エクリプス
何事も準備は大切だ。
それが仇敵ならば尚更である。
フィアレインはまず防御力を向上させる魔法を自分へとかけた。
これがあれば奴の攻撃も平気だ。
あとは如何に迅速に目標へ近づき目的を達成させるかだ。
覚悟を決め、扉を開く。
仇敵は敵意を露わにし威嚇を始めた。だがここで怯んではならない。
自分の帰りを待つ仲間がいるのだ。
一歩踏み出す。途端に仇敵は飛びかかってくる。
それを右へ左へ除けながら先へ進む。守護者たるこいつに構っていてはいけない。
目標はすぐだ。
上手く攻撃を避けたどり着く。
ここからは攻撃を堪えねばならない。
懐から袋を取りだす。そして手を伸ばしたその時。
背後から衝撃が襲う。
鳥の鳴き声とともに。
フィアレインは一瞬奴を睨んだ。
だが構っていられない。
素早く卵を拾い袋へそっと入れる。
その間にも鳥はけたたましく鳴きながら嘴でつつき、体当たりし、蹴りをいれてくる。
全ての卵を拾い終わると、さっと奴の攻撃を避け、素早く扉へ向かった。
そして最後に振り返り、奴に宣言する。
「絶対に丸焼きにしてやるから!」
仇敵はこの鳥小屋で飼われるコッコ。
卵も肉も美味しい家庭で飼われる一般的な鳥である。
卵の入った袋を持ち、小さな民家へと入る。
「ただいま」
「おかえり。
また今日も鳥小屋は騒がしい様子であったな」
迎えてくれたルクスにしかめっ面で頷いた。
「またあいつが……」
「ははっ。フィアはあのコッコに目の敵にされておるようだな」
「絶対あいつから締めて丸焼きにしてやるもん!」
卵取りはフィアレインの仕事である。毎日毎日あの鳥につつかれ、蹴られ散々だ。
「まあ、その件に関してはシェイド殿が何と言われるか。
彼は卵だけ貰って、鳥は住人に返すつもりのようであるし」
フィアレインは割らないように卵を慎重に運ぶ。
これは今日の食材である。
ちなみに料理当番はルクスであった。
そっと卵を籠に移し、ルクスに振り返る。
「でも村の人は好きに食べてって言ってたのに」
ふて腐れたフィアレインにルクスは面白そうに笑った。何やら野菜を刻みながら。
「シェイド殿は人がいいからな。
報酬を支払えないから代わりにと相手が寄越したものであっても、つい返すのだ」
一行は今、イェソド帝国の南にあるダアト連邦辺境の村にいる。
イェソド帝国から丸一ヶ月かけて辿り着いたのは数日前のこと。
この近くの森で大量発生した魔物の討伐を頼まれて、ここに滞在している。
だが貧しい村に勇者一行への報酬を支払う現金はない。
そのため寝泊まりする場所と食料の提供を受ける事で、討伐を引き受けたのだ。
「フィア、戻ったのか」
奥からシェイドが現れる。
「卵とってきた」
「お、ありがと。んじゃ、それ焼いて朝食だ」
「フィアは例のコッコを丸焼きにすべきだと言っておるぞ」
笑いながらルクスに言われたシェイドは困った顔をして、あーとかうーとか唸っている。
「ま、ここにいるのも長くないし。許してやれ」
と、言うなりそそくさと逃げる。
その情けなく逃亡する勇者の後ろ姿をやれやれと見送った。
村長から貸し与えられた空き家は古いがちゃんと手入れされており過ごしやすい。
この家は村の一番外側の部分にあり、すぐそこに森が見える。
食事当番のルクスを見よう見まねで手伝った。スープをかき混ぜたり食器を出したりしたのだ。
間もなく朝食は出来上がった。
苦闘の末手に入れた卵を燻製肉とともに焼いた目玉焼きと、村長から差し入れられたパン、干しキノコで出汁をとった野菜スープが並べられた。
ルクスは光の神に祈り、シェイドは闇の神に申し訳程度に祈り、フィアレインはそのまま二人を置いて食事を始める。
スープを一口飲み、パンを一つ手に取る。まだ温かい。
祈り終えスプーンを手にしたルクスがシェイドに話しかけた。
「森の中の様子はどうであった?」
シェイドは噛んでいたパンを飲み込み水を一口飲んでから応える。
「やっぱり沼の奥にデカイのがいそうなんだよ」
「大繁殖の元凶かも知れぬな」
「ああ、まあ入り口の方の奴らは粗方片付けたから、今日は奥まで行こうかと思って」
ここ数日一行は原因不明の大繁殖をしているキラーフロッグと戦っている。
その大繁殖の原因が沼の奥にあるのでないかと見たシェイドが朝一人で偵察に行ってきたのだ。
キラーフロッグ自体は一行にとって大した敵でない。
ここ数日でかなりその数も減らした為、シェイド一人でも難なく沼の手前まで辿り着けたと言う。
「朝食後、出掛けよう。
運がよければ明日にはこの村を出られる」
シェイドの提案に頷いた。
そうなればもはやあのコッコとの戦いの日々も終わりである。
何やら感慨深くすらあった。
***
三人は襲いかかってくるキラーフロッグ達を倒しながら、森の奥へ進む。
すっかり慣れてしまった為、薄暗い森と言えど足取りに迷いはない。
間もなく沼に辿り着いた。
なるほど確かに奥に何かあるようだ。
ゆっくりと沼を迂回し奥へ進む。
「沼に落ちるなよ」
とシェイドが振り返り、注意してきた。
足元の土も水っぽい。歩く度に湿った音をたてる。
しばらく歩き背の高い草に囲まれた場所へ出た。
どうやらこの先だ。
草を刈って奥へ進んだ。
嫌な空気だ。だが生き物はいない。
そのかわり、そこには魔界へと通じる空間の歪みが空中に存在した。
そんなに大きくはない。瘴気を漏らし黒く渦巻いている。
「あの山と一緒だね」
クレーテ山のハルピュイアを思い出してフィアレインは言った。
シェイドが警戒しながら周りを見まわし頷く。
「この歪みからでてくるか、どっかに隠れているか……って、うわっ!」
シェイドが後ずさりする。
空間の歪み、黒い瘴気を漏らす渦から何かが落ちてくる。
その正体を見て、フィアレインは何とも言え無い嫌な気分になった。
おそらくカエルの卵だろう。
黒い丸い何かが透明な半固体の物質の中に入っている。
それが次から次へと空間の歪みから流れるように落ちてくるのだ。
湿った音を立てて、地に落ちる。
その量たるや、フィアレインの身長ではもう見上げるほどの山となっている。
「なんつーか……。
これの親玉が現れるより、この方が嫌だな」
「そうだな」
全くもってその通りである。
卵だけがダラダラと落ちてくる光景は生理的な嫌悪すら催す。
「親はこの空間の歪みを通れぬ大きさなのであろうな。
だが、しかし……歪みへ向けて卵を産むのは……」
正直に言うとやめて欲しい。
気持ち悪い。
おそらく三人とも同じ気持ちなのだろう、何とも言えない表情を浮かべている。
シェイドは目の前の卵に警戒しつつフィアレインに言った。
「フィア、空間の歪みを封じられるか?」
「平気」
「じゃあ、ルクス。
俺たちはこの卵の始末だ」
「承知した」
フィアレインは目の前の空間の歪みに己の魔力で干渉を開始する。
シェイド達が魔法で卵を焼き払っている時、茂みからキラーフロッグ達が現れた。
二人が難なくキラーフロッグを倒していくのを見守りつつ、空間の歪みを修復し封印する。
それが終わった頃にはちょうどシェイド達も剣を収めるところであった。
「終わったか?」
「うん」
フィアレインは頷いた。
その後全員で手分けして周囲の茂みの中を確認したがそれ以上キラーフロッグの卵はなかった為、村に戻る事にする。
「私は魔物があの様に繁殖するとは知らなかった」
「そうだな。俺もクレーテ山のハルピュイア見るまでそうだった。
その時フィアとも話したんだ。
魔物は魔界でのみ繁殖するんだろうってな」
ルクスがそうか、と相槌を打つと再び三人の間に沈黙がおりた。
森の径を草木を踏み分けて歩く音、鳥や遠くから聞こえる獣の鳴き声だけが聞こえる。
シェイドはふと呟く。
「何で魔物はこっちに来るんだろうな。
魔界のお偉いさんが、って思ってたけど……じゃあ、何で大量に虫を率いてきたウコバクは始末されることになったんだろうな。
一定の周期ごとに魔物が増加して、それにあわせた勇者の誕生もよく分からん」
ウコバクの件についてはメフィストフェレスは最後まで理由は語らなかった。
だから真相は分からない。
「定期的に空間の歪みが大っきくなっちゃうとか」
フィアレインはふと思いついたことを言ってみた。
本当に何となくの思いつきだが。
「じゃあ、魔物の増加には高位魔族は関係してないってことか?」
シェイドの問いにフィアレインはこてんと首を傾げた。
正直なところ思いつきで言ったのでそこまで考えてない。
実際そういった事にあまり興味はないのである。
勇者に同行しておいて何であるが。
「わかんない」
「そ……そうだよな」
黙って聞いていたルクスが口を挟む。
「過去の勇者方はどうであったのだろうな。
もしフィアの言う通り空間の歪みが定期的に拡大するのであれば、歪みを封じなければ倒しても倒してもそこから出てくるだろう。
各地を巡って歪みを封じられていたのだろうか?」
シェイドはルクスの問いに唸った。
「神殿からそんな話は聞いて無い。
それに……もしそうだとしたら、勇者には空間の歪みを修復し封印する術が与えられていると思うぞ」
「確かに」
「ま、先代連中の活躍はびっくりする程何も資料に残ってないから何とも言えないが。
むしろ光の神の教団の人間であるアンタの方が詳しいんじゃないか?」
「勇者殿が僧兵達とともに魔界から送り込まれた魔物を倒してまわったとしか知らぬな」
それを聞いて深々とシェイドはため息をつく。
「人間たちを魔物から救えって言うわりに何も情報なんか与えられてないんだよな」
三人は村へ戻るとその足で村長へ報告に行った。
村長はシェイドの報告に喜び、明日の朝出発すると聞けば夜に宴会を催したいと言う。
シェイドは丁重に断ろうとしたが村長の勢いに押され、結局断りきれなかった。
諦めて三人は貸し与えられた家に一旦戻ることにした。
夜支度ができ次第、呼びに来てくれると言うのだ。
歩きながらシェイドがため息をつく。
「あんまり仰々しい事はされたくないんだけどな」
「まあ、村人たちの感謝の気持ちを無下にするのは良くなかろう」
だけどな、とまだブツブツ言っているシェイドの言葉を聞き流しながらフィアレインは目に入った光景に興味をひかれる。
何やら、数人の人間が何かに向かって跪き俯いている。
思わず立ち止まって見入ってしまう。
「あれ、なに?」
フィアレインの声に先に進んでいた二人も立ち止まり、指差す報告を見た。
ルクスが納得したように、ああと頷く。
「墓所であろう。
キラーフロッグの被害にあった者等の」
「ぼしょ?」
「お墓だよ。死んだ人間は埋められて墓をたてられる」
何やらよく分からない話だ。
「キラーフロッグ討伐の報を受けて、死者に祈り報告しているのだろう」
益々分からない。
「だってもう死んじゃったんでしょ?その人」
「そうだ。だから墓所に入ってる」
「報告するってどうして?
死んじゃったら魂は生まれ変わるのに」
人間は死んだらまた生まれ変わる。
自分とは違うのだ。
死んだ者の肉体を埋めたり燃やしたりするのは分かる。いつかは朽ちて地に還るとしても、そのままにしておくのは気分は良くないだろう。
でも何故、墓なる物をつくるのだろうか。
そしてそこへ祈り、報告などするのも分からない。
だってそこにあるのは役目を終え、ただの物と成り果てた脱け殻とも言うべき肉体だ。
そこには本質たる魂などない。
フィアレインから見るとその光景はまるで蛇の脱け殻に話しかけているような話である。
「多分墓は死んだ人の為にあるんじゃない。
遺された連中の為にあるもんなんじゃないのか……どうだ、大司祭さま」
「ははっ。そうであるな。
確かにフィアの言う事も道理よ。
だがな、例えまた何処かで生まれ変わっているとしても、我々は記憶は持ち続けられないし、周りも生まれ変わった相手には気づけない。
だから本質たる魂は死なず変わらなかったとしても、例えばルクス・ネーファンと言う私の生涯は今この時ただ一度のみなのだから」
ルクスは祈る者たちに視線を移し続ける。
「死ねば生まれ変わる。正しい意味では終わりでない。
それは分かっていても近しい者の死は重い。
何処かでまた魂は生まれ変わっていると言う事実だけでは、遺された者の心は癒やされぬ。
だから、そこには脱け殻しかないと分かっていても墓を作り、祈り、語りかける。
それは遺された者自身の為なのだ」
それを聞くとフィアレインは何やら少し悲しくなった。
いずれこの二人も死んでしまう。
だが生まれ変わった自分は自分であっても自分ではないと言うのだ。
あと何十年か、フィアレインの終わりなき生からすればまさに一瞬だ。
「二人もいつか死んじゃうんだね」
シェイドとルクスが顔を見合わせた。
「そうだな……。
お前の生きる永遠からすれば、俺たちの一生なんて一瞬だ。
それを考えると、その僅かな一瞬と永遠が交差した奇跡と運命に感謝すべきだな」
シェイドはそう言って少し笑う。
短い人の一生で出会える相手など限られると。
「いつかこの短い人の生を終えた後も、ルクスとして生きた生涯がお前の生きている限り永遠に思い出として残るなら、これ以上の事はない。
シェイド殿もそうだろう?」
「そうだな……」
フィアレインは空を見上げた。
彼らはまた別人に生まれ変わったとしても、自分の記憶の中で永遠に生きると言うのだ。
永遠と一瞬の邂逅と彼らは言う。
何故か涙がこぼれた。