闘技会開始
この季節になると朝でも空気は微量に熱を孕み、夏だなと感じさせる。ここからしばらくは暑がりには辛い日々だなと感じさせるそんな熱が朝の涼しさに混じっているのだ。
道行く人々も軽快な格好に身を包み、石畳に撒かれた打ち水が生み出す陽炎はこの王都の夏を語る際には外せない。それでも初夏の月の後半くらいであればまだそれも子供達の笑い声と重なり、微笑ましいと呼べるものだと思う。
しかし今、俺の周りからは多数の人間が生むざわめきと期待が満ちていた。それはこの本来この季節が持つ爽やかな暑さともまた違った彩りを空気に与えている。約八千人の観客が収納出来るこの円形の闘技場には目一杯の観客が入り、もうすぐ開会式を終える俺達に期待の視線を送っているがそれが気温を上げているのではと俺はふと思った。
「--ルールについては以上。最後にこの闘技会への参加を希望してここに集った全員にこのシュレイオーネ王国国王たるオリオスの名を以って感謝の意を表す。良き戦いを」
「「良き戦いを!」」
長すぎない程度に上手くまとめられた開会式の最後をオリオス国王陛下が締めくくった。建国より約四年、国王就任からしばらくは慣例も伝統もない国の玉座が居心地悪かったようだが今や押しも押されぬ一国の主としての風格が身につき始めている。元は公爵とはいえ一貴族に過ぎなかったのだが地位は人を変えるらしいな。
ザッ、と闘技場に集った全出場者が改めて姿勢を正した。闘技会の性質上、当日の仕切りを任されているギュンター公の「敬礼!」という掛け声が響き、それに合わせて皆が敬礼した。ピシッと背を伸ばし、指先を揃えた右手は自分の左肩を押さえるように。"どちらの手もあなたに害意はありません"ということを示すシュレイオーネ流の敬礼だ(もっとも他の国なんか知らないけど)。
「よろしい。楽にしていただいて結構。それでは開会式を終える。予選参加者の方はそのまま残って指示を待つように!」
ギュンター公の声に会場が沸いた。まずは開会式が無事に終わったことへの安堵、ようやく大会自体が始まることへの期待感、その両方が混在した感情が渦になって闘技場を満たしていくようだ。もしこの空気を絵画にするのならば間違いなく赤や黄色といった暖色が猛々しいタッチで描かれただろうな。そういう意味ではこの初夏の月を開催時期に選んだのは正解だ。
出場者の内、殆どはそのまま会場に残っているが俺を始めとする八名だけはその場を去った。高らかなファンファーレを楽団が奏でそれが会場の華やかな空気を更に掻き立てるが、少なくとも今日一日は俺には関係ないことだ。何たって出番が無いんだからな。
「ウォルファート様」
「どしたよ?」
会場から外に一旦出る通路に入った時、ラウリオが俺に話しかけてきた。こいつにしては珍しく険しい顔で俺の肩越しにちらちらと視線を後ろに送っている。ああ、なるほど。お前も気づいたか。
「辺境伯、開会式の時からウォルファート様の方を時折気にしてましたよ」
「気付かねえわけねえだろ」
俺の位置からはヨーク辺境伯ことベリダム・ヨークの顔は見えない。見えないが刺すような視線は感じる。開会式の最中より更に前、昨日行われた前夜祭の折りにもだ。ほとんど会釈くらいしかしなかったが針を捩込むような鋭さと冷たさを向けられて気付かないほど俺は鈍感じゃあない。
「むしろ俺に気づいて欲しいと言ってるようなもんだ」
ラウリオにだけ聞こえるように小声で囁く。後ろは見ない。見なくても分かる、ベリダムがどんな顔をしているかくらいはな。
貴公子然としたあの長い黄金色の髪も目もお前の本質を隠す為のフェイクなんだろう? 俺と戦いたくて仕方ないと時折背中に突き刺さる視線がそう言っているぜ。
******
「こっちこっち、ウォルファート様、ラウリオさん」
「開会式お疲れ様でした、お席こちらです」
一旦外に出てから観客席に出ると目ざとく俺達を見つけたアニーとセラから声をかけられた。そう、三日間集中で行われる闘技会の間は多くの店はお休みなのだ。観客が落とす金目当てに飲食店や色街などは掻き入れ時と言わんばかりに店を開いているが、アイラが勤める服の生地屋やシュレンやエリーゼが通う幼稚園も休みになっている。
そんなわけで一同揃って観戦というわけだ。うちの屋敷の庭師やメイドが「こりゃあ勇者様のご活躍をシュレンちゃんやエリーゼちゃんに見せないと!」「気張って場所とりするのよ!」と三日前から交代で席を確保する為に列に並んでくれた成果というわけ。その分人手が抜けたので屋敷の業務の幾つかが疎かになっていたが.....深くは問うまい。
そしてこの場所取りにはちょっとした事件が開会式の前に勃発していたのさ。
「ウォルファート様! セラ様や双子ちゃんの為にあっしら頑張りましたぜ!」
「もうそれこそ砂を噛むくらいの勢いで! 女捨てるくらいの覚悟で! この暑さなのに三日間着替えもせずに!」
「おおぅ、よくやったぞおおー!」
「あんた達もよくやったわよおおお!」
うん。
なんかさ。
お前らが俺の闘技会での活躍を凄く期待してくれてるのは分かるんだけどさ。頑張って場所取りしてくれたのもありがたいんだけどさ。
(言えねえっ! 既に軍事府が手配して俺の関係者の席は手配済みなんて!)
そう、言うなれば今回の闘技会の目玉である俺に気を使ってギュンター公が席を確保してくれていたのだ。まさかうちの使用人達が気張って徹夜してまで場所取りするとは思ってなかった俺はそれを言うのを忘れていた。
(やっべえ、これでもしほんとのこと言ったらこいつらへこむよなあ)
俺も鬼じゃない。やや間違った方向とはいえ熱く頑張ったうちの使用人達の努力を無駄にしたくは無い。うっ、だがギュンター公の気遣いを無駄にするわけには--そうだ!
名案が閃いた。俺はこれ以上ないくらい感激したという顔を必死で作り庭師達とメイド達の肩に手をやる。
「ありがとう、君達。君達の努力、根性、期待を俺はけして裏切らない。喜んで血と汗と涙で確保した席を使わせてもらおう」
「あ、ありがどうごぜえやすウォルファートざまああ。おりゃあ頑張ったかいがありやじだあああ」
「よがっだあよがっだあ。ウォルファートざまああに喜んでいだだげだあ」
ねえ、君達。涙と鼻水流しながら喜ぶのはいいんだけどさ。
ウォルファートざまあ、というと凄く馬鹿にされている気がするから止めてもらえないかな?
などと俺が言える訳もなく、ちょっと我慢しながら俺はそんな使用人達を労うことにする。
「実はお前らの日頃の努力に報いる為に席を確保しておいた。遠慮するな、特等席から闘技会を存分に観戦するといい」
俺にそう言われた瞬間の使用人達の顔をなんと表現すれば言いだろう。ドラゴン100匹に囲まれたところから奇跡の脱出をした直後や魔族が戯れに呪縛を解いてくれた直後に命を拾った人間が見せる顔......いや、ちょっと違うな、千年砂漠をさ迷う旅人がオアシスを見つけた時みたいな歓喜と驚愕が混合したような顔というのか。
「「ああああありがどうごぜえますだああああウォルファートざまああああ!!」」
うん、暑苦しいのは我慢するけどな。ざまあは止めて! 頼むから止めて!? なんかイライラするし!
つくづく俺は思ったね。何で俺、使用人にこんなに気使ってるんだろう。公爵だからって顎で使おうとは思わないけどもうちょい堂々としてもいいんじゃないかな。あっ、それよりギュンター公にうちの使用人達が席使うことを断っとかないとちょっと気まずい......
「パパー、どーしたのー。喉渇いたのー?」
シュレンの声に俺はハッとなった。開会式前にやたらと気を使った精神的ダメージが今頃響いてきたらしい。闘技会以前に使用人に振り回されて倒れました、なんてことになったら末代までの恥だ。オルレアン家が何代続くのか知らんがな。
「お、ありがと。大丈夫だ、ちょっと暑さで気が遠くなった」
「大変ー、お水飲まないとね。はい」
おお、俺のごまかしにエリーゼが水筒を差し出してくれたぞ。いつのまにこんなに気の利く子になったんだとちょっと感動しながら喉に流し込む。あー冷た......つめ、いや、ちが、これ
「パパげんきでるよーにとーがらしいりー!」
「ぶべらっ!?」
「キャー、ウォルファート様!?」
「口から火吹くなんて自分の出番でもないのに気合い入り過ぎですね!」
セラが叫び、ロリスがぼけた。エルグレイが「誰か! バケツに水!」と指示する声が何故か遠くから聞こえる気がする。ああ、もう俺は何もかもが嫌になりそうだ。勇者って何だろう公爵って何だろう生きてるってなあに~、とそんな歌が唐辛子で火が点いた頭の中で響き渡った。
******
「さ、災難でしたね」
「全くだ。ダメだろエリーゼ。水に何か混ぜたら危険なんだからな」
顔を引き攣らせるラウリオに答えながらエリーゼをたしなめる。「ごめんねー」なんて言ってるけどほんとに聞いているのだろうか。不安だ。
「確認なんですけど勇者様やラウリオさんは今日は出ずに明日から何ですよね?」
「おう。今日は予選だからな。俺達はシード扱いで明日の本戦からだよ」
ラウリオの隣に座るアイラに答えながら「ほれ」と観客席の何箇所かに設置されている日程表を指差した。一日目の今日は前評判の比較的少ない、あるいは低い出場者だけが戦う予選が行われる。予選から出る出場者を大きく四つに分けてのリーグ戦で各リーグの戦績上位者六名が明日からの本戦への挑戦権を得られる。つまり予選を通過して本戦へ進めるのは合計二十四名だ。
ちなみに俺やラウリオ、辺境伯のように前評判の高い出場者は全部で八名。明日の本戦は二十四+八の合計三十ニ名で頂点を競うトーナメントとなるわけだ。
「しかし思ったより出場者が少ないですね。もっといるかと思っていましたが」
「僕やエルグレイさんみたいに接近戦が苦手な職業の人は出られないからかなー」
エルグレイとロリスが言う通り四つに区切られた闘技場に集う出場者は全部で四十八名だ。これなら切りがいいので1リーグあたり十ニ名の数となり、その中の上位六名が本戦進出可能なら半分は本戦に挑める訳で競争率は高くないように見える。だが俺や辺境伯がいるなら参加するだけ無理と考える奴もいるからな。魔術師や退魔師はロリスの言うようにこういう接近戦オンリーのルールでは最初から対象外になるし、応募段階で諦めた奴もかなりいるだろう。
「逆に言えばこの闘技会に出てくるってことはそれなりに腕に覚えがある連中に限られているってわけだ。あわよくば俺を倒して優勝してやろうってぐらいの気合いが入った、な」
それぐらいで無いと面白くねえけどな。さて、それじゃぼちぼち観戦と行くか。予選からの出場者の中からダークホースがいないとも限らないからな。
「ん......あいつ、あのままやるのか」
「なんか怖いねーお面だよー」
「お顔みえなーい。エリーゼやだー」
ざっくりと四つのリーグ全てを見渡した時、俺は一人の男に目を止めた。注意を惹かれた理由は分からない。強いて言えばシュレンとエリーゼが言うように白い仮面で顔を隠しているという特徴的な風貌だからだろうか。中肉中背の均整の取れた体つき、仮面にかかる橙色の荒い髪は初夏の風に荒ぶりまるで炎のようにも見える。
何となくピンとくる。こいつ出来るかも、という推測はほとんどあてずっぽうだが俺のこういう勘はよく当たるんだ。
その時、仮面の男がくるりと観客席の方を向いた。ただし俺の方じゃない、闘技場を挟んだ真反対だ。何気なく俺もその視線を追うと意外な人物の姿がそこにあった。
「ウォルファート様、あれベリダム辺境伯ですよね」
「だな。あの白仮面、北の狼の知り合いか?」
ラウリオと小声で話している間にペコリと白仮面がベリダムに頭を下げたように見えた。短く、だがはっきりと。その背中から鬼気とした闘気がまるで陽炎のように立ち上った気がして俺は眉をひそめる。
もし、俺の勘が信用できるならあいつかなりやるだろうよ。ちょっと注意して見ておくか。
一ヶ月に八話を目標にしています。




