蠱毒 3
フィアレインはあまりの衝撃に口をぽかんと開けてその光景を眺める。
シェイドとルクスがメフィストフェレスとそれぞれ名乗りあって握手すらしている悪夢のような光景を。
確かに魔の気配を何か別のもので覆い隠しているような感じも受ける。
だがその赤い瞳といい、間違いなくメフィストフェレスだ。
シェイドもルクスも全く気付いている気配がない。
ヒラヒラとシェイドに顔の前で手を振られる。
ハッと我に返った。
「おーい?大丈夫か?
ファースト殿。この子はフィア。
うちの魔法使いだ」
黙っていたからだろう。代わりにシェイドがフィアレインを紹介する。
自称ファーストに。
メフィストフェレスはフィアレインの前に屈んで目線をあわせる。
「はじめまして。
私はファーストと申します。
今回同行させて頂く事になりました」
思わず真実が口から出そうになった。
だがそれを止めたのはメフィストフェレスの笑顔の中で光る冷たい瞳だ。
シェイドはメフィストフェレスに声をかける。
「ファースト殿。
早速で悪いが、これからの事を打ち合わせたい。
今からいいかな?」
メフィストフェレスはシェイドに笑顔で振り返る。
「ええ勿論」
「では場所を移動しよう」
シェイドとルクスは扉に向けて歩き始めた。
その背中を見て、またフィアレインへ振り返る。
そして小声で囁いた。
「後でゆっくりお話ししましょう。
でもいいですか?私の事を彼らに話してはいけませんよ。
もし話せば二人を殺します」
いいですね、と念押しして立ち上がるとメフィストフェレスは二人の後を追った。
フィアレインは困惑しながらも慌ててその後に続いた。
結局のところ、二人を殺すと言われたら従うしかないのだ。
しばらく四人で帝都への道のりや着いてからの事を話し合った。
話が一段落し、今日は体を休めて明日の朝出発しようと決まった。
帝都へは数日かかるのだ。
その後も虫退治が待っている。
それぞれが自分に割り当てられた部屋へ戻る。
フィアレインは自室の扉を開ける。
そしてげんなりした。
そこにはもう既にメフィストフェレスが立っている。
「やっとゆっくりお話し出来ますね。
やれやれ人のフリもなかなか疲れるものです」
どうぞ、お座り下さいと椅子を勧められる。
ここは自分の部屋なのにと少し腹を立てつつも大人しく座った。
「何でみんな気づかないの?」
確かにメフィストフェレスは魔の気配を何らかの方法で隠してはいるが、赤い瞳はそのままである。
「幻術ですよ」
「幻術?」
「そう。私は少々幻術が得意でしてね。
彼らには私の瞳は別の色にみえてます。
ああ……でも勇者殿は危険ですね。
彼は普通の人間でない。
少しでも私を怪しめば幻術を破るかもしれません」
だから、とメフィストフェレスは楽しげに笑いつつ続ける。
「くれぐれも私の事を話したり、疑われるような態度をとってはいけませんよ。
彼らを死なせたくないのでしょう?」
フィアレインはメフィストフェレスの赤い瞳をじっと見た。
もし自分が話さず、彼らがメフィストフェレスの事に気付かなかったとしても、同行することで危険があるのではないか。
魂胆が分からない。
あまりに暇だから人間を救う旅にでも出たくなったのだろうか。
「何でいっしょに来るの?」
「何も心配することはありませんよ。
貴方たちの邪魔をすることもないでしょう……多分。
私には私の成さねばならぬことがあるのです」
「一人で行けばいいのに……」
嫌そうなフィアレインの顔を面白がるように笑い、メフィストフェレスは言った。
「そんなのつまらないじゃないですか。
それでもお役目は果たせますけれど。
でも、あのお方にご報告する時に面白い話の一つも出来なければ何と言われるか……。
間違いなく、お前の話はつまらんなんて言われるでしょうね」
そう言えばこの男は、あのお方とやらの使いっ走りである。
暇つぶしの話まで出来なければならないのだろうか。
それを考えると、何やら使いっ走りと言うのも気の毒な立場である。
思わず同情の眼差しで見つめてしまう。
メフィストフェレスはフィアレインのその視線に気づいて、少したじろいだ。
「な……なんです?」
「使いっ走りって大変だなーって」
「従者ですよ!従者!
間違わないで下さい!」
何やらムキになっているメフィストフェレスにうんうんと適当に頷く。
とりあえずこちらに被害がないならそれでいいのだ。
メフィストフェレスの目的などどうでもいい。
問題はあの二人にばれないように頑張らねばならない。
隠し事をするのは気が咎めるが、これもやむなしだと自分に言い聞かせた。
***
帝都へは街道をしばらく進んだ後、山越えをしなければならない。
とは言え、そんなに厳しい山でもなく道も整っている。
しょっちゅう虫どもに襲われたが特に問題なく四人は進んだ。
そんなある日事件は起こった。
現れた魔物の群にいたのは虫の魔物だけでなかった。
珍しく白い猿のような魔物も混ざっている。
「ハヌマンですか。珍しい」
全員武器を構える。
メフィストフェレスの呟きにシェイドが興味をしめした。
「ファースト殿、ハヌマンって?」
「魔界の猿です。すばしっこくずる賢い。
ちなみに手癖が悪いから気をつけて下さい。
何か盗んで逃げることもあります……来ますよ!」
まず巨大なトンボの魔物が突撃してくる。
それをきっかけに一斉に襲いかかってきた。
魔物の数は多いがこちらの戦力からすれば大した問題ではない。
それぞれが武器を魔法を使い一匹ずつ仕留めていく。
メフィストフェレスは疑われない程度の力で戦っていた。
そんな時である。
「ああっ!」
シェイドが叫んだ。何やら猿の魔物ハヌマンがシェイドの懐に飛び込み、そして素早く彼の脇をすり抜ける。
「俺の財布が!」
その一言にフィアレインとルクスが衝撃を受けた。
ちょうどその時、ハヌマンはフィアレインの横をすり抜けて走り去る。
フィアレインは手にしていた杖を地に叩きつける様にして放るとハヌマンの後を追う。
「財布ーー!」
何やら杖が衝撃で折れてしまったようだが、それどころではない。
確かにシェイドからは
『お前の力は人間と違うから丁重に扱え』
と何本目かを買ってもらった時に言われたが……そもそもあれはもうボロボロだった。
このところずっと虫を殴っていたから。
それに杖より財布である。
財布がなければ杖も買えない。
「くそ!俺の財布!」
シェイドは飛び掛って来た巨大なカマキリの魔物を剣で真っ二つにし、ハヌマンとフィアレインを追って駆け出す。
「なんと……財布が!」
ルクスは相手にしていた蜂の魔物のヘルヴェスパの頭をメイスで叩き砕き、ハヌマンとフィアレインとシェイドの後を追う。
もはや三人の心は一つである。
「へっ?」
一人メフィストフェレスが魔物の群の中に取り残され戸惑っているのが視界の端に入る。
だが全く問題ない。
奴ならばこの程度の魔物などあっさり始末できる。
事実、シェイドとルクスが背を向けて走りはじめ、自分の存在を意識から外した瞬間、メフィストフェレスは強力な闇の消滅魔法で全ての魔物を消し去った。
一瞬で。
フィアレインは全力で走った。
ハヌマンまではもうすぐだ。
だが、場所が悪い。ハヌマンの意図に気付く。
この先は崖だ。この性悪な猿は崖をおりて逃げる気だ。
そして、ハヌマンが飛んだ。
フィアレインもそれを追い、全力で飛ぶ。両手を伸ばして。
「返せっ!」
「ウキッ!」
右手が財布を掴む、左手でハヌマンの首を掴んだ。
だがハヌマンは離さない。このままでは諸共崖の下へ転落すると思った時。
シェイドの手がフィアレインの足を掴んだ。
だがシェイドも地を蹴り飛んだ状態である。
そこへルクスがたどり着き、シェイドを支えた。
「財布返せ!」
三人は声を揃える。
フィアレインは左手から火魔法を発生させハヌマンの首を焼き切った。
ハヌマンの首と身体が崖下へ落ちる。
財布は見事にフィアレインの手にあった。
三人の連携の勝利である。
「すまん。二人とも。
俺の不注意で……」
落ち込むシェイドをルクスと二人で励ます。
財布は無事なのだ。問題ない。
フィアレインはふと後ろを振り向いた。
そこには何故か三人に背中を向け、うずくまり肩を震わせているメフィストフェレスの姿があった。
フィアレインは思わず首を傾げる。
大丈夫であろうか。あの魔族は。
一体どうしたのだろう。
その後もしばらくシェイドは落ち込んでいた。
まあ仕方ないだろう。
勇者が魔物に財布をすられるなんて不覚の極みと悲しげに呟いていたのだ。
たとえ中身の乏しい財布でも財布は財布である。
これすら無くなれば食べるにも困るのだ。
そして夜となり野営の支度をする。
ここ数日で手持ちの食糧はだいぶ食べてしまった。
仕方ないので樹々の中からキノコを採ることにする。そうすれば多少はマシである。
火の準備をするシェイドに声を掛けた。
「キノコ採ってくる」
「あ……そうだな。アレしかないかもだけど」
「仕方ないもん」
「だな。気をつけて行けよ。
変質者に会ったら大声で叫べよ」
なにやら『なんぱ』された時の事を思い出して心配してるのだろうか。
だが問題ない。
シェイドの言う『変質者』は彼の後ろで野営の準備をしている。
メフィストフェレスがこちらの視線に気付いて不思議そうな顔をする。
フィアレインはさっと目を逸らした。
少し森の中に入るとキノコを見つけた。周囲を見渡す。
どれも同じキノコだ。いくつか採って袋へ入れる。
冬なのでやはりこのキノコしかなかった。
これは何度か食べたことがある。
他のキノコが全くならない状況でもしっかり群生するようなキノコである。
最近財布が寂しい時には頻出の食材だ。
森から戻ればメフィストフェレスとルクスがテントの準備を済ませていた。
「はい、これ」
食事係のシェイドにキノコを手渡す。
シェイドはため息をついた。
「……仕方ない」
そして慣れた調子で料理をはじめ、間もなく食事が出来上がった。
皆が焚き火の周りに座る。
シェイドは干し肉入りキノコ粥を全員へ配る。
「ファースト殿」
「はい?」
椀を手渡そうとして、いつまでも手を離さないシェイドをメフィストフェレスが訝しげに見る。
「ちなみにだが、解毒もしくは防毒の魔法は使えるか?」
「え……ええ。どちらも」
そこでシェイドは笑顔でやっと手を離す。
「ならば問題ないな」
「え?」
「これな。毒キノコなんだ」
爽やかな笑顔で告げたシェイドにメフィストフェレスの笑顔が凍る。
それはそうだ。
人間は毒キノコは食べない。
ちなみにこれ。
赤に白の水玉模様で巨人茸と呼ばれている。
「大丈夫。
旨味が強くていい出汁がでる。
ちょっと刺激的な味もするが、香辛料だと思えば何てことはない」
「は……?」
困惑するメフィストフェレスをおいて全員が食事をはじめる。
シェイドは防毒魔法を施してからすぐに食べはじめた。
ルクスは祈りを捧げ
「これも神の与えし試練」
と呟き、彼もまた防毒魔法を施してから食べ始める。
フィアレインはすでに食べ始めている。
別にメフィストフェレスならば毒なんて食べても平気だろうと思いつつ、彼を見た。
そうしたら彼はまた何故か一向に背を向けて肩を震わせている。
なんだろう?
何かあるたびにメフィストフェレスは背を向けて肩を震わせるのだ。
本当に理解に苦しむ。
フィアレインはやれやれとため息をついた。
***
無事山越えを済ませ少し進むと、帝都の城門が見えてきた。
だが何とも異様な光景だ。
外では兵たちが二手に分かれて睨みあっている。
そして帝都の上空には巨大な虫たちが飛び交っているのだ。
「第一皇子と第三皇子の兵の様だな」
「なんでこんなとこで睨みあってんだ?
前線は互いの領地が接してるとこだって聞いたぞ」
メフィストフェレスは周囲を見渡して言った。
「皇帝陛下に何かあったのかもしれませんね」
「両殿下が慌てて兵を連れて来たと?」
「とは言え、帝都内と城はここの神殿の僧兵達が今は守ってるんだろ。
とりあえず俺たちの目的は虫駆除だ。
バカ皇子共は放って、帝都の中へ入ろう」
睨み合う兵達に邪魔されて帝都の中に入れない可能性を心配したが、問題なく入れた。
ルクスが言うには、両軍とも主の支持なく動けないのだろうと。
「ってことは、皇子達は城の中か?」
「急いだ方がよい。陛下に何かあれば厄介なことになる」
何やらメフィストフェレスが難しい表情で両軍の兵士達を見回していた。
だが、別に何かをした気配もする気配もない。
一体何なのだろうか。そう言えば自分はメフィストフェレスの目的を知らないのだ。
一行は帝都の中へ足を踏み入れる。
そこはまさに地獄であった。
虫が人間を襲い、また虫同士で争っている。
虫が虫を喰らい、また虫が人を喰らう。
「教団兵はどこだ!」
ルクスは周りを見渡す。
シェイドも同じように見渡し首を振る。
「虫が多すぎるんだ!教団兵だけじゃ無理だろう!」
そして肝心の帝国兵は動かない。
帝都中が混乱しきっていた。
叫び逃げ惑う人達。
窓や扉を壊し家屋の中に侵入しようとする巨大な虫。
人間が虫に噛み付かれ、切り裂かれ臓腑を撒き散らしながら倒れる。
そこへ虫が集まり、バリバリと嫌な音をたてながら食事をはじめる。
そうかと思えば、巨大な蟻が捕まえた人間を上空から毒の鱗粉を撒き散らしながら舞い降りた蛾が獲物を奪い取る。
一行の目の前では、黒光りする身体に二本の触覚を持つ虫が人間を頭から齧っている。
フィアレインは目の前の虫が人類に最も嫌われる害虫だと思い出した。闇から現れる黒い悪魔とも言うらしい。
その光景に嫌そうにメフィストフェレスがつぶやいた。
「下等生物が」
「あれ、人間は黒い悪魔って呼んでる」
思わず教えてやった。すると益々嫌そうな顔をする。
そんな中、新たに現れた生贄を虫たちが見逃すわけもなく、飛び掛って来た。