トウモロコシ畑の四人
俺が話し終わるまでどれくらいかかっただろうか。半時間、いや、もっとか。一時間はかかっただろう。その間、セラは口を挟まなかった。寝てしまったのかと思い、声をかけた時だけ「起きていますよ」としっかり答えただけだ。
寝所に入ったのが早かったせいか、まだ深夜とは言えない時間だ。外からは虫の声がリー、リーと響く。まだ開いたままの天井からは、話し出す前と変わらない星空が見えていた。
「というわけだ。あれ以来、俺は女と付き合うということを止めた。理由は......分かるよな」
そう言って締めくくる。双子が寝ている距離を渡ったその言葉は、セラの耳にどう届いただろう。
あの時ヒルダに会ったのが、俺の運の尽きだったのかもしれない。少なくとも、恋愛については疫病神と罵っても許されるだろう。
仲間も、時間も、そして何より恋という物に対する希望も全て奪っていったのだから。
(ちっ、思い出したらやっぱりイラッとするな)
シュレンとエリーゼが寝ていたのは幸いだった。怒りと屈辱で強張った顔など、子供が見て楽しい物ではない。セラに話したのはあくまで例外だ。多分、今後もあまりこの件は話さないままだろう。
「--私に話してもよろしかったのですか?」
「--何故か話したいという気になったんだよ。今まで誰にも言ってないんだけどな」
俺はセラを見ずに答えた。そう、今日はたまたまだ。一途な信頼を見せてくれた彼女に、少し応えてやりたくなった。それだけだ。
「......私はウォルファート様を傷つけたりしませんから。絶対に」
セラがぽつりと呟く。それには答えず、俺は一度起き上がり、天井の窓を閉めた。スライド式の天井を閉めると、部屋に入る明かりは窓からのか細い光だけだ。もういいだろう、寝る時間だ。
「そろそろ寝るか。いやー、しかしシュレンもエリーゼもクタンとして寝ているな、助かるわ」
「はい。最近は夜泣きも無いですし、楽になりましたよ。時々パパがいいって駄々こねますけど」
「ほ、ほう。いや、しかし今更なあ」
う、うーん。もう双子と寝なくなって長いしな。面映ゆいというのと面倒くさいという、その両方がある。セラもそれは分かっているのか、それ以上は何も言わなかった。
******
小鳥の鳴き声と共に目覚める朝。外に出れば、澄んだ空気を惜しみなく味わえる環境。老夫婦の計らいで、付近の住民達は俺達には適度な距離感をもって接してくれる。
(何にも無いといえば無いんだが、これでもそれなりに楽しいな)
一日、二日と村での日々を過ごしていく。シュレンとエリーゼは初めて体験した乳搾りにワーワー騒いでいた。リズミカルに搾らないと中々出ないらしい。
「牛さん怒らなかったよ!」
「あたし、顔なめられちゃった! べろべろって!」
「凄いね、二人とも。よーし、お手々洗ってからさっき牛さんから貰った牛乳飲もうかー」
セラがそう言うと、双子は「はーい!」と声を揃えて返事をしてから、メイドに付き添われてさっさと手を洗いに行った。素直で結構なことだ。
「幼稚園じゃこういう体験授業みたいなことはしないんだろ?」
「そうですね、幼稚園の周りに牧場が無いですから。城壁の外まで行かないと」
「わざわざそこまではなあ」
セラの返事に頷く。兵士が巡回していることもあり、王都近辺には魔物はほとんど出没しない。それでも全くのゼロでは無いので、やはり多数の子供が外に出るのはあまりお勧めじゃあないのだ。
自分らが普段口にしている食べ物が、実際どういう物かということを体験する。これは結構大事だと思うんだよな。
調理された段階--つまり、口にする直前--だと、もうそれはオリジナルの形を微塵も残していないこともある。けれど原材料の形を目にすると、何が食べられるのか、それを育てる為にはどうしたらいいのか、ということを考える一助になる気がするんだよ。
結局のところ、戦争と同じでさ。紙の上でだけで戦死者の数を知っているのと。実際に戦場で生の死体を見てきたのでは。まるで重みが違うだろ。
食料さえきちんと調達できていれば、人間そんなに酷いことは考えないとは思うんだよな。
「結局、親の一番やらなくちゃいけないことってさ。子供にそういうことを身をもって、理解させる点じゃね? あと、ちゃんと食べさせてやることな」
そう、別に堅苦しく考えなくてもいい。とりあえず食べないと人は死ぬ。行動も思考も、まずは食欲を満たさないと始まらないんだ。
しかし珍しく俺が殊勝なことを言ったと思ったのか、メイド二人が予想外の反応を見せた。
「す、凄い! ウォルファート様がちゃんと双子ちゃんのことを考えている!」
「やっぱりあれかしら。セラ様と同衾したから、何かあったのね。きっとそうよ」
「「ヤーダー、アツイー!!」」
......うん、もういいや。少々言われるくらいのことは慣れちまったし。
ホッフーク村での夏季休暇は、そんな風にのんびりとしたものだった。森の木々を住家とする昆虫を捕まえたのは、これぞ夏季休暇といっていい体験だろう。体長50センチにもなるカブトムシを見つけ、即座に逃げ出したのはご愛敬だ。
「「怖かったねー!」」
「俺だって怖かったわ」
声を揃える双子に、半分本気で俺は答えた。あの大きさになるとちょっとした魔物じゃなかろうか。飛び掛かってくることは無いらしいけど。
そう話しながらも手は止めない。俺の目に映っているのは、背の高い草の並んだ風景だ。足元の土のどこかホコホコした湿り気を帯びた匂いと、草からぶら下がる黄色い野菜--トウモロコシの野趣溢れた甘い匂いがする。
シュレンの「取れたー!」という声の後に、エリーゼの「ここ入れてー」という声が聞こえた。俺が手の届かない低い辺りを二人には任せている。
シュレンがトウモロコシを草からもぎ取る役目で、エリーゼはそれを袋にほうり込む役目と分担させた。綺麗に葉をむしるのは後でやろう。
(これだけじゃ農業じゃあないんだけどな)
よく熟した実を収穫しながらふと考えた。農業は耕地、種まき、育成、そして収穫という工程に分解できる。本当は土に合わせた肥料を作ったり、水路を構築したりという地味で辛い作業がメインになる。
それら全部引っくるめて農業なのだ。シュレンとエリーゼにそれら全てを体験させて、初めて農業体験と言えるのだろうけど。でも無理だな、そりゃ。いくら時間があっても足りないし、他にも学ぶことはあるのだから。
「パパ、これ美味しそう」
「後で食べような」
こちらを見上げて笑うエリーゼに笑い返す。シュレンは少し先で、更にトウモロコシをもぎ取ろうと格闘していた。
そうだな、農作物はこうやって出来ているということに触れるだけでも、全然違うだろう。やっぱり身体を動かして覚えるのは大切だ。
******
取れる限りのトウモロコシを収穫し、畑の側の木陰に避難する。待機していたセラから水をもらい、一休みしていた時だった。
「父ちゃん、今日の晩飯なーにー!?」
「母ちゃんに聞いてみー。父ちゃん作られへんからなー」
「あたし、お料理出来るよ? この前母さんに習ったもん」
俺達が涼んでいる横を、一組の親子が通り過ぎていく。父親らしき日焼けした男と、うちの双子より少し年上の男の子と女の子だ。粗末な粗織りのシャツには汗がにじんでいる。
その親子連れが通り過ぎるのを、シュレンとエリーゼがじっと見ていることに気がついた。別に物珍しいわけでもないだろうに。
「パパー」
「ん?」
シュレンがこちらを向いた。エリーゼは親子の後ろ姿を見つめたままだ。俺はシュレンの方を向く。
「あの人たちはおやこ? パパと子供?」
「そうみたいだけど。どうした?」
「僕とエリーゼとパパはおやこ? セラは?」
うっ、言葉に詰まる。きちんと説明出来るのか分からない。説明出来たとして、シュレンが納得行くかも分からなかった。見るとエリーゼもこちらを向いている。俺の傍らで、セラが困ったような顔になった。
「う、うーん......ええとな、去年話したけど、シュレンとエリーゼの本当のパパとママは今はいないんだよな」
「「うん」」
「その本当のパパとママは今は亡くなり、つまり死んでしまっていて......もう会えないってことも話したと思うんだけど」
沈黙が重い。逃げたい。救いは双子が泣きだす気配は無く、真剣に聞いている点か。はあ、そりゃ子供にとっては重い事実だもんな。表面的には分かりはしても、心のどこかではジクジクと巣くっている物はあるよな。
セラが「大丈夫ですか」と小声で囁いてきたので、目だけで頷く。仕方ない、出来る限り頑張るか。
「今は俺がパパで、セラがママなんだよ。嫌か?」
「いやじゃない......でも」
シュレンが何か聞きたそうな感じで口ごもる。隣のエリーゼが小さな手をブンブン振りながら聞いてきた。
「本当のパパとママの話、してー。聞きたーい」
「えっ、まじで?」
そう来たか。うう、シューバーのことはともかく、エイダのことはほとんど知らないんだよな。しかし、ごまかすにはどうにも双子の顔が真剣過ぎるし。参ったな、こりゃ。
仕方ない、覚えている限りのことを話すか。とりあえず何をどこまで話すかを考えるため、「いったん帰って着替えてからな」とごまかしてみる。急に言われてもなあ、と言葉にならないボヤキを心の中に押し止めた。
とりあえずトウモロコシでも食べるか。いや、現実逃避に過ぎないと分かっちゃいるんだけどね。




