ロリス・クライン 1
「よく降りますね」
「そうねえ。雨は嫌いじゃないけど、やっぱり困るわよね」
アイラさんは僕に優しく答えてくれた。この人らしい、包み込むような声で。いい声だなと思う。
「困るって何にです?」
「洗濯物が干せないじゃない? うちは女二人だからそんなにたくさんじゃないけど、外に干せた方がいいわよね」
「ああ、それはありますね。僕は女一人ですけど洗濯面倒くさいです」
瞬間、少し沈黙。窓の外はシトシトと降る秋の雨だ。妹さんのアニーが帰る頃には本降りだろうか。可哀相に。
シュンシュンとヤカンが音を立てている。席を立ちお茶の準備をしながら、アイラさんは僕の方を見た。
「ねえ、ロリスちゃん。アニーと一緒に住む気ない? ほら、私来年になったらこのお家出るし」
そう、アイラさんはこの間ラウリオさんと婚約したのだ。挙式するのは来年春なので、今は最後の独身期間を謳歌しているということになる。
新婚(なんて卑猥な、失礼、素敵な響きだろう)ともなれば、やはり夫婦で住むので必然この家の住人は--
「アニーさん一人で住まわせるのは心配ですか?」
「そうなのよー。あの子、しっかりしているようで抜けているところあるし。このお家なら勇者様のお隣りだから、そういう意味では安心だけど。それでも女の子だしね」
「それはまあ」
「ロリスちゃんならしっかりしてるし、あの子の操縦にも慣れてるじゃない。それにこのお家なら、勇者様が格安家賃で貸してくれるのよ。ね、どう?」
「ちょっと今すぐは決められませんよ」
"操縦"という単語に笑いそうになりつつ、とりあえず保留にさせてもらった。誰かと一緒に住むということに興味が無い訳では無かったけど、すぐには決められない。
というかだ。アイラさんの結婚話に隠れていたが、アニーさんも適齢期ですよね。幾つだったかな、聞いてみよう。
「アイラさん。アニーさんもそろそろ結婚の話、出てもいい頃ですよね。お幾つでしたっけ」
「私の二つ下だから、二十二歳ね。やだわ私もう二十四なんだ。ロリスちゃんが羨ましいなあ、若いっていいわね」
「一応十九歳です。見た目から更に下に見られますが......」
背が低く童顔の為にどうしても年より若く見られがちだ。今更嘆いても仕方ないんだけど、でも、僕もアイラさんみたいに女らしくなりたいな。
同性から見ても綺麗だし、性格もいいし。ついでに言えばスタイルもいい。
ふう、と小さくため息をつきながら、視線を窓の方へ向けた。秋の雨がポツポツと降り続いている。
「アニーさん、遅くなりますかね? あまりお邪魔しても悪いので、失礼した方がよろしいでしょうか」
「あら、大丈夫よ。もうすぐ帰ってくるはずだから」
「根拠は?」
「勘」
そんな頼りない、と答えそうになる直前、「ただいまー、お姉ちゃん。あれ、ロリス来てたの?」という声が玄関から聞こえてきた。まさにドンピシャ。
「凄いですね、アイラさん。女の勘ですか?」
「今のは姉としての勘ね。不思議とアニーがそろそろ帰るだろう、という時間は昔から分かるのよね」
「いやあ、まいったまいった。もうね、あたしがギルド出た直後から雨が本降りになっちゃってね。びしょ濡れだよ、もー」
アニーさんはまず着替えた方がいいですね。雨で濡れた服が張り付いて、うっすら下着とか見えちゃってるし。
しかしこの人の場合は、こういう状況を利用しそうです。勇者様に「何見てるんですか、キャー、勇者様のエッチー!」くらいは言ってからかいそう。
いや、僕もやりますけどね。
そんなどうでもいいことを考えている間に、アイラさんは乾いた布をアニーさんに差し出す。
「ほら、早く着替えてらっしゃい。風邪引いちゃうわよ」
「うう、お姉ちゃんの優しさが身に沁みるなあ。やだよう、お嫁になんか行かないでよー」
「泣きまねしてる暇があったら、さっさと着替えるの!」
うん......まあ、姉妹でも違う人間だもんね。性格違って当たり前ですよね。
******
オーリー姉妹の家に遊びに行った、その数日後のことだ。嫌な雨も上がり、さあ今日も一日頑張りますかと、僕は自分に気合いを入れた。どこで? そんなの決まっている。冒険者にとっての情報拠点かつ仲間を募る場所、冒険者ギルドでだ。
退魔師という僕の職業柄、普通にクエストをこなす他にもお金を稼ぐ方法がある。それは個別にソロで除霊や霊障によるダメージ回復などを請け負うことだ。
いわゆる幽霊などの実体を持たない不死者は、都心部にも発生する。これは元が死んだ人間や動物、果ては植物や器物の魂だからだ。言い換えるならば、何か生活の痕跡があれば幽霊は発生する可能性はある。
実体を持つゾンビやグールは、さすがに数は少ない。時折、共同墓地に葬られた無縁仏が死者として甦ることはあるが、それも年に一、二回くらいだそうだ。
だから僕が受ける依頼は、大概が霊による事件解決や調査だ。
勿論、それらの除霊に長けた神官も王都にはいる。だが、彼らも絶対数が少ない為に、中々個人の被る事件解決までは手が回らない。自然と懐に余裕のある個人は、僕のような退魔師を探す訳だ。
時折はパーティーを組み何らかのクエストをこなし、時折はソロで除霊などを請け負う。それが僕、ロリス・クラインの仕事のスタイルだった。
「よお、ロリスちゃん。今日も可愛いねー」
「何を朝からおだてているんですか、ディストさん」
背後からの声に振り返る。中年の小柄な男性がそこにいた。さりげなく隙の無い身ごなしと、動きやすい革鎧の装備からスカウトだと分かる。
「本気で言ってるともさ。ところで何かいい依頼はあったかい」
二年前、無名墓地攻略で知り合って以来、ディストさんとは話をする程度の仲だった。彼も僕のように、ソロで仕事をすることもある。いわば同業者としてお互いに認めている、といったところ。
「今日はまだ見つけていないです。退魔師向けの依頼はそんなにたくさんは無いので」
「そうかい。俺の方はいつも通りっちゃ、いつも通りだな。そこそこ繁盛さ」
「それはおめでとうございます」
ちょっと羨ましい。情報収集と危険察知に長けたスカウトは、表の社会と裏の社会の狭間で生きる者も多い。非合法すれすれの商業活動をする商人などは、ディストさんのような腕利きスカウトを上手く使う。そういった汚れ仕事が霊による事件より多いのは、まだ平和な証拠だ。
僕は掲示板を見上げる。所狭しと貼られた依頼の用紙を、片っ端からめくる。
「俺も探してやろうか?」
「結構です」
「おいおい、連れないねえ。人の親切は素直に受けとるもんだぜ?」
「スカウトの無料の親切ほど、後で高くつくものは無いですから」
これは僕の偏見だろうけど。王都に来て間もない頃、やけに親切ぶったスカウトに財布をすられた。その痛い経験から、とりあえずスカウトの人には一定の用心はするようにしている。
「そうかい。じゃ、助けが必要なら言いなよ」
「依頼なら声かけますよ」
そう答えた時、僕の目は一枚の依頼に留まった。「すみません」と他の冒険者達に声をかけながら、目的の用紙をちぎりとる。やや右肩上がりの癖のある文字を読む。
"依頼主 ボドウィン商会。依頼内容 霊による嫌がらせを止めてほしい。また、霊障の治療求む。報酬 解決内容により数万グラン程度、応相談"
ボドウィン商会か。確か最近、王都で急速に売上を伸ばしているやり手の商人じゃなかったか。それだけに人の恨みも買う機会もあるだろうけど、どうやら生きた人間ではなく死んだ人間が問題のようだね。
(一応、念には念を入れることにして)
依頼用紙片手に、僕はディストに話しかける。数万グランの高額報酬とやり手の商人。情報という保険をかける価値があると判断した。
「ディストさん、お仕事お願いします」
「お? ちゃんとした依頼かい。何を頼みたいんだい」
こちらの表情を探るようなディストさんに、僕は依頼用紙を突きつけた。ひらりと舞った紙が、腕利きスカウトの鼻先を掠める。
「ボドウィン商会のここ最近の動向、噂を集めて下さい。依頼料はこの報酬の一割で」
「了解、任せときな」
依頼人の裏を取るのも時には必要だ。特にきな臭いと自分の勘が警報を鳴らす時は。
******
ボドウィン商会の屋敷は王都の南東にあった。この辺りは他の商会も屋敷を構えており、さながら王都を支える商業活動の勢力の本拠地のようだ。
依頼を受けると決めた僕が冒険者ギルドを通じてボドウィン商会に連絡を取ってから、僅か半日。早くも依頼人は僕を呼び寄せて、一刻も早く仕事をさせたいらしい。
(ディストさんに頼んだ仕事、無駄になるかも)
もしこのまま依頼を受けて、速攻で片付けたとしよう。ディストさんが情報をもたらしたとしても、時既に遅しということになる。なら、一日か二日ほど依頼を受けるかどうか迷うふりをしてみるか、とも考えた。
だが待てば機会を失うかもしれない。ディストさんの迅速な調査を期待しながら、僕は依頼人の下へと足を運んだ訳だ。
「大きな屋敷......」
儲かっている商人なら普通なのかもしれないけど、僕の基準からすれば十分豪邸になる。赤いレンガ造りの壁が可愛らしい。庭に植えられた落葉樹は、赤く紅葉している。秋もそろそろ終盤に近い。
冒険者ギルドから来た旨を伝えると、早速中に通された。毛足の長い絨毯が特徴的な応接間の壁には、タペストリがかけられ、嫌みでは無い程度に装飾されている。
(趣味はいい)
そう思っている間に、一組の男女が応接間に入ってきた。椅子から立ち上がり、挨拶をする。
「初めまして。依頼を受けてやってきた、ロリス・クラインです。退魔師が御入り用とか」
「その、不躾で申し訳ないのだが。あなたが除霊や何かをしてくれるのかね?」
中年太り気味のボドウィンさんが、疑わしそうな目で僕を見る。その横の奥方らしき女性もちょっと不審な眼差しだ。
うーん、僕みたいに可愛い女の子が来るとは予想外だったんだろうな。見た目で判断しちゃいけないよ、ご主人。
「はい。こう見えてもちゃんとした退魔師です。ギルドが発行したレベル22の認定証もあります。ご覧になりますか?」
「いやいや、それならいいんだ。済まない、もっとこう、胡散臭そうな人物を想像していたんでね」
「怪しい黒ローブ姿に、顔を薄布で隠したりですか? そんな人あんまりいないです」
別に気分を害した訳ではないけど、退魔師がマイナーな職業だからといって、そんな偏見は良くないと思う。ショートパンツで生足さらしている僕が言うのもアレだけど。
それより重要なのは依頼内容だ。ボドウィンさんと夫人の顔を見ただけで、あまり具合が良くなさそうなのは分かる。霊による悪質な精神干渉の影響だろう。
居住まいを正した僕は「そろそろ詳しい話を聞かせていただけますか」と切り出した。




