闘技会に出るんだってさ
王都に引っ越してから迎える三度目の春、気候はふわりと毛布みたいに暖かだ。時折冬の名残が風に乗ってくしゃみを誘ったりもするけどそれも段々少なくなってきた。「ああ、こんな日は仕事さぼって遊びに行きたいよな」くらいぼやいても、別に罪じゃないと思うんだよな。
「そうだな、気持ちは分かるよ。もっともだな」
たらーんと机の上に伸びていた俺に、誰かの声がかかる。何となく何も考えずに返事した。
「でしょ、でしょ。やっぱりお日様の下でこそ人生は謳歌すべきなんだよ」
「うんうん、それで? 具体的には何をしたいのかな」
「やっぱり綺麗どころを侍らせてさ、昼から木陰でだらだら酒飲んだりしたい......っえええ!?」
「気づくのが遅いんじゃないのかね、ウォルファート・オルレアン公爵」
青天の霹靂とはこのことだ。まさに一瞬で椅子ごと回転して振り向いた。
俺の目に映ったのは、ダークブラウンの髪をいつも通り丁寧に撫で付け同色の瞳を向ける男が一人。つまりは軍事府筆頭だ。
「ギュンター公、お久しぶりですね。キリッ」
「キリッて口で言うものなのかね。別にちょっとくらいさぼってもいいよ、元々アドバイザー的な役職だしね」
その言葉に俺は頭を掻いた。いやあ、ばつが悪いとはこのことか。しかし俺に気配を悟らせずに俺の背後に立つなんて、この人ただもんじゃねえな。伊達に軍事府筆頭じゃないわ。そんな実はスカウトのスキル持ちなんじゃないかという上司は、一度襟を正して俺を呼ぶ。
「少し話があるので私の執務室へ。いや、別に固い話じゃないよ」
「はいはい、今行きます」
「ハイは一回とご家庭で教えておらなんだか......?」
なんでこの人分かるんだろうな?
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もはや見慣れたギュンター公の執務室に入ると、先客がいた。これまた見慣れたイヴォーク侯だ。俺を見ると、軽く手を挙げて挨拶してくれた。
「やあ、ウォルファート様。この前は雪狐の件で大変だったみたいですね」
「大変でしたよ、もー。やっぱ狐なんか飼うもんじゃないわ、犬が一番だわ」
「うちのカーニイでよければ、いつでも遊びに来てください。あの子も元気が余ってましてね」
そんなたわいもない話をしていると、秘書がお茶を入れてくれた。一息つくのを待ってからギュンター公が着席し、俺とイヴォーク侯もそれにならう。秘書を除けばこの部屋には俺達三人しかいない。全体会議には少ないし、何を話そうというのだろうか。
「さてと、そろそろ話を始めるか。端的に言うと、初夏の月の20日あたりから、この王都で闘技会を開催することになったんだよ」
「は? 闘技会ですか?」
「随分と急な話だね、ギュンター公。まあ出場者募って大会の形式整えることくらいさほど時間はかからない。それでもだ、普通はもう少し前に開催を決めたりするものでは?」
ギュンター公の切り出しに俺はポカンと口を開け、イヴォーク侯は具体的に指摘した。それを受けたギュンター公が「もっともだ」と頷く。
「実は裏があってね。この闘技会の開催なんだが、陛下に捩込んできた者がいるんだよ。彼の開催要求をぎりぎりまでこっちも忙しいからとはねつけていたのだが、結局押し切られて開催時期まであまり日が無いという事態になってしまった。済まない」
「まあ謝る程のことじゃないでしょ、大会の形式次第で参加者も絞り込めますからね。それより、オリオス国王陛下とギュンター公に自分の要求飲ませることが出来る人間が誰なのか。その方が気になります」
「実はウォルファート様。その男は君と戦いたいが為に、この大会開催を要求してきたんだよ。全く面倒くさい話だがね」
「誰です? 闘技会といってもわざわざ俺と勝負したいなんて無謀な奴いるんですか」
知らず知らずの内に俺の声が尖る。これでも古今無双のウォルファート・オルレアンだ。ルールありの闘技会、そこで戦うということは、観客が見守る中で白黒つけようってことを意味する。つまり衆人監視の中で、公式に俺と勝負したいらしいってことになる。
これがその辺でやる野仕合や私的な決闘なら、別に大した意味はない。あくまで勝ち負けは互いの胸に秘めたことになる。勝負の後で吹聴したりするのはまた別の話だ。
「ギュンター公、まさかその闘技会を捩込んできた男とはあれですか? 北部地域の支配者--」
「--ベリダム辺境伯かよ」
イヴォーク侯に皆まで言わせず、俺はその問いを引き取った。ギュンター公の沈黙は肯定と同等だ。喉を湿らせる為に一口紅茶を飲んだ後、再び軍事府筆頭は話し始める。
「そういうことだ。忌ま忌ましいことに、ベリダム辺境伯は王国に北部で採掘される良質の貴金属を地方税として納付している。口に出してこそいないが、それを取りやめることを、発言力の強さに物を言わせてちらつかせてきた。陛下と私の読みが間違っていなければだがな」
「全く腹の立つ輩ですな。まあ闘技会自体はさほど問題ないですが、もう少し方法というか言い方があるだろうに」
ギュンター公もイヴォーク侯も、苦々しい顔を隠そうともしない。確かに面白くはないだろう。いまだシュレイオーネ王国建国から約四年しか経過しておらず、オリオス国王陛下の威信も十分ではないことを嘲笑われたような物だからな。
しかしこうなると、俺も知らんぷりはしていられないよなあ。ベリダム辺境伯とはまったく知らない間柄でもないし。
「俺、去年ベリダム辺境伯と会ったんですよね。シュレンとエリーゼをグランブルーメにお迎えに行った帰りに、声かけられたんですけど。ま、あんまりいい奴って感じじゃなかったなあ」
「ほう! 確かに去年ベリダムの奴、王都に一週間ほどいた時期がありましたが、その時にウォルファート様に会っていたんですか。初耳ですよ」
「ついに呼び捨てですね、イヴォーク侯。立ち話だったし大した話はしてないですよ。お会い出来て光栄ですとか、一度北部に遊びに来てくださいとかね。まあ礼儀正しいような、口先だけみたいな当たり障りのない会話」
イヴォーク侯に話しつつ、俺はその時のことを思い出していた。確かグランブルーメを出てすぐだ。双子の手を引いて帰っていると声をかけられたのだった。
"お初にお目にかかります、オルレアン公爵。私、ベリダム・ヨークと申します"
"はあ、ああ、あの有名な辺境伯さんですか。どうも"
急いでいたからなんか気の抜けたような返事しか出来なかったのは悪かったけどさ。仕方ないじゃん、こっちはシュレンとエリーゼ連れてたんだし。案の定途中で双子が騒ぎ始め「じゃあまた」とこれ幸いとその場を去ったんだっけ。
「で、何でまたベリダム伯は俺に因縁つけてるんですかね」
「多分、言い掛かりみたいなものさ。彼のあだ名を知っているかい」
「北の狼、あるいは陰の勇者でしょ」
俺の返事にギュンター公は頷いた。くるりと回したティーカップの表面にひいたミルクが、綺麗に混ざる。
「そう、その通り。北部地域を支配するあの貪狼は、勇者様に対してライバル心を抱いているんだろう。なまじ腕に覚えがあるだけにね」
「困ったものですな」
相槌を打つイヴォーク侯に俺は「そうですね」としか言えなかった。確かに俺の影に隠れてしまい、実力があるのに世間から十分評価されていない連中もいるだろう。
だけどそれはそれでいいじゃないか。強いとか有名だとかで人の価値が決まるのかと言いたいが、それは俺が正当な評価を受けているからだろうか?
「ま、いいっすよ。あの北の狼が俺と公の場で戦いたいってなら、正々堂々相手してやります。もっとも闘技会というなら、お互い相手にたどり着くまでに不覚を取るかもしれませんけど?」
「と言うとウォルファート様は大会の形式は勝ち抜き戦、つまりトーナメント希望ですか?」
イヴォーク侯の言う通り、通常こういう闘技会には何種類かの方式がある。幾つか例を挙げよう。事前に誰と誰が一対一で戦うか決まっているパターンが一つ。この場合、出場者はその一戦だけを戦い、それで終わりだ。
また、例えば四人でリーグ戦を行い、一番勝った出場者が次のラウンドへ進むパターンもある。勝った出場者が集まりくじを引いてランダムに対戦相手を決めることもあるし、主催側が適当に対戦カードを決めたりまたリーグ戦をやったり方法は色々だ。
だが一番ポピュラーなのはやはりトーナメント戦だろう。大概32人や16人など2の倍数の出場選手を集め、一対一を複数カード行い勝者だけが次のラウンドへ進む。ありの巣みたいなトーナメント表に最初に選手達は振り分けられるので、対戦相手はラウンドが進んでもシャッフルされず隣のカードの勝者となるというあれだ。
「やっぱり男ならトーナメント方式でしょ。最初の割り振りでトーナメントのどこに配置されるかで観客も沸くし、分かりやすい一発勝負だ。無理は言いませんが、出来ればそれでお願いしたいです」
「分かった。日程については向こうの条件を呑んだんだ。形式はこちらで決めてしまうか。イヴォーク侯、済まないが総督府主導で宣伝や開催場所の手配をお願いしたい、頼む」
「承知しました。さて、では私もラウリオに声をかけますかな。もしかしたら大穴で優勝してくれるかもしれませんし」
イヴォーク侯はそう言って笑ったが、俺はそれには同意出来ないね。ラウリオが腕を上げているのを知っているからだ。何本かに一本くらいなら、俺ともいい勝負が出来るだろう。大穴どころか対抗馬にしてもいいくらいだぜ。
とりあえず今日のところは闘技会の話はそれで終わった。使用する武器の制限や出場者の安全対策、観客への配慮など決めなくてはならないことは色々ある。だけど、俺はそういう雑多なことには関わらなくていいと言われた。なにぶんこの闘技会の目玉なんでね、ご配慮ありがとうってわけさ。
(そういやあ、あいつらが出たらどのあたりまで勝ち進むんだろ?)
不意に脳裏を掠めたのは、アリオンテとワーズワース、俺を狙う魔族二人の顔だった。人間主催の闘技会にあいつらが出られるとは思えない。しかし、もし仮に出たら、かなりいい線までは行くだろうな。まだ子供のアリオンテはともかく、ワーズワースは間違いなく優勝候補だ。なんせ俺といい勝負するくらいだし。
そんなことを考えながら、一人俺は王都の郊外で愛用のバスタードソード+5を引き抜いた。たまに外に出ちゃ魔物相手に剣は振るってはいるが、対人試合となりゃまた別だ。実剣は恐らく使用禁止の純然たる試合形式ではあるけど、もしベリダム辺境伯が今の俺と互角の力があるとするならば--
「あいつらと戦う前の練習台にはもってこいだぜ」
俺の言葉に刃鳴りが重なる。+5と十分鍛えあげられたバスタードソードが唸り、俺の前の楢の古木を真っ二つに引き裂いた。乾燥しかけた古木は木くずを宙に舞わせ、その白い傷口を空気にさらす。剣が通過した跡だけが、焦げたように黒くなっている。高速の剣閃による摩擦熱の仕業だ。
OK、鈍ってねえよ。久々に勇者様の剣技って奴を拝ませてやるさ。




