次元の狭間 3
じっと目の前の魔界健康ランドの文字を見つめる。
なにやらその文字は赤く輝き点灯していた。何かの魔法だろうか。
建物は石造りのようで巨大である。
フィアレインは意を決し、その入口に近づいた。
ここで悩んでも始まらない。
木で出来た両開きの扉の前に立つと勝手に扉が開く。不思議な代物だ。
中に入ると、まず小さな段差が有り入口のほうが中より一段低くなっている。
その段差の上には室内履きのような物がいくつか並んでいる。
横の壁に『土足厳禁!スリッパに履きかえて下さい』と貼り紙があった。
どうやらこの室内履きに履き替えなければならないらしい。
並ぶ室内履きの一番端に子ども向けと言っても良い小さな物があったので、それを履く。脱いだ靴はアイテムボックスに収納した。
「いらっしゃいませ!こちらで受付をお願いします」
声を掛けられ慌ててその方向を向く。
入ってすぐ右手に机があり、その後ろの扉から出てきた者に声を掛けられたらしい。
それは上半身は人型の女性で下半身は大蛇の魔族であった。
無視する訳にもいかず言われるまま彼女の前に進む。
彼女はフィアレインを笑顔で見つめ、漆黒の石板を差し出した。
「こちらで受付致しますので、この石板に手を載せて頂けますか?」
フィアレインはそっと石板に手を載せる。すると石板は深紅に輝き始めた。
「まあ!あのお方の特殊パスポートをお持ちですのね。
ようこそ!魔界健康ランドへ!」
特殊パスポートとは何だろう。
蛇女の彼女は机の下から何やら取り出す。そしてそれをフィアレインに渡した。
「何?」
「こちらはユカタとタオルです。
ちなみに特殊パスポートをお持ちのお客様は館内全ての施設とお食事が無料となっております。
ではごゆっくりどうぞ」
丁寧に一礼され、手で奥を示される。
フィアレインは困惑しながらも渡されたユカタとタオルとやらを持ち、奥へ向かう。
少し進むと背後から先ほどの蛇女と別の女性の興奮した声が聞こえた。
「また特殊パスポートの方よ!」
「凄いわね。今日三人目でしょ」
三人目、の一言に思わず足を止めた。
もしや先客の二人はシェイドとルクスだろうか。可能性はあるかもしれない。
なにしろあのお方とやらの特殊パスポートである。
そう思い、奥へとまた進む。
そんなに広くはない通路だ。だが特殊な結界魔法がかかっている。
フィアレインは一枚の貼り紙に気付いた。
『館内での戦闘厳禁!
違反者はコキュートス引き回しの上、百万年の氷漬けとする』
文末に誰かのものと思われるサインが走り書きされているが、達筆すぎてフィアレインには読めなかった。
諦めてそのまま進むと広い空間へ出た。多くの者がそこにいる。その全ては人でなかった。
長椅子で髪をとかしながらくつろぐ蛇女、その隣に腰をかけているのは例の赤い肌に角を生やした巨大な化け物だ。
先ほど会った二足歩行のピッグの大人もいれば、それとよく似ているが首から下は人型の者もいた。
フィアレインはある光景に目を奪われた。思わずその動向を観察してしまう。
そこにはゴブリンの群れがいた。人間の子どもほどの身体に不釣り合いなほどの大きな手をもち、その頭部には毛はない。
人間はその容姿を醜悪と呼んでいたと記憶している。
そのゴブリンたちが、透明な入れ物から何やら液体の入った瓶を取り出した。
皆がそれを手にし蓋を開く。
そして全員揃って腰に手を当て、その瓶を口元へ運び一気に飲み干した。
そして空となった瓶を屑入れに捨て、全員で去って行った。
何やら奇怪な光景である。だがふとフィアレインは思いついた。
これは何かの儀式かもしれない。
意味は分からないがとりあえず彼らに倣い自分もやってみよう。
透明な入れ物に近寄る。そしてその扉を開いた。中から冷気が漏れる。これは魔道具であろう。
茶色の液体の入った瓶を慎重に取り出した。
先ほどのゴブリンたちの真似をし蓋を開く、腰に手を当て瓶を口元へ運び一気に飲み干した。
正体不明の甘い液体が喉を通り過ぎる。
苦くなくて良かったと胸を撫で下ろし、屑入れに空き瓶を捨てた。
そして周囲を見渡すが、ここでこれ以上やることはなさそうだ。
ここにいる魔族たちは皆それぞれ談笑しているだけだ。
フィアレインはそのまま奥へと進むことにした。
通路を奥へと歩いていると前方から、上半身は人型の男性で下半身は馬の身体を持つ二人が歩いてきた。
何やら楽しげに話している。
「今日の日替わりの湯なんだった?」
「クサツの湯だ」
「あー、俺はあれ熱すぎてダメなんだ」
「あの良さが分からんとは。
しみわたる熱さ!あれでこそ生き返るのよ!」
二人はフィアレインの横を通り過ぎる。
今聞こえた言葉を反芻する。
日替わり、湯、生き返る。
前にルクスから聞いたことを思い出した。
聖職者たちは聖なる泉などで禊を行うと言っていた。身を浄め、心の穢れもまた祓うと。
やはり何らかの儀式だ。
フィアレインは一つ頷き、奥へと進む。自分もクサツの湯とやらに入るのだ。
しばらく進むと二つの入口があった。それぞれの入口から
「いい湯だった」
などと口々に言いながら魔族たちが出てくる。ここが湯の場所に違いない。
フィアレインは中に入ろうとした。だが、中からちょうど出てきたゴブリンに止められる。
「お嬢さん、こっちは男湯だ。
女は入れない。
女湯はそっち。お嬢さんはそっちだ」
ゴブリンはもう一つの入口を指差す。
どうやら自分は男性用へ突入しようとしたらしい。
「ありがと」
「いいってことよ」
ヒラヒラと手を振り、ゴブリンは去っていく。
その後ろ姿を見送り女湯へ入る。
そこでふと思った。ここは時が止まらないのだろうか。
今のところまだ時は止まってない。
女湯の入口から中を見渡す。
入ってすぐは服を脱ぐ所らしい。木で出来た棚が並び、草を編んだ籠に皆着替えを入れている。
フィアレインも服を抜いで籠にいれ、そして湯へと向かった。
まず最初に洗い場で皆が身体を洗っている。真似をして自分も身体を洗った。
そしてとうとう禊は本番である。
いくつもの湯が湯気をたてる。
それぞれの湯に名前がついていた。
だが目標はクサツの湯だ。
それぞれの湯の名前を確認しながら奥へと進む。
一番奥にクサツの湯はあった。少し手を入れてみる。思わず顔をしかめるくらい熱い。
ゆっくり片足からそろそろと入れる。これも辛抱だ。
何とか肩までつかった。とりあえずこれでしばらく我慢しよう。
しばらく辛抱した。
自分の顔が真っ赤なのが分かる。もうのぼせそうだ。
これはまずいと湯から出る。そしてヨロヨロとその場から去った。
とりあえず、涼しいところへ。
禊初心者の自分にはクサツの湯は厳しかった。
なんとか外へ出て、身体を拭く。そしてユカタとやらに着替えた。
ぐったりと脱衣所の椅子に座りこむ。何か飲みたい。
そこで受付の言葉を思い出す。
食事が出来るところがあると言うことは、そこで何か飲めるだろう。
フィアレインは立ち上がり覚束ない足取りで女湯を出た。
右に行けば受付だ。ならば食事をするところは左手であろう。
左手の方へ真っ直ぐ進むと、大宴会場なる場所があった。
迷ったがとりあえず扉を開く。
その中には何やら植物で編んだ敷物の上に直接腰をかけ、飲食する魔族たちの姿があった。
卓がいくつもならび、それぞれのグループに分かれている。
その卓の合間を給仕であろう蛇女が盆を手に歩き回っている。
「空いているお席にどうぞ!
スリッパは抜いでお上がりください」
フィアレインは頷き、履物を抜いで一段高くなっている大宴会場へと入った。
手近な空いている卓まで歩いて行き、座る。
注文を聞くため近づいてきた蛇女に飲み物を頼みたいと伝えた。
何やら自分の知らない飲み物ばかりだったので、彼女のおすすめのジュースをもらうことにする。
すぐに飲み物が届けられた。
「ネクタールでございます」
目の前に置かれた飲み物を見る。杯の中の液体は透明だ。
一口飲んで頷く。爽やかな甘みの冷たい飲み物は美味だった。
ネクタールを飲みながら周囲を見わたす。どこのグループも盛り上がっている。
彼らは酒を飲みながら、見た事あるような無いような食べ物を食べている。
シェイドとルクスはどこかにいるのであろうか。受付の蛇女の言っていた二人が彼らであって欲しい。
この健康ランドとやらで合流できたらいいのだがとため息をついた。
「フィアではないか?」
突然聞き覚えのある声がした。
急いで声がした方を見る。斜め奥あたりの卓からルクスが手を振る。
フィアレインは立ち上がった。
そこへ駆け寄る。
「無事だったか!」
同じ卓にはシェイドもいた。
二人ともユカタを着て、何か食べながら飲み物を飲んでいる。
「うん!」
同じ卓に座った。
「二人ともここにどうやって来たの?」
「俺たちも洞に入った途端、別々に飛ばされたんだ。
俺は変な洞窟の中に飛ばされて、散々彷徨った末に出口に辿り着いて出たんだが……。
目の前にここの入口があったんだ」
「私は不思議な塔の中へ飛ばされた。
あとはシェイド殿と一緒だ。
迷った末何とか出口に辿り着いて、そしてここの入口を見つけた」
「んで、ここの男湯で合流した訳だ」
どうやら二人も似たような体験をしたらしい。
外の時が止まることは二人は知らなかった。誰にも会わず、かたや洞窟、もう片方は塔の中だったので気づかなかったらしい。
「そういえば、あのヘビが言っていた宝とやらは見つけたか?
私もシェイドもそういうものには巡り合わなかったのだが」
「まあ自力で探せって意味かも知れないしな。
なんせ『機会を与える』だからなぁ」
シェイドは鳥の肉を油で揚げた料理をつまみつつ、うんざりした様に言った。
宝の話を持ち出され、後ろめたい思いがあるフィアレインは視線を彷徨わせる。
あの魔女の家の事がばれたら確実に説教されるだろう。
どうしようか、と悩んでいたら突然給仕の蛇女に声を掛けられた。
「特殊パスポートをお持ちの皆様。
少し宜しいでしょうか?」
彼女は何やら上に丸く穴のあいた箱を手に持ち三人の顔をのぞきこんだ。
「なんだ?」
「こちらは特殊パスポートのお客様に特別ご用意させて頂いているくじ引きでございます」
「くじ引き?」
「はい。
この箱の中に手を入れて、一枚引いて頂き、当たり外れを決めるものです。
ちなみに当たりには等級があり、それによってもらえる景品が変わってきます」
三人は顔を見合わせる。
くじ引き、当たり外れ、景品とくれば全員が思い浮かべた事は一緒であろう。
「これが宝を手に入れる機会か……」
「まだ分からぬぞ。
あくまでも可能性だ」
「でも、これを済ませたら帰れるかもしれないね」
三人は真剣な眼差しで彼女の持つ箱を見つめる。
「ちなみにくじ引きはお一人様一回、三名様ですので三回引くことが出来ます。
外れても粗品を差し上げますので安心して下さいね」
そう言って蛇女は箱を差し出した。
「じゃあ、引かせてもらおう」
シェイドが立ち上がった瞬間、フィアレインは彼の胴体にしがみつき、ルクスは彼の腕をつかんだ。
ルクスと視線を合わせる。
お互いに同じ気持ちだ。
「うわっ!なんだよ!」
絶対に引かせてはならない。
この勇者は人類で一番運の悪い男と言って差し支えないのだ。
シェイドにくじなど引かせたら、一体どんなものを引き当てるか分かったものじゃない。
フィアレインもルクスも別に宝など欲しいと思っていない。
厄介ごとに巻き込まれたくないだけである。
「絶対だめ!」
「シェイド殿!ご自分の運の悪さをお忘れか!」
二人に叫ばれシェイドは呆れたように言った。
「ただのくじ引きだぞ」
たとえそうであっても譲る訳にはいかない。
防げる災厄は防がねばならないのだ。魔界のくじ引きなど物騒極まりない。
二人そろって首を振る。
これで帰れる可能性があるのだから引かねばならない。
だが災厄はお断りである。
「フィアから引いてみる」
フィアレインは蛇女の持つ箱に手を入れた。中には手のひらに収まる位の玉が入っている。
適当に一つ引いた。
それを蛇女に手渡す。
彼女の手に渡った途端、玉は青色に輝き始めた。
「まあ!おめでとうございます。
五等のカドゥケウスが当たりました!」
「カドゥケウス?」
「ええ、杖ですわ」
青色に輝く玉が細長く姿を変える。
それは一本の杖となった。二本の蛇が巻きつくデザインである。
「眠りの特殊効果があります。
持ち主に合わせて長さも変わりますから」
「杖か。ちょうど良いでないか」
ルクスの声にフィアレインは頷いた。
これは素材も特殊な魔法素材である。魔物たちをタコ殴りにしても、そうそう壊れないだろう。
そしてフィアレインに続いてルクスがくじを引く。
引いた玉を蛇女に渡すと緑色に玉は輝いた。
「おめでとうございます。
七等が当たりました。
エリクシア十本セットになります」
「エリクシア?」
怪訝そうに呟くルクスにフィアレインは教える。
むかしヴェルンドに習ったので知っている。
エリクシアはエルフや魔族など高い魔力を持つ者でないと作れない霊薬だ。
「霊薬の一つだよ。
治癒魔法の効果に体力や精神力回復の効果まであるんだよ」
「ほう、それは便利だな」
ルクスは小瓶を十本受け取り、とりあえず自分のアイテムボックスに収めた。
分配は後で決めれば良い。
そんな風に話しながら。
その時、思わぬ声が耳に飛び込んだ。
「まあ!おめでとうございます!
特賞があたりましたわ!」
その一言にフィアレインとルクスは慌てて振り返る。
そこには真紅に禍々しく光る赤い玉を蛇女に渡したシェイドの姿。
二人は油断していた。シェイドから手を離してしまっていたのだ。
挙句目まで離してしまった。
シェイド本人も二人の当てた景品に安心しきっていたのだろう。
悲劇と言うのはこうやって起こるのに違いない。
シェイドは満足そうにフィアレインとルクスの顔を見た。
「ほら!見ろ!
散々好き勝手な事を言ってくれたな!」
何やらシェイドは自慢げである。
だが特賞の内容が分からぬ今、そんな勝ち誇れる事じゃないだろう。
フィアレインとルクスは互いに青くなった。
おそるおそる蛇女を見る。
彼女は笑顔で告げた。
「特賞は……。
あのお方の飼いドラゴン、リントヴルムに挑む権利となっております!」
大宴会場中の客が立ち上がり、歓声をあげ、一斉に拍手した。