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母と娘1

夕日が見える。血のように赤い夕日が。


ぼんやりと自分の流している血と同じような色の夕日を眺めていたフィアレインは、母親の金切り声で我に返った。


「そろそろヴェルが戻ってくるんだから。さっさと片付けて頂戴」


実母の魔法で受けた裂傷からは血が溢れ、衣類だけでなく床までも汚していた。

痛みに耐えて何とか起き上がる。

多分骨も幾つか折れているだろう。

とは言え、傷は治癒魔法を使うまでもなく、その異様なまで自然治癒力で間もなくふさがり、骨も元に戻るだろう。痛みにももう慣れてしまった。

ならば、床の掃除を先に行ったほうが良いだろうと、魔法を使う。

浄化の魔法で血で汚れた床が綺麗になった頃には、フィアレインの怪我はすっかり治っていた。着替えをするために奥の部屋へ入る。



母親クローディアの忌々しげな呟きを耳に入れないようにつとめながら。


「忌まわしい魔王の……」




三歳になる今まで繰り返された日々で、今更なんの感慨もない。

憎まれ痛めつけられる日々にも慣れてしまった。

間もなくヴェルンドが戻ってくるから、今日はもう痛めつけられる事はないだろうと、着替えを終えたフィアレインは本を手にベッドに腰掛けた。

母と同じく純血のエルフであるヴェルンド。

ヴェルンド本人の話では、母の今は亡き姉の婚約者であり、はじまりのエルフの一人だと言う。

純血には珍しく、エルフの都アルフヘイムを出て外の世界を旅してまわっていた時に、かつてエルフのかなり大きな集落のあったこの場所で偶然出産間際の母と再会したのだという。


それ以来ここを拠点としてあちこちに出かけ、この家にいる時はフィアレインの教師として魔法をはじめとする色々な知識を授けてくれている。

今読んでいるグリモワールもヴェルンドが与えてくれたものだ。


今日に至るまで母に殺されずに済んだのはヴェルンドのお陰だとフィアレインは思っている。

はじまりのエルフ同様に生まれついたその時からある程度の知能、言葉、魔力の行使が可能ではあったけれど。

それだけでは生き残れなかっただろう。

彼の存在そのものが、母へのストッパーなのだから。

母はヴェルンドを愛している。

娘に嫉妬し痛めつける程に。

たとえ嫉妬しなかったとしても、彼に軽蔑されたくないが故に、忌み嫌う娘を手にかけることを躊躇する程に。


なぜヴェルンドがここに住み、自分を可愛がるのかフィアレインには分からない。

エルフは種族意識が強く、気高い。

他の種族など見下している者が大半で、混ざり者と言えるハーフエルフなど、唾棄すべき存在であるはず。

ましてやヴェルンドはその純血の中でも特別な存在であるはじまりのエルフの一人である。

魔族とエルフの混血の自分など忌み嫌って当然ではないかと思うのだ。



グリモワールのルーン文字を目で追いながら、いつもの疑念を抱く。

この疑念が、自分の人生において唯一愛情らしきものを向けてくれる彼に心から懐けない原因の一つであるのだけど。

フィアレインにとっては、それとは別のもう一つの原因のほうが気がかりで仕方ない。



扉の向こうから決して自分には向けられぬ母の明るい声が聞こえてきた。


どうやらヴェルンドが戻ってきたらしい。

フィアレインは思索を止め、グリモワールを置いて立ち上がり、扉に向かった。



ヴェルンドが居間に入ってきたフィアレインに気付いた。

ちょうどマントを脱いだところであったらしい。まだ帯剣したままだ。

輝く金髪に緑色の瞳、すこし上が尖った耳に、美しい顔と強い魔力。まさに人間がイメージするエルフそのものと言える。


「ただいま、フィア。いい子にしてた?」

「うん」


優しげな笑顔で近づき、自分を抱き上げる男の顔をじっと眺めた。

目の端に嫉妬で顔を僅かに引き攣らせる母親の姿が入ったが、見なかったことにする。

またヴェルンドが出かけた後には散々痛めつけられるのだろう。


間近で見た男の顔はやはり美しいが、その目はどこか空虚で何も映していないようにフィアレインには感じられる。

なぜ彼はこんな目をするのだろう。表情は優しげなだけに、不思議で仕方がない。

そして何よりも……。


「ヴェル、疲れたでしょう。ちょうど食事が出来てるの。食べましょう」


必死の表情で話しかけるフィアレインの母親クローディアに、ヴェルンドは向き直った。


「ありがとう。じゃあフィア一緒に食べようか」


ほんの僅かだけクローディアを見つめたヴェルンドは笑顔でありながら、その視線は底冷えする程に、氷の如く冷たい残酷さが見え隠れしていた。


ヴェルンドに抱かれてテーブルに連れて行かれながらフィアレインは考えた。

(どうしてヴェルンドはあんな目でお母さんを見るの……お母さんはそれに気づいてるの?)

母を見るヴェルンドの目に宿る残酷な光。

あれこそが、フィアレインが優しげなヴェルンドに心から懐けずにいる原因の一つなのだから。

でも母から虐待を受けてることを言えずにいる原因は、果たしてそれだけなのだろうか。

フィアレインには分からなかった。




フィアレインが母と暮らしているこの場所はマルクト王国の辺境とも言える場所の山の中だ。

遥か昔にはかなり大きなエルフの集落があったらしい。

その名残か、この場所は非常に自然の恵みが豊かな場所であった。

母娘が食べるにはじゅうぶんな位に。

そのせいか麓にある人間の集落とも関わらずに生きてこれた。


母がヴェルンドに話しかけているのを聞きながら、スプーンでスープを口に運ぶ。

どうやらヴェルンドはマルクト王国の首都に行っていたらしい。

純血のエルフの筆頭とも言えるヴェルンドが、何故そんな風に人間の街に行くのかフィアレインには分からない。

ヴェルンドは頻繁に人間の街や集落を訪れている。

何らかの目的をもって。

以前母親がヴェルンドに何故かと問うていたこともあったが、答えてもらえなかった。

フィアレインにとっても気になるところだが、そもそもフィアレインは殆どしゃべらない。

答えや返事を求められたときと、ヴェルンドに何かを教わるとき、必要最低限でしか口を開かない。

母親の逆鱗に触れるのを減らしたいと言う意図によるものだが。


ヴェルンドは今回訪れた王都で聞いた話をしている。

勇者が魔族討伐の旅に出た、と。

何百年かに一度、神の一人より加護を受けた人間が生まれる。その者は通常の人間とは比べ物にならないほど強く、魔の力を打ち破る存在とされ勇者と呼ばれる。

今年16歳となった勇者は教育期間を終了し、旅立ったそうだ。

今回の勇者に加護を与えたのは安らぎ、安寧を司る闇の神であり、闇の神を祀る教団の本拠地がある別大陸からの出発となる。

と言うことは、光の神を祀る教団の本拠地があるこの大陸に訪れるまで、まだ時間があるだろう。


もっともエルフにとっては人間の神は自分たちにとって「創造主」でもなければ「神」でもない。

自分たち同様に混沌より自然発生した存在であり、自分たちを滅ぼそうとした存在でもある。

それに作られた存在で格下としか思えない生き物の人間と魔族との争いなど、エルフにとってはどうでもいい話である。

だがヴェルンドはしばらくの間、王都で聞いてきた勇者の話をしていた。


やはりヴェルンドは理解し難いとフィアレインが思っていたところ、突然ヴェルンドが言った。


「ところで話は変わるけど。フィアをアルフヘイムへ連れて行こうと思うんだ」


フィアレインもクローディアもあぜんとしてヴェルンドを見つめた。

フィアレインは純血のエルフから忌み嫌われるハーフエルフである。

そのハーフエルフ、しかも父親は魔族で複雑な出生の事情を抱えたフィアレインをエルフの都であるアルフヘイムに連れて行くなど考えられないことだ。

クローディアもアルフヘイム出身のエルフだが、フィアレインを身ごもり帰るに帰れなくなった身である。

娘の存在がなくとも、不名誉なエルフとなりさがった身には足を踏み入れることも叶わぬ場所。


「ヴェル、この子はハーフエルフなのよ。それもあの……」


フィアレインの父親であった魔族のことを言おうとしたのか、クローディアは口ごもった。

そんなクローディアの様子を見て、ヴェルンドは僅かに笑った。

フィアレインには嘲笑にも冷笑にも見え、思わず俯いてしまう。


「確かにフィアはハーフエルフだけど。

でもその魔力は僕のようなはじまりのエルフとも同等で、一般のエルフを凌駕してる。

それに確かに父親は彼だけど、それ故に人間との混じり者と違って寿命がない。我々純血と一緒でね。

だからこんなところでひっそり暮らすより、アルフヘイムでしかるべき教育を受けるべきだよ。

母親である君が娘の心配するのは分かるけどね。

心配いらないさ。僕が後見人となれば他のエルフは何も言わない。」

「確かにそうかも知れないけれど……」


ヴェルンドはうつむくクローディアを一瞥し、フィアレインを見た。

相変わらず無表情で、どう思っているかは分からない。

だがクローディアの意見もフィアレインの意思もヴェルンドにとっては、どうでもいい事だ。


「そういう訳だから、フィア。明日中には準備済ませておいて。

早ければ明後日にも出発するよ。明日またマルクト王国の王都に行ってくるけど。すぐ戻るからね」


黙り込む母娘に何も言わせず話を終わらせ、既に食事を終えたフィアレインを抱えて立ち上がる。

このままフィアレインの勉強をみて、一緒に風呂に入って眠るのだろう。いつもと同じように。



フィアレインは勉強をみてもらう間も、風呂に入れてもらっている間も、眠りにおちるその瞬間までもヴェルンドに尋ねることは出来なかった。

お母さんはどうするの?と。

それはクローディア本人自身すら出来なかった問いかけである。

何よりヴェルンドはクローディアには準備をするように言わなかったではないか。

それはつまりクローディアは連れて行かないと言う意思表示であろう。

食卓についたまま俯いていた母の姿を思い出す。

その顔は蒼白で表情すら失っていた。

エルフの中に戻ることが出来ず忌まわしい子を抱えた母にとって、ヴェルンドは全てであった。

そのヴェルンドに否定されたら。

明日ヴェルンドがマルクト王国王都に行っている間の事を考える。

もしかしたら、殺されるかもしれない。


(でも何故それをヴェルンドに言おうと思わないんだろう)


フィアレインは自分で自分の気持ちが分からなかった。




次の日。

ヴェルンドが出かけてすぐに事は起こった。

ある意味で予想通り。

別に死にたいと思ってるわけでもないのに、何故ヴェルンドに言わなかったのか。


「どうして、どうしてアンタだけなの」


床に叩きつけられて、息が詰まる。


「おかしいじゃない。私はあそこにはもう戻れないのに」


魔法で身体を切り刻まれ、血が迸る。

あげそうになった悲鳴を押し殺す。叫べば母は余計興奮してエスカレートする。

すこしすれば、こんな傷は癒えるのだから。


「なんでアンタばっかり。ヴェルは……ヴェルは、ヴェルは……!」


灼熱の炎が襲う。あまりの苦痛に声すらあげられない。

自分自身が焼ける臭いを嗅ぎながらフィアレインはあまりの苦痛に転げ回る。

通常の炎ならば消火できても、魔法の炎は消えない。

しかし通常ならば致命傷となる火傷ですら、フィアレインの命を奪う事はない。

己の治癒力で徐々に再生されていく皮膚を眺めつつ、だが襲う苦痛に耐えかねて治癒魔法を使った。

一瞬で焼け爛れた皮膚が再生されて癒されるも、立ち上がることが出来ない。

逃げないと殺されると分かっていても。


「そうよね。アンタはこんな程度じゃ死なないものね。仕方ないわ」


フィアレインはクローディアから高まる魔力にハッと我に返った。

今まで受けた魔法とは比べ物にならない魔力の強さ。

間違いなくクローディアは彼女に使える最も強い攻撃魔法でフィアレインを一瞬で消し去ろうとしている。

クローディアは歪んだ笑みを浮かべた。どこか泣きそうな顔で。


「アンタが全部いけないの。私から全て奪おうとするなんて!」


高まった魔力が迸るその瞬間。

フィアレインは思わず目を閉じた。


(死にたくない)


閃光とともに激しい衝撃音が起こる。

いつまでたっても痛みは訪れず、かわりに酷い脱力感にみまわれる。思わずフィアレインは目を開けて、目の前の惨状を目にした。

クローディアが、かつてクローディアであったモノがそこにはあった。

バラバラになった手足。

辛うじて首は繋がっているが、少しでも触れば胴体から千切れるであろう。

美しかった顔は奇跡的に無傷だったが、全身の傷は明らかに致命傷であり、もはや助からない。

何よりフィアレインが無意識に放った魔力はクローディアの身体を構成する魔力と精神体を再生不能なまでに破壊している。

どんな治癒魔法も意味をなさない。


ヨロヨロとフィアレインは母親に近づいた。

クローディアの側に膝をつき、その顔を覗き込む。


「おかあさん……おかあさん」


もはやフィアレイン本人にも自分が何を言おうとしているのか、何をしようとしているのか分からない。


「フィアレイン」


クローディアの声にぴくりと身体を震わせる。

彼女が娘の名を呼ぶことなど、初めてであった。

そもそもフィアレインの名前をつけたのもクローディアではない。ヴェルンドであった。

今日に至るまで一度として名など呼んでくれることはなかった。

フィアレインはじっと母親を見つめた。今まさに命がつき消滅しようとしている母親が何を言おうとしているのか。


「お前など……産まれてこなければ……」


フィアレインの見開いた目から落ちた涙が、もはや死体となったクローディアの顔に落ちる。


「そう」


一体自分はこの期に及んで何を期待していたのか。

何を彼女に言おうとしたのか。

ただ一つ言えるのは、最後の最後まで母に子として愛されたいと思っていたという事だけだろう。





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