人と魔族の差なんてさ
「あれは何なんですか、ウォルファート様? 何故、魔族の生き残り、しかもトップ2が闘技会で売り子をやっているのですか!?」
その夜、俺はエルグレイに詰められていた。エルグレイはアリオンテには会ったことがないが、ワーズワースの顔は知っている。ちょっと席を外して何となく周りを見た時に、偶然エルグレイはワーズワースを見つけたらしい。
それと以前聞いた俺の話を繋ぎ合わせて、もう一人の小さな売り子はアリオンテだろうと推測したようだ。多少、アリオンテにアウズーラの面影が残っていたのも、その推測を補強したらしい。
「仕方ねえだろ。俺だって昨日いきなり声かけられたけどな、ここじゃどうしようも無いだろうが。王都でドンパチやれと言うのか?」
「そうは申しません、申しませんがね。相容れない連中が呑気に売り子なんかしていれば、それは気になるでしょうよ!」
普段は穏やかなエルグレイも、今日ばかりは平静ではいられないらしい。それも無理は無い。アリオンテはともかくとして、ワーズワースとは彼自身が何回か相対している。積もる恨みは互いにあろう、というものだ。
その感情がエルグレイの水色の眼光をきつく光らせ、俺に突き刺さる。
「お前の気持ちも、もっともだ。けどな、今は我慢しろ。この闘技会の最中は、あいつらも何にもしないと誓っていたしさ。互いに手が出せないのを知っているんだよ」
「はあ......全く、何が悲しくて仇敵がジャガ芋やら唐揚げを、嬉々として売っている現場を見なければならないのか」
そうぼやきながらエルグレイは夜空を仰いだ。ここは俺の屋敷の庭だ。明日のベスト8以上の試合を前に、前祝い兼壮行会という名目の軽い宴会が終わったところだ。既にラウリオ達は帰ってしまったが、俺は一人残ったエルグレイに捕まってしまった。そしてそのまま、庭に連れ出されたという訳だ。
俺もエルグレイの真似をして、ふと夜空を見上げる。
過ごしやすい初夏の夜、その暗闇を通して星達が自分の存在を主張していた。
白、青、赤、黄......様々な光が天蓋に瞬いている。不意に、星から俺達は見えるのかと場違いな考えが浮かんで、そして消えた。
「なあ、エルグレイ。お前、俺達と魔族の違いについて考えたことあるか?」
「え。何を今更という感じですね。相違点を挙げるなら、魔族の方が概して寿命が長い、先天的に魔法の資質が高い、という部分が大きいですかね。あとは姿形が微妙に異なる」
「そうだな。けどさ、何でその程度の違いなのにさ。人間と魔族は仲良くやれないのかな、って思ったことないか」
エルグレイに答えながら、俺は庭木の一つにもたれ掛かった。「何を言い出すのですか?」と詰め寄るエルグレイをなだめながら、俺は星の大群を指差す。
「人間とさ、魔族の違いなんて星の色程度の差なんじゃねえの。赤い星、青い星、黄色、白、中には紫もあるかな。俺達人間の中にもさ、とんでもない悪人だっている。反対に善人だっているじゃん」
「それは、確かにそうですが」
「その個体差とさ、魔族が人間と違うのって、どう違うんだろうってな。ちょっと考えちまったんだよ。昨日、アリオンテとワーズワース見ている内にな」
俺のこの考えは、幾分偏りがあるのかもしれない。シュレンとエリーゼの義理父をしている内に、勇者としての自覚が薄れたのかと謗られるような、そんな甘い考えだとは自覚している。
けれど、魔族でも親子の関係はある。血が繋がっていなくても、ワーズワースとアリオンテの間には家族と呼べそうな絆があった。
それは俺達人間が築く物と、どこがどう違うんだろうか。二人が望む物は、普通の人間の親子のそれと大して変わらないんじゃないか、と思う俺は勇者失格なのかもしれないが。
「魔族は魔族でしょう。いや、ウォルファート様があの二人を見て、ご自分と双子ちゃんの関係を投影する。それは理解出来ます。しかし」
一度言葉を切って、エルグレイは視線を屋敷に投げた。黒々とした壁の所々から、まだ中の光が漏れている。
「奴らから人間を襲ってきた事実には変わり無いです。僕が、いえ、私が言えるのはそれだけですね」
「......そうだな」
それもまた、揺るぎ無い事実には変わり無い。例え似たような点があったとしても、血を流した過去は容易に洗い流せる物じゃないな。
だからいつか。いつか、俺はあの二人と決着を着けなければならないだろう。例え心のどこかに、モヤモヤした物が残ったとしても。
******
ザウッ! と砂が音を立てる。巻き上がった砂埃を風が散らす。
俺の視界の真ん中で、剣と斧が閃きあった。ガキィ! と空気を引き裂くような金属音が生まれては消え、消えては生まれる。重なる。重なりつつも、互いが互いを打ち消そうと躍起になる。
(あの斧の奴、粘るなあ)
眼前で行われている激戦を見つつ、俺は心の中で呟いた。試合に出ているのはあの白仮面ことビューローと、シード対象の一人であるジェナムという選手だ。
剣とダガーの二刀流のビューローの第一印象は、さしずめ白い疾風。
それに対して、ジェナムは絞り込んだ筋肉の束という第一印象を与える。
実力的にはビューローの方が上だろう。だが、ジェナムは守りに徹して一撃必殺を狙っている。それが明らかな為、ビューローの踏み込みが足りていない。牽制されているのだ。
予選、そして一回戦と二回戦が終わり、大体選手の実力も把握されてきた。ビューローはかなりやる方だと俺は思っていたし、観客や審判もそういう目で見ている。だが、番狂わせというのが起こりうるのも、一発勝負のトーナメントの醍醐味だ。
「粘って相手が焦ればそこを叩く、か。あのジェナムって奴、戦い慣れてるな」
「斧みたいな破壊力ある武器って、逆転狙えますからね」
俺の呟きにラウリオが答えた。二人とも目はビューローとジェナムから離さない。
速さと上手さで上回るビューローも、ジェナムの巧みさと粘り強さに屈するのでは無いか。俺達出場者と観客の間に、そんな空気が流れ始めた時だった。
轟! と風が鳴いた。突風か、と思った時にはビューローが突っかけていた。
速い、いや、それ以上に強い。剛い。左手のロングソードを果敢にジェナムに叩きつけ、その動きを封じる。
それまではジェナムが攻められつつも、力で凌いでいた。体重差と腕力差はビューローから一撃の重さを奪っており、ジェナムは攻められつつもまだ余裕があった。
だが、その余裕が削られていく。防御をお構いなしに削っていくビューローの烈剣は、それまでの速さだけ備えた剣ではない。それにも増して、力で捩じ伏せる迫力に溢れている。
(だが本命は、それじゃねえだろ)
騙されるかよ、ビューロー。確かに並の相手なら今振るっている力の剣技だけでも、十分倒せるだろうが。まさか、そんな力押しだけが能ってわけでもないよな。
力と力の勝負に不意を突かれた形のジェナムだが、もともと彼の土俵でもある。全身の馬力を弾き返すことに使い、体格に劣るビューローを後退させた。そのまま前に出て、払い退けようとする。
しかし先手を打たれた焦りからか、やや足並みにばらつきがあった。名手ならばこういうミスは見逃さないが、お前はどうだ、ビューロー?
「シャッ!」
その鋭い声がビューローから聞こえてきたのと、奴がジェナムの斧を弾き上げたのはほぼ同時。ジェナムの斧をロングソードで上手く勢いを逸らし、それを柄に絡めるように制御する。
獲物を奪われそうになったジェナムが更に焦る。ビューローはその焦りにつけ込んだように、一気に踏み込んだ。それまでの踏み込みより更に速い。ラウリオが思わず「速いっ!」と呻く程の速度で。
そこからは、まるで残酷な軽業を見ているかのようだった。
ビューローが左手の剣をわざと手放す。ジェナムの体はそれに釣られて、更に泳いだ。一見、彼には好機に見える。相手が武器を手放したのだから。
「イィヤアアアァッッッ!」
だが、万全の体勢になっていたのはビューローの方。白い長衣を翻し、裂帛の気合いと共に右手のダガーを突き出す。刃が潰されているとはいえど、ジェナムが前に泳いだ勢いに合わせているんだ、軽い一撃の筈が無い。
ゴボッと鈍い音が、闘技場に響いた。
俺の目からは死角だったから、断言は出来ない。だが、あの角度と音から考えると......
「えげつねえな、仮面野郎が」
俺は思わず、吐き捨てるように罵っていた。ビューローの一撃は、見事にジェナムの脇腹に決まっていた。それはいい、勝負だからな。だが倒れたジェナムが白目を剥きながら、陥没した鎧を抑えて口から泡を吹いている。これほどのダメージを与えるか、普通?
ブクブクという白い泡に、口から漏れた赤い血が混じっていた。砂が顔を汚し、更に悲惨さを煽っている。口からの出血は内臓を相当痛めている証拠だ、加減された武器での普通一撃では中々ああまではならない。
(あの野郎、ダガーの一撃に全身、特に足のバネの力を加えて、更に捻りを入れてぶち込みやがった)
鎧の陥没具合から分かるのは、それくらいだ。何もそこまでしなくても十分勝てただろう、と俺が思っている間に、審判が勝ち名乗りを挙げる。勝者であるビューローの名前が闘技場に広がると、情け容赦ない一撃にひいていた観客達も、やや遅れてワッ! と沸き立った。
「強い、あの白仮面強いぞ!」
「次、勇者様が勝てばベスト4で激突だ!?」
仮面の戦士に、夕立のような賞賛の声が降り注ぐ。だが、勝者はそれに気づいていないかのように静かだ。荒ぶるような橙色の髪が白い仮面の前にかかり、白い表面に影を落とした。勝利の喜び一つ見せないまま、ビューローは黙って戦いの舞台から降りた。
いや、降りようとしたところで立ち止まった。何故なら俺が目の前に立ち塞がったからだ。
「おい、あそこまで徹底的にやらなくてもいいだろう。下手したら大事故だったぜ?」
俺の詰問に白い仮面の戦士は沈黙したままだ。ユラリ、と俺を横にかわし、そのまま戦いの場から降りた。何だ、無視かよ? 気分悪いな。
舌打ちしながら自分の出番をそこで待っていると、背後から声がした。
「......次はウォルファート様、あんたが相手だ」
「はん、喋れるんじゃねえかよ」
鬱蒼とした森のようでもあり、同時に荒ぶる獣のようでもある。そんな不気味な声を仮面の隙間から漏らしたビューローの姿を、俺はそれ以上は挑発せずに見送った。
どの道、口で戦う相手じゃないというのが一つ。
もう一つは、スタスタと去ってゆくビューローの肩越しにベリダムの視線を感じたからだ。
まさに獰猛な狼を連想させる金色の目が、こちらを捉えて僅かに細まる。覇気溢れる視線を俺に注いだベリダムの眼光、それが一際強く見えた。
笑っているのか、と俺の感情に立ちそうになるさざ波を抑え、俺は闘技場の方に向き直った。辺境伯と白仮面の間には何かある。それは間違いない。だが、今はそれを考える時じゃない。
(考えようが考えまいが--)
やることは一つだ。それは変わらない。ならばいい。余計な感情は締め出し、目前の事に集中するだけだ。
「三回戦、第二試合! ウォルファート・オルレアン公爵、並びにライラード・デルク、共に前へ!」
ほらな。審判の声に従い、まずは眼前の相手に集中するのが道理だろうよ。




