別れの挨拶はスマートに
(舐めすぎたかな、まさかブレスが来るとはな)
少々慢心していたかなと自戒しつつ、ダメージを確認する。左手と右腰の二カ所が引き攣れたように痛む。あとはかすり傷だ。
雪狐の中の特に大きな二匹がカッと顎を開き、白い輝きを吹き付けてきた時は驚いたね。何とかかわせたから、まだよかったけどな。問題だったのはその後だ。俺を囲もうとしていた雪狐の群れが、一斉にブレス攻撃を仕掛けてきやがった。
いつか戦ったエイプキングのように魔気を凝縮して放つブレスもあれば、典型的なドラゴンは口から火炎のブレスを吐く。そして雪狐の場合は、冷気のブレスというわけだ。もっともこの動物の体質で火炎のブレスなぞ吐いたら、違和感ありまくりだがな。
「しかし二発は無理ってわけかい、取っておきだったようだな」
俺の独り言に対して、雪狐達から返答は無い。だが動きが落ちた俺に、再度ブレス攻撃を仕掛けもしない。飽きもせずに隙を窺うだけだ。恐らく取っておきの一発だったのだろう。赤い目をぎらつかせる姿は変わり無いが、息が荒くなっている。
"サア、カンネンシロ。コウナレバモウオマエニニゲバハナイ、コチラニアノコヲカエシテモラオウカ"
「こっちは最初から返す気満々だって! ルルが勝手に戻ろうとしないだけだ!」
身勝手にも程がある。腹を立てた俺に対し、雪狐達は答えない。それどころか、数匹がまとめて飛びかかってくる有様だ。これはそろそろ俺も本気で相手するべきか? 向かってきた雪狐達を拳と蹴りだけであっさり三匹倒し、四匹目に殴りかかろうとした時だった。
ボス格らしき二匹が動く。俺の左右から挟み撃ちするように回り込むのが見えた。
目の前に迫った小柄な雪狐の喉に手刀を叩きこみながら、武装召喚の準備に入る。あの二匹はそろそろ素手で相手をするのはしんどい。というか今まで我慢していたが、そろそろこっちの忍耐力も限界に近いんだ。一匹二匹犠牲者になってもらい畏れ戦いて帰れ! と言いたくもなっている。
「武装召......」
「「パパ、だめー!」」
ぶっ飛ばしてやると意気込んでいた俺の注意が、背後から聞こえてきた甲高い二つの声に削がれた。俺の左右から迫りかけていた二匹の雪狐も突進を止める。戸惑ったように、その声の主にその赤い目を向けた。俺も釣られて振り返る。
ハアハアと息を切らした小さな外套姿が二つ、雪が降りしきる闇夜を転びそうになりながら駆けてきた。そしてその二人が抱いた白い小さな動物が「キュー!」と鳴く。
「待て、帰れシュレン、エリーゼ! 危ないだろ!?」
「ちがーの、ルルが!」
「ルルのパパ、ママのほう、かえるの!」
二人は声を張り上げ、さっとルルを雪の上に置く。おいおい大丈夫か。さっきは雪狐の群れに見向きもせずに引き返してきたのに。
もし二度目も駄目だったら、今度こそ本気で雪狐達は怒るだろう。下手すると、ルルでさえも裏切り者としてこの場で殺す可能性さえある。
「さっきからルル、狐さん達見てたのー」とシュレンがルルの頭を撫でた。エリーゼも「だからもうかえしたげようって、えーぐれいのおじちゃんが言ってたー」とルルを一度だけギュッと抱きしめながら、俺を見る。
えーぐれいのおじちゃん......エルグレイ、可哀相にな。まだ老け込む年齢じゃないのに。先程双子に追い付いたエルグレイはそれを聞いていたらしく、ショックを隠しきれていない。
「お、おじさん!? その言葉取り消してくれないかな、いやほんと」
「ガキってそんなもんだよ、諦めろ。それよりもさ」
ほんとにルルが群れに戻るのかどうかの方が重大だ。
雪の中にぽてんと置かれたルルは一声「キュー?」と鳴いた。それから俺達人間と雪狐双方が注視する中、数歩トコトコと前に--群れの方に歩いた。
その様子に、俺に攻撃を仕掛けようとした大きな二匹は戦意を収める。逆立っていた毛は元の滑らかな毛並みへと変わり、狂暴さに輝いていた赤い目も毒々しい光が抜けていた。
"......オモイダシタカ、イチゾクノコ?"
「キュー、キュキュッ」
"サガシタゾ、シンパイシタノダゾ?"
「......キュー。キュキュ、キューキューキュー」
二匹の大きな雪狐とルルが何か話しているのは分かる。今のところルルが逃げる様子は無いから、多分大丈夫だろうとは思う。だが土壇場で事態が暗転する可能性だってあるんだ、油断出来ない。
けれど、それは杞憂だったようだ。二言三言言葉を交わした後、ルルはぽてぽてとその小さな足を動かして二匹の足元に近寄った。自分の何倍もある足に毛皮を擦り付け、目を細めている。
「帰るみてえだな......」
「あ、ルルがこっち向いたよ」
「ペコッてしてるねー」
エリーゼの言う通り、ルルは頭を下げていた。小さな狐がまるで人間がするようなお辞儀を深々としている。ちょっと感動物だな。そうか、それがお前なりのお礼の表現ってわけか。
フッ、と雪が止む。ルルとそれを出迎えた二匹以外の雪狐達がぞろぞろと下がった。今まで雪原に響いていた戦いの音が消えていく。そして俺達の前にすっくと立つ二匹の大きな雪狐が、静かな声で話し始める。
"コノコカラジジョウハキイタ。フブキノナカ、ハグレテヒトザトニデタトコロヲタスケテクレタ、ト。スマナイ、アリガトウ"
"サイショハワタシタチヲミテモ、ダレダカワカラナカッタ。ケドイマハオモイダシタトイッテイル。オセワニナリマシタ、トツタエテホシイト"
「だから別にこっちが悪気があったわけじゃねえって。ま、口で言っても伝わらないだろうけどさ」
思わず毒づいてしまった。けれど二匹の足元にじゃれつくルルを見ていると、正直よかったなと思う。つまり、吹雪の中で遭難しかけて、記憶が一時途切れたような感じになっていたのか。道理で野生の獣の割にはすぐに懐いたわけだ。
「ルルのパパとママなの?」
"パパ? ママ? ナンダソレハ"
エリーゼが問うと、大きな雪狐が首を傾げる。まるでそれに答えるかのように、ルルがキューと一声鳴いた。
"アア、ナルホド。オヤノコトカ。イカニモ"
「いっぱいいっぱいルルとあそんだの。ありがとー」
"セワニナッタ"
シュレンの言葉も分かったらしい。二匹の雪狐はぺこりと頭を下げた。
それに合わせてルルが一声あげた鳴き声は、今まで聞き慣れた「キュー」という物ではない、「ケーン!」と鋭い物だった。
自分が人間に飼われる生き物ではないと思いだし、またそれを告げるような誇りと決別の声だ。
「......ありがと、ルル」
「もーはぐれたらダメなんだよー」
シュレンはちょっとしんみりと、エリーゼは元気に手を振った。それを合図にしたかのように、頭を下げていた二匹もルルもくるりとその背を向けて離れていく。積もった雪の上に大きな足跡が二対、小さな足跡が一対ぽつぽつと伸びていった。行き着く先は離れてこちらを見守る仲間達のところだ。
なあ、ルル。お前はさ、ほんとの親の下でちゃんと育てよ。なかなかいねーぞ、いなくなった子供を体張って探してくれる親なんてさ。あと仲間にも感謝しとけよ。
子狐は俺の願いなんて知る由もない、そしてその間に、シュレンとエリーゼは最後の挨拶をすることに決めたようだ。去って行く小さな友達に向かって数歩二人は前に出た。
「「バイバーイ!」」
「ケーン!」
双子が張り上げた声と応えたルルの最後の挨拶が交錯し、それが合図だったかのようにまた雪が降りはじめた。別れの瞬間くらいは仲良しの二人と一匹の声を妨げないよう気を使うなんて、冬の雪も中々気が利いてるよな。
さよなら、ルル。もう親から離れるんじゃないぞ。俺からはそれだけだ。
******
ルル達を見送った後、シュレンとエリーゼは急に疲れが出たのだろうか。ぱたんと雪の上に座りこんでしまった。無理もない。そもそも雪狐襲撃の報告を受けたのが真夜中だ。子供は寝ている時間だ。
「あーあ、こんなところでへたっちまうと風邪引くぞ、ほらシュレン、エリーゼ起きろ」
俺の言葉にも二人は「パパ、眠いー」「疲れた、寒いー」としか言わない。あーもうめんどくさいなあ、これだからちっちゃい子がこんな場所に来ると大人が苦労すんだよなあ。
とりあえずこのまま寝かせる訳にもいかないな。俺はノロノロと二人を背負おうとした。けど、横からさっと伸びた小さな手が俺の両手に重なる。
「ウォルファート様、ご無理はいけませんわ。お怪我なさっているのですから」
「おーい、セラー。大丈夫だって、これくらい......いてっ」
心配そうに俺を覗きこむセラを振り払おうとしたが、丁度冷気のブレスで受けた傷がぴきっと響いた。その弾みでセラの肩に寄り掛かるような形になる。
何というか気まずい。俺より相当小柄なセラが俺を支えられる訳ないんだ。あまり体重がかからないようにしているし、ぶっちゃけ一人で歩けるのだが--
「ほら、お怪我なさってるんですから! 私が連れて帰って差し上げます、安心なさってくださいね?」
「あ、でもほらシュレンとエリーゼは?」
「僕達が運ぶから大丈夫ですよー」
セラに半ば押し切られるように肩を貸してもらう。そのまま振り向くと、ラウリオがシュレンをおんぶしながら笑っていた。その横ではロリスがエリーゼを抱き上げて「お、おう。ぐったり寝た子供重いなあ」と顔を引き攣らせている。そーだよ、寝ると何故か子供って重くなるんだよな。脱力するからかね?
そしてエルグレイはというと「僕はおじさんじゃない、おじさんは取り消してくれ!」と寝ている双子に真顔で語りかけて、ラウリオとロリスに迷惑そうな顔をされている。うん、気持ちは分かるけどさ。後にしてやってくれよ。
何たって今回一番頑張ったのは、シュレンとエリーゼだ。俺がそう認めてやるんだからな。
「なあ、セラ。あいつらさ、あれだけルル可愛がっていたのによくちゃんとお別れ出来たよな」
「ウォルファート様のお気持ちが分かったんじゃないですか。やっぱり、ご両親がいるなら返してあげた方がいいって」
よろよろとよろめきながら、セラは俺に肩を貸したまま何とか歩く。正直気を使うから放っておいて欲しいんだが、あんまり必死だから付き合ってやるか。
「あいつらなりにルルの幸せを考えてやったってことか。なんだかんだ言ってまともに育ってるな、うちの双子は」
「そうですよ、だって勇者様のお子様ですもの。立派な背中を見てシュレンちゃんもエリーゼちゃんも育っているんですからね!」
よいしょ、とセラは気合いを入れる。彼女の右目はほのかに雪がちらつく夜の中、青く澄んで真っすぐだ。「実の親子じゃねーんだけどな」という皮肉が喉まで出かかった。けれどそいつを飲み込み、俺は黙って頷いた。
もしさ、血が繋がってなくても俺が伝えられることがあるなら。
ちょっとくらいは俺が親の代わりって胸張ってもいいのかなと、少し考えちまった。けれどそんなしんみりした考えは、あくび一つでどっか行っちまったけど。
「いやあ、僕が始めて出会った時はシュレンちゃんもっと軽かったんだけどなあ。やっぱり二年も経過すると大きくなりますね」
「あー、そっか。ラウリオさん、ウォルファート様が王都に引っ越してきた時に知り合ったんですもんね。いいなあ、僕も小さい時のシュレンちゃんやエリーゼちゃん見たかったなあ」
「それを言えば、僕なんか赤ん坊の頃から見てますけど?」
俺とセラの後ろでラウリオ、ロリス、エルグレイが双子を起こさない程度の声で話しながらついてくる。まったく、こんな賑やかで個性的な連中に囲まれて育つ子供は、将来どうなるんだろうな。それが心配なような楽しみなような複雑な気分だ。
「そういう意味ではセラもお母さんってわけか」
そう、ほんとに何気なく呟いただけなのに、セラったら可笑しいんだぜ?
「わわわわ私がお母さんんんん!? つ、つまりはウォルファート様の奥さんで年下で認められてるってことですよね!」
なんて顔赤くして騒ぐんだから。何言ってんだこいつは。ああ、そうか。きっと疲れてんだな、そうに違いないよ。
こうして俺達の屋敷から、小さな雪狐は両親と仲間の下へ帰っていった。最初のうちはシュレンもエリーゼもちょっと寂しそうだったけど「いつかまたルルに会えたらいいねー」なんて笑ってるから納得はしてるんだろ。
動かした兵士が二十人、しかも深夜にこっそりだったんで騒動にもならなかった。俺やギュンター公ら一握りの人間しか真相は知らないままだ。
そんな王都は今日も平穏だ。何も無かったかのようにね。俺でさえ、あの赤い目をした白い狐の大群はほんとにいたのだろうか、と思う時があるくらいだ。雪の夜の幻想ってやつかい?
けれど風の噂で「里に姿を現した雪狐が人間に木の実や果物を置いていく」なんて話を聞くと、ちょっとホッとしたりもするのさ。




