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ロリス・クライン 3

 退魔師(エクソシスト)と霊とくれば、激突は必然。まだ生まれたばかりの若い霊であっても、何故か退魔師(エクソシスト)には敵意を示す。本能的に何か知っているのだろうか。



「武器化」



 右手に握った呪符に魔力を通す。事前にセットしておいた術式通り、呪符は一枚の紙から細い剣へと変わった。

 俗にレイピアと呼ばれる極めて刀身が細い剣だ。実体武器との競り合いには弱いが、今この場では問題無い。



「行きます!」



 気合いの声を上げて切りかかる。魔力を通した刃は白い清浄な光を放ち、犬の霊を切り刻むべく踊った。

 身を翻されかわされる。逆に向こうが噛み付こうと左に回るが、それを左手に握った呪符で牽制した。



 "ウウウゥルル!"



 唸り声をあげ、犬の霊は左右に軽くステップを踏む。さて、どうするか。攻めに回るか、受けに回るか。

 相手の戦力が分からない以上、迂闊に攻め込むと手痛いしっぺ返しがあるかもしれない。しかし、それは相手からしても同じだろう。お互い未知の相手を前にして警戒心が剥き出しになる。



 そして先に攻めに転じたのは、犬の霊の方だった。6メートル程離れた間合いで、奴がパカリと口を開くのが見えた。そこからユラリと白い気体がはみ出している。



 咄嗟に身を捻り左手の呪符を投げつける。狙い通り、犬の霊が吐き出した気体と空中でぶつかった。轟! と僕と犬の霊の中間点で爆音のような音が鳴り、キラキラとした光の結晶のような物が闇に散る。



 (やはり飛び道具の一つくらいはありますか)



 霊の厄介なところは、姿形の通りの能力と信じてはいけないところだ。猫の霊が火炎を操ることもあれば、幼児の霊が幻覚を操ることもある。一番多いのが、霊気を放出して矢のように飛ばしてくる能力だ。さっきの攻撃も大まかにはそれに当たる。



 "ワウッ!"



「おっと!」



 犬の霊が攻勢に出た。口からブレスよろしく、気体をこちらに吐き出してくる。

 球体状に固められたそれを、盾代わりの呪符で防御(ガード)する。うん、最初はちょっとびっくりしたけど威力は大したことない。十分対処出来る。



 隙を見て、レイピアを握ったままの右手の薬指と小指で呪符を一枚挟んだ。ヒュウ、と横一文字にそれを振るい、犬の霊目掛けて一直線に投げつける。

 もしこれが単なる投擲攻撃なら、犬の霊の身のこなしなら難無く回避出来るだろう。だけどそんな単純な攻撃の訳が無い。



「爆散!」



 僕の声に従った呪符が弾けた。黄色っぽい光に続き、圧縮された熱の塊が暴風と共に荒れ狂う。犬の霊の煙のような姿がそれに巻き込まれるのがみえた。

 退魔師(エクソシスト)の呪符も幾つか種類があるけど、こういう攻撃呪文のように使える呪符もあるんだ。

 これを繰り出して相手を追い詰めてから、一気に昇天用の呪符で霊を消滅させるか、あるいは封霊用の呪符で霊を閉じ込めるかというのが退魔師(エクソシスト)の戦い方。



 ダメージを受けた犬の霊がのたうち回る。実体を持たないとはいっても、魔力のこもった高熱を浴びせられたらただじゃ済まないよね。屋敷に何とか入りこんでボドウィンさんに近づきたいんだろうけど、諦めた方が身のためだよ。



 それでも何とか立ち上がったようだ。しかも立ち上がりざまに、あの口から沸いた気体がまたもやこちらに放たれた。

 けど、僕がいつまでも遠距離戦でちまちまやると思っていたら--



「--大間違いです」



 そう、あの球のような気体の攻撃は怖くない。発射されるタイミングも速度も計算に入れている。

 一発、二発、三発と連発される気体、それをかわす。そして一気に間合いを潰しながら、僕は犬の霊の眼前に踊り出た。



 "ギャウアアッ!!"



「勝負!」



 覚悟は決めたのだろう。空中に一度飛び上がりながら、犬の霊がその口元の牙を突き立てようとする。

 だけど僕のレイピアの方が速い。ヒュッと夜を切り裂く鋭い音と共に、剣先が犬の霊の脇腹を削ぎ落とした。



 空中で交錯し、着地しながら振り返る。致命傷には至っていないと手応えで判断した。まだ油断は出来ない。

 見ると犬の霊はブルブルと身体を震わしている。ちょっと嫌な予感がした。霊の中には窮地に追い詰められると、第二第三の能力を発揮するタイプがいる。こいつがそのタイプの可能性もあるんだ。



「逃しま......うわっ!」



 油断していた訳じゃ無い。ただ、敵の行動はあまりに迅速だった。夜の闇より尚黒い、漆黒のガスが犬の霊の全身から噴き出す。視界が塞がれた僕は、牽制の為に呪符を前へ投げるしか出来なかった。



 清浄な気を発する呪符がガスの一部を切り裂く。少し見通しが良くなった僕は、すぐに犬の霊の姿を探した。

 秋の夜風などでは散らない、重苦しい漆黒のガスはまだ辺りの大部分を覆っている。この中に紛れて逆転の一撃を狙っているのかもしれない。



 ヴアアアッ! と大気が乱れた。瞬間、身を屈めて横へ飛んだ。一瞬前まで僕が立っていた地面が、煙の塊を叩きつけられ派手に散っている。身を起こし、第二撃に備えた僕の目に映ったのは--



 まさかの敵の遁走する後ろ姿だった。さっき僕が傷つけた前足を引きずりながらも、疾風のように庭を駆け抜けていく。舌打ちしながら走る。駆ける。足には少し自信がある。

 完全に追いつけなくてもいい。長距離攻撃用の呪符の射程にさえ入れれば。



 いつのまにか、犬の霊の毛色(気体だけど)が変わっていることに気がついた。白い煙が集まったような感じじゃなく、赤黒いどこか不気味な色彩だ。まるで血に濡れたような。いや、おかしいな。霊は血など流さないのに。



 獣の霊は概して足が速い。その例に漏れず、犬の霊は真夜中の王都を駆ける。足音は当然立てないけど、退魔師(エクソシスト)の僕には奴が立てる微かな軋みが聞こえるんだ。



 ボドウィン家を狙うはずの予定を狂わされた不満。

 僕に手傷を負わされた怒り。

 そういった負の感情は細い糸のように漂い、奴の後を追う手がかりになった。



 (はあっ、ぜえっ、それにしても速い......!)



 急角度で右に曲がり、路地に入りこんだ犬の霊の後を追った。滑り込むように侵入した路地の壁を蹴り、反動を生かして更に追うがとても追いつけそうにない。

 僕にとっては障害物の転がった棒やゴミ箱もお構いなしだ。実体をもたない特性を生かして、多少当たろうが何だろうが気にしない。本当はやろうと思えば、薄い壁くらいなら突き抜けられるのだろう。それをしないのは、単なる生前の行動様式だ。



「く、くっそおー!」



 これ以上突き放されては無理、という距離で、半ばやけくそで呪符を放った。十分狙いもつけられないまま放った呪符に一縷の望みを託すなんて。



 それでも手傷くらい負わせてくれ、と息を切らして願いはしたけど。呪符が弾けた辺りには、犬の霊からちぎれた煙もその残滓すらなく。ただ、黒く煤けた下町の壁が無情に立ちはだかるのみだった。




******




「という訳です。逃げられてしまいましたよ」



 頭を抱えながら僕は唸った。「まあ、しょうがねえよな」と半分いたわり、半分苦笑混じりの声に更に情けなくなる。

 顔をあげると、ニヤニヤ笑うディストさんの無精ひげが見えた。



「剃らないんですか」



「は? 髪はたまに切ってるぜ?」



「いえ、髭ですよ髭。ちゃんと整えるか、剃った方が格好いいですよ」



「俺がこれ以上格好よくなったら困るだろう」



 口の端をクイ、と上げている。ディストさんは自分で言っていて恥ずかしく無いんだろうか。

 いや、今はそんなことはどうでもいいんだよ。



 昨晩遅く、僕は何とかかんとか屋敷に帰った。めくら滅法に走り回らされたせいで、帰り道を見失ったんだ。汗と埃にまみれたまま夜の王都をさ迷うのは、うら若い乙女としては心外の極地だったよ。



 とにかくボドウィンさんの屋敷にたどり着き、泥のように眠ってから、昼過ぎにこうやって起きた訳です。

 ディストさんに報告しつつ、気安い飯屋で朝昼兼用のご飯を食べています。



「いや、しかし困りましたね」



「何が? 俺の髭のことかい、お嬢さん」



「引っこ抜きますよ、中年」



 不機嫌になっていた僕は、スープをズズ、と飲み干しながら左手をひょいと伸ばした。あっ、惜しい。数センチの差であの憎たらしい無精ひげを抜き去れたのに。



「うおっ、あっぶねーな。イライラすんなよ、確かに霊の正体くらいは掴みたかったんだろうけどな。撃退出来たんだし、まだましだろ」



「うう、あの犬の霊の身体の一部くらいは最低でも欲しかったです。そこから正体が判明したかもしれないのに」



 僕の言葉は強がりでも誇張でも無い。霊という物には記憶......過去がある。霊の身体の一部を調べることによって、その過去を探ることが出来る。それにより、抜本的な対策や弱点を知ることにつながる。

 無論、厳重な防護壁(プロテクト)がかかっている場合もあるけど、それはそれで"そこまで強力な霊だ"と判断する材料にはなる。



「骨折り損、いや、手合わせした感じではそこまで強くは無いと分かっただけいいかな」



「あのさあ、それって犬の霊だったんだよなあ?」



 ぼやいているとディストさんに尋ねられた。天井を見上げるようにしている。何か考えている時の彼の癖だ。



「間違いなく犬です。猫でも馬でも牛でもはたまた豚でもないです」



「で、ロリスちゃんがその犬の霊を追っかけて、見失った場所ってどこよ」



 そう言いながら、パサリと一枚の紙を机の上に広げた。食べかけの料理の皿の間に広がったそれは、王都を上から俯瞰した地図だ。ディストさんの手製らしく、あちこちにメモがある。意外にこう見えてこの人は几帳面だ。



「ううん、目茶苦茶に走り回らされましたから自信無いですが。た、多分この辺かな」



「ほう、そこかい......今思い出したんだけどさ」



 僕が指で押さえた辺り(ボドウィンさんの家からかなり南側だ)を見て、意味ありげにディストさんは一拍置いた。



「その犬が何なのか、分かっちまったかもしんねーぜ」



「はい?」



 思わず目を見開いた僕に構わず、ディストさんは先を続ける。



「ボドウィン商会の情報漁っている時に、偶然小耳に挟んだ情報なんだけどよ。その辺で一件事故あったんだよなあ」





 犬が死んじまったな。





 ポツリと漏らしたその一言だけが宙に浮いたように聞こえた。

 手がかり、なのかもしれない。



「全く関係ないかもしれませんね?」



「ああ。けど敵さんにつながる情報って今んとこねえしな。確認するだけの価値はあるだろ」



「正論ですね。同意しますよ」



 うん、このままではまた待つしか出来ないんだ。だったら調べられるだけ調べてみよう。「案内頼めますか」という僕の一言に、ディストさんは頷いた。




******



 

 その日の午後、僕はその事故の詳細を聞いて回った。ディストさんが関係あるかもしれない、と後押ししてくれたこと。それ自体を信じて。



 そして数時間後に、僕は犬の正体とボドウィンさんを襲う理由を知ることになる。



 胸に重苦しい、苦い物が詰まるような感覚と共に。





「よう、どうすんだ。依頼下りるっつーなら今の内だぜ」



 一通りの調査が終わった夕刻、ディストさんに話しかけられた。ぶっきらぼうなようで、その反面少しだけ優しい声で。

 ありがとうございます。でも僕は。



「下りません。一度引き受けた以上、依頼は......依頼です。余程のことが無いと途中で放棄は出来ません」



 うん、そうなんだよ。僕がこの依頼を途中放棄しても、何の解決にもならないんだよ。分かってる、分かってるからさ。

 


 言葉を紡ぐ。意志が曲がらないように。曲げない為に。



「今夜、ケリをつけます」

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