ウァティカヌス 1
人間が移動につかう馬という生き物。
かつては翼を持ち、空を翔ける生き物であったと言われている。
人はその背に乗り、自在に空を移動したが、やがて天にも昇れるのではないかと驕り高ぶった。
その罰として馬は翼を失い、人は空を翔ける手段を失ったのである。
馬に残されたのは額に生えた鋭い角とその脚力のみ。
フィアレインは生まれて初めて馬に乗った。
正確に言うと乗せられていた。
馬を操るのはシェイドである。
彼の前に座らせられ、馬に揺られている状態だ。
この馬は昨日街で購入したものである。
本当はあまり購入したくなかったらしい。
曰く、馬での移動は便利だが魔物に襲われた際に真っ先に馬が狙われる。
馬を守りながら戦うのが常に可能とは限らない。
場合によっては魔物に恐れをなして馬が逃げることもある。
場合によってはすぐ失う可能性が高いのに、その値段は高い。
だが、今回シェイドには馬を買い移動の速度をあげる必要があったそうだ。
不本意であるが止むを得ない買い物をする理由は、光の神の教団にある。
三年前旅立ってからというもの、光の神の教団は使者を送り再三ウァティカヌスを訪れるよう催促をしていた。
表向きは魔と戦う勇者へ光の神の祝福を与えたい、と言うものであった。
実際のところは魔と戦う先鋒である自分たちに協力しに来いと言うところだろう。
最近はその催促が酷くなり、無視も出来ない状況になって来たと言う。
「何かあったのかな?」
「使者は特に何も言ってなかったけどな。
でも何かあると見た方が良さそうだな」
「勇者の力を借りたくなるような事ってこと?」
「多分。最初は本当に挨拶に来い、ぐらいだったんだろうが……。
最近の使者の切羽詰まってる雰囲気はただ事じゃないしな」
フィアレインは首を傾げる。
それならば理由を告げ、助力を仰げば良いのでないか。
なぜ光の神の教団はそれをしないのだろう。
その疑問を感じたのか、シェイドが苦笑混じりに説明してくれた。
「プライドだろうな。
光の神の教団が闇の神の加護を持つ勇者に助力を請いたくないんだろ。
今の教団の法王は光の神至上主義みたいだし」
「なんか……よくわかんない。
正直に言って早く片付けた方がいいと思うけど」
「ま、それが正論だな。
頭は絶対に下げたくない。でも力は借りたい。
だから祝福をと呼びつけて、俺に自発的に手伝わせようって話だ」
ウァティカヌスまでは道が整っている。馬を使えば、さほど遠い場所ではない。
今進んでいるのはマルクト王国の主要街道だ。このまま主要街道を進めば王都、途中で分岐した道を進みその先の山を目指せばウァティカヌスである。
参拝者が数多く訪れる場所だけあり、山道も整えられている。
低めの山上平坦地に世界一の信徒の数を誇る光の神の教団は本拠地を構えていた。
日中の移動でもあり、教団の勢力圏でもあるからか、魔物はおろか魔獣にも遭遇せず順調に進んだ。
日の高い内に進める限り進み、夜は宿場町で宿をとる。
夕食をとって寝るまでのわずかな間、外へ出て戦闘の際の連携を練習した。
ハルピュイアとの戦いの際は何とか乗り切ったが、今後のことを考えれば行き当たりばったりとはいかない。
お互いどの様な力があるのかも知らず、一緒に戦うことは無理だ。
そして練習なくぶっつけ本番で連携するのも無理である。
それくらいの事はお互いに一人で戦ったことしか無い身でも分かった。
「フィアね、自分は魔力も高くて沢山魔法知ってるって思ってたけど……。
実際魔物と戦うようになって、魔力とか魔法の知識だけじゃダメなんだって思ったの」
「そうだなぁ。俺もだ。
殺意を持って自分に向かってくる相手と戦うのは、それだけじゃダメなんだよな」
まずは恐怖心に足を引っ張られる。
冷静な判断が出来なくなれば、どんな魔法や技を持っていても使いこなすことは難しい。
魔法であれ、剣の技であれ、その場や相手に応じたものを適切に使えなければ、何の力も持ってないのと一緒だ。
「前にね。ブラッディウルフの群れに襲われたことがあるんだけど。
その時はいっぱいいっぱいで、動けなくする拘束魔法使うとか思い浮かばなくて。
どんどん仲間呼ばれて大変だった……」
ブラッディウルフは確かにすばしっこく、仲間を呼んだりするが、単体ではそんなに強い敵でない。
戦い方を誤れば、弱い相手でも苦戦する。
魔力が高く、強い魔法を使えれば全て安泰と言うほど甘くない。
シェイドは剣で前線で戦いつつも、攻撃魔法や治癒魔法も使いこなせる。
フィアレインは魔法使いだから後方からの援助だ。
攻撃魔法や治癒魔法だけでなく補助魔法も使える。
この組み合わせならば、当然シェイドが敵の攻撃を引きつける事となる。
だが、フィアレインは一つ提案した。
あまり後方に控える自分の事を気にせず、敵を攻撃しろと。
敵を引きつける事ばかりに気を取られれば、殲滅が遅れる。
たしかに自分は敵の攻撃に対する防御力は低い。
だが、短距離での転移魔法を繰り返し、敵の攻撃を避ける事は得意だ。
今まで一人で戦っていた時によく使っていた方法である。
上空へ逃げれば飛べない敵を相手にする時、絶対的な有利である。
短距離移動位ならば、他の魔法を使いながら片手間でこなせる
のだ。
後方でうまく逃げつつ、戦況を見て攻撃、治癒、補助魔法を使い分けるのが一番自分には向いている気がした。
勿論これはあくまでも練習段階の話である。
シェイドも実戦で様子を見て、調整していこうと提案した。
実際どんなことが起こるかなど、その時にならねば分からない。
できる事ならウァティカヌスで厄介ごとに遭遇する前に、実戦で試すことが出来れば良いのだが。
二人はため息を吐いた。
クィーンハルピュイアの時の様に都合よく進む事ばかりでないのだ。
***
順調にウァティカヌスへ近づいている。
山道では他の参拝者と見られる旅人にも遭遇した。
整えられた山道は非常に進みやすく、木漏れ日に小鳥の鳴き声とその光景は長閑ですらあった。
何やら教団が問題を抱えているとは到底思えぬほどに。
そもそも、どの神の教団も優秀な僧兵を抱えている。
特に光の神の教団の抱える兵力は規模も大きい。
屈強な肉体でメイス振るう者もいれば、聖属性の攻撃魔法や治癒魔法を使いこなす者もいる。
中にはその全てを兼ね備える者もいるのだ。
その彼らだけで対応出来ぬ相手とは一体何だろう。
「まさか魔王だったりして……」
「その時は真っ先に逃げるぞ」
二人は顔を見合わせて笑った。
フィアレインは先日初めて知ったのだが、勇者の役割には魔界へ乗り込み破壊の神や魔王を倒す事は含まれない。
とは言え、もし彼らが人間世界に乗り込んで来たらどうするのか、と言う事も明言されてない。
不思議な話である。
まるでそんな事は予期されてないかのような。
何故誰もそんな事態を想定しないのだろう。
確かに今までそういったことは一度もなかった。
だが今後もそんなことは無いと言えまい。
樹々が開ける。
壮大な白い門があった。
シェイドは遠くに見える巨大な白亜の神殿を指差す。
「ウァティカヌスだ」
***
二人は真っ直ぐ大神殿へと向かった。
入り口で名乗り用件を伝えたら、すぐさま奥へと通される。
光の法王が会うらしい。
二人は控えの間の長椅子に並んで腰掛けていた。
奥の大きな両開きの扉の先は神の間である。
何やら落ち着かない気分になった。
魔の者め、などと言われてしまったらどうしようと俯く。
覚悟は決めていたつもりだが、やはり恐ろしい。
法王の従僕が奥の扉から出て来て、中へ促した。
シェイドは立ち上がろうとするフィアレインを押し留め、従僕に言う。
「連れはここで待たせてもらいたい」
驚き見上げるフィアレインの頭を軽くポンポンと叩き
「チャでも飲んで待っててくれ」
と言って、従僕と二人で奥の扉の中へと消えた。
目の前の低めの卓に用意された飲み物と食べ物を見る。
器に注がれた熱いチャは見た事もない美しい緑色だ。
黄色くて酸味の強い果実シトロンを切ったものが添えられている。
シトロンを入れてチャを一口飲む。
爽やかな風味が加わって美味しい。赤茶色のチャに比べ渋みがなく飲みやすい。
ともに出された皿の上にはイポメア芋の輪切りが盛られていた。
赤紫の皮に黄金色の中身は間違いなくイポメア芋だ。
だがその周りには何か白い粉のようなものが振られている。
試しに一口齧ってみた。
甘い。
その甘さで知る。これは砂糖だ。
だが周りだけでなく、その身にも甘さがよく染みている。
そこで砂糖で煮込み、その上に更に砂糖を振ったものだと気づいた。
何とも贅沢な芋の食べ方である。
芋を食べ、チャを飲み、また芋を食べる。
気付けば出された芋は殆ど無くなっていた。
その時、奥の扉からシェイドが入ってくる。
何やら厳しい表情だ。
フィアレインはハッと我に帰った。そういえば散々一人で食べて彼の分を残してなかった。
彼は甘党であったはずだ。
まさか半分残してないと非難されるのであろうか。
その時にはすっかり、何故ウァティカヌスへ来たのか忘れていた。
フィアレインにとっては光の神の教団の危機よりも、目の前の芋である。
光の神の教団は金持ちだと彼が言っていたのを思い出す。
ならばまた追加で芋の砂糖漬けくらい貰えるのでないか。
そう言ってやろうと考えていた耳に、シェイドの重い言葉が飛び込んだ。
「ヒュドラが出るらしい」
フィアレインは拍子抜けし、とりあえず頷いてから、また芋に手を伸ばした。
「って、頼むから俺の話聞いてくれよ……」