準決勝第二試合
(ここまではラウリオも順調に来れたが、流石に今回はなあ)
テントの日陰で座りながら、俺は腕組みをする。俺の視線の先には二人の男達、則ちベリダムとラウリオだ。
願わくばラウリオに勝ち上がってきて欲しい。だが、今度の相手は別格だ。
ベリダム・ヨーク辺境伯。陰の勇者とも北の狼とも呼ばれるこいつは、恐らく人間の中では唯一俺とタメを張る戦士だろう。
噂に過ぎないがレベルは60を超えているという。70超の俺には劣るが、はっきり言おう。人外の領域に足を踏み入れている。ここまで来れる人間は本当に一握りだ。
(ああは言ったが、ラウリオが勝ち抜けするなら、かなりの幸運に頼らないときついよな)
全くの互角の条件であれば、ラウリオには勝ち目は殆ど無いだろう。勝負はやってみないと分からないとはいえ、実力が劣る者が勝つにはやはりそれなりに工夫が必要だ。則ち、幸運の女神を振り向かせる為の。
(一発かましてやれよ、ラウリオ)
「準決勝第二試合、開始!」
願いにも似た俺の思考と、審判の声が重なった。観客のどよめきの中、ベリダムとラウリオが戦闘を開始する。もうこうなると、俺に出来ることは無い。精々ラウリオの勝利を祈るだけだ。
******
「......な、そんな馬鹿な」
観客の誰かの呟きが微かに聞こえた--気がした。
俺は心の中で"有り得る展開だよな"と、その誰か分からない声に返す。
視線を上げる。闘技場の中心、時折風が揺らめく無骨な土の上に膝を着く男が一人。そして、それを見下ろすもう一人の男は「だから言ったはずだ。奇跡などそう簡単には起きないと」と、淡々と言い放った。
「あのラウリオ・フェルトナーが......手も足も出ないだって!?」
「どうなってんだよ、いや、辺境伯が強いのは知ってるがよ!」
悲鳴にも似た観客の叫びは、大体こんな感じだ。試合開始から僅か五分で、これほど実力差が浮き彫りになるとはな。ギリッ、と思わず俺も唇を噛み締める。
悔しいが、辺境伯の言う通りだった。挑発されても怒り心頭にはならず、ラウリオは無闇には突っ込まなかった。相手の方が実力が上であることを認識した上で、それでも果敢に攻めた。
打ち終わりは必ず素早く剣を引き、ラウンドシールド(円形の盾)を構える。前衛職である戦士の基本中の基本の動きだ。だが、ラウリオがそれをこうまで徹底しているとは知らなかった。
動きと動きの間の隙を可能な限り減らし、かつ格上の相手にプレッシャーをかける。言うのは簡単だが、中々それをこのレベルで実行するのは難しい。
だが、通用していない。
まるでどの攻撃もお見通し、とでも言うようにベリダムは攻撃を回避し続けた。ただ一撃も当たらないだけじゃない、体の中心で防いだ攻撃が一つも無い、ほぼ完璧な内容でだ。
まるで遊ばれるように、体捌きで回避された。
ちょっと試されるかのように、何発かの攻撃をわざと剣と盾で受けられた。ラウリオの攻勢を、見事にベリダムは封殺している。
そして、ラウリオに生じた僅かな隙に畳みかけるように、攻撃が飛び--
ベリダムは、二度のダウンをラウリオから奪っていた。それも攻撃が外れたタイミングを狙い、上手くカウンターを合わせるという形で。自分とラウリオの技量の差を見せつける、一番分かりやすい攻撃だった。
「まだやれますか?」
審判の問い掛けに、ラウリオが無言で頷く。正直、これほどの戦力差を見せられては、心が折れてもおかしくない。だが"おめおめ引き下がってたまるか"という決意が、その背中から立ち上る。
立ち上るというのは比喩じゃない。見える奴には見えるだろう、ラウリオが闘気を放出し始めたのがな。
戦闘開始から今までが本気だった訳じゃないだろうが、辺境伯相手に闘気の出し所を探っていたってとこか。
闘気には個人差がある。量もそうだし、使い方もそうだ。何故か個人個人で色も違う。ユラリとラウリオから放たれる闘気は、透き通るような緑色だ。
パキ、パキ、と大気が音を立てていく。
ミシ......と砂が鳴る。ラウリオの闘気の放出に反応してやがる。さあ、どうする、ベリダム。これでもまだ余裕面でいられるか?
「ハアア......」
ゆっくりと立ち上がったラウリオから漏れる呼吸音に、ベリダムの顔が変わった。僅かに眉をひそめ、ロングソードと盾を構える。俺の標準装備と似たような装備だな。
「く、くはは! いいね、闘気全開か! 見せてくれ、君の全力を!」
「言われなくても--」
辺境伯の高笑いに刺激されたように、ラウリオが間合いを詰める。その剣と盾が緑に輝いているのが、もう誰の目にも明らかだ。武器に纏わせて使うタイプか。
両の手に緑色を纏わせたラウリオが、急にスピードを上げた。
「--やってやるよ!」
仕掛けたラウリオ、だがベリダムの反応も速い。先制の一撃をあっさりと盾で受ける。闘気を纏ったラウリオの一撃だ、軽い訳が無いのに見た限りは割と余裕で受けてやがるな。
キィン! ともカキィィン! とも表現出来る金属音が響く。とても刃を潰した武器から響く音じゃない。ラウリオの奴、腕を上げてやがる......だが。
「ふっ! 中々やるが私の防御を崩せる程ではないな!」
「何をっ!」
そうなんだよな。ベリダムが笑う通り、まだ突き崩すには足りないんだ。さっきと違い、ベリダムも半分以上の攻撃は真面目に防御している。闘気全開状態のラウリオの攻撃はけして軽くない、そう認めてはいるんだろう。
(だが、このままじゃ無理だ)
実力差を覆すには至らない。
未だにベリダムとラウリオの間には、はっきりと分かる壁があった。闘気を使ってでさえこれだ。正攻法ではもはや勝てないのは明白。
「分かってるよな、ラウリオ。勝負かけるなら余力がある内だぞ」
見守りながら独りごちる。粘って粘ってベリダムを疲れさせたいのは分かるが、大技を放とうにも、自分自身がヘロヘロじゃあ意味が無い。適当なところで決断しちまえ。
俺の願いを余所に、二人の戦いは続行していた。ラウリオの右からの横薙ぎが、ベリダムの盾で防がれる。逆にベリダムが前に出て、腕力だけで振るった一撃でラウリオを吹き飛ばした。やる、流石は北の狼の異名を持つ剣豪。
ザン! と足裏を地面に突き立てて、ラウリオは倒れることだけは拒否した。疲労の色も相当濃い。だが、まだその目は死んではいない。スゥ、と呼気を吐き出すとそれに合わせて、ラウリオの右手のロングソードが緑色の光を強く放つ。
「--来るかい、ラウリオ君。まだ諦めないと見えるが?」
「--勝負!」
ベリダム目掛けて、短い叫び声と共にラウリオが駆け出したのと、闘技場の空気が一気に引き締まったのは同時。恐らくこれはラウリオには賭けだ。しかも残念ながら勝率の低い。
だが、もしあれが決まれば--一発逆転がありうるだけに俺も目が離せない。
その構えから一発勝負であることを、ラウリオは隠そうともしていない。あからさま過ぎるが、救いはベリダムが避ける素振りを見せないことだ。
大観衆の前で魅せて勝つつもりなのか、僅かに腰を落とし迎撃する構えに入っている。
ボッ! とラウリオの剣が炎が燃えるような音を立てる。闘気が高らかに緑色の輝きを増した。行けるか--
「鋼砕刃!」
「しゃらくさい!」
豪剣と十分呼べる威力を秘めたラウリオの鋼砕刃、しかし、ベリダムは余裕でそれを盾で捌いた。派手な衝突音、それだけを戦果にして、受け流されたラウリオの体が泳ぐ。これで終局か--誰もがそう思っただろう。
俺以外はな。
「--骨喰!」
「何ぃ!?」
そう、最初から一撃で当てるつもりなんざ、ラウリオには無かったのさ。
俺との模擬戦で見せた、軌道を途中で変化させるあの攻撃。それを鋼砕刃に見事に応用して見せやがった。
虚を突いて逆から襲い掛かる、ラウリオ独自の鋼砕刃、骨喰。相手の腕の骨に食らいついて破壊する、そのイメージからの命名だ。果たして上手くいくか。
凄まじい勢いでラウリオの闘気が爆発する。炸裂した光は俺を含めた観客の視界を奪い、轟! と暴れた炸裂音が耳をつんざいた。やりやがったな、ラウリオの奴。よくこの土壇場で決めやがったぜ。これなら流石のベリダムも。
(え......? 嘘だろ?)
俺は思わず腰を浮かした。
風が砂埃を散らす。視界がクリアになっていく。その風景の中央、俺の視線の先では。
「くっ、一歩、届かずか......!」
逆横薙ぎの形で振った剣をぎりぎりと押すラウリオが、顔を焦りと落胆に歪ませて。
「冷やっとしたよ。だが、ここまでだな」
ベリダムが逆手に持ち替えた剣の刃で、ラウリオの必死の押し込みを止めていた。
あの瞬時の攻防の中で、完全に虚を突いたはずのラウリオの骨喰を防ぎきっている。何て反射神経してやがるんだ?
これが、ベリダム・ヨークの実力か!?
******
陰の勇者、あるいは北の狼と呼ばれる男が笑う。まだ勝負を諦めないラウリオを叩きのめす為に。
「面白い物を見せてくれたな」
力比べには不利なはずの逆手持ち、それを物ともしない。グルリと上手く剣を回転させて、ラウリオを弾き飛ばす。かろうじて武器を手から放してはいない、だがラウリオの動揺が俺にはハッキリ分かった。
奥の手まで通じなかった。しかも、骨喰は鋼砕刃を無理矢理二段構えで放つ為に、体への負担が大きい。もう、ラウリオには打つ手が何も残されていない。
「ま、まだだ! せめて一撃だけでも!」
無謀だ、止めろと叫ぶ暇も無かった。なけなしの闘気を再びかき集め、ラウリオが再び鋼砕刃を放つ。だが、この苦し紛れの一撃は、ベリダムには格好の隙を提供しただけだった。
「見せてやる、真の鋼砕刃を!」
その言葉と共にベリダムが振るった一撃が、ラウリオに叩きこまれた。ベリダムの放つ黄金色の闘気が緑色の闘気を蹴散らす。それはまるで、狼が獲物を蹂躙するようにも見えた。
言葉を失った。
真剣じゃなく、模擬戦用の剣だ。命に支障は無いだろう。だが、いくら闘気技とはいえ、一撃で20メートル以上も大の大人を吹き飛ばすか。そんな一撃を食らって、果たして無事と言い切れるのか。
観客達もどよめいている。ベリダムの見せた超絶剣技に、驚きが隠せないようだ。ラウリオは動かない。流血はしていないが、しかし無事である保証は無かった。
「くっ、てめえ、ベリダム......!」
歯噛みする。だが、正当なルール内での勝負だ。奴にイチャモンはつけられない。つけられないが、しかし。
どうにも俺の気が収まらねえんだよ。
「試合終了! 勝者、ベリダム・ヨーク辺境伯!」
地面に転がったままのラウリオ、そして傲然と勝ち名乗りを受けるベリダム。二人の姿が俺の目に焼き付く。痛いほどにな。
ラウリオ、よくやった。後は俺がやってやる。一度だけ目を閉じてから、急いで担架で運ばれるラウリオを見送った。
白い布が保護用に体にかけられていた。顔が見えた。微かに呻き声が聞こえた、とりあえず命は大丈夫か。だが、口の端からの流血の赤がやけに目立つ。くそ、早く傷を治せよ。俺にはそれを願うことくらいしか、今は出来ない。




