表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/160

白き足音

 執務室に二人を招き入れる。ここまで通されたということは、軍事府の受付でそれなりに重要な用件だと判断されたのだろう。

 俺とアニーが良く知った仲という事は、大抵の奴は知っている。だがそれだけで顔パスするほど、軍事府は甘い組織ではない。シュレイオーネ王国の防衛の要にして、戦局判断の頭脳でもある唯一無二の戦闘集団だ。緩いはずがないだろう。



 席に着いた二人が畏まるのを促し、話をさせる。ミランダさんが主な話し手、アニーはその話が細かい部分で違った場合の訂正や補足という分担だ。全ての説明を半時間ほどで聞き終え、俺は何とも言えない表情をしていたと思う。



「雪狐が人を襲う、ねえ?」



「信じられないかもしれません、でも本当なんです。ここ三週間でギルドに報告があっただけで、八件もの被害が出ています。未報告の事件もあるとすれば、恐らくニ桁に上るでしょう」



「今までこんなこと無かったの、すいません、ありませんでした。ご承知の通り--」



「分かりました、ミランダさん。アニー、いつもの口調でいい。俺が認める」



 微かに思い当たる事柄が、俺の頭の中で光る。三週間。雪狐。大人しいとされる雪狐が人を襲う事件、それが多発している事実。それらを並べていくとすると、関係しなくはないか。



「ミランダさん、冒険者ギルドではこの件に手配は? ここに運び込まれているということは、もう手に負えないという規模になってるってこと?」



「駆逐クエストとして手配済みです。ですがおっしゃる通り、一事件として扱うには危険と判断しております。ギルドマスターと相談の上で、こちらにご報告に上がりました。アニー、資料を」



「はい。ウォルファート様、これ見ていただいてもいいですか。八件の事件の発生箇所を地図に記したの。横に書いてあるのは確認出来た雪狐の数ね」



 アニーが差し出した資料を一瞥しただけで、俺は顔をしかめた。雪狐による襲撃事件は、この王都に徐々に近づいていることが分かる。

 発生箇所は王都から見て東西南北バラバラだが、まるで包囲網を縮めるように迫っているのだ。事件を発生した順に指で追ってみると、ぐるりと丸い渦が出来た。その中心に王都がある。



 (まるでこの渦巻きの原因が王都みたいな......)



 しかしいくら事件が多発していると言っても、魔物でもない獣による事件だ。普通はたいしたことないはずだがと思いつつ、確認出来た雪狐の数を見てびびった。

 最初の事件ですら四十以上の数が確認され、それが徐々に増えている。一番最近の事件(二日前だ)ではその数が百を超えていた。



「こりゃただ事じゃねえな。アニー、お前、これを直接俺に持ち込んだってことは、あれと関連づけてるんだろ?」



「うん。あたしも何も雪狐が大量発生しただけならそこまで考えないけど......事件で襲われた人が、あ、ちなみにまだ死者は出ていなくて怪我人しか出てないのね、聞いたらしいの」



「何を?」



「雪狐のリーダー格らしき大きな個体が喋ったんだって。カエセ、コハドコダカエセって」



 うっすらと予想はしていたが、まさか的中するとは。嫌な予感ほど良く当たるとはこのことだ。

 人里離れたところに住む雪狐が、わざわざ大群を成して王都に迫っている。その理由として十分考えられるじゃないか。



 俺の沈黙とアニーの視線に、何やら感じる物があったらしい。ミランダさんが俺に「何かご存知なのですか」と聞いてきた。ほとんど確信に近い調子の口調が刺さる。仕方ない、正直に話そう。



「多分この事件、俺のところが原因だわ。一ヶ月くらい前にさ、雪合戦大会がグランブルーメ幼稚園であったんだよ」



「あ、アニーからそれは聞きました。けどそれと何が?」



「言いづらいんだがな、その時うちの双子が行き倒れの雪狐の子供を一匹保護したんだ。あんまり連れて帰るっていうから、俺も反対出来なくてな」



「え......つまりそれは」



「子供がさらわれたと考えたんだろうな。雪狐達が人間達に復讐しながら、子供を探しているんじゃないかってこと」



 まだアニーはミランダさんにこの事は話していなかったらしい。「聞いてないわよ」「勇者様がこの事件の原因かもなんて軽々しく話せませんよ」という短いやり取りの後、気まずい沈黙が下りてきた。さて、どうするか。いや、どうするもこうするもないのか。取れる手はただ一つだ。



「一番最後の事件が二日前てことは、下手したら今日にでも王都に到着するって訳だよな。分かった、雪狐の集団がルル--保護した雪狐の子供な--を探しているという推測は正しいと思う。その前提の下に行動しよう。俺が責任持って退散させてやる」



「え、ちょっと待ってよ、ウォルファート様! 相手百匹超えてるんだよ、いくら何でも軍を出して相手しなきゃ無理だよ!」



「アニーの意見に私も賛成です。確かに子狐を返せば納得して帰っていくかもしれませんが、激情に駆られた雪狐達に今まで八件もの事件が起きているんですよ。死人こそ出ていません。でも冊が破壊されたり、家屋が取り囲まれたりしています。隊商の積み荷さえも奪われました。山賊並に危険ですよ?」



 アニーとミランダさんが本気で止めにかかる気持ちも分かる。しかし、これをギュンター公に報告するのか? 

 わざわざ軍を動かすとなると時間もかかるし、何より俺の気持ちがすっきりしない。勿論こんな事態になるとは、露ほども予想していなかった。だがそれでも、あそこでシュレンとエリーゼを止めていさえすれば。



「俺のミスだ。自分の尻拭いくらいはするさ」



 こんなことにはならなかったはずだ。後悔先に立たず、だがこの汚点は自ら晴らさねばなるまい。



「というわけで俺は早退してくる。ミランダさん、アニー。冒険者ギルドに戻って、主だった奴に声かけてくれ。俺が依頼主になる」



「駄目ですって、声はかけますけど軍の力も借りるべきですって! これ、別にウォルファート様のせいなんて誰も思わないですよ」



 ギュンター公の執務室へと向かう途中、追い縋るアニーに回り込まれる。背後からはミランダさんの気配が伝わってきた。そんなに無謀か。二人の切迫詰まった顔を見ていると、流石に俺も強気が揺らぐ。

 しかし時間がもったいない、歩きながら落としどころを考えている内に、あっという間にギュンター公の執務室の前に来ていた。



「ウォルファート・オルレアン、入ります」



「どうぞ」



 厚い扉の向こうから、渋い声が聞こえてきた。その響きに背中を押され、俺はどう話すべきかその瞬間決意を固めた。




******




 いつのまにか小雪がちらつき始めていたようだ。王都を疾走していた馬車が止まる。すぐに俺は飛び降りた。ガタガタと馬車の車輪が抗議するように音を立てるが、そんなことに構っちゃいられない。

 軍事府を早退してグランブルーメに立ち寄った後、俺は驚くシュレンとエリーゼを小脇に抱え、さっさと屋敷に戻ってきた訳だ。



「お帰りなさいませ、旦那様、シュレン様、エリーゼ様」



「ああ、ただいま。わりい、シュレンとエリーゼの荷物持って」



 出迎えた門番に素早く指示を飛ばしつつ、俺は頭の中を戦闘態勢に切り替えていた。アニーの見せた資料を思い浮かべる。

 一番最近の事件が起きたのは二日前、場所は王都から東に15キロほどの距離にある小さな集落だ。雪狐共がまっすぐ王都を目指すか、あるいはまたじりじりと周辺を荒らすかは分からない。だが少なくとも、油断できる事態じゃない。



 いかにこの季節、雪が降れば移動に支障が出るとはいっても、直線距離で15キロは大した距離ではない、二日あれば十分走破可能だろう。

 ましてや相手は冬山を住家とする雪狐の集団だ。王都のある平地など、積雪していてもたかが知れている。



「パパ、なーに、いそいでるの?」



「よーちえん、まだ遊びたかったよー」



 何が何だか分からないという顔でシュレンとエリーゼが聞いてくる。くっ、時間が惜しいが最低限の説明はしないと、こいつらも納得はしないか。ある意味一番の当事者でもあるしな。

 そう思いはする。だが、やはりこれから話すことはかなりの反対を受けるだろう。その覚悟が憂鬱だった。



「あら、お帰りなさいませ。シュレンちゃんもエリーゼちゃんもお帰りなさい」



「セラただいまー、あのねー、パパが何か急いでるのー」



 足早に玄関に出てきたセラに、シュレンが纏わり付く。エリーゼはまだ俺の左手にすがったままだ。何となく不安を感じているのか、その焦茶色の瞳が揺れているのが見えた。

 パタン、と俺の後ろで玄関の扉が閉まるのが聞こえ、冬の冷たい空気が遮断されるのを感じた。だが俺にほっとする暇は無い。ええい、何を迷ってるんだ俺は。どうせいつかは二人に決断させなくてはならなかったことだろうが。



「シュレン、エリーゼ、よく聞いてくれ。ルルを親元へ返す。あの雪狐とはお別れだ」



 俺の発言は文字通り双子を凍りつかせた。近いうちにその日が来ると知っていたセラでさえ、いきなりの話に言葉も出せないまま、右目を大きく見開いている。しかし俺に躊躇いはない。



「ゆっくり話すから聞けよ? 雪狐の大群がな、あの小さな雪狐を探しているんだ。どうもあの行き倒れみたいな形で俺達が拾った雪狐の親が--パパやママが探しているのがルルみたいなんだ。だからな? 返してやろう」



 膝を床に着いて、俺は二人に目線を合わせた。セラの側に立つシュレンはいきなりの話に「嘘?」と表情を強張らせ、エリーゼは「やだっ! ルル、一緒だもん!」と声をあげた。まあそうくるわな、しかしここは心を鬼にしなければ。



「あのな、ルルを返さないと大変なことになるんだ。雪狐どもがこーんなにたくさん集まって人を襲っているんだぞ。それだけじゃない、この家にもルルいないかーって押し寄せてくるんだぞ」



 俺が少々芝居めいた怖い顔で言うと、双子もこれは本気だと分かったらしい。だがついさっきまで最近一番可愛がっていたルルをいきなり返すと言われても、納得行かないのだろう。二人ともグズグズとセラに泣きついていた。



「ルルとお別れするの、シュレンやだよー。もっと遊びたいよ!」



「狐さんも一緒に遊べばいいのー。エリーゼ話してくる」



 二人とも必死だ。壁に遮られた庭の方を指差しながら、セラに訴えている。ルルは今頃は庭の片隅で眠っているはずだ。

 自分の仲間--親もいるな--がこの雪の中を探し回っていることを知ったらどう思うのだろう。狐がそこまで賢いかどうかは分からないが。



 そんなことを考えている間に、俺の意図を察したセラは二人を説き伏せようとしてくれていた。正直助かる。



「シュレンちゃん、エリーゼちゃん。あのね、ルルちゃんが可愛いと思うならパパやママのところに返してあげましょ? 二人にはウォルファート様や私がいるけど、ルルちゃんには今誰もいないのよ。きっと寂しいんじゃないかと思うの」



「「でも......」」



「やっぱりほんとのパパとママがいたら、お返ししてあげる方がいいんじゃないかな......ね?」



 セラの言葉が普通の子供--両親が共にいる中で育った子供にかけられたなら、その言葉にはさほど重い意味は無かっただろう。だがシュレンとエリーゼにはまた違う意味がある。二人は昨年夏に、本当は実の親がいないと知らされたんだから。それを知りながらセラはあえて言ったのだ。



「ほんとのパパとママ......?」



「ルル、あたしたちといたらやっぱり楽しくないの?」



「ううん。楽しくないなんてことないわ。でもね、きっとルルのパパとママもルルに会いたいんじゃないかな。それは分かってあげて?」



 戸惑う双子にセラがかけた言葉は優しく、それでいて強かった。これで良かったんですよねというように俺を見たので、頷きで応える。

 シュレンもエリーゼも、表明上は実の親が死亡して存在しないことを乗り越えたようには見えるが、内心気にしていない訳がない。そこをわざわざ突くような言葉を使ったんだ。些か酷に思えたが、事態が容易ならざるということを考慮すればやむを得なかった。



 (許せ、シュレン、エリーゼ)



 心を鬼にして、俺は努めて明るく振る舞うとしよう。双子が悪意があってルルを飼っていたわけじゃあない。

 ただ、人間が飼うには色々と問題がありすぎたんだよ。それが実害を及ぼしてしまった今、諦める決断を待った無しに強いられているということだ。そう、そういうことに過ぎないんだ。



「よし、二人とも。ルルを連れてきてくれ。雪狐達は多分もうすぐ来るから、それまでうんと可愛がってやれよ。ありがとうって言うの忘れるなよ」



 返事はすぐでは無かった。代わりに返ってきたのは二人の沈黙。それがやたらと重く感じたが、少し躊躇いがちにシュレンがそれを破ってくれた。



「うん、分かった。ありがとうって言う。エリーゼ、ルル返してあげよ?」



「う、うん。シュレンそう言うならやだけど、そうする」



 決断が速かったシュレンに引きずられる形で、渋々エリーゼも賛成してくれた。普段はエリーゼの方が勝ち気なんだが、迷いを引きずらない強さがシュレンにはある。四歳くらいになると子供なりに性格の差が出てくるのかな。




******




 二人を何とか説得したことに安堵しつつ、俺は他の準備にかかる。事情を話して早退した時に、ギュンター公からは「兵二十人なら秘密裏に動かせる。好きに使っていい」という許可を貰った。雪狐の大群がどれほどの脅威になるかイマイチ分からないが、もし戦闘になってもこれだけいれば何とかなるはずだ。



 軍を動かすことに俺が抵抗を覚えたのは、そもそも自分の判断ミスが招いた事態ということもあった為だ。そして軍が動くと、間違いなく王都の住人達に動揺が広がるからだ。

 避けようがない戦争ならば早めに事態を公開することが必要だが、今回は何だかんだいって危険の度合いが不明だ。人語を話した雪狐がいることから、そこそこ年数を重ねた個体がいるのは分かる。それにしたって街一つ壊滅させかねない上位の魔物と比べる程でもないだろう(実は目撃者がど近眼で氷竜(アイスドラゴン)を雪狐と見間違えていました、というオチなら、その瞬間俺は人生を諦める)。



 だから俺と手の空いた奴らがいれば、何とかなる自信はあった。ま、流石に一人ではきついだろうけどね。







「しかしほんとに来るのかね。呼んでおいてあれだけど、全く何もなく無駄足ってこともあるんだぜ」



 屋敷の一室で、俺は全員の顔を見ながら話す。ま、全員と言っても俺含めて四人しかいないんだがな。アニーめ、微妙な事態だから俺が気心知れた連中だけ呼んだのか。



「それは承知の上なのでお構いなく」



 そう笑ったのはエルグレイだ。見慣れた濃い緑色のローブ姿がこれほど頼もしいと思えたことはない。何せ対多数となれば、一網打尽できる魔術師(ソーサラー)の右に出る者はいない。



「何言ってるんですか、僕と勇者様の深い仲じゃないですか。水くさいなあー」



「ロリスさん、それセラさん聞いたら怒るよ。止めた方がいい」



 小柄な退魔師(エクソシスト)がその帽子をクルクルと指で回しながら危険な言葉を吐けば、その隣に座る黒褐色の髪と目をした男がたしなめた。ロリスとラウリオの二人がいれば、取れる戦術の幅は広がる。ありがたい。



「事情はさっき話した通り。雪狐が群れをなして王都を目指している可能性は高い。けどいつ来るのかは不明だ。五分後かもしれないし明日の朝かもしれない。はたまた実は諦めて来ないかもしれない」



「最後のそれになったら楽ですね。ま、楽観的にはならない方が長生きできるのは、冒険者の常ですが」



 俺にロリスが合いの手を入れた。寒い冬だけに黒いタイツを履いているので、いつもとちょっと雰囲気が違う。しかし寒いのが嫌ならショートパンツを止めて防寒具に替えろよ。そうさっき言ったら「僕の唯一のお洒落なんですよ」と真面目に言われてしまったぜ。



「経験を重ねた雪狐が喋るのはありえますが......百匹超で集団行動ですか。正直見たことがないな」



「まさか白神狼(フェンリル)の子供ってことないでしょうね、その子狐」



 ラウリオが腕組みしつつ視線をさ迷わせている間、エルグレイは俺に聞いてきた。そうか、エルグレイはルルを見たこと無かったな。



「流石にそれはねえよ。雪狐と白神狼(フェンリル)見間違える程には落ちぶれていねえさ」



「それはそうですね、失礼」



 待機状態の俺達ができることと言えば、話すくらいしかない。 イヴォーク侯の私兵であるラウリオは「あんな雪合戦を侯爵が企画しなければなあ」とぼやき、「しかしちょっと見たかったですね」とエルグレイが答える。

 その間にロリスが「ルル見ておきますよ」とちょっと離席したり、緊張感はあるものの、それなりに賑やかな時間が経過していく。







 その時雪が激しさを増し、窓がピシピシと音を立てていたのを俺はいやに覚えている。夜半過ぎだったな。雪狐の大群が確認されたと叫びながら、一人の兵士が屋敷に文字通り飛び込んできたのはさ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ