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ロリス・クライン 5

 ボドウィンさんに依頼終了の報告をするのはひどく億劫だった。仕事である以上それはやらなくてはならないのだが、今回は気が重い。そもそも事故が無ければこんなことには......いや、止めよう。



「おお、ご苦労様、ご苦労様。で、霊はいなくなったのかね」



 肥えた身体を揺らしながら、ボドウィンさんが聞いてくる。思わず口の中に苦い物が走り、それを飲み下すのに苦労した。僕は黙ってポケットから数枚の呪符を抜き出す。



「昨晩この呪符を使って封霊--霊を呪符に封じることです--を行いました。貴方を夜な夜な狙っていた霊は、今はここにある呪符に分割されて封じられています」



「ん、そうか、そうか。いや、それならよかった。この後この呪符はどうするのかね? 人に危害を及ぼすような霊など、燃やして廃棄かな」



「丁寧に弔って、現世に二度と現れないようにします」



 その言葉を発するのに酷く苦労した。握りしめた拳が震える。

 言うまいと思っていた。追及しても今更と考えていた。だけどにこやかに笑うボドウィンさんの顔を見ている内に、そんなお上品な決意はどこかへ吹き飛んだ。



 目の前の男が口を開く。



「そんな必要無いだろう。私を害しようとした霊なんだぞ。さっさと捨てて地獄の底にでも送ってくれないかね。もし特別料金が必要というなら上乗せし--」



「黙ってくれませんか」



 気がついた時には、机を平手で叩いていた。バン! と室内に響いた音にボドウィンさんが動きを止める。

 何だ、こいつは。威勢はいいくせに、これくらいでびびりやがって。



「全部知ってるんです、僕は。あなたが一ヶ月前の雨の日に起こした事故のことも。子供と犬を馬車で撥ねて、それを見殺しにして逃げたことも!」



 話す度に、一言口にする度に、燃える感情は益々勢いを強める。



「な、何を言ってるんだね。し、証拠があるのか、証拠が!?」



「昨日僕がそこに封霊したのは、あなたが撥ねた犬の霊だ! あなたが、あなたがその犬と子供を見殺しにしなければ、そもそもこんな事件など起きなかったんですよ......」



 語尾が震えた。

 何故だろうな。今までだってさ、これと似たような場面は経験してきているのに。今日に限って妙に心がささくれるのは。

 そんな人の気も知らず、ボドウィンさんは笑った。さっきまでとは違う、黒い笑みが口の端に宿る。



「は、ははっ。なあんだ、そんなことかね。ああ、確かに私は人を撥ねたさ。犬も確かにいたなあ。しかしね、仕方ないだろう。忙しいんだ。王都の商業活動を支えるボドウィン商会のこの私はね、非常に忙しいんだよ」



 一度言葉を切って、ボドウィンさんは僕を正面から見た。その視線には歪んだ自信があった。



「ふん、孤児院の汚い子供と犬が死んだから何だというんだね? 生きていても世間からはつまはじきにされる連中だろ。国の保護で生き延びるような、そんな輩が事故で死のうが何だろうが」



 誰も気にはしないよ。



 冷たい一言が胸に突き刺さる。財力を盾にした彼の社会的な権威は人情味を欠いている。だが、的を得ていたのも事実だ。

 もしかしたら、事件について調査は済んでいるのに不問にされている可能性だってあるのだ。ボドウィン商会が袖の下を渡せば、口封じくらいは簡単だろう。



 黙りこくった僕の前に、ボドウィンさんが革袋を置いた。ガチャンと重い音が響く。



「早期解決してくれた礼だ。倍の100,000グラン払おう。どうもありがとう、ロリス君」



 受け取らない選択肢もあった。こんな汚い金などいるかともちらっと考えた。だけど結局、その重い革袋を掴んでしまう。

 これが口封じも兼ねていることくらいは分かる。これを受け取ったら、僕も所詮は汚い大人だ。



「......分かりました。ありがとうございました。一つだけお願いがあります」



「ん? 何だね」



「あの孤児院に、少しでいいから援助してあげて下さい。でないと、また犬の霊が襲ってくるかもしれません」



 僕のささやかな嫌みに顔をひきつらせ、ボドウィンさんは「か、考えておこう」と顔をしかめた。ほんの少しだけ溜飲を下げ、一礼して屋敷を辞去した。




******




「うあああ、畜生畜生畜生!」



 グラスの中のエールを流し込む。言葉は逆に吐き出された。もう何杯目だろうか、五杯まで数えたところで止めた。



「あ、荒れてるねえ」



「さっきからずっとこんなんだな」



 僕の右手に座るローブ姿のゲイルさんがちょっと引いたようになり、左手に座るディストさんが呆れる。

 ごめん、ゲイルさん。無名墓地(ネームレスセメタリー)以来だというのに、こんな悪態つく姿を見せてしまっています。



 あの嫌な依頼から三日後、引きこもっていた僕はこうして何とか酒場にまで出てきました。ディストさんとゲイルさんを捕まえて、やけ酒に浸っています。



「なあ、ロリスちゃん。仕方ねえだろ。お前はやることやったんだ、そう悔やむなよ」



「悔やんでないです、悔やんでないですよ! 僕はね、人間て何なんだと聞きたいだけなんですよ!」



 ディストさんに食ってかかってしまった。アルコールの力を借りて、一気に言い切る。



「あの謝礼金を眼前で叩きつけてやれたらってすっごく思いました、思いましたとも! けど、僕に出来たのは大人しく口止め料込みの100,000グランを貰って......それを全額孤児院に寄附することくらいしか、出来なかったです」



「え? なあ、ディスト。本当なのか」



「ああ、悲しいことに本当なんだよ。おかげさまで俺も調査料取りっぱぐれだよ」



「いいじゃないですか、ディストさんは荒稼ぎしてるんでしょ! 犬が意地見せて命張って死んでるのに、人間が応えてあげなかったら僕ら畜生以下ですよ、嗚呼全く!」



 そう、結局今回の依頼をこなした僕は1グランも手にしていない。ボドウィンさんの屋敷を出て、そのまままっすぐ孤児院に向かった。挨拶もそこそこに、ポンとお金の入った革袋をシスターに渡してきた。

 そして「事故を起こした犯人からです」とだけ告げて、そのまま引き返したという訳だ。



「せめて調査にかかった実費くらいは貰いたかったんだけど」



「ちまちました男、嫌いです。でもありがとうございました」



 そう、ディストさんには感謝してるんだ。彼が調べてくれなかったら、僕は真相にたどり着かなかっただろう。ナッツのことを知らないまま、除霊していたと思う。

 


「お、おう。別に礼はいいけどな。まあ、あれだ。ロリスちゃんがいなけりゃ、あの孤児院も何にも受け取れなかったんだからさ。とりあえずいいことしたんじゃないのか」



「それは私も同意する。形は違うが、一種の賠償金が払われたような物だ。まだましと思うしかない」



 ディストさんとゲイルさんに少し慰められてしまった。



「はは、うん、そうですよね。少しは僕のやったことは役に立ったんですよ、ね」



 まだ笑いに力が無いのは承知だ。でも笑えるだけましだよね。



「ところでよお、除霊じゃなくて封霊ってことはまだナッツは存在はしてんのか?」



「ええ、かろうじてですが。複数の呪符に解体される形で眠らせています。強制排除する除霊とは違い、このまま一週間ほどで自然と消えます」



「それなら孤児院に帰してあげたらどうかな」



 ディストさんの問いに答えていると、ゲイルさんが口を挟んだ。「う、それは考えたんですけど。どういう口実でまた足を運べばいいか、分からないんですよ」と返す。  


 

 そう、既に二度孤児院に僕は顔を出している。三度目となると妙に思われるだろう。

 それに結局のところ、僕はナッツの邪魔をしたような物だ。ナッツの心の拠り所である孤児院に向かうのは、やっぱりちょっとしんどい。



「んー、まあ分からなくは無いよなあ。分かったよ、乗りかかった船だ。俺がこっそり行って呪符を置いてきてやる」



「じゃあ私も一口乗るか。花束代くらいは出すから、一緒に届けてくれるかい」



 ディストさんとゲイルさんの予想外の提案に、僕は虚を突かれた。二人とも絶対そんなことしないと思ってたのに。



「何ボサッとしてんだよ、すぐに忍び込んできてやるから呪符よこせよ」



「じゃ、これ。私からの心づけです」



「ど、どうしたんですか、二人とも......急にいい人になっちゃって、怖いんですけど」



 そう言いつつも、僕は数枚の呪符をディストさんに渡した。彼に続いてゲイルさんも卓を離れる。ディストさんが「あれだよ、人間の中にもちゃんとまともな奴はいるってことをさ」と言いつつ、ゲイルさんの方を向く。ゲイルさんは肩をすくめて、口を開いた。



「勇敢な犬があの世に行く前に教えてあげたい、ってところですかね。じゃ、行きましょうか、ディスト。ロリスさん、また会えたらいいですね」



「んじゃあな。今度はちゃんと金取るからな!?」



 小柄なスカウトと痩せぎすの魔術師(ソーサラー)がくるりと背を向ける。「ありがとうございました」とその背に声をかけると、二人とも振り向かずに手を上げてくれた。



 その時、どこかからクウンと声がしたような気がしたのは。うん、考え過ぎだよね。




******




 季節は移ろい、秋はもう終わりを告げかけている。めっきり朝晩の冷え込みも厳しくなり、僕も長靴下を履くようになった。膝上まであるので暖かいんだ。



 時折、ナッツと最後に戦った四つ角を通ることがある。悲しそうな目で訴えてきたな、と思い出すと、今でもチクリと胸が痛む。

 だけど、事故を悼んだ子供達を時折その辺りで見かけることもあった。手に持った花は野に咲く野草だけど、それを幼い子供達が街角に置いていく姿は素直に美しい。



 孤児院での生活は大変だろうに、あの子達は優しいな。人間の価値ってどこで決まるのだろうか。

 はっきりいってどの子もあまり綺麗とはいえない格好だけど。でも皆いい笑顔をしている。



 (出来れば、その笑顔で見送ってあげてくれないか)



 それだけ願って僕はその場を離れた。








 石畳の通りを歩きながら、凜とした寒気が満たす空を見上げた。青く澄んだ空の彼方はどこまでも遠く、そして透明だ。



 (一人と一匹の魂に幸あらんことを)



 呪符を一枚解き放つ。祈りにも似た想いを乗せたそれは、秋の終わりを告げる風を翼に高く高く飛んでいった。

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