言葉は星の煌めきの下で
何だかんだ言っても休暇というのはいいもんだ。普段と違うことをするということ、それ自体が意味があるんだと思う。
例えばそれは小川での魚釣りだったり、老夫婦が提供してくれる野趣溢れる夕食だったり、蛍が飛ぶ夜の庭を眺めながら明日の予定を話したりとか、全てがそうだと言っても過言じゃない。
「夜は更に涼しいな」
「へえ、このあたりは木が多いんで。夏の日差しも全部、森が吸い込んじまいます」
「おじーちゃん、この村で楽しめること教えてー」
俺とじいさんの会話に、エリーゼが割って入る。クリクリした焦げ茶色の目は好奇心で輝いていた。じいさんは「ほうほう、楽しいことのう。乳牛の乳搾りでもどうですかな、ウォルファート様? ちょっと朝早いですが」と俺とエリーゼに答える。
「面白そうだけど、五歳でもできるのか?」
「そりゃあ大丈夫です。この村の子は四歳頃から家畜に触れますからのう。なに、体験教育です」
そう言うならご好意に甘えるか。確かに王都では、馬車に乗るくらいしか動物に触れる機会が無いしな。
頷きながら庭の方を見た。黄色い燐光を放ちながら、蛍が数匹舞っている。闇夜に残光のラインを引きながら、光っては消え、消えては光り。
「ね、シュレンちゃん。あれは蛍って言うのよ。ここに自分はいるよ、って仲間に教える為にあんな風に光るの」
「ピカピカだね! お星様みたい!」
庭の方からセラとシュレンの声が聞こえてきた。二人で蛍を見ているらしい。俺はエリーゼを膝に抱きながら「見に行くか?」と問う。エリーゼはそれに答えず、窓から外を見上げた。
「あのね、パパ。なんであんなにお星様があるのー?」
「ああ、あれはな。ここだと街の明かりが無いから、星が見えやすいんだよ。別に王都に比べて、星が増えたわけじゃないぞ」
「そんなの変。明るかったら見えやすくなるじゃない! 何で暗い方が見えるのー?」
うお、微妙に説明しづらいことを聞いてきやがる。なんて言えばいいんだ。星の光は小さいから、他に明かりがあったら霞んでしまうんだよと言っても分からないよなあ。
けど、好奇心をたぎらせるエリーゼは新鮮な活力に満ちていて、それが何だか微笑ましい。
(何故、何、なあにか)
きっと双子の目に映る世界は、大人なんかと全然違うんだろう。不思議がいっぱい、疑問がたくさんの世界ってのは新鮮だろうな。
知らない方が世の中楽しめるってのは、案外本当かもしれない。
******
仰向けになった俺の目に夏の夜空が見える。息を呑んだ。星空なんか見慣れているはずなのに、全然違うからだ。
「わあ! お星様いっぱいー」
シュレンの喜ぶ声、それが消えない内にエリーゼの声が響く。
「あれ、くまさんみたいに見えるねー。あっ、あっちのお星様はおうちみたい」
何とも贅沢な話だが、俺達に用意された寝室は天井の一部が開閉式になっていた。木の板で出来た天井をずらすと、そこから夜空が見渡せるんだ。天井に二重敷されたガラス越しの夜空を見ながら眠れるってわけだ。
今、俺の隣にはシュレンとエリーゼが仰向けになっている。二人ともキャーキャー言ったり、あの星がどーだ、この星が欲しいなどと騒いでいた。
そしてセラは、二人の向こう側で同じように星を見ている。
「素敵ですね......こんな風に夜が広がっているなんて」
「夜が広がる、ね。詩的な表現だな」
「うん、と。何て言えばいいんでしょう。今、私達は夜を見上げていますよね。普段は暗くなったらお部屋から外を見て、"ああ、夜になったな"と思うんですけど」
途中で一度言葉を切り、セラはまた話し出す。その間にも双子はワイワイ騒いでいるので、聞き取りづらかったりするんだが仕方ない。
「それって、横に夜が広がっているのを見ているだけなんですよね。こういう風に縦に見上げると、包まれるような感じ? すみません、上手く言えなくて」
「ああ、うん。何となくは分かる」
なるほど。確かに普段は家の中にいると、そういう感覚になるのかもしれない。特にセラの場合はシュレンとエリーゼに注意を払うので、視線は自然と下がるだろう。夜を見上げるというのは中々無い機会だし、包まれると表現するのも分かる気がする。
否応なしに大人二人、子供二人が同じベッドで寝る羽目になった。正直俺は今でもちょっと嫌なんだが、こんな経験ができるのも今だけだと気持ちを切り替える。
(シュレンとエリーゼが間にいるならいいか)
そう、俺が落ち着かないのはセラが隣にいるからだ。双子が赤ちゃんの時を除けば、俺は一人でしか寝たことが無い--ヒルダのことがあってからの話だ。だからセラと同じ部屋というのは、完全に非日常だった。
嫌、というのでも無い。けれども落ち着かない。内縁の妻とはいえ、セラをそういう風に扱ったことも無いからだろう。
「あっちの白い星とあっちの赤い星をつなげてー、シュレンのお空はこっち側!」
「エリーゼのお空はあのちっさいお星様がわーってなってるところ!」
うん、双子が騒いでくれるから余計なことを考えなくて済むな。そう、きっとセラも何にも考えちゃいないさ。こんなにやかまし、もとい、元気な二人を相手にしているだけで十分疲れるんだから。
(甘かったか......)
それから小一時間ほども経っただろうか。ようやく遊び疲れた双子は眠った。そこで寝てしまえばよかったんだが、目が冴えてしまったのだろう、俺もセラもばっちり起きている。
寝転がる俺の右にシュレン、更にエリーゼ。セラはその隣だ。子供二人を挟んでいるような感じ。どうしようか、何を話そう。ちょっと迷う。セラの将来について、昼間少し思うこともあったからな。そのせいかもな。
「起きてます、ウォルファート様?」
「まだ眠れん」
簡潔に答えて横目で見た。ここからだとセラの左側--彼女の機能しない左目の方しか見えない。滅多に片目であることを感じさせないが、それでもたまに左側に注意がいかないことがある。
不便だろうに、セラがそれについて文句を言ったり嘆いたりした場面を見たことが無い。俺なら愚痴の一つくらいは叩きたくなる。
黙っているのも気詰まりなので、俺から話しかけた。
「お前偉いよな」
「--いきなりびっくりするんですけど、どうしたのですか」
「いや、普通は片目が使えなかったらさ。もっとそれについて愚痴ったり、悲しんだりするだろ。そういうことしないから」
「ああ、なるほどです......うん、いえ、やっぱり不便だし見えたらいいな、とは思いますが」
双子越しの会話、色気の無い話題。でも気詰まりじゃないだけいいか。
フッ、と開いた天井の向こう、夜空の彼方で星が瞬く。セラの声が聞こえる。
「私、幸福ですからこれ以上何かを望めば、罰が当たります。勇者様に再会出来て、こうしてお側にいられる。それだけで満足ですから」
「......ありがたい反面、心苦しいもんがあるな」
「え? 心苦しいって?」
いい機会だ。どうせ二人とも眠れないのだし、話しちまうか。俺がセラをどう思っているか、この先ずっと双子の面倒だけ見ていていいのか、その辺りのことを正直に話した。別に今すぐ何かを変える必要も無いし、いたいならずっといてくれていいんだがともきちんとつけ加えて。
「--そりゃまあ、シュレンとエリーゼの母親役として見受けしたようなもんだから、しばらくいて欲しいし。いてもらわないと困るんだけど」
言いたいことは伝わったと思う。要は女としての幸せを考えたことは無いのか、ってことだ。
セラの反応はすぐには無かった。顔は向こうを向いていて見えない。
「逆に、ウォルファート様は私にどうして欲しいですか。私が邪魔ですか? それならそうとはっきりおっしゃって下さい」
吹いた。予想外の反応にびびった。
「邪魔なわけねえだろう! お前がいないと回らないんだよ! だけど」
「だけど?」
「--セラ、お前、ずっとこのままでいいのか。確かにイヴォーク侯のところで、うだつが上がらないままいるよりは全然ましだろうけどさ」
「いいです」
簡潔な、だけど意志の強さを感じさせる言葉に俺は固まった。こちらを見ないままセラは話し始める。青い右目を夜空に向けて。
「元々私はウォルファート様に助けていただいた身です。あの時、魔王軍をウォルファート様が追っ払っていただいたおかげで、私は助かりました」
王都で俺と再会する前の話だ。相変わらず俺は覚えてはいないが、それでも彼女には重要な出来事だったんだろう。
「だから、ウォルファート様と双子ちゃんが必要としていただけるなら--私はいつまでもお側にいたいです。家族も失い、左目も失い、それに特に取り柄もない私にとってはオルレアン家だけが」
銀髪の少女はそこで初めてこちらを向いた。眠るシュレンとエリーゼ越しに、俺とセラの目が合う。
「全てなんです。他には何も......私は望みません。この身が尽き果てるまで、お仕えする覚悟はとうに出来ています」
だから心配なさらなくて結構です。
そう言い添えてセラは微笑んだ。俺はちょっと複雑な気分になった。セラ自身がそれでいいのならば、良しとすべきなのかもしれない。けれども、名付けることの出来ない何かが胸につかえて、言葉にならない。
だから俺が言えたのは「ありがとう」の一言だけだ。
「お礼なんかおかしいですわ、ウォルファート様。私は内縁とはいえ、妻なんでしょ? 妻に夫がお礼言うのはあんまり聞きませんよ」
「いや、まあそうだけどな」
寝転がり見上げた視線の先には、相変わらず満天の星空だ。静かに暖かい感情が満ちていく。その時、ちょっとセラが首をこちらに傾けた。
「私もお話したいこと、いえ、正しくはお聞きしたいことがあるのですが」
「言ってみたら? 難しいことかい」
「ちょっと微妙なことかもです。怒りません?」
躊躇うような口調になったセラを、俺は「よっぽどでないと怒らないよ」と促す。一瞬だけ舞い降りた沈黙を破り、セラが聞いてきた。
「ウォルファート様は何故、水商売の女の人しか相手になさらないのですか?」
「それ、答えなきゃダメかな。あんまり話したくないんだけど」
「無理にお聞きはしませんけれど、不思議でして。優しくて格好よくて、お仕事もちゃんとされていて双子ちゃんにも慕われていますし。それにこんな親しみやすい公爵様なんてどこにもいませんわ」
何ということだろう。セラの頭の中では、俺は素晴らしい人格者のようだ。だが、確かに水商売の女しか相手にしないようじゃ人格はさておいて、多かれ少なかれ疑問は持つよな。
けれども本当の事を話すべきなんだろうか。あの時の事がきっかけで、普通の恋愛から目を背けるようになったと。この俺に痛いまでの信頼を向けてくれる、素敵な女の子に。
「--昔、ちょっといろいろあったんだよ。若い時にな」
「そうなのですか。すいません、不躾なことを聞いて」
謝ることは無いのにな。不思議に思って当然さ。むしろ謝らなくちゃいけないのは俺じゃないのか。誰にも本当のことを言わずに、ごまかして。過去の痛みを引きずったまま、強がった態度で虚勢を張って。
「なあ、セラ。お前、本当のことを俺が言っても笑わないでくれるか」
気がつけば俺はそう口にしていた。セラがこちらを見ているのが分かる。はい、と小さくその口が動いたのが見えた。
もういいか。話しちまうか。これを聞いて、セラに引かれたり見る目が変わるなら。俺もそれまでの男だってだけだ。
「もう十年以上昔の話だ。俺がまだ駆け出し勇者の頃の事さ......」
ポツポツとあの時の記憶を思い出す。見上げた夜空は、思い出を受け止めるビロードみたいに深い黒。そこに散った星の瞬きだけが、俺とセラを見守る観客だった。




