本戦開始だ!
二日目も晴天に恵まれた。闘技会の雰囲気は昨日と明らかに違う。開会式と予選しかなかった昨日はまだ観客の盛り上がりもそこまででは無かったが、本戦を三十二人で争う今日の方が断然盛り上がっていた。観客数も増えているので、本戦から見に来ている人も多いのだろう。
今一度、主催者側からこの本戦のトーナメント表が発表される。特殊な光学インクを用いて書かれたトーナメント表は、大まかに言うと三角型をしており一番下に三十二人全員の名前がある。つまり、対戦に勝ち残ればそのままトーナメント表を駆け上がり、自分の隣の試合の勝者と戦う。その繰り返しを最後の一人になるまで続けるわけだ。
トーナメント形式の特徴は見た瞬間、勝ち上がれば誰とぶつかるか、ぶつからないかが大体推測できる点だ。例えば、最初にトーナメント表の右半分の十六人に選ばれた場合、左半分の十六人とは決勝まで当たらない。有力な出場者が自分と同じ側なのか、あるいは反対側なのかだけでもさっと見るだけでも、勝ち抜いていった場合の心の準備が出来ることになる。
「勇者様と白仮面--ビューローが左側、僕と辺境伯が右側ですか。これは勇者様と戦うのは無理かなあ」
「決勝で待ってるぜ、ラウリオ。ま、お互い頑張ろうか」
二人でトーナメント表の第一戦を待ちながら軽く言葉を交わす。ラウリオの言う通り、見事に有力な出場者はバラけた。二強と評価の高い俺と辺境伯をバラけさせたのは勿論、他のシード組も適度にバラけている。一回戦や二回戦で強豪同士がぶつかると興味を削がれるからだろう。よく考えられている。
この出場者が出番を待つ待合室には、独特の空気がある。これからの自分の戦いを想像する緊張感、準備を怠ってはいないかという心配、あるいはもはやそうした感情を通り過ぎた人間だけが放つ静かな闘志......そうした目に見えない感情がぐるりと渦を巻き、空気を重くしていた。
一回戦が全て終われば、ここにいる出場者は半分になる。次の二回戦が終われば更に半分、つまり八人にまで絞られる。その八人だけが明日--三日目にまたここに来ることが出来るのだ。また、一回戦と二回戦合わせて二十四試合もこなさなくてはならないので、二日目は同時に二試合進行らしい。忙しないが昨日の予選は同時に四試合こなしていたことを考えれば、これはやむを得ないだろうな。
そんなことを考えながらラウリオとたわいもない話をしていると、バタンと待合室の扉が開いた。開けた兵士の顔に全員の視線が集中する。
「お待たせいたしました。左ブロックの第一試合、右ブロックの第一試合を始めます。出場者の方、お越し下さい」
迎えにきた兵士の声に、同時に四人が立ち上がる。更に何人かはその後に続く。希望者は試合を直に見ることが出来るからだ。一回戦くらいは別にいいかと俺は遠慮したけどな。自分の出番に集中したかったし。
二つの第一試合の開始の鐘の音と終了の鐘の音を、俺は待合室で目を閉じて聞いていた。さて、そろそろ行くか。
******
オオオと観客席から小さく声が聞こえてくるのが分かる。
初夏の月の太陽が彼らを照らしているのも分かる。観客席にいるセラや双子達がこちらに声援を送っているのも見えた。他にも、主催者席にいるギュンター公やイヴォーク侯の姿もはっきりと見えた。
大丈夫だ、別に緊張もしていない。
俺の前に立つ巨漢と相対する。ああ、予選で目をつけたスキンヘッドの男だ。190センチはありそうだな。主催者側が用意した簡素な鋼鉄製の鎧を着込み、両刃の斧を携えている姿はいかにも強そうだ。その男が重々しい声で名を告げた。
「ルベンと申します。勇者様とお手合わせ出来るとは、この上ない名誉。全力で行かせていただきます」
「ご丁寧にどうも。ウォルファートだ」
最低限の返答だけして、俺もまた武器を構えた。刃を潰され樹脂を塗られた剣はもう、切れ味はほぼゼロのただの打撃武器だ。盾は持ったが軽さ重視で鎧は着けていない。もしあのでかい斧が当たれば、骨折は免れないだろう。ルベンも「鎧を着ないのでありますか」と不審そうに聞いてきた。
「悪いけどよ、身のこなしにはちっと自信があってね」
「そうでありますか。ならばそれに応えて--」
互いの言葉が切れた。二人とも、視界の端で主催者側の兵士が鐘に近づくのを見ている。彼が振り上げた棒が鋭く鐘を鳴らす。
「右ブロック、左ブロック第三試合開始します!」
「--当ててみせましょう! お覚悟っ!」
試合開始の声と鐘の音とルベンの声が重なった。ヌン、と唸り声を上げたルベンが俺の右腕を狙って斧を走らせる。迫力はある。だがそれだけだ。まだ遅い。
受けるまでもない。一歩下がり、斧に空を切らせる。たたらを踏んだルベンだが、素早く切り返して更に第二撃目を繰り出してきた。これはわざと盾で受けてやった。ガシィン! と金属同士がぶつかる重い音、そして、それに負けない重い衝撃が左腕に伝わる。
はは、いいな。いいぞ、ルベン。悪くねえ一撃だ。
続く一撃を、俺は更にバックステップでかわした。少し距離を取ったためか、ルベンもそれまでの攻勢を止めてまた斧を構えた。互いに無言、聞こえてくるのは観客席からの歓声だけだ。
駆け出し勇者の頃は、俺は魔法はからきしだった。ちょいと素人よりは剣が上手くて体力があるだけ、その程度の存在だった。いくら限界レベルが常人より遥かに高いといっても、その時点ではそんなもんだった。
がむしゃらに武器を振るい、レベルを上げていくしかなかったあの頃を思い出す。攻撃呪文も念意操作も使えなかった未熟だった俺は、今では多彩な攻撃手段を取れるようになった。だが、この闘技会のルール内ではまた一番原始的な接近戦しか出来ない。だがあの頃とは違う。愛用の剣も盾も鎧も使わなくても、積み上げてきた経験が俺を支える。
バスタードソード+5、刀、魔払い(ロングソード+8)、フルプレート+7、ずっと使っているタワーシールド。それらが大切なことには変わりないが、アイテムに振り回されるほどやわな鍛え方はしてきていない。同一条件下で余人を寄せつけないでこそのウォルファート・オルレアンだ。
だからこの闘技会が楽しい。見ているだけでも心躍る物があるが、この本戦からは実際に自分が素に帰って戦えるのだ。命のやり取りというプレッシャーもなく、ただ純粋に力比べできるこの機会が楽しくないというくらいなら、俺は既に剣を捨てているだろう。
「おおおっ!」
ルベンが間合いを詰めて斧を振るう。回避されても全く諦めることなく、俺に一撃食らわせようとする根性は見上げたもんだ。額に汗を噴き出しながらもいまだ繰り出す一撃一撃は、勢いがあり体重が乗っている。俺はそれを剣で受け、盾で防御し、あるいは体ごと回避する。クリーンヒットどころか、掠らせすらしない。
「手加減無し、その意気買った!」
いいぜ、ルベン。お前も努力したんだろう。体がでかいのは天分だが、それを磨き上げて自分に合った斧という武器を振るい、こつこつと鍛え上げてきたんだろう。巨体にも係わらずスピードもそれなりに持ち合わせているし、何より迷いがないのがいい。
この戦いで、初めて俺は自分から仕掛けた。斧の刃を狙った剣閃が銀の光を描き、重量で勝る斧を逆に押し返す。相手の顔が驚愕に歪むが、何を驚いているんだ。こんなの俺にとっちゃ序の口だ!
「しいっ!」
駆け抜けざまに相手の左足へ軽く一撃を入れる。呻き声をあげながらルベンは何とか立て直しを図るが--もう遅い。
逆、右足に軽く一撃、更に間髪入れず脇腹へ、そのまま流れるように左肩と剣閃を叩きこむと、たまらずルベンの巨体が傾いた。ドッと地面に膝を突き、悔しそうに俺を睨むが、体が思うように動かないようだ。
「どうする。降参するか? 正直お前も分かってるだろ、俺には勝てないってさ」
「な、ならばなおのこと!」
俺の降参の呼びかけに反応したルベンが立ち上がった。ほう、腹をしたたかに叩かれて呼吸も辛いだろうにな。観客席からも「頑張れ!」と声援が飛んでいる。やれやれ、諦め悪いな。
「せめて、一撃入れてからでなければ......おめおめ倒れられませぬ!」
そう叫ぶと、ルベンは大地を蹴った。捨て身の特攻だ。斧を当てるというより自分の肉体全てを使った突撃だ。なるほど、地を揺るがさんばかりの迫力があるな。でかいってのはそれだけで驚異だ。
だが、俺もそれは読んでいた。奴が動き出すのとほぼ同時に踏みこむ。加速する。相手の視界から一瞬にして消え、背中を取る。
よくやったぜ、ルベン。お前の一撃、確かに見届けたよ。
「眠れよ」
右からの横薙ぎを綺麗に相手の脇に入れる。鎧の上からでも十分な一撃だ。速度の乗った剣閃は見事に巨漢の斧使いを吹っ飛ばし、そのまま昏倒へと追い込んだ。もう気力体力以前の問題だ。意識を刈り取られたのだから。
「勝者、ウォルファート・オルレアン公爵! 一回戦突破!」
審判の勝ち名乗りを聞きながら、俺は剣を鞘に納めた。おい、ワーズワース、アリオンテ。売り子やりながらちゃんと見とけよ。これが、お前らが首を取ろうとしている勇者様の実力だ。
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次々に試合は消化されていく。時折実力伯仲の試合もあるにはあるが、後がつかえてしまうので最長でも30分と決められているのだ。それで決まらなければ、勝負は判定に持ち込まれる。実際俺が見ていた中でも、数試合は時間ぎりぎりまで戦って勝負つかずだった。
互いに警戒しあい焦れるような試合もあれば、のっけから激しく打ち合う試合もある。もし後者で30分ほぼ互角ならば、本当に実力伯仲と言っていいだろう。もっとも最初は互角でも、時間経過と共にスタミナ差が露呈する試合の方が多いのだけれどな。
そして喧騒と歓声の中、一回戦と二回戦が全て終わった。俺は当然のように勝ち抜きを決め、明日も出場決定だ。正直二回戦の方が楽だったが、多分俺が闘技会の雰囲気に慣れた部分もあるんだろう。呪文も念意操作も使わず、剣だけで戦うのは新鮮だ。
「強い、辺境伯! 悠々と二回戦突破! やはり打倒ウォルファート様の一番手はこの男か!」
「ラウリオ・フェルトナー、危なげなく二回戦突破です! 安定感抜群ですね」
「おっと、ここで新星現れる。謎の白い仮面を着けた戦士ビューローが鮮やかに二回戦を抜きました! 全くの無名ながら、予選から勝ち抜きついにベスト8です!」
主催者からの勝ち抜き組の紹介が改めて放送される。その度に観客席がどよめくのが聞こえてきた。最前列でシュレンとエリーゼが「パパ勝った! 凄い!」と喜んでいるのも見える。無邪気なもんだな。
「おう、セラ。二人が飛び出さないように抑えといてくれよ。俺もそこまで目届かねえからな」
「はい、分かりました。あ、ベスト8おめでとうございます、ウォルファート様!」
闘技場からセラに話しかけたら、審判に「申し訳ありませんが、場内にいる間は観客席との会話はおつつしみ下さい」と注意されてしまった。ちっ、固いこと言うなよな。
「ほらー、ふて腐れないの、ウォルファート様ー」
「帰ったら前夜祭ですよ前夜祭。僕お腹空きました」
「ちょっと貴女達、観客席から話しかけたら駄目でしょ? ね、エルグレイさんからも一言言ってあげてくださらない?」
懲りないアニーとロリスが騒ぐのを、アイラがたしなめる。やはりアイラはうちの連中の中の良心だな。いや、しかし彼女が声をかけたエルグレイの返事が聞こえないんだが......あ。
自分の試合が終わったこともあり、俺はエルグレイの姿を観客席の中で探した。いた、すぐに見つかった。しかも意外なところで。
あいつの明るい灰色の髪は、あまり見ない髪の色なので目立つ。その灰色頭が観客席の一番後ろに立ち、腕組みをしながら横にらみで一つの店舗を見ていた。俺も、その店舗を釣られたように見る。この距離でも、誰がその店舗にいるかは十分見えた。
長い黒髪を一つにまとめた長身の男、そいつが懸命に接客している姿が一つ。そしてその隣には、紫色の髪に店員用の帽子を被った少年の姿が一つ。流石に声までは聞こえてこないけど、間違いない。ワーズワースとアリオンテだ。あいつらほんとにバイトしてやがったのか。
高位魔族二人が揃って売り子をしている光景をシュールと言わずして、何と言おう。多分、エルグレイはたまたま発見してしまったのだろうな。固まるのも無理はない。速攻で攻撃呪文を唱えないだけ、よく思い止まっているとは言える。
(あっちゃー、あいつにどう説明しようか)
俺の頭の中で、明日の戦いへの思惑とエルグレイへのめんどくさい説明が仲良くダンスし始めた。仕方ない、こんなこともあるさ。




