してくれる。
「クラーケンってのは……。
そういやフィア、港町の屋台で焼きオクトープス食べてたよな?」
「うん」
足が八本ある何やら奇怪な軟体生物を焼いてタレをつけた物は、その元の姿からは考えられないほど美味だった。
いくらでも食べられそうだったが、足を三本食べた時点でシェイドに止められた。主に経済的な理由で。
「クラーケンってのは、そのオクトープスを巨大にした様な魔物だ」
「ふぅん。どれ位大っきいの?」
「その時のクラーケンはこの船と変わらない位の大きさだった」
「それはまた……難儀なことであったな。
シェイド殿お一人で倒されたのか?」
ルクスの問いに今まで黙っていた青年が頷く。
「そうなんですよ。凄かったですよ。
あんなに船酔いでフラフラしてたのに、巨大なクラーケンをデッキブラシで仕留めたんですから」
何やら聞き捨てならない事を聞いた気がする。
デッキブラシ?
それは彼ら船員達が甲板を掃除するのに使っているあのブラシだろうか。
暇な時間には船をぷらぷらと散歩するのだが、その時に船員たちがあのブラシをそう呼んでいたのを見た覚えがある。
あれは武器としても使えるのだろうか。
フィアレインとルクスの顔を見て、シェイドはため息をついた。
「持ってた剣が折れたんだ……」
そこで止むなくデッキブラシで戦ったらしい。
シェイドは金がなかったから剣を買い換えられなくて、などとごにょごにょ言っている。
ルクスは微笑んだ。やっぱり胡散臭い笑顔だ。
「良いでないか、シェイド殿。
勇者たる者、武器を選ばず……。
デッキブラシ一本でこの船と船員の命を救えるなど大したものよ。
まさに勇者の名にふさわしい」
「そうですよ!勇者さんいなかったら船沈んでましたよ!」
デッキブラシで魔物を倒した勇者として後世まで名が残るのを心配しているのだろうか。シェイドは褒められたのに、あまり浮かない表情をしている。
フィアレインはその隙にシェイドの皿へ赤い野菜をこっそり放り込んだ。
***
この船はとある商人が所有する商船だ。シェイドは持ち主の商人と面識があるらしい。
その話ではかなり手広く商売をしている豪商だそうだ。
今回移動には客船を使う予定だったがタイミング良くこの船が寄港しており、船長に頼んで乗せてもらった。
ちなみにこの船は最新型の魔法船とのことで、帆船とはそのスピードは比べ物にならないと言う。
フィアレインは甲板へ出ていた。
朝から人間の文字を習っていたのだが、今は休憩時間である。さすがに人間の文字はヴェルンドから教わってなかったのだ。
そこで他にやる事もない船旅中に教わる事にしたのである。
ちなみに教えてくれているのはルクスだ。
シェイドは船酔いで字を読んだりするのはとても無理と青い顔をしている。
ルクスは港町の神殿で子どもむけの聖書をもらってきており、その分厚い本を読みながら勉強を進めている。
聖書とやらは色々な話がつめこまれているのだが、これがなかなか興味深い。
白い翼の鳥人間や人間が登場し、そこに神が絡んでくる。
だがどう考えてもおかしい話が多すぎる。
その為毎回ルクスを質問責めにすることになるのだが、返ってくる返答は似たようなものだ。
『神の偉大なお力だ』
『神の寛大な御心による』
『神のお考えを我々人間が忖度するなど畏れ多いこと』
たいてい神のせいにして、どう考えても逃げられている。
フィアレインがいかにも納得出来ない顔をしているのを見るとこう言うのだ。
『お前は文字を学ぶのであり、教団に入信したい訳ではあるまい』
こう言われれば確かにそうであり反論出来ないのだが、ルクスが何やら胡散臭い笑顔だから怪しい。
今日の話もやはり不思議な話であった。
二人の娘が神への捧げ物を用意したのだが、片方の捧げ物は穀物、もう片方は子牛であった。すると神は子牛の捧げ物にしか目をくれない。
そして穀物を捧げた娘は子牛を捧げた娘を嫉妬から殺し神の罰を受けた、と。
そこでフィアレインは思ったのだ。
肉が好きなら最初からそう伝え獣の捧げ物を要求すればいいのにと。
確かに穀物よりも子牛のほうがご馳走である。それは分かるがせっかくの捧げ物を無視するとはどうなのだ。
その仕打ちで神が平等だと言われても困るのだ。
それとも光の神の教団では神が肉好きなのは知っておくべき事実なのであろうか……。
見向きもしないと言うことは実は穀物が嫌いなのかもしれない。
何やら腹立たしい。自分は嫌いな野菜を食べろ食べろと言われるのに。
青く澄んだ水面と白く泡立つ波を見つめながら、そんなことを考えていると背後から声を掛けられた。
「よう、嬢ちゃん。見回りか?」
振り向くと髭面の男が立っている。船員だ。
「うん」
この船に乗ってからと言うもの、空き時間で散歩し、甲板で飛んでくるセイレーンを発見しては魔法で撃ち落とすのが日課である。
セイレーンは上半身は人間の女性のような姿で、下半身は鳥だ。
ハルピュイアとは似ているがセイレーンの方は翼だけでなく、人と同じく腕を持っている。
奴らの歌声を聞くと操られおかしくなってしまうのだ。
もっとも四大陸間での交易が盛んな現在では、それを防ぐ方法はいくらでもある。
魔法を使えるものは魔法を使いステータス異常を防ぐし、そういう道具も売っている。
港町の船着き場では
『鳥印ぃ、鳥印の飲み薬は如何ですか?セイレーン対策の飲み薬ぃ!船旅のおともに是非一本!』
などと叫びながら売り歩く売り子もいた位である。
おそらく船員たちは皆あれを買うのだろう。
「勇者さんご一行が乗ってれば安心だな。またクラーケンに襲われても楽勝よ」
船員は豪快に笑っている。
その背後から若干青い顔をしたシェイドが現れた。
「お、勇者さん。今日はどうだい?」
「だいぶマシです」
「あと少しの辛抱ですよ」
今日の昼前には到着の予定だ。
シェイドは髭面の船員からフィアレインに視線を移した。
「セイレーンは?」
「全部やっつけた」
少し距離はあったが穀物嫌いで肉食派の神の事を考えていた時に、全て魔法で焼き尽くしている。
焼き鳥だ、などと思いながら。
やはり自分は腹を立てているらしい。好き嫌いを許されない己の身の上に対して。
シェイドはヨロヨロと壁にもたれかかる。
その様子を見てフィアレインは首を傾げた。
「どしたの?」
「いや、気分が少しは良くなるかと期待して風に当たりに来たんだが……」
そう言うと懐から何やら取り出し口に入れる。
それを飲み込み、一息ついてフィアレインを見た。
「フィアは船酔い平気なんだな」
「別に何もないよ」
「これも生命の構造の違いとやらか……」
羨ましいなどと呟くシェイドの横をすり抜ける。
「フィア部屋に戻るね」
そろそろ休憩を終わりにして戻らねばならない。港に着くまでにもう少し勉強を進めておきたい。
何かまた魔物が現れてもシェイドが対応するだろう。
後ろからシェイドが声をかける。
「ちゃんと荷造りも済ませとけよ。昼前には着くんだから」
「うん」
次の話はどんな話だろうか。そう思いながら足取り軽く部屋に向かった。
***
昼前に予定通り船は港に到着した。
世話になった船員達に挨拶をし、船を降りる。慌ただしく働く人々をキョロキョロ見回してると
「こっちだ」
とシェイドに促される。
その後ろに着いて行く。シェイドの足取りには迷いがない。
どうやらもう行く場所を決めているようだ。
「まず昼飯食ってから、泊まるところ決めよう。
美味い店があるんだよな……っと、ここだ」
シェイドが一つの店の前で立ち止まった。割と大きな店だ。
店の看板にはオクトープスの絵が描かれている。
三人は店に入り、空いていた席に座った。
周囲を見渡すと席は八割ほど埋まり、卓と卓の間を忙しそうに給仕の娘たちが歩き回っている。その手には湯気をあげる出来立ての料理が載った盆だ。
「ほう。海鮮料理がうまそうだな」
ルクスが周りの客の食事する様子を見て頷く。
シェイドは笑って頷いた。
「多分この港町じゃ五本の指に入る。船乗り達にも有名だ。
料理、適当に頼んでいいか?」
フィアレインとルクスは頷いた。
船代が節約出来たから多少懐には余裕があるらしい。たまには良い物を食べたいのは誰しも同じである。
シェイドはそばを通りかかった給仕の娘を呼び止め、注文を告げる。
料理が来るまでの間、シェイドとルクスは何やら真剣にこれから何処へどのような道のりで向かうか話し合っていた。
フィアレインは隣の客がオクトープスと思われる料理を食べているのに目を奪われる。
どうやら看板の絵の通りオクトープスも出しているようだ。
正直なところ、船上でもしクラーケンに襲われたらその巨大な足を食べ放題ではないかと考えていたのだ。
不謹慎だとはわかっていても、少し期待していた。だが残念ながらクラーケンには遭遇出来なかったのだ。
「お待たせしました」
給仕の娘の声にはっと顔をあげる。
いくつかの大皿がその手には載っている。娘が料理を卓に載せようとしたその時。
店の扉が乱暴に開かれた。
客達が入ってきた人物に注目する。その人物は息を切らせながら店内を見渡して叫んだ。
「勇者さん、いるか!」
三人は顔を見合わせた。何やら嫌な予感である。
こんな調子で現れた人間のする報告が良い物であることはまずない。
シェイドは止むを得ず立ち上がった。まさか知らんぷりは出来ないだろう。
「どうした?」
フィアレインは気づく。入ってきた人物は乗せてもらった商船の船員だった。
一行だけでない、店中の人間が彼に注目していた。
「大変なんだ!マーマンの大群がここに近づいてる!」
「近づいてるってことは、まだ海の中か」
「ああでも、こっちからもう姿を見れるくらいの距離だ。上陸してくるのは時間の問題だ。
あんな大群見たことないって位の数だ!」
その言葉に店中の人間が凍りつく。中には慌ただしく金を卓に置いて店から駆け出る者もいた。
シェイドは店中の人間からの視線を浴びている。
「わかった。すぐに向かう」
シェイドのその言葉に、フィアレインは握りしめたスプーンを悲しい思いで見つめてしまった。
どうやら食事はお預けらしい。
デッキブラシでのクラーケンとの死闘は、いずれ英雄たちの憂鬱の方ででも。