蠱毒 4
この国に来てからやたらと昆虫の名前に詳しくなった。
それでもまだ知らない虫も多い。
巨大なハサミが頭に生えている真っ黒な虫が突撃してくる。
「来るぞ!」
頭上からはヘルヴェスパが舞い降り、地中からはヘルセンチペドが現れる。
離れたところにいる虫には火魔法の火の玉をお見舞いしつつ、更に近づいてきた虫は杖で殴る。
ちなみにこの杖はシェイドから、予備として買っておいた最後の一本だと念を押されている。
メフィストフェレスの持つ剣の黒い刀身が光る。
彼の横薙ぎの一撃を受け巨大なハサミの虫は二分されて消滅する。
ルクスは複数現れた巨大なカマキリをメイスの強力な打撃で叩き砕きつつ、そのカマの攻撃を軽やかに躱す。
その間にもシェイドはヘルセンチペドを切り裂き焼き払い、先ほど人を齧っていた巨大な黒い悪魔の虫を斬ろうとして止めた。
「お……俺の剣でゴキブリなんか触れたくない……」
どうやら勇者もあれを苦手とするらしい。黒き悪魔の名はゴキブリというのか。
「シェイド!危ない!」
勇者の後ろに巨大なゴキブリが迫る。
フィアレインは雷撃を放った。
人類の救世主たる勇者を頭から齧ろうとした巨大なゴキブリが爆ぜる。
運悪く間近にいたシェイドは飛び散る肉片の直撃を受け、その体液を浴びてしまった。
「ぎゃああああ!」
フィアレインは呆然とする。
こんなシェイドの叫び声を聞いたのは初めてだ。
どんなひどい怪我を負っても堪えるシェイドである。
もしかしたらあの巨大なゴキブリの体液は酸か猛毒なのかもしれない。
フィアレインは慌ててシェイドに駆け寄る。
「だ、大丈夫?」
しかし別にシェイドは酸で溶かされてもない。毒にも侵されてなさそうだ。
シェイドは声も出せないのかフルフルと首を振る。
ルクスとメフィストフェレスはシェイドをちらっと見て、また気にすることなく敵と戦っている。
「あ……」
「あ?」
「洗いたい……」
なるべく口を開かないように喋るシェイドにフィアレインは首を傾げた。
いつもは返り血浴びても戦闘が終わるまで放置してるはずだ。
今まさに戦闘中である。
ルクスとメフィストフェレスが健闘してくれているお陰でこちらまで虫は来ないが……。
何故今でないといけないのか。
「後じゃだめ?」
フィアレインのその一言にシェイドは激しく首を振る。
何か今でないと駄目らしい。
勇者にしか分からない特別なステータス異常が現れるのかもしれない。
フィアレインは納得し、水魔法でシェイドを洗い流し、火魔法と風魔法を組み合わせて乾かしてやった。
浄化の魔法が必要なら自分でかけることだろう。
シェイドは感激に目を潤ませている。
どうしたのだろう。
「お前は俺の命の恩人だ!」
そう言うなり身を翻しルクスとメフィストフェレスが戦う場所へ駆けていってしまった。
命の恩人……。何か致死性のものだったのだろうか。
考える間もなく上空からヘルヴェスパが襲ってきたので、そちらに魔法を放つ。
次から次へとキリがない。
「勇者殿でいらっしゃるか!」
虫を倒しながら何とか城へ進んでいた途中、突然声をかけられた。
声のした方向を見ると、姿から判断するに光の神の教団兵である。
「そうだ!状況は?」
「まず二人の殿下が城へ入られました。
その後こんなに大量の虫が押し寄せて来て。ここ数日とは比べ物にならぬ数です!」
二人の皇子が来た途端、虫の襲撃が激化した。
それは皇子達と虫が何か関係あるからだろうか。
例えばアスタロトと契約したアカマナフがそうであった様に。
なるほど、と隣でメフィストフェレスの声がする。
全員彼を見た。
「皆さん、城の外の両殿下の兵を覚えていらっしゃいますか?」
「ああ」
「こんなにも虫がいて、人を見かければ襲ってくるというのに……城壁のすぐ外の彼らは誰も襲われていませんでした」
シェイドは一瞬考え込む様に俯いた。
そして顔を上げる。
「ちなみに城内はどうなってる?」
「皇帝陛下がお倒れになったと混乱しております。
とは言え、身の回りは近衛が、城は入り口を衛兵と一部の帝国兵で死守しております」
「だが急いだ方がいいな」
虫を倒しつつ進む為なかなか城に近づけないでいた。
だがシェイドは目の前で人が襲われているのを無視してまで進めずにいる。
「我々も数はそうおりません。
住人が次々と神殿へと逃げ込むので、神殿まわりが一番虫が殺到しております。
勇者殿の援護に来れたのは我々のみ……他の者は神殿の守備と市街地をまわっております」
彼の後ろには十人ほどの僧兵が控えている。
シェイドは仲間である三人を振り返った。
「皇子達と虫の関係が疑われる以上、なるべく早く城に入りたい」
全員が頷く。
「やり方はいくつかある。
虫を全て無視して城内へ突入する。
速度は落ちるが今まで通り進む、僧兵たちの援護があれば少しは早く進めるだろう。
二手に分かれ、俺ともう一人は城へ。もう二人は僧兵と虫退治だ」
そこでメフィストフェレスが例の人をからかう様な笑みで言った。
「勇者殿、二つ目の案しか取れないのでは?
最初の案は襲われてる人間を全員見殺しにすると言うことです。
僧兵方のこの人数では全て救うのは難しいでしょう?
最後の案は現実的な様ですが、実際勇者殿は人間が襲われているのを見ながらその場を駆け抜けられるのですか?
残った一組と僧兵方は戦いながら進む訳で、どうしても遅れる。
勇者殿が通り過ぎた後、居残り組が辿り着く頃には殺されているでしょう」
とは言え二つ目の案も進む先にいる人間は救えると言うだけの話です、と締めくくる。
シェイドの表情が消えた。ルクスも難しい顔をしている。
そうすると結局今まで通り進む他ないのだ。
こうやって話している間にも虫は襲ってくる。
フィアレインは魔法で虫の接近を阻止し、他の僧兵たちはメイスを振るう。
こういう時の議論に自分は加われない。だからせめて時間を稼ぐ。
メフィストフェレスは更に続ける。
「それに人々を見殺しにして城に駆けつけたところで、皇子達が虫の出現に関与してるとは言い切れないのですよ」
「確かにそれはそうだ」
「勿論、何らかの関係があればいち早く駆けつけることで被害を減らせるかもしれませんがね。
救えるであろう命、その為に見捨てる命。
どの様に天秤にかけるのですか?」
「あえて今それをシェイド殿にいうのか?ファースト殿」
ずっと黙っていたルクスが少し怒った様に言う。
シェイドはメフィストフェレスを見た。
「確かに。アンタの言う通りだろうよ。
選べる道の中で最善を選ぶ。
それは命を天秤にかける事にもなるんだろう。
誰も死なせたくなんかないよ。
でも選ばないといけないし、責任もとらないといけない。
本音言うなら今すぐお役目放棄して逃げたい。
でもそれをやれば、俺はこの世界に拒否され生きていけない。
人の為と言えば聞こえが良いが、結局俺は自分自身の為に戦っている」
誰も口を挟めない。
メフィストフェレスも黙って聞いている。
「本来こうやって話してる時間さえ無駄なんだ」
どんどん虫も集まって来ている。
自分と僧兵たちだけでいつまでも持たないだろう。
倒しても倒しても虫が現れるのだから。
「見捨てたくはないけど、必要ならば見捨てる覚悟も出来ると?」
「俺は神でもなければエルフでも高位魔族でもない。
でも出来る限りの事をする。
勇者は人間の希望だから」
メフィストフェレスが笑った。
「なるほど。なかなか面白い考えですね。
良いでしょう」
そしてメフィストフェレスが全員を見渡す。
「皆さんには道中散々笑わせて頂いた恩もありますし……」
その時、巨大なゴキブリが突進してきた。
シェイドは顔を引きつらせつつも剣を構え、ルクスもメイスを構える。
フィアレインも魔法を撃とうとした。
だがメフィストフェレスの方が早かった。
「お礼として皆さんを城内へ送って差し上げましょう、お土産つきでね!」
メフィストフェレスが言うや否や、転送魔法に巻き込まれる感覚が襲う。
わずかな目眩とともに転送先へと現れた。
どうやら城の中の廊下らしい。
「ファースト、あいつは一体……って、ゴキブリ!」
シェイドが疑問を続ける事が出来ず叫ぶ。
そうだ。
あの性悪魔族は言っていた。
『お土産つきでね』と。
あの時突進してきた巨大なゴキブリも一緒に転送してくれたらしい。
手の混んだ嫌がらせである。
その時、廊下の先の扉から人の叫び声がした。
「くそ!次から次に!」
シェイドは目の前のゴキブリと背後の扉を見比べる。
フィアレインは叫ぶ。
「二人とも先に行って!」
この程度なら一人でじゅうぶんだ。
それに……先ほど様子を見る限りシェイドは役に立たないかもしれない。
ゴキブリは勇者の天敵らしいから。
シェイドとルクスは頷き、扉に飛び込む。
フィアレインは突撃してこようとした巨大な虫に、捕縛魔法をかけた。
あまりに近すぎたし、勇者も叫ぶ程に奴の体液は危険らしい。
そしてこの前メフィストフェレスが使っていた魔法、闇の消滅魔法を真似してみる。
見よう見まねだったが上手く発動し、黒光りする虫は消滅した。
メフィストフェレスとは威力が桁違いだが、なにしろ初めてだ。
これは上出来である。
うんうんと納得して頷き、二人の後を追って扉を開いた。
そこには誰もいない、だが奥の部屋で何やら激しく物音がする。
その部屋に駆け込み、広がる光景に凍りついた。
そこでは人間の顔が身体の一部に出来物のようにくっついた巨大な虫が、虫同士で戦っている。
そしてベッドの上で震えながら丸くなっている老人。
更にそれらを楽しげに見つめる高位魔族と、その足元に倒れているシェイドとルクス。
シェイドとルクスは血塗れで、その下には血の海が広がっていた。