愛情と憎悪の狭間 3
「宰相殿。下が大騒ぎになっている。
戻られた方がよろしい」
ルクスが呆然と座り込む宰相に手を貸して立ち上がらせる。
シェイドに促され、フィアレインは全員を連れて塔の入り口へ転移した。
衛兵達が慌ただしく駆けていく。
塔の入り口からは王が落ちた場所は見えない。
恐らく人で溢れかえっていることだろう。
ヨロヨロと宰相がその方向へ向かい歩き始めた。
その姿を見送る。
シェイドが呟いた。
「変だな」
シェイドだけでない、全員がそう感じているだろう。
「まずラルヴァは昼には現れない。
そして生きている人間を操る力、ルクスを昏倒させた力、更には俺たちを動けなくしたこと。
その全てがラルヴァの力では不可能だ」
確かにラルヴァは魔の受けた存在だ。
だが元はただの人間である。
王妃も特別な力などない、ただの人間であった。
それにあのラルヴァの王妃自体から感じられた魔の力は微弱だった。
あれでは誰かの助力がなければ無理だろう。
そんな風に思ったその時。
背筋が凍る様な強大な魔力を感じた。
近くではない。城内のどこかだが、少し離れた場所だ。
三人は顔を見合わせる。
「黒幕の様だな」
フィアレインは魔力を感じる方向を向いた。
「こっち」
後ろから二人がついて来るのを感じながら駆け出す。
城内を奥へ向かって駆けていた。
どんどんと奥へ。
途中衛兵に止められそうになるが、こちらが勇者一行だと気付くと慌てて道を開ける。
宰相からラルヴァ討伐に協力するよう言い含められているそうだ。
「この奥は何だ?」
「王族の私室だ」
「それにしても舐めてるな」
忌々しげなシェイドの声に、フィアレインもルクスも頷く。
魔力の持ち主、恐らくこの事件の元凶は楽しんでいる。
今まで全くこちらに魔力を悟らせずその姿を見せなかったのに、全てが終わってから自分の場所を知らせるかの様な事をする。
早くこちらにやって来いと言わんばかりだ。
更に奥へ進むと衛兵が全員昏倒していた。
ある扉の前で止まる。
「誰の部屋なの?」
「王妃様の部屋だ」
警戒しながら扉を開き、中へ入った。
誰もいない。
その部屋の奥に更に扉がある。その扉へと進み、次の間へ入った。
どうやらそこは居間のようだ。
三人は警戒しながら部屋を見渡す。
誰の姿も見えない。
見えないが、何かが確かに存在する。
突然シェイドが動く。
彼のの投げたナイフが何もない空間に突き刺さった。
その空間が揺らいだ。
「ふふふ……」
楽しげな笑い声とともに何もなかった空間に一人の男が現れる。
「さすがは勇者さまだ」
その男は宙に浮き、三人を見下ろす。
非常に美しい男だったが、その気配は禍々しい。
黒ずくめの格好に黒い髪、それてフィアレインと同じ赤い瞳と縦長の瞳孔。
聞くまでもない。高位魔族だ。
存在は知られていても人間の世界でお目にかかることはない、人型の魔族。
何故そんな存在がここにいるのだ。
信じられない思いで混乱しながら男を見つめる。
男は三人に向かって、やや芝居がかった一礼をする。
「これは勇者ご一行様。
お初にお目にかかる。
私は堕天使、アスタロト」
まるで馬鹿にしているかの様な態度で告げられた名前に三人は凍りついた。
堕天使とは元は創造主である主神に作られた天使でありながら魔界に堕ちた者を言う。
魔界の破壊の神もそうだし、魔王達もそうだ。
堕天使と言えば魔王でなくともそれに近い力を持つ。
人間が戦って勝てる相手ではない。
とは言え、人間の世界においてはその存在はもはや神話や物語の中だけの物であったのだ。
「王妃をラルヴァに変え、力を貸したのはお前か?」
シェイドは顔色を失いつつも鋭くアスタロトを睨み、詰問する。
「そう、私だ。哀れな存在に力を貸してやったんだ。
愛情と憎悪の狭間で苦悶する彼女にね。
彼女は死を望むほどの苦しみの中で願ったんだ。
自分を苦しめた者にも苦しみをと」
「堕天使って、そんな簡単に人間に力を貸すの?
そんなの初めて聞いた」
アスタロトはフィアレインを見て軽く笑う。
「まあ気まぐれだ。暇つぶしのようなものだ。
我々との契約は口外出来ないから、一般には知られないだろう。
大概の契約者は死ぬしな」
そう言ってまた楽しげに笑う。
人間など暇つぶしの玩具だと言わんばかりだ。
「ちょっと待て。
お前は普段魔界にいるはずだ。
それでは王妃がお前を人間世界へ呼び出したと言うのか?」
「まあ……その辺りは、ご想像にお任せしよう」
どうやらアスタロトはそれ以上語るつもりがないようだ。
彼は三人をあえてここへ誘い出すような真似をした訳だが、その真意が分からない。
やはり戦わなければならないのだろうか。
三人は目を見合わせる。
皆同じことを考えているだろう。
とは言え、自分たちの力でとても勝てる相手とは思えないのだが。
「そんなに身構える必要はない。
私は契約が完了したから魔界へ戻る。これ以上何かする気はない……今は」
「では何故俺たちをここに呼び寄せるような真似をした?」
「それは私のペットが君たちにたいそう遊んでもらったようだったからね。
そのお礼を言おうと思ったんだ」
「ペットだと?」
フィアレインはすぐに思い当たる。
「ヒュドラ……」
「そう、あれだ。なかなかの戦いっぷりだったな。
感心したよ。
って、あまり面白い反応してくれないな。
よくも聖なる泉に!とか怒ったりして欲しいんだけど」
生憎とそこまで信心深い者がいない。
「ねぇ、こっちの世界と魔界の間の空間の歪みを作ってるのはオジさんなの?」
フィアレインはクレーテ山の山頂を思い出して聞いた。
「お……おじ、さん?」
「じゅうぶんオジさんであろう」
「オジさんどこじゃないだろ」
思わぬ言葉に衝撃を受けたのか宙に浮いていると言うのに、アスタロトがよろめく。
想像以上のダメージを彼の心へ与えたらしい。
それはそうだろう。
そもそも寿命も老いることもないのだから、いまだかつてそんな事を言われた事は無いに違いない。
「ねぇ?どうなの?」
フィアレインはアスタロトの落ち込みを完全に無視して更に聞いた。
俯いていたアスタロトが顔をあげる。
「君は見た目だけじゃなく性格も父親似みたいだな。
……まあ、いい。
質問に答えてやろう。私ではない。
話はこれ位にしておこう。これ以上の事を教えるつもりもない。
そろそろ私は失礼する」
空間が歪む。歪みから漆黒の渦巻きが現れ瘴気が撒き散らされる。
その中へアスタロトは消えた。
危機は去った。三人は安堵した。
もし戦闘になっていたらと想像すると恐ろしい。
それに加えて、シェイドは複雑な心境だろう。
高位魔族が人間の世界に干渉してきている事実を知ってしまったのだ。
魔物と戦い続けた先にアスタロトのような高位魔族が現れる可能性が高いのだから。
そしてその時に、今回のように相手があっさりと退いてくれるとは限らないのだ。
「そう言えば先ほどのアスタロトのフィアに言っていたことは何なのだ?
父親似とか言っておったが……」
「……わかんない。フィア、お父さんに会ったことないし。名前もしらないもん」
「そうか……アスタロトの方は父親のことを知っているようだったな」
「うん……でも、いいの。関係ないよ」
「そうか」
あっさりとルクスは頷く。
慰めるようにシェイドにポンポンと軽く頭を叩かれた。
「それにしても……王妃は王を憎んでたのか?憎む者へ復讐をしたかったって話しだが」
「愛情と憎しみは紙一重であるからな。
愛すればこその憎しみだろう」
そしてシェイドはふと思い出したようにルクスに聞いた。
「そう言えば陛下には跡継ぎがいないだろう?
王位はどうなるんだ?」
「念のための取り決めはある。
先王の弟君は臣へ下り公爵を名乗っている。その方に王位はいくはずだ」
「そうか……。それにしても、何故最大の元凶とも言える子どもの母親を殺さなかったんだろうな……」
「死ぬほうより遺されるほうが辛いからでないのか?」
そうか、と呟きシェイドは俯いた。
「それにしても、しばらく城内は騒がしく慌しいだろう。
別の所へ泊まり、明日の朝ウァティカヌスへと出発するとしよう」
「そうだな。宰相殿ととりあえず話してからだな」
***
明朝、ウァティカヌスへ戻ることとなった。
城内は大騒ぎである。
何しろ国王まで死んだのだから。
助けられなかった事を批難されるだろうかと心配になった。
シェイドとルクスが駆け回り何やら偉い人たちに宰相とともに説明してまわっていた。
とは言え、フィアレインが助けられるのに手を出さなかったのは事実である。
あの王妃のラルヴァはもう現れない。国王を道連れにするので限界だったのだ。
そして国王を殺せば彼女が消滅するのも分かっていた。
あの国王も幸せそうに見えたのだ。
ルクスの言葉通り、遺される方が辛かったのだろう。噂通り国王が愛妻家で、妻を死なせてしまった罪悪感にも苦しんでいたのなら。
だから見殺しにして良いかと言うと話は別なのも分かっている。
フィアレインは迷ったが、シェイドとルクスには告げた。
助けられたのに助けなかったことを。その理由を。
だが二人はフィアレインを責めなかった。
安心した反面厄介事を押し付けてしまった気分で申し訳ない。
二人は揃ってそんな事気にするなと笑っていたけれど。
一つ心残りがあるとすれば、城の夕食を食べられなかった事だ。
だが代わりに泊らせてもらうこととなったルクスの実家の茶菓子も美味しい。
これは夕食も期待ができそうだ。
アスタロトの一件を一刻でも早く報告したいとの事で、ウァティカヌスへは転移魔法で戻る予定である。
フィアレインはアスタロトから感じた魔力を思い出す。
魔王でない彼にすら、今の自分たち三人は勝てないだろう。
今回は彼もあれ以上なにもする気はないと言っていた。だがあくまでも『今回は』である。
また後々遭遇する可能性は高い。
シェイドはルクスの長兄である当主へ挨拶をした後、与えられた客間にこもっている。
彼の立場上悩んでいることだろう。
フィアレインはため息をつく。
自分ももうちょっと強くて自在にその力を操れたら良かったのに。
まだ子どもだからだろうか。
そもそも自分の持つ力がどれ程なのかすら分からないのだ。
出された菓子を頬張ってもいつもの様には気が晴れなかった。