捻じ伏せる!
そこそこ上位の戦士や剣士なら、闘気を使えるのは珍しいことじゃない。そもそも、ビューロー程の腕前なら使えない方がおかしい。だから、目の前の相手が闘気を放出して俺の剣を押し返したこと、それはいいんだが--
「--思ったよりやるじゃん」
そうなのだ。軽口を叩いて何ということは無い振りをしているが、正直ちょっと驚いた。ビューローがその髪の色と同じ橙色の闘気を四肢に込め、一気に出力を上げたんだ。剣を弾くだけじゃない、体勢ごと崩された。
「むしろ驚いたのはこちらの方さ......」
「ん?」
「体勢が崩されても、それでも付け入る隙が無いとはな。腐っても流石は勇者か」
変な形でビューローに感心された。いや、あれだけ一気に闘気放出したお前の方が動けなかっただけだろ、という気もしたがとりあえず黙っておく。
確実に言えるのは、接近戦に限ればビューローが俺から一本取りかねない実力者だってことだ。変則的な左利き、中々見ないロングソードとダガーのニ刀流というレアな要素も、やりにくさを増している。
これほどの奴が、何で今まで無名だったのか。たまたまか? それともベリダムの隠し玉か? 頭の片隅を掠めた疑問はとりあえず放っておこう。今は眼前の敵に集中しなければな。
数瞬の対峙を先に破ったのはビューロー・ストロートだった。一般的に闘気の放出に合わせて身体能力も上昇するが、こいつはその上昇率が高い。先程とは段違いの速度で俺の間合いに滑り込んでくる。
銀の光が弧を描き、俺に迫る。ロングソードの剣閃と分かるより速く、俺は剣で受け止めた。両手とも武器だからって、防御出来ないわけじゃない。
間髪入れずに、突き殺す勢いで繰り出されるダガー。短い刃のリーチの不利、だが、ビューローはそれを踏み込みの鋭さとバネで補っている。見事だ。普通の相手ならそれで決まりだろう。
「普通の相手なら、な」
ギ、ギギィと音を立てて俺の左手の剣の柄が、ビューローの右手のダガーを辛くも食い止めていた。凶器が交差したのは一瞬、俺は微かに笑いながらビューローを逆に弾く。
(神経がピリピリしてきやがる)
互いのロングソードがぶつかり合う。
(これほどか、ビューロー。お前、どれだけ練り上げてきたんだ)
止まない金属音の重ね合い、そこに混じる火花は戦いのアクセントだ。
(闘気を使う俺にまがりなりにも張り合う--中々出来ることじゃねえ)
体を入れ替え、また剣を振るう。奴が繰り出すロングソードが主な攻め手と思いきや、驚異的な体のバネを生かしたダガーの突きも侮れない。
(けれど、負けてやるわけにはいかねえんだよな)
五分、いやもっとか、十分以上も長短合わせて四本の剣が、複雑な軌跡を描いた。俺が、ビューローが攻撃を放つ度に観客席がどよめく。俺の白銀の闘気がビューローの橙色の闘気を押しのければ、逆にビューローの橙色の闘気が俺の白銀の闘気に噛み付こうとする。
一進一退の攻防は徐々に激しさを増していく。秒の合間に繰り出す攻撃は鋭さを増し、更にその合間に見えない駆け引きを挟み込む。体と頭がフル回転だ、過熱しそうだよな。
「せいっ!」
だが、均衡は唐突に破れた。
俺の右手が閃き、打撃武器と化したロングソードがビューローの右脇腹に吸い込まれた。逆横薙ぎだ。跳んで逃げるのも間に合わなかったか。
「がふっ......!」
それでも呻くだけか。それ以上の追撃を避けて、堅く防御するとはほんとに感心するよ。その白い仮面の向こうでどんな表情をしているんだ。
「まだやる気か、ビューロー」
「当然だろう。俺の剣はまだ--」
崩れかけつつある天秤。優勢になりつつあるのは俺だ。しかし、それでもまだ心が折れていないか。
「--あんたに一撃も届いていない!」
動いた、と分かった時には奴が前進していた。いや、前進というかつむじ風のような勢いでのダッシュだ。ダメージを受けた直後と思えない速度、確かに凄い。だが、単純な突進ならいかに速かろうとも、カウンターの餌食だ。
うわああっ! と観客席が沸いたのが聞こえた。恐らくここまでの最速の突撃、それをこのタイミングで繰り出すビューローへの賞賛だろう。全くこっちはそれどころじゃない。
一歩、ビューローが左手のロングソードを捨てる。有り得ない、まさかダガー一本で勝負をかけるか。
ニ歩、奴の体が沈む。膝がたわんだのか。跳躍!? なるほど、それならロングソードが邪魔になるから捨てたのも、有り得なくは--
三歩、違う! そこから更に無理矢理にビューローが体を沈め。
「あああああっ!」
闘気を足から放出しながら、地を這うような姿勢でこちらに疾走してきやがった。跳ぼうとしたのはフェイクなのか、それとも偶然なのか。どちらにせよ、一瞬だけ俺の虚を突いたのは確かだ。
ビューローの白い長衣がまるで翼のようにはためく。白い、不吉な鳥の翼だ。足元を攻めてくるなら、上から叩き切ればいい話なんだが、頭を狙ってはならないというルールがある。頭上に跳んでの下突きか、いや、もうタイミング的に間に合わない。
ザウッ! と音を立ててビューローが跳ねた。ルールを逆手に取っての逆転の一撃、それは下方への突進から、腰に溜めたダガーの突き。中途半端な攻撃は逆に奴を懐に呼び込み、それこそ全体重が乗った一撃を喰らうだろう。くっそ、迎撃しづらいな、だが!
ダガーの丸めた刃が迫る。あと20センチで俺の鎧に届く、という瞬間、それが上にずれた。いや、正確には俺が無理矢理ずらした。
ビューローの体が浮く。仮面の奥から「ゴッ......ガアッ!?」と鈍い呼吸音を吐き出しながら、ダガーを握りしめたままだ。その腹の辺りの鎧が微妙にへこんでいた。打撃、それを叩きこんだのは俺の右膝だ。
まさか剣術ではなく、格闘術まで使うとは念頭になかったか。いや、あってもこのとっさの瞬間に繰り出すとは、予想外だったようだな。
完全にビューローの視界の外からの膝蹴り、それは綺麗に下から上へと奴の腹部へぶち込まれた。絶対武器を使わなくてはいけない、とはルールには無いもんな。だから問題はない。
まだ抵抗の意志を見せるビューローだが、次の俺の一撃であっさりとダガーを叩き落とされた。続く一撃を浅く腹に入れられ、たまらず咳込みながら倒れ込む。さっきの膝と合わせてニ発、十分だろう。自慢の運動神経も、肺から空気を追い出されれば機能はしない。
呼吸困難ならば、もう満足に手足も動かせないはずだ。普通なら俺も剣を納めている。だが、こいつの場合は--
「ゴッ......グッ、ガアア......!」
立ち上がるか。もう武器もその手には無く、ダメージも浅くは無いはず。だが、それでも尚、ビューローはダウンを拒否しやがった。
「おい、そろそろ止めておけ。もう十分戦っただろう」
俺の忠告に返ってきた言葉は無かった。代わりに奴の左拳が橙色に燃え上がる。そうか、最後までやる気なんだな。
「ジャッ!」
俺にダガーを払われた瞬間に右手は痛めたのか、左手のみでビューローが殴りかかってくる。こっちはロングソードで受けに回っているのに、お構いなしだ。いかに刃を鈍らせているとはいえ、素手で剣にぶつかるか。
正気か、こいつ? なんてタフネスさだ。いや、それ以上にこの闘争心は何だ。
「おい、あいつ、勇者様相手に拳一つで!?」
「何て精神力だよ!」
観客も驚いている。その間にも、ガツンガツンとビューローは拳を叩きつけてくる。無骨一本槍の重い、ただひたすらに重い左拳が振るわれる。何発かそれを受けた後、今度は俺が攻めに転じた。
「ク、ハアッ!」
「ッ、しつこいぜ!」
仮面から漏れる鋭い呼吸音、それが奴の攻撃の合図だ。拳が引かれた瞬間を狙い、軽く剣を合わせる。一本の剣がビューローの腕を払い、もう一本は綺麗に奴の右脇腹をえぐった。
刃が潰されていなければ、本当に致命傷になる箇所だ。全力で無いとはいえ、手負いのビューローが耐えるには重過ぎた。
(意識ごと刈り取る! 倒れろよ!)
グラリ、とその白い長衣が揺れ、そのまま後ろへ倒れていく。
鮮やかな橙色の髪が舞い、同じ色の闘気が霧散していった。
まさに全力を使い果たして、ビューロー・ストロートは大の字に地に転がった。
(......勝つには勝ったが)
俺はゆっくりと右頬に手をやった。一筋の血が指を赤く汚す。ビューローの拳から漏れる闘気が俺に残した、意地の一噛みだった。
******
万雷の拍手が鳴り響く中、仮面の戦士が担架に載せられて運ばれて行く。ここまで俺に肉薄した相手は、今回の闘技会では初めてだ。戦前には殆どの観客が"勇者様の圧勝"と、思っていただろう。
だが、実際はヒヤヒヤ物だった。技術も大した物だったが、何よりあの勝負を諦めない精神力がヤバかった。どんな手を使ってでも、あいつは勝とうとするだろう。それが、あの拳の重さに込められた何か--言葉にすると、どこか陳腐な何かだ。
「お疲れ様でした。決勝進出、おめでとうございます」
声をかけてきたラウリオに「ああ」とだけ答える。まだ心がピリピリしている。普通に返事が出来そうもない。
ラウリオもそれは分かっているのだろう。それ以上は何も言わず、俺に水の入ったコップをくれた。助かる。
「悪い。はー、生き返った気分だぜ」
「どういたしまして。しかし彼、強かったですね」
水の冷たさが俺の意識を引き戻した。そんな俺を見ながら、ラウリオは運ばれていくビューローを見ている。
降り注ぐ陽光の下、だらりと片腕を担架から垂らしたビューローは、ピクリとも動かない。回復には時間がかかるだろうな。
「ああ、久しぶりだったね。あれだけ骨のある相手はな」
「僕もそう言わせてみせますよ」
俺に笑いながら、ラウリオは選手が控えるテントから外に出た。その視線は俺からスッと横に動く。目を合わせた相手も微かに笑った。だが、その笑いはどこか血の臭いを含んだものだ。
「期待させてもらうよ、ラウリオ君。ビューローの敵討ちは決勝までのお楽しみに取っておくとして、な」
「その余裕の笑み、直ぐに消してみせる」
決勝の相手であるベリダム・ヨーク辺境伯の不敵な自信に、ラウリオの戦意も刺激されたようだ。いつもより声が堅くなる。その若々しい覇気を黄金色の双眼に写したまま、ベリダムはクルリと闘技場の中央へと体を向けた。
その視線の先にあるのは、乾いた土に疎らに砂が散った殺風景な景色だ。出場者の血と汗が染み込み、重なった地面を見つめたまま、ベリダムは轟然と立っている。
まだ次の試合の合図は無い。俺達三人の間の空気が、弛緩と緊張の間を往復する。まるで夏の熱がドロリ、と溶けて液体化したような重苦しさがある。
だが、その泥濘のような沈黙も長くは続かなかった。
「く、ハハハハ!」
「何が可笑しい!?」
ベリダムのいきなりの高笑いに、ラウリオが憤ったように反応する。試合を前に神経が高ぶっているのか、普段のラウリオらしくない。
「いや、何。余裕の笑みと言う言葉をね、訂正してくれないか」
ゆっくりとベリダムがラウリオの方を向いた。その豪奢な黄金色の長い髪が、陽の光を弾き返し一際輝く。声の主は、まるでそれが当然のように言い切った。
「余裕じゃあない。これはね、自信の笑みというのさ。私と君の実力差から判断してのね」
「何だと?」
「おい、止せ!」
ベリダムの傲岸不遜な言葉に、ラウリオがキレかける。俺が止めなければ、試合開始前にここで掴みかかっていたかもしれない。
だが、ここで終わるならまだ良かった。悪いことに、ベリダムの挑発がまだ続いたんだ。
「万が一にも私に勝てると思っているなら、止めた方がいい。弱者が期待を裏切られて地に落ちる、その図ほど惨めで残酷な物は早々無いからな」
「な......お前、言わせておけば!」
ラウリオの顔が朱に染まった。もし、審判が間に入らなければ、この場で切りかかっていただろう。いくら温厚とは言っても、ラウリオも自分の腕には自信がある。それが弱者呼ばわりされては、立つ瀬が無い。
「お二人共! ここでは止めていただきたい、今すぐ準決勝第二試合を開始しますから!」
審判の必死の声に、他の兵士がパッと散る。観客席にそろそろ第二試合が始まる旨を伝えに走ったのだろう。俺とビューローの第一試合が終わった後、一旦は静まった空気が再び熱されたようになる。
「熱くなりすぎるなよ、ラウリオ。怒りは試合でぶつけろ」
テントから闘技場中央へ進み出るラウリオに俺はそう声をかけた。振り向いて軽く頷きはしたが、まだ頭にきてやがるな。冷静になれよ、でないと番狂わせも起こせないぜ?




