魔に堕ちる者 5
予想外に翌朝フィアレインは一人で朝食を食べる事となった。
どうもシェイドもルクスも忙しいらしい。
鐘の音で飛び起きていつも通り準備して待っていたのに、そこに訪れたのは食事が載った盆を持った修行僧であった。
受け取って一人で食べ、様子を見るために散歩に出る。
そう言えば火事の被害はどの程度のものだったのだろうか。
そう考えて、行き先を決めた。
大神殿の外へ出る。
火事となったのは各神殿が建ち並ぶ場所だ。
ウァティカヌスの門から見て一番奥が大神殿であり、そこに至るまでに各小神殿や宿坊、商店や居住区が存在する。
今回幸いな事に一般人への被害はなかったらしい。
見渡せば多くの人間が焼けた建物の補修に駆け回っている。
全焼した建物もなさそうだ。
折角外へ出たのだから、そのままウァティカヌス中を見て回ることにした。
実は大神殿と聖なる泉以外に行く機会がなかったのだ。
各小神殿の前を通り過ぎ、いくつか商店が建ち並ぶ一画へたどり着く。
何やら美味しそうな食べ物の匂いが漂ってきた。
お金を持ってくれば良かったと少し落ち込む。
とある店の外にはテーブルと椅子が並べられ、客が飲食をしている。
こんなに天気が良ければたとえ冬でも辛くはないだろう。
おそらくチャだと思われる飲み物を飲み、テーブルを囲んでいる女性たちがいる。
話が盛り上がっているらしく、楽しげに笑い声が聞こえた。
そのまま通り過ぎようとしたら、よく知っている名前が耳に飛びこんできた。
「ルクス様が旅に出られるなんて!」
「本当に!もうあのお姿をウァティカヌスで見られないのかしら……」
「そう言えば……貴女は昨日大神殿にいらっしゃったのでしょう?」
「まあ、恐ろしい!」
「ええ……でも遠目にルクス様の勇姿を拝見致しましたわ!」
「羨ましい!ああ……私も出来ることならば、勇者様について身近でルクス様の勇姿を拝見したいわ!」
「私も!」
「皆さん落ち着いて。それは我々全員が思っていること。
ルクス様は我々美坊主愛好会の心の恋人ですもの!」
きゃあきゃあと騒ぐ女性たちを見つめてフィアレインは首を傾げた。
何だろう。美坊主愛好会とは。
ルクスに聞かねばならぬ事が増えてしまった。
やれやれとため息をつく。
人間の社会は分からぬ事ばかりだ。
フィアレインは気を取り直し、そのまま進んだ。
***
あちこち歩き回り大神殿へ戻った時には既に昼食時だった。
ルクスは何やら用事があるらしく不在で、シェイドは部屋にいた。
扉をノックしたら返事があったので開き部屋に入る。
「落ち着いた?」
その問いにシェイドは苦笑する。
「微妙だな。裏じゃまだ、大騒ぎだよ」
「そうなの?」
「ああ。でもいつまでもここにいる訳にもいかない」
勇者の役割を考えたらそうだろう。
それに高位魔族が人間に直接干渉しているのを目撃したのだ。
各地でも同じ事が起こってないと言えない。
フィアレインはシェイドの座っている横に座った。
「とりあえず次はイェソド帝国へ行く事にした」
「隣国の?」
「そうだ。また猊下に頼まれ事して……」
本当はまずマルクト王国内を巡る予定だったのに、と項垂れている。
どうやら不本意な依頼を断れなかったらしい。
何やら気の毒になり、ポンポンと肩を叩いてやる。
「何か厄介事?」
「いや、今回の件をイェソド帝国の神殿に伝えがてら、帝国内を見てまわって欲しいと」
「ふーん」
「マルクト王国内は教団本部から巡回を強化するらしい。
よほど今回の件が堪えたらしいな」
とりあえず頷いた。
この辺りの話はあまりフィアレインには興味のないところである。
一行はイェソド帝国へ向かう、それだけでじゅうぶんだ。
今気になっているのは、神様が鳥の頭を持ってるかどうかと、美坊主愛好会のことだ。
「クレーテ山越えた方が近いんだが、アカマナフの一件があるからな。
公爵領経由でイェソド帝国へ行く事になった」
ふとフィアレインはアスタロトの言葉を思い出した。
魔に堕ちた者、その家族や配下は死あるのみと。
青い顔をした執事を始めとした使用人たち。
アカマナフの事を知りながら見て見ぬ振りを続けた彼ら。彼らはどうなったのだろう。
「ねぇ、お屋敷の人たちはどうなったの?」
シェイドは驚いたように顔を上げた。
しばらくフィアレインの顔を見つめ、ゆっくりと首を振った。
どういう意味だろう。
聞くなと言う事か、それとも全員死んだのか、はたまた罪には問われなかったのか。
フィアレインには分からなかった。
だがシェイドの表情からあまり聞いて欲しくない事だとは分かったので、それ以上の追求は止めた。
自分にとっては、いずれにしても同じ事なのだ。
アスタロトへも言ったではないか。
自分にとって重要な人間が死ななければそれで良いと。
結果、シェイドもルクスも生きている。それで良い。
シェイドはため息をついて立ち上がる。
そう言えば彼はしょっちゅうため息をついている。
一番多いのは財布の中をのぞきこんだ時だ。
ルクスの言葉を思い出す。
『勇者殿は苦労人である』
確か王城へ向かう途中にそう言っていた。
シェイドはフィアレインを見下ろし、昼食を食べに誘う。
勢いよく立ち上がりシェイドの後を追う。
二つに分けて耳の上で結んだ金髪が軽やかな足取りと共にピョコピョコ跳ねた。
***
翌朝旅立ちとなった。
ルクスは魔の者が人間へ手を伸ばす事態を憂い、光の神への信仰の証として勇者に同行し救済の旅に出ると宣言したらしい。
何やらそう聞くととても立派である。
更にその後に、手柄を立ててウァティカヌスへ凱旋し法王の座を狙う、と言うのが続けば彼の本音であろう。
とりあえず間違ってはない。
何はともあれ、フィアレインはその朝上機嫌であった。
二つの疑問が解消されたのだ。
まず美坊主愛好会についてはルクス本人から聞けた。
話を聞いたシェイドは呆れていたが、ルクスから
『勇者様とお近付きになる会』
なる物も出来ていると聞かされ、顔を引きつらせていた。
美坊主愛好会とは坊主頭の美しい男性が好きな女性の会だそうだ。
ウァティカヌスにおいてはその歴史は長いらしい。
今は老年である現法王もかつては一番人気を誇っていたと言う。
そして神の頭が鳥なのか、と言う重大な疑問にはなんと法王自らが答えてくれた。
この朝の出発の見送りでとうとうフィアレインと法王は言葉を交わしたのである。
天使や堕天使は神話や絵画でその姿を描かれるが、神については姿を語られぬと。
人が神の姿を語ってはならない、と言った。
法王は魔の者や異端者に厳しいと聞いていたので避けていたのだが、改めて向き合えば感じの良い老人であった。
もしフィアレインの存在に不快感を感じていても、それを表に出さない良識はあるのだろう。
アカマナフの襲撃から助けてもらった事に丁重な礼を言われ、年齢を聞かれた。
六歳だと答えれば
『なんと……』
と絶句していた。ルクスの話ではもうちょっと幼く見えたらしい。
正確に言うと三、四歳に。
あまり大差がない気もするが、自分と人間は違う。
寿命のない自分は人間より成長も遅いのかもしれない。
いずれにせよ、そんな幼年で戦ったりすることは彼らにはないのだから、その時点でも衝撃だったのだろう。
見送りに来てくれた僧兵たちは、なくした腕を見つけられなかった事を詫び、元に戻って良かったと言ってくれた。
シェイドに促され、馬に乗る。
ウァティカヌスの門を出るまで、ルクスは何度も後ろを振り返った。
昨日フィアレインが通った商店の建ち並ぶ一画も通る。
道の脇に見送る者たちが大勢いた。
あの美坊主愛好会の会員であろう女性たちも嬌声をあげながら。
ルクスは彼女たちの方を向き、いつもの二倍増し位の笑顔で手を振っている。
興奮のあまり倒れる女性を眺めながら改めてフィアレインは思う。
やはり人間はよく分からない、と。