次元の狭間 2
身体が揺れる。なんだろうか。
もしかしてまた寝過ごしてシェイドかルクスが自分を起こそうと揺さぶっているのかもしれない。
そこまで考え、思い出した。
あの厄介なヘビに連れて行かれ、その先で木の洞の中へ転がり落ちた事を。
あのヘビにメテオライトくらいお見舞いしても良かったのでないか。隕石ごときで死ぬかは分からないが。
ぱっと目を開く。
誰かに抱えられ運んでもらっているらしい。
まず目に入ったのは地面だ。
抱えてる主を確認するために顔を上げた。そして凍りつく。
フィアレインを抱えているのは、真っ赤な肌に頭に生える一本の角、目も一つで口には鋭い牙が生えている化け物だ。
かなりの巨体である。
その化け物の後ろには色違いの肌や角の数の違う似たような化け物が続いている。
皆一様にその太く逞しい手に七色の羽根を持つ不思議な鳥や、角の生えたウサギなどを抱えていた。
これはまずいのでなかろうか。
どう見ても友好的な生き物にも見えないこの化け物に運ばれたその先で自分を待つ運命は、背後で運ばれる鳥やウサギと一緒だろう。
ここは魔法で攻撃して逃げねばならない。
そう思ったその時。
化け物の歩みが止まった。
フィアレインは不思議に思い、見渡せる限り周囲を見渡す。
背後の化け物達もみな動かない。
思わず首を傾げた。
何故なら化け物達が動きを止める理由が見つからないからだ。
少し考え、自分を捕らえている腕から逃れる為もがく。がっしり抱えられているため、自力で抜け出すのは無理だと悟り、化け物の目前に転移した。
だが化け物の反応はない。後ろの連中もだ。
かなり上にある化け物の顔を見た。そこで気づく。
先ほどまでしていた瞬きを全くしていない。何故だろう。
だが、とりあえず考えるのは後にした。
理由は分からないが折角のチャンスである。逃げねばならない。
前方に続くのは見渡しの良い平原で、隠れられるような場所もない。
フィアレインは右手にある森に逃げ込むことにした。
化け物達が動き出す前にと、慌てて森へ向けて駆ける。森に入る直前、空を見上げて呆然とした。
何故なら空高いところに、翼の生えた馬が浮かんでいたのだ。馬はとうの昔に翼を失ったはずである。
しかもその馬は微動だにせず宙に浮き、翼も動かない。
何やら納得できないがとりあえず森へ入ったが、そこでも奇妙な光景を目にする。
今にも枝から飛び立とうとしている態勢の鳥、ちょうど木にとまろうとしている虫、その両方が凍りついたかの様に動かない。
そしてフィアレインは気づいた。
全く周囲から何の音もしないことを。
風にざわめく樹々の音や虫や鳥獣の鳴き声、そういったものが全く聞こえない。
これはおかしいのでないか。
困惑し、周囲を見回しつつ、森の中へと進む。
その時、突然いままで静止していた生き物達が動きはじめた。
その鳴き声が耳に飛び込む。
風が吹き木々がざわめく。
まるでその瞬間、世界は動き出したかのように感じた。
これは何だろう。
フィアレインは背後に気を配りつつ、森を歩く。
この森に入った瞬間から今までと一転して蒸し暑さを感じた。不思議な森である。
木は背が高い木が多い。
そしてその木に絡まるように生えている植物たち。今まで見たこともない種類だ。
下草は少なく歩きやすいのは有難いが。
とりあえず真っ直ぐ進む。考えても地理も何も分からないし、いざとなれば森の入口へ転移すればいい。
それにしても、他の二人はどうしたのだろう。
自分が転がり落ちるのを見て追って来ない性格ではない。
洞の入口は一種の転送装置だ。だからもしかして別の所へ転送されたのかもしれない。
だが二人の元へ転移しようとしても、この世界への入口たる木の洞の前に転移しようとしても、出来なかった。
おそらく何らかの力が働いて妨害されているのだろう。
程なくして川べりに到着した。
左右を見渡せば切れ目なく森が広がっている。川を渡った先も森の様だ。
だがフィアレインはその森の中から何やら煙が上がっているのを見た。
もしかしたら誰かいるのかもしれない。また化け物の可能性もあるが、何かの手がかりの可能性もある。
そう考えて、そちらへ向かうことに決めた。
だがそれにはこの赤茶色の深さも分からぬ川を渡らねばならない。
キョロキョロと周囲を見渡すと、少し離れたところの樹々の間から猿が飛び出してきた。
イェソド帝国で遭遇した財布を盗む不届きな猿を思い出し、少し嫌な気分になる。
だが猿はフィアレインなどには目もくれず川へ向かった。そして川に浮かぶ植物に飛び移る。
その植物は対岸まで幾つも浮いており、それに次々と飛び移り、猿は川を渡ってしまった。
そして反対側の森へと消えていく。
フィアレインは植物の浮いている場所に駆け寄った。
まじまじと目の前の植物を見る。
かなり大きな葉っぱのような植物だ。フィアレインが二人は寝れるだろう。
そのふちは反り返り丸い盆のようである。
そろそろと足を乗せる。大丈夫そうだと思い、もう片足も乗せ、完全に上に乗った。
これならばいけそうである。
フィアレインは軽快な足取りで、だが川には落ちないように気をつけて、次々とその植物を足場にして川を渡り切った。
目の前の森の細く立ち上る煙は絶えない。
そこを目指し、また森に入る。
その時、また音が消えた。
そして周囲は全てその動きを止めている。
フィアレインは気づいた。何故かは分からないが、この世界ではいつものように魔力で刻を知ることが出来ない。
風に揺れることもない煙を目印に歩く。
さっきの森は蒸し暑かったが、この森は少し肌寒い。そして生えている樹々や植物も違う。
川一つ隔てただけなのに、この違いはなんだろう。
誰も動くことのない無音の森をひたすら歩いた。
そしてやっとたどり着く。
そこには小さな家が一軒建っている。どうやら自分がたどり着いたのは裏側にあたる部分らしい。
回り込み正面に出ようとした時に家の横側に妙な物があった。
木材と金属を使って作った樽のような物が石で作られた釜の上に載っている。
釜の中では薪が燃え、この樽の中の水を熱しているようだ。
それは良いのだが。
フィアレインはその樽の中に入っているものに目が釘付けになった。
これは猪の一種で家畜として飼われるピッグではないか。
薄いピンク色の皮膚といい、平べったく丸い鼻と言い、間違いない。
それも子ピッグだ。
だが何故、このピッグはこんな所にいるのだろう。
もしやこの家はこのピッグの家だろうか。普通ならば考えられないが、ここは普通の世界ではなさそうだから可能性はある。
だとすれば、この光景はあれだ。
先日シェイドから話を聞いた『露天風呂』なるものではないか。
野営でもないのに、あえて屋外で風呂に入るという人間の好む不思議な行為である。
そう言えばピッグは綺麗好きな動物だと聞いた。ならば間違いない。
その時、薪の爆ぜる音が聞こえた。世界に音が戻る。
フィアレインは目の前のピッグが樽の中でジタバタもがくのを見つけた。
なにやら可愛らしい。
ほのぼのしながら、ついピッグに声を掛けた。相手は動物であるが、人間の風習を実践している位だ。人語くらい使えるかもしれない。
「湯加減はどうですか?」
「あっちぃー!あちっあちっ!じっと見てないで助けろ!」
どうやらこのピッグは湯加減を間違えたらしい。
一つ頷き、魔法で氷柱を作り樽の中に入れてやった。これで少しは温度も下がることだろう。
「ぎゃっ!お前、俺を殺す気か!」
「だって熱いって言うから」
「馬鹿!ここから出るのを手伝え!」
手をブンブン振り回して叫ぶピッグに聞く。
「露天風呂じゃないの?」
「違う!この家の悪い魔女に煮られてるんだ!」
フィアレインはポンと手を叩き納得した。
そうか風呂でなく、スープの出汁でもとっていたのか。
だが生きたままのピッグで出汁が取れるのだろうか……。
そこへピッグが叫ぶ。
「いい事を教えてやるから!
その家はお菓子で出来てて、全部が食える!
どうだ、俺を」
その瞬間また、周囲は動きを止め、音が消えた。
なんだろう。この妙なひと時は、決まった周期でおとずれる訳ではなさそうだ。
だが今重要なのはそんな事でない。
ピッグの叫んだ事を思い出す。
「お菓子……」
じっと目の前の家を見る。
確かに材質が変だ。木ではない。
まず目の前の窓を叩いてみた。
あっさりとヒビが入る。もう少し強く叩くとヒビの部分がポロポロとこぼれた。
それを口に入れる。すぐに溶けて甘みが広がった。
これは砂糖だ。
窓の外側に取り付けられており、今は開かれている茶色の鎧戸を見る。
片側を引っ張ると簡単に取れた。そして躊躇わずにその端っこを齧る。
「……!」
声にならない美味しさだった。
また齧りつく。
こんな菓子は初めて食べた。
甘くほろ苦い、口に入れるととろける。体温で少し溶けて手を茶色に汚した。
どうやらこの菓子は低温で扱わねばならないらしい。
だが、と齧りつつ考える。
こんな物を家の材質に使って平気なのか。
見回せばこれと同じ素材は両開きの鎧戸の残された片側だけだが。その片側に触れる。
僅かな魔力を感じた。これは家そのものにかけられた魔法だ。
これで溶けたり汚れたりするのを防いでるのだろう。
だが、家から切り離されると効力がなくなるようである。
あっという間に片方を食べ終えた。
もう片方の鎧戸も引っ張って取る。そして冷却と保存の魔法をかけてアイテムボックスへ放り込んだ。
「おい!たすけてくれ!たのむ!」
何時の間にやら又、周りが動きはじめた。
慌ててピッグの方を振り向く。
ジタバタするその両腕を掴み、煮える樽の中からひっぱり出した。
ピッグはぐったりと地に倒れる。驚いたことにこのピッグは二足歩行をするのだ。
ただのピッグではないのだろうか。
「た……助かった」
「ねえねえ。ここなんなの?皆動いたり止まったりして」
ヨロヨロとピッグが起き上がる。そして周りの様子を伺いながら、小声で言う。
「なんだ、知らないのか。
ここは時がしょっちゅう止まる。
いや止まってることの方が多い」
時間が止まる。では今までのあれは時が止まったり動いたりを繰り返してたのか。
「わりぃが俺は逃げる!魔女が戻ってくる前に!お前も逃げろ!」
そう言うなりピッグは駆け出し、樹々の間にあっと言う間に消えた。
とりあえずここが時が止まる場所で、自分がその影響を受けないのは分かった。
ピッグの言う通り魔女が戻る前に逃げた方が良いのかもしれない。
フィアレインは意を決して、森から抜けるべく、家の表側へ出た。
そこから森の中へと径が続いている。おそらくここから森を出られるだろう。
もしかしたら、戻ってきた魔女と遭遇するかもしれないが仕方ない。
それに時間の影響を受けない分自分の方が有利だ。
径を進もうとして立ち止まる。
そして振り返った。先ほど一瞬目に入った家の扉が気になったのだ。
やはり茶色の扉は先ほどの鎧戸と同じ素材の様だ。あの何とも言えない味がよみがえる。
無意識のうちにヨロヨロと扉へ近づく。
フィアレインは葛藤した。
もう既に鎧戸は一つを食べ、残りをもらっている。更に扉までもらっていくのは如何なものか。
悪い魔女とあのピッグは言ったが、別にフィアレインは何の被害も受けてないのである。
何よりこれは泥棒と言う行為でなかろうか。
脳裏に説教してくるシェイドの顔が浮かぶ。
既に鎧戸を頂いている時点で泥棒ではあるが……。
それになにより、鎧戸は無くとも支障ないが扉は無くなれば困るだろう。
だがその反面、宝をやると言われてこの世界に放り込まれたのだから貰っていいのでないか、と言う心の囁き声もする。
散々悩み、そして決めた。
扉の取っ手に手を掛け勢いよく引っ張る。
そして蝶番が外れた扉を両手で掲げ持ち、径の先へと走り去った。
これ以外の宝は要らないから!
と自分に言い訳しつつ。
それに半身は魔族である自分がこれ以上堕ちる先もないだろうと己に弁明しつつ。
径を駆けながら、冷却と保存の魔法をかけた扉をアイテムボックスへ放り込み、シェイドへの言い訳を必死に考えた。
フィアレインは一心不乱に森を駆け抜けた。
そして森を抜けた先の丘をこえて、更に進んだ先にある草原の中に不思議な建物を見かけた。
非常に大きな建物である。
近づき、入口に掲げられている文字を見た。
フィアレインは首を傾げる。
「けんこうらんど……って何?」
思わず呟き、魔界健康ランドなる文字を困惑して見つめた。