勇者様なめてんじゃねえぞ!
変異体ってなんだって? ああ、そうか、わからねえよな。
同一種類の魔物は、当たり前だが多少の個体差による強さや体格の違いはあっても、そんなに極端には変わらない。
だが、たまにとんでもない規格外の個体が出てくる。それをまとめて"変異体"と呼んでいるのさ。
発生原因はよく分かってはいないが、単純に突然変異だったり、アウズーラがふざけて自分の魔力を照射した結果生まれてきたのでは、という説が有力だ。
で、まあ発生原因なんてどうでもよくてだな。実際に戦う奴らから見たら重要なのは、"変異体はどの程度普通の魔物から見たら強いのか?"だ。
ぶっちゃけると、これもきちんとした情報はない。変異体の数自体が少ないというのもある。それに、戦った経験がある奴らが情報をきちんとギルドに提供出来ているかどうかも不明だから。
けど、大雑把に言うと通常個体の三倍程度にまで力が引き上がるというのが、冒険者達の意見だ。
通常のゴブリン一匹ならレベル1の戦士でも何とか出来るけど、変異体のゴブリン一匹相手にレベル10の戦士がやられたという情報もある。
俺もレベル13の時に戦った変異体の人鬼に危うく殺されかけた。何とか倒したが、あまりに強かったので死体の一部を切り取り冒険者ギルドに持っていった。
運が良ければそこから変異体オーガの強さが測定出来るか、と思ってだ。後で測定結果を聞いてびっくりしたぜ。その変異体オーガは単独ならレベル22から25はないと倒せないだろう、とのことだった。
測定の基準が正しければだけどな。しかし、よくそんなの俺倒せたなあ。
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「ちっ、全くめんどくせー相手が......」
変異体についての知識を思い出しつつ、俺は大雑把に作戦を立てた。エイプキングもその取り巻きみたいなガリードエイプ五体も、一気には襲ってこない。こちらが赤ん坊二人を守る立場というのを分かっていて逃げられないと判断したのだろうか。半包囲するように展開し始めた。
本当なら、ショートソードを飛ばす白銀驟雨や何かの攻撃呪文で先手を打つが、シュレンとエリーゼを守る方が優先か。なるべく戦いの場からこいつらは離しておきたい。
だから、せっかく召喚したショートソード六本を双子の守備に回す。
「展開、護剣結界」
ミスリルの銀の輝きをまとう六本のショートソードに念をこめ、術式を行使。あらかじめ決めた一定ルールに沿って動くように念を術式化することで、全て俺が制御する必要が無くなり、負担が減る。
これをやらずに全て俺が自己操作すると、とてつもなく細かい動きを六本のショートソードに課することが出来る。だが、同時に俺の意識の大半を剣に向けなくてはならない。
(今は大雑把でいいのさ、頼むぜ)
俺の思考に連動したかのように、忠実な番犬のごとくショートソードが双子の回りに配置される。ゆっくりと回転しながら切っ先は隙なくガリードエイプ達に向いていた。
護剣結界、その術式は対象となる者あるいは物の護衛だ。
もしガリードエイプ達がシュレンとエリーゼに近づけば、たちどころに剣はその刃を向ける。あくまで防衛戦用であり、こちらから積極的に仕掛ける場合には使わないが、こういう事態の時には役に立つ。
「泣くなよ。大丈夫だ、俺が守ってやる」
異常を察して、シュレンがフエエンと頼りない泣き声をあげる。エリーゼもぼちぼちお腹が空いてきたのか、ぐずつき始めた。
そんな双子をちらりと見ながら、俺はなるべく優しく声をかけた。可哀相だがこいつらを倒すまでは放置だ。
なあに、さっきかけた暖火が効いているし風邪はひかねえよ。いい子だから我慢してろ。
その間にも馬鹿でかい巨体を揺らしながら、エイプキングが近づいてくる。
ゆらゆらと切っ先を向け宙に浮く六本のショートソードを警戒するガリードエイプ達も、親玉に勇気づけられるように包囲網を縮めてきた。
だが、まだ間合いはこちらの間合い、則ち中~遠距離!
「おせえっ! 氷槍!」
とにかく早めに数を減らすべきだと判断し、無詠唱で使える攻撃呪文を選択だ。久しぶりに使った氷系の初歩の呪文は、その名の通り地面から槍のごとく尖った氷を撃ち出す。
一瞬だった、まさに避ける暇もない。
地を蹴りこちらへ走り出そうとしていたガリードエイプ二体が、あっという間に青白い氷の槍にその体を下から引き裂かれ、白く凍えた死体に変わる。
傷口からほとばしった血の赤が瞬時に凍結する。それを見届ける暇も惜しく、俺は標的をエイプキングに絞った。
(ガリードエイプ三体程度なら、間違っても護剣結界は抜けられねえ。狙うは親玉だ!)
正直、エイプキングだけは赤ん坊二人には近づけたくない。こいつが足を踏み鳴らすだけでも地響きが起きて、双子に悪影響を及ぼしそうだと考えたのだ。だからここからは。
エイプキングが、ずちゃっと音を立てて身構えた。剛毛に包まれた奴の筋肉が膨れ上がり、明らかに殺気が増す。
そこから一気に大地を蹴り加速する巨猿を、俺も全力で走りながら迎えうつ。
「接近戦だ! 見せてやるよ、勇者の本気ってやつを!!」
「オアアアア!!」
俺の叫び声と、エイプキングの咆哮が交差した。
******
猿系の魔物の恐いところは、パワーとスピードを兼ね備えているところだ。
勿論人間でも鍛えてレベルを上げれば身体能力は飛躍的に上がるので、引けをとると限ったわけじゃあない。それでも種族特性としてはそういうことだ。
その頂点に立つであろうガリードエイプの変異体と真っ向勝負だ。しかも、武装召喚もまだとくれば、流石の俺も真剣にならざるを得ない。
一気に加速した俺の動きに並のガリードエイプ達はついてこれていないどころか、目で追えてすらいない。
だが、流石に変異体であるエイプキングは反応が速い。無造作に見えて実は最短距離を走る左足のローキックを俺にぶっ放してきた。
「ちぃっ!」
15cm程の差でこれを頭を振って回避する。奴のローキックが、俺にとってはハイキックだ。まともに頭に直撃すればダメージは免れない。しかも、思っていたより奴の動きが速い。
(いや、奴が速いというよりは俺が鈍くなってやがる!)
間抜けだった。考えてみれば、大魔王と戦った半年前から全然訓練も実戦もやっていない。勘も鈍ろうってもんだ。
いくら俺がレベル70後半といっても、これはいきなり全開とはいかない。
その隙にガリードエイプの一匹が、俺の後ろに回りこむ。他の二体は無謀にも赤ん坊二人を狙いたいらしく、俺にはこない。
しかしこの瞬間、俺は一つネタを仕込んだ。そして「精々護剣結界で切り刻まれろ」と毒づいている間に、背後からガリードエイプが殴りかかってくる。
これはサイドステップでなんなく回避、川への斜面を利用して斜めに転がるようにかわしたところへ、エイプキングが力任せの右の拳。ただのストレートだが予想以上に速い。
「くっ! いってえな、おい!」
まともには喰らわなかった。けど、僅かに額を掠めたじゃねえか。体重差があるから、掠めただけでもそれなりに衝撃がある。防戦一方は俺の趣味じゃないんだよ、ちきしょう。
またガリードエイプの一匹が背後を取り、俺の注意力を削ごうとする。忌々しいことに、奇声をあげながら跳躍してきた。
だが、その黒褐色の毛に包まれた体が宙でつんのめるように弾かれ、角度を変えて近くの木に激突した。
「甘いんだよ。二度も同じ手が通用するかって」
仲間がいきなりぶっ飛ばされたのを目の当たりにし、エイプキングの動きが鈍る。そしてその目は、真っ赤に吹き出した血を木になすりつけてもはや目から光を失ったガリードエイプを見ていた。
ズルズルと木から地面へと落ちた猿の死体、その背中に刺さるショートソードの刃。
これが俺がさっき仕込んだネタさ。シュレンとエリーゼの方へ向かったガリードエイプが二匹しかいないことを察知して、俺は六本中一本を術式から外し、攻撃用に回した。そして、それを自分の背後から攻撃してくるガリードエイプに向かわせたわけだ。
いやあ、実際にほとんど見ずに剣を念で操作するわけだ。かなり難しかったぜ。猿の気配を読み切って、当ててやったけどな。
「これでタイマンだなあ。正々堂々といこうぜ、猿の親玉?」
俺の声が聞こえたわけでもあるまいが、エイプキングが威嚇のような吠え声を立てる。大きな声出すなよ、双子がびびるだろうが。
けど赤ん坊と違って、俺にはそんな威嚇通用しない。しかもさっき倒したガリードエイプにエイプキングが気を取られているうちに、武装召喚で武器を一本呼び出しておいた。
右手に握るは緩やかな曲がりの刃が独特な、刀と呼ばれる剣だ。
アウズーラが放った紫電咆哮を切り裂いたこれならば、エイプキングの剛毛も筋肉の束も十分に断ち切れるだろう。他に持っている奴を見たことないので比較のしようもないが、斬れ味は折り紙つきだ。
「勇者様なめてんじゃねえぞ、エテ公!」
慌てたようにエイプキングが右フックを振り回してきた。それをあえてかわさず、刀の刃で防御。
受けただけでは切断までいかず、僅かに奴の拳に切り傷を作ったのみ、しかもこちらの体勢も重量に押されて揺らぐ。けど想定内さ。
しかし、奴ときたらそこから反転しての右後ろ回し蹴りだ。「人間の技を獣の反射神経で繰り出してんじゃねーよ!」と怒鳴る。瞬時に反応、無詠唱で左手に火炎球の呪文を生み出した。
咄嗟にそれをぶつけて見事に迎撃に成功だ、真っ赤な火の粉を雑木林の木立の中に散らしながら、俺はその隙に一足飛びに下がり奴との間合いを取った。
「グググル......」
エイプキングの唸り声が聞こえてくる。最初の威勢はどこへやら。自分の攻撃がことごとく潰されることに、不信感を抱いているかのような警戒が漂う声だ。
(まあ、無理もねえよな。こいつ、レベル35はねえと単独じゃきつい相手だし)
つまり、冒険者でも超一流に近いレベルでないと辛いクラス。接近戦限定ならもう少し上かな。
今まで人間なんか餌にしか見えなかったろ、てめーには。互角に受けられる敵なんか、初めて見たって顔してやがる。
そんなことを考えている間に、背後で小さく鳴き声が聞こえた。醜い猿の鳴き声が二つだ。
見なくても分かる、のこのこ護剣結界に踏み込んだガリードエイプ二匹が、見事にずたずたにされたんだろう。可哀相にとは思わねえ、弱肉強食だからな。
「さあて、残るはてめえ一匹だぜ?」
俺はニヤリと笑い、刀の刃をエイプキングに向けた。流れはこっちに傾いている。だが、そこで俺は気がついた。
自分が相手との戦いに必死になりすぎ、いつの間にかシュレンとエリーゼが寝転がる辺りが、奴の視界に入っていることに。しかも巨猿の方が双子との距離が近いことに。
マズイ、と直感。
いや、護剣結界があると認識。
エイプキングが二人を狙うとは限らないと判断。
それらが同時に思考として過ぎるも、背筋には冷や汗が沸く。
こういう時、得てして事態は悪い方へと転がるもんで。
ドンッ! と大地が揺れるような錯覚を覚えた時には、エイプキングが双子向かってその巨体を躍らせており。
「待てコラア!」
俺は双子と奴の間に割り込むため、巨大な猿の背中を追った。