折られたのはどっちだ
長い。剣戟の音がそろそろ耳障りになる程度には、もう長い間戦っていた。体を入れ替え、少しでも良いポジションを取ろうとする。そこから剣を繰り出す。あるいは相手が繰り出してくる。
しかし、お互いに動きの先読みをまだ続けている。だから当たらない。最低でも直撃寸前でカット出来る--そういう戦いが続いていた。
「十五分経過!」
審判の声が聞こえた。何だ、まだその程度か。嫌に長く感じたのは、この試合の密度がそれだけ濃いからか。少しうんざりする。見るとベリダムも顔をしかめていた。どうやら同じような感想を抱いたらしいな。
(いつまで読み続けられる?)
ベリダムの袈裟懸けを防ぎながら自問する。そろそろ神経を全力で集中するのが、辛くなってきた。だが反射神経だけでどうにか出来る相手でもない。まだ我慢だ。
突き、払い、横薙ぎ。盾を動かす、弾く、ぶつける。俺もベリダムも、それをコンビネーションさせて相手より少しでも有利になろうとする。気温もそれなりに高い。長期戦を見据えるなら、ぎりぎりまで体力を温存する手も選びたい。
「強い」
思わず独り言が漏れた。相手の斜め上からの斬撃、そこからの払いを捌いた時だ。
魔法はどうか分からない。だが少なくとも、接近戦ならここまで俺と渡り合える奴はほとんどいない。強いて言えばワーズワースくらいか。あいつは槍、ベリダムは剣の違いはあるが、大体同じくらいだろうな。
「随分と大人しいんだな、ウォルファート! 勇者と言ってもそんなものか?」
若干低い位置から鋭く払い、ベリダムがそのまま踏み込んでくる。「いい気になってんじゃねーぞ」と毒づきつつ、サイドステップで右に回りこむようにかわした。当然これもまだ相手の読みの内なんだろう。
じゃあ、読みを更に上回るしかないよな。
右--と見せかけて、そこから左に急激に切り替えした。おっ、これにもついて来たか、感心感心。けどこの左への動きに釣られ過ぎたみたいだな。
ほんの僅かだが、体力の消耗からか読みの精度が落ちているんだよ。さっきなら見抜けただろうに。
「遅い!」
ベリダムの右足の運びが僅かに乱れた。その間隙を突いて俺が前に出る。強烈な横薙ぎを見舞い、それを皮切りに怒涛の連撃を開始した。
「うおっ!?」
さっきまでの精緻な剣術とはまるで違う、乱暴な動きにベリダムが戸惑う。動き自体は単純だ、多分ベリダムなら、すぐに慣れちまうだろう。だからそれまでの間に、せめてこのラッシュで。
入った。剣先が微かに奴の鎧の表面を掠める。勿論掠めただけなら、大したダメージにはならない。だが、その微かな一撃はベリダムの冷静さに綻びを開けた。次の攻撃、俺が仕掛けたショルダータックルへの反応が遅れている。
相手の盾の防御ごと押し込む。俺の全体重と踏み込みの勢いを乗せた重い一撃は、完全にベリダムの意表を突いた!
たたらを踏んだベリダムがよろけた。一旦間合いが空き、その空間に観客達の歓声が割り込んでくる。大したダメージではないだろうが、均衡状態を崩したのは大きい。ほんの少し、本当にほんの少しだが今のダメージでお前の右肩が傷んだはずだ。
「行かせてもらうぜ」
俺の低い呟きに、しかしベリダムは更に低い笑いを返しただけだった。ゾク、と俺の背筋が総毛立つと共に、奴の全身から金色の輝きが放たれ始める。
闘気の使用に踏みきったか。膠着状態が破れた不利を取り返そうというのか。いや、だが待て。何か悪寒のような......嫌な感触が纏わり付いて離れない。
「く、くふふ......なるほど。やはり貴方は素晴らしい」
ベリダムの低い笑い声が神経を逆なでする。その時だ、奴の金色の目がチカチカと瞬くように光っていることに気がついたのは。太陽の光の加減か? いや、違う。明らかに瞳それ自体から放たれる光--砂金の塊が放つような強い煌めきだ。昼にもかかわらずやけに目立つな。
「しかし、もう完全に捕捉した。止められないぞ」
「何わけ分からないこと言ってやがんだ。俺を牽制しようってのか」
熱に浮かされたようなベリダムの言葉、更に強くなる奴の目の黄金の光。その両方が俺を苛立たせた。何か分からないが、リスク覚悟で早めに決着をつけたい気分に駆られる。
俺も闘気を全開にする。勝負をつけるべく改めて剣と盾を構えた時、ベリダムが口を開いた。
「転送開始。一身から一身へ、ありがたく頂戴する」
「は? 何だ、そりゃ」
全く分からない。ベリダムの意味が分からない言葉に、ついにこいつ気が触れたのか、とちょっと思った。いやさ、その両目が強烈に光っているから、多分ただ事じゃないんだろうけどさ。どうせ魔法は使えないんだし、勝てば文句ないよな。
(準決勝まででは、こんな状態になってねえよな)
切りかかりながら考える。いや、遠目だったから、俺が見落としただけかもしれないな。止めだ、考えまい。とりあえず分かるのは、闘気全開状態のベリダムがますますヤバい相手だってことだ。
気合いの声が漏れた。それと同時の俺の斬撃が一閃する。容赦しねえぜ、ベリダム。もし、お前が何か考えていたとしてもだ。やらせる前に片付ける!
そこからの三十合余りは、圧倒的に俺が攻めた。効果的な打撃こそぶち込んでいないが、ベリダムにまともに攻め込ませず、逆に追い込んでいった。闘気全開にしたというのが信じられない程、ベリダムが守り一手というのもある。
「やる気あんのかよ!」
苛立ちを込めたロングソードを叩きこむ。攻撃を捨てて、まるで亀のように守りを固めるベリダムに止められたが......何だ、こいつは。さっきまで俺と互角にやり合っていた癖に?
いや、守りを固めて一撃に賭けるという戦術もある。あるにはあるが、ひたすら攻められ続けるのは負担が大きいし、やはりリスクもでかい。
「転送45%、なるほど、こいつは......」
なのにだ。俺の攻撃にひたすら耐えながら、ベリダムは何やらブツブツ呟くだけだ。てめえ、闘気全開にもかかわらず、やることは防御だけか!?
ゆっくりとした、だが確実な俺の優勢だ。決勝とは思えない試合展開が続く。五分、十分と俺の攻撃がジワジワとベリダムを追い込み、そのスタミナを削っていった。直接的なダメージは大したことは無いが、もうここからの逆転は間違いなく無い。
(詰んだ!)
このまま普通にやれば俺が勝つ。そう断言出来る程、俺が押している。闘気を纏わせた俺の剣をこれだけかわしたのは見事だが、しかしもう限界だろう。体運び、反応速度、そのどちらもかなり遅くなっている。守りだけに徹するなら、もう少し維持出来るだろう。けれど、それでも時間の問題だ。
「つまんねえ試合だったな」
ピッ、と剣をつきつけながら俺は言った。確かにこれだけ俺の攻撃に耐えたのは大したもんだが、はっきり言ってそれだけ。だからベリダムが「いいえ、私は楽しくて仕方ないな」と答えた時は、耳を疑った。
「こんなタコ殴りにされて楽しいって、お前馬鹿か。こっちは拍子抜け--」
その時だ。俺が異変に気がついたのは。
さっきからギラギラと黄金色の光を放っていたベリダムの目。それが落ち着いている。長い豪奢な金髪が風に揺れ、その合間から覗く目はまた美しい金色ではある。しかし、光輝くような先程までの目ではなくなり、あくまで普通だ。
それを奴自身が自覚しているのか。その貴公子然とした顔に笑いが浮かぶ。
「--転送完了。流石だ、勇者様。すぐには使えない技ばかりだが、確かに覚えたぞ」
その言葉が嫌に冷たく響いた。一つの可能性が急に思い浮かぶ。
そうか。だからか、ベリダム・ヨーク。だからお前、自分から国王陛下に働きかけてまでこの闘技会を開催するように主張して。
俺と戦う舞台を仕組み、いざ当たれば、ひたすら試合を長引かせるだけの戦い方に徹したのか。
確信までは行かない。証拠も無い。だが、推測にしては少々状況証拠が固くは無いか?
「てめえ、俺の技を盗むつもりでこの闘技会を」
「確かめてみるかい?」
俺の質問にベリダムは笑みで返した。疲労困憊し、敗北の淵にぎりぎりまで追い込まれているはずの人間が--本人にしか分からない勝利を瞳に写して。
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駆け出しの頃はともかく、人という生き物は経験を積めば何かを覚えていく物だ。自分の体格、才能、向き不向きに合わせてコツコツと技能と総称される技術を習得していく。
これは別に戦闘に関する職業だけの話じゃない。戦闘に関与しない、例えば料理人や芸術家、音楽家だってその職業特有の技能を習得していく。レベルが上がる程にその技能は増えていく。
言い方を変えてみようか。ある個人が身につけた技能とは、その個人がその職業、引いては生き方を通して刻んできた足跡そのものとも言えるよな。同じ職業を選んでも、成長度合いには差がある。従って習得出来る技能には個人差が、どうしても出てくる。
だが、もし目の前の相手が自分と同じ技能を使えたら。
しかも、それが一般的なありふれた技や呪文ではなく、まさにその人間が固有性を生かした技能だったら?
そう、酷いもんだよな。自分が必死こいて積み重ねてきた努力の結晶を、横取りされるようなもんだ。ちょっと大袈裟な表現になるが、人生の強奪とも言えるんだ。
そんな人の技を、誇りを分捕るとんでもない連中のことを俺達はこう呼ぶ。
模倣眼力師、と。
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冷や汗が一筋、二筋垂れていく。ほぼ間違いない。ベリダム・ヨークは模倣眼力師だ。少なくとも、その能力の保有者だ。
どういう条件で、奴が捕捉した対象の技を自分の物にするのかは分からない。言動から察すると、恐らく一定時間、身近で観察するとかそんなところだろう。そしてその模倣の為のキーが、あのぎらつく金色に輝く眼というわけだ。
多分だが、対象が本気で戦ってさえいれば、闘気の流れや蓄積された過去の戦闘経験を読み取ることが出来るのだろう。実際に技を見なくても、時間さえかければ技の模倣だけは出来るってことか。発動条件を揃える必要はあるが、何て能力だよ。
ザン、と音を立てて、ベリダムが俺との間合いを詰めた。息も荒い、俺の今までの攻撃で相当に疲労しているのが分かる。模倣眼力師としての力の使用も影響しているのだろう。
まず間違いなく、俺は勝てる。恐らく連撃を入れればベリダムは沈むはずだ。だが動けない。奴の一挙一動を捉えてはいるが、足がすくむ。
「ふふ、どうした、ウォルファート。見ての通り、私はもう疲労困憊だよ。一撃入れれば倒せるだろう。何故逃げる? 何故退く? ほら、来たまえ」
「っ、調子づいてんじゃねえよ!」
こちらを見下したような、嘲りが含まれたベリダムの声が、俺の激発を誘った。自分の技が奪われたかもしれない、というショックを怒りが圧倒する。
畜生、何をびびってるんだ。技が盗まれたとしても、このルール内ならどうせ剣しか使えない。それならば体力差で俺が押し切れる。まずはこいつを倒す。言葉に耳を貸すな!
刃を丸めたロングソードが閃く。ベリダムが盾で受けるが、勢いに押されてよろめいた。かろうじて止めている、というだけだ。だが奴は--
「念意操作か。面白い技だね。気に入った、必ず物にするよ」
笑っていた。攻撃をかわしながら、クスクスと。くそ、どっちが優勢か分かったもんじゃねえ。
「......聖剣技か。闘気と呪文の合わせ技、なるほど使う価値はあるな。まさに勇者専用の技か」
まただ。容易に他の人間が知ることが出来ない俺の技の名前を知っていやがる。しかも中身まで的確に、だ。
俺の怒りが、苛立ちが段々ヒートアップする。それが焦りの裏返しであることを、誰より自分が分かっていた。力任せの剣を振るう。そんな粗い剣筋でも、もはやベリダムにはかわす体力は無いらしい。かろうじて剣と盾を駆使して回避するだけだ。
「火炎球、火炎弾、氷槍、ま、この辺りは順当だな。私も使えるし」
なのに、ベリダムは笑う。嘲笑う。嗤う。俺の一撃一撃が、もはや捌ききれずガツガツと鎧を叩きつつあるのに。その口からほとばしる言葉は、俺を心理的に追い詰める。
「ほう! これは素晴らしいな、聖十字か。中々これほどの攻撃呪文は無いぞ、ウォルファート!」
「黙れ!」
堪忍袋の尾が切れた。突き放しざま放った鋼砕刃が、ベリダムの盾を半ば破壊する。もう一撃加えれば恐らく盾は完全に壊れるだろう。観客からも「あー」「これはもう」という、ため息にも似た声が上がる。
野郎、ナメんなよ。模倣眼力師? ただのハッタリに過ぎないんじゃねえのか。他人の技を盗むとか、手品じゃあるまいしそう簡単にいくわけがねえんだ。
「終わらせるぜ、ベリダム」
「ふ、ふふ、そうだな。この試合は私の負けでいいさ。だが一つ、置き土産を残してやるよ」
最後の一撃の構えを取った俺に対して、ベリダムは盾を捨てた。今更攻める気になっても遅いんだよ。置き土産という言葉が気にはなったが、とりあえずもうさっさと沈めてやる。
俺の白銀の闘気が吹き上がる。それが霧のようにロングソードを包む。十分だ、とにかく目の前の相手に全力でこの技を叩き込む!
「鋼砕刃!」
「クハハッ、鋼砕刃--」
やや上から放った俺の鋼砕刃をベリダムが横に振るった鋼砕刃がかろうじて受け止めた。だが、やはりこれが限界だったな。横に流れた剣は力もなく、もはや俺の次の斬撃を阻む物は何も--
「--骨喰!」
いきなり翻ったのはベリダムの剣だった。流れたと思った瞬間に、絶妙な手首の返しと体重移動でロングソードが方向転換する。最初の横薙ぎとは逆方向からの猛襲が、銀の軌跡となり俺の右肘に迫った。
「ちいぃっ!!」
止まりそうな呼吸のまま反応した。馬鹿な、と思ったよりも危機に対して自働的に体が動く。立てた剣の刃にベリダムの剣が食い込む。そして次の瞬間、二本の剣は鈍い音を立て、砕け散った。
バキバキと鋼が落ちる。夏の日に反射しながらこぼれ落ちる。度重なる衝撃に耐え切れなかったのか。俺とベリダムの闘気が強度の限界を超えたのか。
(いや、違うか)
俺は折れた剣を信じられない思いで見つめた。九割九分手にしていた勝利、それが逃げた。それも最悪の形で、だ。
ベリダムは「ハッ、やはり安物か」と呟き、ポイと剣を捨てる。この闘技会のルールでは武器を失った方が負けだ。もし両方が同時に武器を失った時は、引き分け。
だからこの試合は勝者無しだ。少なくともルール上はな。
(折られたのは、俺の心だ)
「両者、武器破損! よってルール通り引き分けです!」
審判が叫ぶ。観客がウワアアッ! と歓声を上げた。優勝候補二人が剣を失い引き分け、こんな決勝戦は中々無いとくれば当然だろうな。
だが、俺の目はそんな観客達を見ていなかった。
ただ今は力無く、無残に折られたロングソードと......それ以上にへし折られたプライドを見つめていた。




