話して分かる相手かい
「火急の用件につき失礼致します! オルレアン公にご注進、王都南門前に警戒対象の雪狐多数!」
文字通り飛び起きた俺達の微かに残った眠気を、兵士が告げた報告が追い払う。いつ来るか分からないということもあり仮眠を取っていたが、そこは全員がそれなりに経験を積んだ猛者だ。前もって俺が門番に「もし兵士が尋ねてきたらすぐ通せ」と言っておいたこともあり、情報伝達はスムーズだった。
「分かった、よくやったな。数は? 外が吹雪みたいだが見えたか?」
「は、はっきりとは分かりません。しかし少なく見積もっても、数十以上はいたように見えました。吹雪を通して赤い目がギラギラと光るのが確認され、私が持ち場を離れてご報告に上がった次第!」
「十分だ。疲れているところ悪いが、残り十九人は南門に集結させろ、それまでは俺達四人で相手する」
肩で息を切らした兵士が、ぐるりと顔を左右に振る。この短い間にさっさと準備を整えたエルグレイ、ロリス、ラウリオの三人を見てパッと顔を輝かせた。
「よ、よろしくお願いいたします! まさかアウズーラと戦ったあのエルグレイさんがいらっしゃるなんて心強い!」
「いやあ、そんな大層なもんじゃあないですが......まあ期待してもらっていいですよ」
何だよ、エルグレイの奴、満更でもなさそうだな。「じゃ、行きますか」と言い残し、さっと天才の名を欲しいままにした魔術師は玄関を飛び出した。
その後に冬用に加工したハードレザーアーマーと防寒具を装備したラウリオが続き、呪符を装備したロリスが後を追う。
俺がしんがりになったのには理由がある。別に足が遅いとかそんな不名誉な理由じゃない。一緒に着いていくと言って聞かないチビとその母親がわりがいるからだ。
こんな夜更けにわざわざ寒い思いして危ない場所へ行く意味あるのかと俺は反対した。だがシュレンは「ルル届けるの! 一緒に行く!」と主張して聞かなかった。エリーゼは寝癖を一生懸命直しながら「ルルのパパとママに返してあげるから行くよ、ふわあー」と欠伸をしながら、その小さな顔をゴシゴシ擦っていた。
「すみません、私も危ないと止めたのですが、どうしても聞かなくて」
「言い出したら聞かねーからな、こいつら。全く誰に似たんだか」
謝るセラに苦笑しながら、シューバーの顔を思い出していた。言われてみればあいつ頑固なところあったよな。そして視線をシュレンとエリーゼに落とす。二人で仲良く抱っこしているのは今回の騒ぎの張本人だ。いや、人じゃねーけど。
キューと小さな雪狐は鳴いた。その白いふわふわした毛皮を、名残惜しそうに双子の手が撫でる。こいつを差し出せば、きっと雪狐の大群は帰ってくれるはずだ。まさかここまで来て人違い、いや、狐違いなんてことは無いよな。もしそうなら、ほんとに王都に迫る雪狐共を撃退しなくてはならなくなる。
「ルル、お前にかかってんだぞ。ちゃんとお前のパパやママのお怒りを解いてくれよ?」
俺はそう囁きながら、軽く子狐の顎を撫でた。分かっているのかいないのか、ルルはくすぐったそうに喉を鳴らし身を縮めている。頼むよ、いやほんと?
「当然セラも来るわけだよな......」
「そ、それはもう! シュレンちゃんとエリーゼちゃんが最前線で体を張るんです。私一人がお屋敷で縮こまっているなんて、出来るわけありませんわ!」
南門へと俺達を届けてくれた馬車から降りながら、俺に向かってセラが必死に主張する。外套のフードからたなびく銀の髪には早くも雪が纏わり付き、まさに白銀色だ。しかしその髪の間から覗く顔色は紙のように白い。
「ルル、パパとママに会わせたげるね、もう少し辛抱して」
「ありがとね、あたしたちと遊んでくれて」
そのセラのスカートに隠れるようにしながら、双子はてくてくと歩いていた。ルルは今はエリーゼの腕の中だ。まるで白い雪玉のように、小さく身を縮めている。この小さな背中に俺達の命運がかかっていると思うと、滑稽なような恐ろしいような奇妙な気分になるぜ......
「なあ、ここまで来たら十分だからさ、セラお前待ってたら? 城門の外まで行くの怖いだろ、無理すんなよ」
どう見てもぶるっているセラを気遣い、声をかけた。ある意味使命感と非日常に浮かれている部分もあるシュレンとエリーゼよりも、寒さと獣の大群の恐怖に震えているセラの方が重症だ。正直足手まといなんだがとは、口が裂けても言えないがな。
「無理じゃありませんから。大丈夫です、一応ウォルファート様の内縁の妻ですもの、狐なんて怖くありません」
そう言ってセラは俺より前に出た。守られるだけの女にはなりたくないようだ。
出会った頃に比べたら、ずいぶんとその背中はシャキッと伸びたような気がする。
(ったく、変わらないのは俺だけか?)
場違いな思いが俺に自嘲の笑いを引き起こし、そしてすぐに雪の中へ消えていった。
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南門に着いてから、俺達はまずはそのまま王都を囲む防壁へと上がる。地上には、ギュンター公から借りた二十名の兵士達がいる。流石に雪狐共もいきなり攻勢をしかけてくる愚は侵さないらしい。まずはこちらが様子見といこう。
「お疲れ様です、あそこにいますよ」
先に到着していたエルグレイ達が、指を伸ばした先を見る。
おー、いるわいるわ、白い狐の大群が。吹雪で視界が悪くはっきりとは把握出来ないが、少なくとも百近くはいそうな感じだ。そいつらの赤い目の輝きが、闇の中を降りしきる白雪を通して尚こちらに届く。ズラッと横に並んだ赤い目が煌々と輝く様子は、中々迫力があった。
「怖いー、あれ全部狐さん?」
「ルルと全然違うよお」
うん、まあシュレンとエリーゼから見たらそうだろうな。魔物じゃないとは言っても、れっきとした野生の獣だ。成獣ともなればそれなりに大きくもなるし、それに中には人語を話すような老獪な個体もいるだろう。
「そらまあ子狐だしな。ルル、あれお前の仲間だぞ、分かるか?」
俺の呼びかけにルルは「キュー」と一声鳴いた。
大丈夫だろうか? 普通の動物なら仲間の気配を察知して、もう少し反応しても良さそうな気がするんだが。まあ距離が遠いし無理ないか。そうしている間にも、ラウリオとロリスから情報がもたらされる。
ロリスは器用に呪符を操り、雪狐の大群に向かって飛ばした。これでその気配の数を、かなり正確に数えることが出来るらしい。彼女によると百三十ジャストもの雪狐がいるとか。
しかも嬉しいことに、呪符を通じて奴らの思考の一部も拾ったというおまけも付いてきた。
「勇者様の言う通り、子狐を探しているようです。殺気だっていますよ」
「こちらの被害はまだ出ていません。でもこのままだと南門は使えませんね。隊商も入れないし、一般の通行人もこちらからは出入り出来なくなる」
ロリスとラウリオの報告を聞き、俺は素早く思考を巡らせた。あまり向こうを刺激したくはない。とりあえず俺が非武装で近づいてルルを返せば、それで納得して帰ってくれるだろう。さっさと終わらせたいもんだ。よし、そうするか。
「シュレン、エリーゼ。ルル貸して。俺が返してくるからここでお留守番してろ」
しかし、俺の考えはひたむきな双子の目に否定された。ギュッとルルを二人で抱きしめながら、シュレンとエリーゼが頑なに首を横に振る。
「シュレンが!」
「エリーゼが!」
「「返しに行くー! だいじょーぶ!」」
「おいおい、危ないから無理だって......いや、行けるかも?」
子供二人がいきり立つ百三十匹の雪狐に近づいてルルを返すという無謀極まりない案は、一見非現実的に見える。
だが相手を刺激しないという点については、もしかして理想的かもしれない。少し形を変えてやってみる価値はあるか。
あまり時間もかけていられない。僅か十分程で俺達は考えをまとめた。よし、後は度胸の問題だ。
雪がちらつく暗闇を後方からの光が照らす。エルグレイが作り出した魔法の明かりのおかげで、視界は格段に良くなった。
積もった雪を踏んで歩きつつ、前方に目をやる。雪狐共の中から一際でかいのが何体かいるように見えた。あれが群れのリーダーだろうか。
「大きいですね。雪狐ってあんなに成長するんですか?」
「牛並みのでかさだな。変異体か?」
俺のすぐ後ろについたセラに答えてやる。話し合いの結果、雪狐と接触するのは俺、セラ、シュレン、エリーゼの四人になった。最初は双子が自分達だけで行くと言っていたが、流石に無謀なのでアレンジしたんだ。
武器や防具こそ付けていないが、セラにはロリスが持たせた呪符がある。双子の服の裏にも防御力を高める呪符を縫い付けたし、そうそう簡単にはこちらに手を出せはしない。
しかしグルルルと唸る雪狐の群れを前にすると、流石に俺以外の三人はすくみがちだ。ルルを返せばいいとは分かっていても、シュレンもエリーゼも顔が強張っている。けして寒さのせいだけでもないだろう。
それでものそのそと俺達は近寄る。双子の腕に丸くなる小さな雪狐は事態を分かっていないのか、身動きしない。
「あーあー、聞こえる? 話分かる奴がいたら出てきてくれないかな」
「ウォルファート様、軽すぎますよ」
雪狐達との距離が30メートルくらいにまで近づいたところで、俺は声を張り上げた。セラに突っ込まれたが、まあ聞こえればいいんだ。
"ワタシガハナセルガ、イカナヨウカ? タイオウハヘントウシダイダ"
ほら、反応したぜ。雪狐の中から、特に体が大きい一体が前に出てきた。先程牛のような巨体と評した奴だ。体長2メートルはある狐って怖いよな。白い悪魔の遣いのようだ。その後ろに同じくらいの大きさの個体がもう一体いる。夫婦なのかもしれないな。
「お前らこの子供の雪狐を探してたんだろ。わざとじゃなかったが、行き倒れになったところを連れて帰っちまったんだ。ほら、このとおり元気だしさ。きちんと返すからこれで終わりにしないか?」
進み出てきた雪狐の主の赤い目が細まる。俺の合図に合わせて前に数歩出たシュレンとエリーゼが、二人がかりでルルを見えるように差し出した。
まだ雪狐の群れまで25メートル以上の距離がある。それでも吹雪を通して、奴らはルルを認識したようだ。オオウ......というどよめきのような音が群れから響いてきた。
"タシカニワタシタチガサガシテイタイチゾクノコニチガイナイ。ソウカ、キミタチノモトニイタカ。オウイ、イッショニカエルゾ、ハヤクコイ"
歯の隙間から軋みをあげるような声で、雪狐の主がルルに語りかける。シュレンもエリーゼもびびりながらも「ほら、ルル。パパ、かな」「いっていいの、いって」とルルに声をかけた。
いや、これでお別れかと思うと別れの涙の一つも出そうだけれど。無理ないか。百三十もの雪狐が、じっと赤い目でこちらを注視しているんだ。恐怖の方が勝るらしい。
「オウイ、ハヤクコイ。ナニヲモタモタト」
巨大な口を開けながら、雪狐の主が吠えた。オーン、オーンと他の雪狐達も唱和するような鳴き声をあげる。白く降り積もった雪の大地を、狐達の鳴き声が迫ってくる。荒波にも似た迫力があった。
「ルルー、ほら、行くのー」
「おうち帰らないとおこられちゃうよー」
おい、おかしくないか? 同族の雪狐達がこれだけ鳴いていて聞こえない訳無いのにさ。おまけにシュレンとエリーゼが必死に促してるのにさ。
「ウ、ウォルファート様、ルルちゃん、怖がって動けないんじゃない、ですか?」
セラの指摘に俺は固まった。よく見れば、確かに小さな雪狐はぶるぶる震えているじゃないか。それも視線を左右に動かし、雪狐達の群れを視界で捉えながらだ。これさ、まずいんじゃね?
理由は分からないが、ルルは動かない。いや、動けない。双子の腕から出ようともしない。完全に嫌がっているのはもはや明らかだ。ほら、見ろよ。雪狐達もおかしいと思ってるみたいだぞ、ルル!
"--キサマラ、ワレラノコヲトリコンダカ? ナラバ、チカラズクデウバイ--"
「ちょ、ちょっと待てよ。短気は損気って言うだろ? あ、狐はそんな言葉知らないか」
ボッ! と大きな雪狐はその全身の毛を逆立てた。怒っているのは明らかだ。俺の言葉も聞いちゃいない。
"--メヲサマサセテヤル、カワイソウナコヨ......ニンゲンドモ、カクゴシロ!!"
「ルルー、ほら行かないからおこってるよー!」
雪狐の怒号が冬の夜をつんざく中、シュレンの必死の呼びかけが虚しく響いた。
「う、ううっ、やだよ、エリーゼこわいよ!」
ザンッと雪を蹴散らしながら、雪狐の大群がじりじり間合いを詰める。剥き出しの敵意を前に、エリーゼが声を震わせる。一歩、また一歩、勝手に足が後退していく。
「これはもう......交渉失敗ですよね! 目を閉じて、シュレンちゃん、エリーゼちゃん!」
「頼むぜ、セラ!」
畜生、こうなりゃ作戦変更だ、やるしかないか!
雪狐の何匹かが、一気に積雪を蹴散らしながら飛び掛かってくる。速い、ほんとに雪をものともしていない。
三人をかばうように前に飛び出した瞬間、セラが鋭くその懐から呪符を一枚取り出す。そして間髪入れずに地面に叩きつけるのが見えた。




