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蠱毒 1

良い香りにつられてフラフラと屋台の前にやって来た。

流石に真冬の寒さは厳しく、吐く息も白い。

屋台の店主はじっと売り物を見つめるモコモコに着ぶくれした幼い子どもを小さなお客と判断したらしい。


「どうだ、嬢ちゃん」


フィアレインは甘く香ばしい香りをたてながら焼かれていた食べ物から店主に視線を移す。


「これなぁに?」


店主は笑いながら説明してくた。

穀物を炊いた物を少し練って串に刺し、甘くてしょっぱいタレを塗りながら焼いた物だという。

なかなか食欲をそそる香りだ。

一本食べてみようと懐から銅貨を取り出す。

その時背後から声が掛かった。


「やあ、これはなかなか美味しそうですね。

そちらのお嬢さんの分と私の分、それぞれ一本ずつお願いしますよ」


思わず振り向く。

何だろう。

フィアレインは少し悩んで思い当たる。

これが噂に聞く『なんぱ』と言うやつだろうか。昔リリーから聞いた話を思い出した。

背後に立つ男は知り合いでない。

そしてその初対面の男は自分の為に食べ物を買ってくれるらしい。

だが、その時フィアレインは背後の男の正体に気付く。

背筋が凍る。ただでさえ今日は寒いのに。


これは、高位魔族である。

それもアスタロトとは別人の。


出来れば関わり合いになりたくない。何で近づいて来たかも分からない。

注文を受け、串を用意し値段を告げようとした店主へ慌てて向き直る。

これは……この謎の高位魔族がお金を渡すまでが勝負だ。


「おじさん!フィアの分は一本と持ち帰り五本!」


店主は首を傾げる。


「旦那の支払いでいいんで?」

「うん」


力強く肯定する。後ろから魔族の、へ?っと呆気にとられた声がするが関係ない。

ここまでくれば自分の勝ちである。

店主は頷き、とても良い営業用の笑顔で背後の男に値段を告げる。

男はおとなしく金を払った。


持ち帰り用に包まれた包みと、串を一本受け取る。

さあ後は帰るだけだ。

魔族の男の方はあえて見ない。見てはならないのだ。

そそくさと背後の男を無視して去ろうとしたら、胴体に片腕をまわされ持ち上げられた。


「まあ、そんな慌てて帰らずとも。

折角だから甘酒も買ってあげましょう」


そのまま荷物のように小脇に抱えられて広場の方へ向かう。

温かい包みを抱きかかえて悩む。

逃げ損なってしまった。

やはりこれは『なんぱ』であろう。どうしても自分と交流を持ちたいらしい。

どうしたものか。

見上げた先にあるフードの奥の男の瞳はやはり赤かった。


広場の椅子に座る。

寒いから温かく甘い甘酒が美味しい。

ひとまず隣の魔族は無視して、目の前の食べ物を食べることにした。

店主の言うとおり甘くてしょっぱいタレが美味しい。

香ばしい香りと穀物の食感が少し残りつつも柔らかい歯ごたえが絶妙だ。

隣に座った男も同じように食べて、うんうん頷いている。

男がかぶっているフードから長い金髪がこぼれた。


「これはなかなか良いですね。

このタレは豆の一種を使った塩辛いソースと甘味料をあわせているのですね」


にっこりとこちらに笑顔を向けてくるが、一心不乱に食べ、最後に甘酒を一気に飲み干す。

そして立ち上がる。


「じゃ、そういうことで……」


折角の包みが冷めたら困る。

早く帰ろう、と一歩踏み出したところで、また両脇を抱えられて座らされる。

どうやら逃がす気はないらしい。


「ずいぶんとせっかちさんですね。

少しくらい付き合って下さっても良いのでは?」


やはり高位魔族というのは皆、暇人らしい。

寿命がなく、延々と生きていると確かに暇かもしれない。自分も将来そうなるのだろうか。

ひとまず諦める。振り切ることは難しいだろう。

殺されたりすることはなさそうだ。とりあえず、今は。

それにここで逃げると食い逃げと言われ、強力な攻撃魔法をぶつけられるかもしれない。

そうなったら街もなくなるかもしれないのだ。


「誰?」


話に応じる気になったのを気づき、男はさらに笑顔を浮かべる。


「はじめまして。

私はメフィストフェレスと申します」


フィアレインは眉間に皺をよせた。そして叫ぶ。


「名前長っ!」


メフィストフェレスは驚き、傷付いたような表情を浮かべた。


「そんな……!『あのお方』と同じ事を仰らないで下さい!」


私も好きでこんな名前ではないのですよ、とブツブツ言っているメフィストフェレスを見る。

そんなことはいい。

それよりもアスタロトといいメフィストフェレスといい『あのお方』とは一体誰のことだろう。

どのお方かはっきり言えと言いたくなる。

自分は魔界の事情など知らないのだから。

何とか立ちなおったらしいメフィストフェレスがまたこちらに笑顔で向き直る。


「先日、アスタロト殿があのお方に面白い話をされているのを聞きましてね。

ぜひお会いしたいと思って来たのですよ」

「ふーん」


どうやらこの魔族を呼び寄せたのは自分らしい。

全然そんな事をしたいとは思わなかったけど……。

これで何かメフィストフェレスがしでかしたら自分のせいではないか。

ふと思いつく。自分はアスタロトが何者かも知らない。このメフィストフェレスについてもそうだ。

とりあえず聞いてみよう。

実は魔王です、なんて言われても嫌だが。知らないよりはマシだ。


「魔界の偉い人なの?」

「私ですか?」

「うん」


メフィストフェレスは首を振る。


「いいえ、私はあのお方のただの従者に過ぎません」

「じゅうしゃ……使いっぱしりって事?」

「つ……使いっ走り……。いえ、そうですね……確かにあのお方もその程度にしか……」


何やら俯きブツブツとつぶやいている。

どうやら自分の一言は図らずもメフィストフェレスの心を抉ったようだ。

まさに口撃である。

そして良いタイミングだ。

フィアレインは立ち上がった。そしてそそくさとその場を去る。


「じゃ、そういう事で」


追って来ない事に安心し、少し離れたところで振り返る。

まだメフィストフェレスはこちらを見送っていた。

アスタロトと同じ、どこか人をからかうような笑みを浮かべて。

自分に会うのが目的だったなら、すぐに帰るだろう。

そう願いたい。

ただの使いっ走りであろうが何であろうが確実に戦えば負ける。

シェイドやルクスに変な迷惑をかけたくない。

それにしても、『なんぱ』は無視しろというリリーの言葉はやはり正しかった。



ここはゲティングズ公爵領の一番端、国境の街だ。

正確に言うと、もうゲティングズ公爵領ではないらしいが詳しい事は分からない。

三人はこの街の宿に泊まっていた。

急いで宿に戻る。


「おかえり」


シェイドは部屋にいた。ルクスも間もなく戻るらしい。

メフィストフェレスに買わせた土産の包みをテーブルに置く。

包みを開けば先ほどの香ばしい香りが部屋に広がった。


「食べて」

「いいのか?」


シェイドは驚いたように見た。

小遣いで買ったと思い遠慮してるのかもしれない。

シェイドに向かって頷く。


「『なんぱ』してきた男の人に屋台で買ってもらった」


こう言えばシェイドも遠慮せず食べるだろうと思って。

だがシェイドは驚愕に目を見開いている。

そして彼は剣の鞘を掴み、立ち上がるなり叫んだ。


「その変態はどこにいる!」


フィアレインは思わぬ展開にあぜんとする。


「こんな子どもに……くそっ、とりあえず屋台の辺りへ……」


何やらブツブツ言いながら外へ駆け出そうとしたその背中へ飛びつく。


「うわっ」

「どうしたの!」

「どうしたの、じゃない。変質者を取り締まりに行く!」


何やら訳の分からない話になっている。

振り落とされないよう背中にしがみつくフィアレインと変質者取り締まりに行こうとするシェイドの攻防が続くそこへルクスが戻ってきた。

部屋に戻ってきたルクスは呆れたように二人を見比べ聞いた。


「一体二人は何をしているのだ?」

「こんな子どもをナンパする変質者が出没してるらしい!」


そんなシェイドの叫びに、はあ?と訳の分からない様子でルクスは首を傾げる。

困った。何やら話が大袈裟だ。

メフィストフェレスのことは秘密にするつもりだったのに、並んで座る二人の前に座らされ洗いざらい喋るはめとなった。


「メフィストフェレスか……単にフィアに会いに来ただけなら良いのだが」


ルクスの一言にフィアレインは首を傾げる。

良いのか?あまり良くない気がする。

むしろずっと魔界にいて欲しい。

変な事に巻き込まれたくない。


「シェイド殿はどう考える?」

「被害さえなければ、それでいい。

来るなって言って聞く相手じゃないしな。

ただ本当に何もせず帰ってくれるかは……微妙だろう?」


話し込む二人を前にメフィストフェレスの言葉を思い出す。

彼は何と言った?

自分はあのお方の従者に過ぎない、と言ったはずだ。


「メフィストフェレスは自分はただの使いっ走りだって言ってたよ」


二人は討論を止めフィアレインを見つめる。そして声を揃えて言った。


「使いっ走り?」

「うん」

「使いっ走りなぁ……誰の?」


シェイドの問い返しに思わず口ごもる。

これはもう聞いた通り言うしかあるまい。


「あのお方のって」

「あのお方って誰だ?」


更に難しい顔をするシェイドに何か思い出したようにルクスが言った。


「アスタロトが逆鱗に触れたくないと言っていた相手であろう」

「じゃあ魔王か破壊の神かだな」

「ねえ、アスタロトは魔王じゃないの?本人は堕天使だって名乗ってたけど……」


人間たちには魔界の魔王の事まで良く知られているのだろうか。

とは言え翼が生えてるなんてとんでもない思い込みもあったりするから、あまり信用は出来ないかもしれない。

フィアレインはあまり魔界のことについてヴェルンドから習ってない。

エルフにとっては神や天使は敵だが、魔族はどうでも良い存在だからだろう。


「七つの大罪と言われるものがある。

それを司る者、それが魔王だ。

その内の一つは破壊の神に当たるから、実際には魔王は六人いると言われている……神話では」


ルクスの話を聞きシェイドは椅子にだらしなくもたれ、呆れたように言った。


「とは言え、この前の翼の一件もあるだろ?

神話が真実とは限らないんじゃないか?」

「だから言ったではないか。

神話ではそう言われていると。

それが真実とは言ってない」

「その神話だとどうなの?」

「アスタロトは魔王でない」


ルクスは、まあそれももはや分からぬが、と呟いている。

シェイドはフィアレインの土産の串を食べながら言った。


「まあ……とりあえず何もないことを祈ろう」

「祈る者は救われぬものだぞ」

「お前が言うな!」


言ってみただけだ、俺が一番よく知ってると何やらシェイドは哀愁すら漂わせていた。

シェイドに倣いフィアレインも自分の分の一本に手を出す。

そして一口かじった。

やはり美味だ。


「それより……イェソド帝国の状況分かったか?

神殿に聞きに行ってたんだろ?」

「ああ。戦争になりかかっているらしい」

「は?この魔物が増えて人類の存亡がかかってる時にか?

のんきだな」


何やら二人は深刻そうに話し始める。

フィアレインは水差しからカップに水を注ぎ飲んだ。

味が濃いので喉が渇く。

それにしても先ほどの甘酒なるものも美味しかった。

この街を出発するまでにまた飲んでおきたいものだ。

ルクスはそこまで甘い物を好まないので土産は一本しか食べない。もう一本は自分がもらおう。

そう思って串に手をのばすと、何やら話が一段落したらしいシェイドと目が合う。

そしてその後しばらく、知らない人に食べ物をもらってはいけないと懇々と説教されるはめとなった。




***

一行は国境を越えてマルクト王国からイェソド帝国へ入国した。

クレーテ山と違い平坦な道が続く。

帝国へ入った辺りから虫系の魔物との遭遇が増えた。

昼間なのにかなりの量だ。

しかも普通の虫などとは大きさも比べものにならない。

下手するとフィアレインの身体を上回る大きさの虫がブンブン飛び回っているのだ。

一番厄介なのは巨大な蜂のヘルヴェスパだ。

子ども程の大きさがあり、凶暴で攻撃的な性質を持つ。その攻撃 は強靭な顎での噛みつきや毒針だ。

そんな厄介な魔物に今日もとり囲まれている。


「この辺に巣でもあるんじゃないか?」


シェイドの剣に身体を真っ二つにされたヘルヴェスパが地に落ちた。


「でも、他の虫も多いよ」


フィアレインは魔法を使いつつ、勢いよく杖を振り回す。

遠距離からの攻撃をくぐり抜け接近してきた個体の頭を杖で殴る。

タコ殴りにされた憐れなヘルヴェスパの頭が爆ぜた。


「この国に入った途端、この虫の量。一体何だと言うのだ」


ルクスは一匹ずつ確実に頭を叩き潰しながら辺りを見渡す。

ここ数日で一行は虫の駆除にすっかり慣れてしまっていた。

その時地面がぼこりと盛り上がる。

一行は奴が来る、と悟り後ろに下がる。だが肝心のヘルヴェスパは天敵の登場に気づかず飛び回っていた。

盛り上がった土からムカデの化け物がその身体を表す。ヘルセンチペドだ。

勢いよく土中から飛び出した上半身は飛び回っていたヘルヴェスパに向かう。

漆黒の胴体部分と対象的な朱色の頭部と脚が毒々しい。

その強靭な顎でヘルヴェスパに噛みつき、振り回す。そして、生贄を咥えたまま土中へ消えた。

あのヘルセンチペドは餌も持ち帰ったことだし、もう現れないだろう。

残りのヘルヴェスパ達はそんなに多くはない。

だがその時ヘルヴェスパ達に異変が訪れた。

今まで執拗に一行へまとわりついていたにも関わらず、急に方向転換し飛び去る。


「何なんだ。一体」


とシェイドは剣を収めつつ、虫の思考なんか理解したくないがと呟く。

その時、ヘルヴェスパが飛び去った報告から叫び声が聞こえた。

三人は顔を見合わせる。


「誰か襲われてるぞ!」


ヘルヴェスパは毒針で刺すこともあるが空気中に毒霧を撒き散らすこともある。

それは攻撃でもあるし、仲間を呼び寄せる手段でもあるのだ。


駆けつけた先にはヘルヴェスパの大群に襲われる人間の姿があった。

既に何人かの人間と彼らの馬が倒れている。

ヘルヴェスパの大群は狂った様に彼らに襲いかかり、こちらには気付いていない。


シェイドはフィアレインを振り返り言った。


「頼む」

「うん」


既に準備していた魔法を発動させる。

巨大な火の玉が前方へ飛ぶ。

ヘルヴェスパ達に迫ると、一つだった火の玉が小さく分かれる。それぞれの火の玉は一匹一匹へと襲いかかり焼き尽くした。

倒れている人間の元へ駆けつける。

シェイドは一人ずつ確かめ、首を振った。そして一台だけあった幌馬車の中を確かめていたルクスに声をかける。


「そっちはどうだ?」

「いや……誰もおらぬ」


どうやら自分たちは間に合わなかったらしい。

ルクスは祈りを捧げ、シェイドは深々とため息をついた。


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