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エルグレイ・シーフォウス

「目閉じろっ!」



 セラさんが呪符を取りだし高々と掲げた時、ウォルファート様の注意を促す叫び声が風に乗って聞こえてきた。雪狐との交渉が失敗したらしい。

 僕は小さく舌打ちし、目を閉じながら雪の上に伏せる。横に並ぶラウリオ君とロリスさんもそれに倣った。



 数秒の間を経て、閉じた瞼の上からでも眼球が感じたのはまばゆい閃光、それが生み出す激しい白と黒の明滅だ。「うっ」と思わず短く呻いた。軽く目を擦り、僕は再び雪の上に立ち視野を保つ。



 視界の先には、こちらに逃げてくるセラさんと双子ちゃん達だ。これは予定通り。

 その更に向こうには、ウォルファート様がいた。僕と同じように立ち上がりながら、雪狐へ向かって突進している。そして雪狐の大群は、未だに視力を奪われたままギャンギャン吠えている。



「さすが僕。閃光(フラッシュ)の呪符が役に立ったようです」



「お見事、ロリスさん」



 横で同じように立ち上がりながら得意気に呟くロリスさんの言う通り、先程の閃光の正体は退魔師(エクソシスト)である彼女が作成した呪符の効果だ。追う雪狐からセラさん達三人が安全に逃げる為の時間稼ぎ及び、雪狐達に動揺を誘う為の手段だった。果たして、前もって知らなかった雪狐達には効果絶大だったらしい。



「出る! 前衛隊、続けっ!」



「お疲れ様でした。シュレンちゃん、エリーゼちゃん、僕の後ろに」



 ラウリオ君の号令に続き、前衛隊として選ばれた十人の兵士が雪の中を前へ進む。それと交差する形で交差したセラさんと彼女に手を引かれた双子ちゃんを、ロリスさんが後ろに庇った。更に彼女の周りには、後衛隊として十人の兵士がいる。とりあえずはここまでは作戦は順調だ。



 パーティーバトルよりは大規模、だけど軍同士のぶつかり合いというには少し物足りない百三十vs二十七(セラさんと双子ちゃん含む)という戦いだ。イニシアティブの取り合いにはまず勝った。だが錯綜する状況を瞬時に処理しながら、最適手を僕が打たねばならない。更に必要があれば、後方から指示を出さねばならない。



 一番簡単なのは、大規模攻撃呪文を叩き込み一発で終わらせることだ。けれど、なるべく野生の獣相手にそれはしたくないので最終手段としてある。

 前方で一人素手で群がる雪狐をぶん殴っているウォルファート様から「おい、こいつらの頭冷やしてやるから、あんまり派手な奴はやんなよ!」と改めて虐殺禁止令が聞こえてきたしね。



 状況判断。

 前方やや左翼側。視力が回復し始めた雪狐達がぞろぞろ前進開始し、そのままラウリオ君と前衛隊と抗戦開始。

 右翼側ではロリスさんが第二の呪符で簡易結界を張り巡らせた。そこで足止めを食らった雪狐達に、後衛隊が牽制の矢を浴びせ始めている。

 はあ、なるほど。流石にこの数では、中央をウォルファート様一人でどうにか出来る訳は無いか。



「わっ、狐さん達追ってきたよ!」



 シュレンちゃんが背後で騒ぐのが聞こえた。その通り、十匹程の雪狐が混戦の中をかい潜り、こちらへその白い毛皮を踊らせようとしているのが見える。暗い夜の中、雪を蹴散らしながら赤い目に殺意をたぎらせた狐というのは、魔物として扱うべきではなかろうか。そんな拉致も無いことを考えつつ、すぐに対抗手段を取ることにした。



 呪文に必要なこと。それはまず、何を魔力を消耗して成し遂げたいかを具体的に想像出来る想像力(イメージ)。そして必要ならば、それを補完する道具となる呪文の詠唱の正確性。この二つに加え、更に現実的には発動までの時間の短さがキーとなる。



 (天才と呼ばれるこのエルグレイ・シーフォウスでも、未だ頂点には辿り着けはしないが--)



 それでも、この場の誰よりも速く有効手を打つくらいは造作も無い。



 通常の詠唱は省略しない。その代わり詠唱速度を二倍に速めることで、詠唱時間は半分に。そして詠唱終了から発動までを限りなく零に近づけることが、僕には出来るのだから。



霜鉄鎖(フロスアィオチェッタ)



 発動させたのは、冷気を純化させた霜と魔法で生み出した鉄の混合物質、それを鎖状に形成し相手を封じる呪文だ。

 出現させた魔法の鎖は、氷系の呪文だけではなしえない強度にまでその頑丈さを増している。5メートル以上の長さの鎖はまるで意思ある物のようにチャラ、とうごめきながら雪狐達に襲いかかった。



 やろうと思うなら一気に引き倒し、四肢を束縛した上で息の根を止めることも出来る。だがウォルファート様からの指示に従い、手加減して打ちのめすだけにしておいた。霜に覆われた鉄の鎖は凍結効果を打撃と共に繰り出し、相手の運動神経を奪っていく。



 (お、すり抜けてきたか)



 白い雪煙の中、一匹の雪狐が鎖をかい潜るのが見えた。他の雪狐が次々に打ち倒されていく隙をついただけだが、これでも尚戦意を失わないのは大したものだ。しかし、それも届かない。



旋風(トルド)



 無詠唱で二発目の呪文を放つ。切り裂く為の風系の攻撃呪文ではなく、これは高い圧力で風を螺旋状に捩曲げながら撃ちだす攻撃呪文だ。威力を弱めに放ちさえすればほら--



 ギャン! と一声鳴きながら、雪狐が倒れるということになる。けれど出血も無ければ、変な方向に首や手足が曲がってもいない。軽く風撃を頭に掠らせて気絶させただけだ。



「凄いですね、エルグレイさん。固有呪文(エクストラスペル)二連発ですか、初めて見ましたよ」



「別に大したことないですよ」



 簡易結界を維持して雪狐の侵攻を防ぎつつ、声をかけてきたロリスさんに答える。そう、こんなことは僕には本当に何でも無いんだ。



「僕が使える呪文のうち、九割は固有呪文(エクストラスペル)ですから。普通の呪文がほとんど使えないんですよ」



「--は?」



 理解出来なかったかな? オレンジ色の目を見開いたロリスさんには、後で詳しく教えてあげるとするか。まだ雪狐は多数残っている。話している暇は無かった。




******




 最前衛でウォルファート様が身体を張り、それをラウリオ君と前衛隊が支える。その網から漏れた雪狐の群れを僕、ロリスさん、後衛隊で食い止める。

 この単純な二重迎撃が効を奏してくれればいい。他に類を見ない雪狐百三十体という大群も、難無く退けられるかと僕は予想していた。そう、戦闘開始から40分が経過するまでは単純にそう思えていたんだ。



「うおっと! やっべ、ちょっと掠めたぜ!」



「パパー!」



「あぶなーい!」



 ウォルファート様が押されているのを見て、シュレンちゃんとエリーゼちゃんが叫び声を上げた。そう、かなり離れた前の方で距離を稼ぎ雪狐を拳一つで止めていたウォルファート様が、じりじり後退しているんだ。

 理由は簡単。剣を使って止めを刺していないから。確かに、殴る蹴るでもダメージを与えて昏倒させることは出来る。けど、そこが限界なんだ。そもそも最初から命を奪うことまで考えていない。手加減した打撃なら時間を置きさえすれば、回復してまた向かってくる。



 それに加えてこの雪だ。雪の中を平気で進む雪狐はこれをむしろプラスに考えるだろうが、勇者様はそうはいかない。いくらウォルファート様が勇者といっても人の子だ。長時間の戦いとなれば、足場の悪さが段々効いてくる。



「何であそこまで素手にこだわるんですか! 剣さえ使えばウォルファート様が野生の獣なんかに負けるはずが......」



 セラさんが悲痛な声を上げながら、僕のローブを引っ張る。推測でしかないが答えるしかないか。



「ウォルファート様はね。まだ諦めてないんでしょう」



「何をです?」



「その小さな雪狐を親元に返すことをですよ。もし僕達がこの雪狐達を全滅させたら、ルルには帰る場所が無くなります」



 僕の返事に、ハッとセラさんが視線を子狐に飛ばした。それに応えたのかどうか分からない。けれどルルはその首をぐい、と上げて、じわじわと自分に迫る雪狐の群れを見ているようだ。その赤い目には怯えの色は無いように見える。



「シュレンちゃん、エリーゼちゃん。ウォルファート様はね、ルルが戻ろうとしないのは、自分達が飼っている間に親のことを忘れてしまったからだと考えているんですよ」



 これも推測に過ぎない。だけどまあ、あの人が考えそうなことだ。



「--本来、野生の獣は人と交わって生きてはいかないのにしばらく手元において共に過ごしたから、ルルは野生を忘れちゃったんじゃないかな。飼い犬みたいになってしまったんだよ」



 出会った時、栄養失調の症状のようにフラフラしていて怪我をしていた雪狐。多分、吹雪に巻き込まれて仲間からはぐれ、普通の状態では無くなっていたのだろう。そんな状態で拾われたら、こちらに情を寄せるようにもなってもおかしくない。



「え......だ、だけど、でもどうしたら」



「ルル、ね、ダメだよ。パパもママもいるのに......来てくれたんだよ」



 シュレンちゃんとエリーゼちゃんに、何故僕がウォルファート様の考えを伝えなきゃいけないんだろうか。そう思いつつも、幼い子供が戸惑っているんだ。流石に何か言わずにはおれないな。



「もう一回、ルルを返すように頑張れるかい。ほら、見てごらん。さっきと違ってルルは怖がっていない。じっと前を伺うようになっているし」



 正直これは賭けだった。確かにルルはその小さな白い身体を起こし、キューキューとしきりに鳴き声を上げてはいる。しかし所詮人間の僕には、狐の気持ちなんか分からない。

 けどあの目はどうだ。あのピンと立った耳はどうだ。ブルン、と大きく振った尻尾はどうだ。あれは自分が犬や猫ではなく、雪原を走る雪狐の一族だと思い出したからじゃないのか。



 僕達人間に何回も倒されても、雪狐達はまだ向かってくる意地を見せる。その意地がルルに、彼らが自分と同族だと思い出させたからじゃないのか。



 ほら、勇者様に噛み付こうとしている特に大きな二匹は、もしかして自分の両親かもしれない。そう思い出したからじゃないのか。



 双子ちゃんも、ルルの様子が変わったことには気がついたようだ。二人で顔を見合わせ「うん!」と頷く。セラさんはまだ心配そうにそんな二人と一匹を見ている。けれど、もしシュレンちゃんとエリーゼちゃんが本気でルルを返す気があるなら、僕が何とかすればいい。二つ三つくらいは手が思いつく。



 (決心が固まったなら、後はタイミングだけなんだけどな)



 そう考えつつ、後衛全体を少し下がらせる。前の方が押された分だけこちらへのプレッシャーが増していた。城壁近くまで押し込められるまではまだ余裕がある。まだじわじわと下がりつつ、雪狐達をいなしていきたいと考えていた時だ。



 シャアアアアッと雨が叩きつけるような音が聞こえた。いや、違う、雨じゃない、もっと固い何か、氷の粒か雹のようなと思った時には、目はその原因を捕捉していた。



「ウォルファート様っ!?」



「ちょ、あれはまずいです!」



 セラさんとロリスさんの悲鳴が響く。それが聴覚を叩く中、僕の目に映ったのは、雪狐が半包囲陣を敷き断続的に青白い吹雪のようなガスを叩きつけている光景だった。その中心にいるウォルファート様の全身が、みるみる白く染まっていく。まさか雪狐が氷系のブレスまで使うのか。悪い意味で予想外だった。



「痛っ! おまえらこっちが手加減......うっ、凍りそーだろっ!」



 ウォルファート様の声が風に乗って届く。流石に鎧も盾も武装召喚(アポート)しないのは、相手を警戒させないためとは言え舐めすぎだと思う。実際ブレスに晒されかなり痛そうだ。闘気での防御も万能ではない。



「エリーゼ、いこっ!」



「うん!」



 意外にも真っ先に動いたのは、双子ちゃんだった。ウォルファート様の危機に使命感が恐怖を超えたのか、勇敢にも雪の上を走り出す。「あっ、待って!」とセラさんも続こうとするが、僕が押し止めてそのまま前に出た。



「大丈夫ですから任せて下さい。ロリスさん、後衛の指揮頼みます」



 返事も聞かずに、僕はシュレンちゃんとエリーゼちゃんの小さな二つの背中を追った。ここまで来たんだ、何とかしてあげたいとは思う。滑りそうな雪の上を踏み締める。雪上を駆けるのは中々難儀だが、ここは双子ちゃんの意気に託そう。



 この賭け、どちらに転ぶか見物だな。僕が張るなら? そりゃあウォルファート様と双子ちゃんに張るに決まっているさ。

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