俺とメイリーンと赤ちゃんと
俺は考えた。子育ては大変だ、と認識するのは大事だ。実際大変だし。
だが、だからこそそれだけに埋没していては駄目だ。考えてみれば、これまで親になどなったことがない人間がいきなり親になるのだ、最初はうまくいかなくて当たり前だ。
「なので! たまに息抜きに女の子のいる店に行くのは重要だよな、メイリーンさん」
「そ、そうですね」
俺が真面目に言っているのに、どことなく気まずそうにメイリーンは目を逸らす。今はシュレンが眠っているかわりにエリーゼがぐずついているので、それをあやしてくれている。おしめも変えたし、お腹もいっぱいなのに何故泣くのか、俺にはさっぱり分からない。
生まれてから二ヶ月ちょっと、少し大きくなった双子はとりあえず健康に育っている。赤ん坊というものはもっと頻繁に体調を崩すのではないか、とびびっていた。しかし朝と夕方に俺が抱っこして散歩に行く以外は、家の中で生活しているおかげだろうか。今のところは目立った病気などはない。
メイリーンによると、生後半年くらいまでは何故か赤ん坊は病気にかかりづらいそうだ。理由はよく分からないが、そういうもんらしい。誕生を祝福する神の加護とも言われることもあるが、眉唾だと思う。
「私は二ヶ月しか自分の子供の面倒を見る機会は無かったですけど、やっぱりしんどいなあと思う時はありましたね」
「へえ、女性でもそうなのか。何となく母親は平気だろうと思ってたけど」
ほんの少しの後悔とそれを上回る優しさがこめられたメイリーンの声、それを聞きながら俺は相槌を打つ。
メイリーンが「それは違いますよ」と俺をたしなめた。愛嬌のある顔が困ったように眉を寄せている。
「女だからこそ困惑するというのはあると思います、おーよしよし」
「自分で腹を痛めて産んだ子だから何があっても可愛いと思う、ってわけでもないんだ? おー、ほら泣き止め、エリーゼ。べろべろばー」
エリーゼをあやしながらの会話だけに、どこかおかしい。メイリーンに話しかけながらも、俺は自分の顔を指で引っ張り変な顔をしてみせた。たまに効果があるのか、赤ん坊が泣き止むことがあるのだ。
「キャキャ」という小さな高い笑い声が返ってきてホッとする。ピンクと白の中間色のような肌に小さい口、俺の小指くらいしか掴めなさそうなこれまたちっこい手と、エリーゼの各部分を見てみた。俺も昔はこんなんだったのかとちらっと考える。
「あ、今日は効果ありましたね。さっきのお話の続きですけど多分、母親の方がジレンマ抱えますよ。上手くいかないことばかりですもの」
ほっといても話しそうなので、俺は黙って頷くだけだ。普通は女は聞いて欲しがる生き物だから。
「こんな可愛い赤ちゃんを育てられるならどんなに幸せかなと、やっぱり自分の中で期待しちゃうんです。でも夜泣きで真夜中に起こされて二時間も抱っこしてようやく寝かしつけたり、なかなか上手くおっぱい飲んでくれなかったりすると、期待してた分だけイライラしちゃうんですよね」
「ほう......そんなもんかい」
「ええ、まあ。それに女も出産したからっていきなり内面まで、母親に変わるわけじゃないですから。覚悟はしていても、好きに外出したり友達と会ったりと今まで出来ていたことがですね。育児にかかりきりで何も出来なくなるのは、やっぱり辛いものがありますよ」
どうも男と女はそんなに違わないようだ。まあそれでも、女の方がやっぱり赤ん坊に触れ合う時間は長いから、慣れるのも早いのだろうが。
「一つ聞くけどさ。メイリーンさん、なんで子供欲しいんだ?」
俺の質問にエリーゼのふあ、という可愛らしい声がかぶさる。俺達の会話が分かるわけはないから偶然だろう。
「改めて聞かれるとなんででしょう。なんかこう、理屈じゃないんですね」
抱っこしたエリーゼを見ながらメイリーンが答える。一つ一つ言葉を選ぶようにしながら。
「夫と私だけだと家庭ではないからかなあ、とちょっと思うのもあるし。大きくなった自分の子供と手を繋いで歩いたりしてみたいというのもあるかな、と。でもそういう頭に浮かぶ事柄の他にも、もっと単純に赤ちゃんて可愛いです。だから余計に、自分の赤ちゃんが欲しいっていうのはありますね」
「確かに可愛いとは俺も思う時はあるけどね」
やはり俺は一般的な考えにはついていけないようだ。男の同意がないと子供は出来ないから、概ねメイリーンの旦那も似たような考えなんだろう。
メイリーンは俺が普通の恋愛をしないことを知っている。それについていいとも悪いとも言わず、ただ笑顔で「勇者様が、いつか本気で好きになれる人が出来たらいいですね」と言ってくれた。出来た女だなと思う。
卵が先かニワトリが先かではないが、俺がもし普通の恋愛をこの先する機会が出来たら。その時は、子供が欲しいと思うようになるのだろうか?
それとも子供が欲しいと考えるようになったら、普通の恋愛をしたくなるのだろうか。
それをメイリーンに聞こうかと思ったが、何だか失礼な気がして結局止めた。メイリーンが機嫌を直したエリーゼをそっと抱えて椅子に座る。
慈愛に満ちた笑顔をエリーゼに向ける彼女の姿は、どこからどうみても実の親子に見えた。皮肉なことにな。
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「すみません、それでは今日はこれで失礼します」
「ああ、明日またよろしく」
日が沈む時間になると、メイリーンは自分の家に帰る。そういう契約だからな。双子も可愛いけど旦那は更に大事だ、やむを得ん。
(さてと、また一晩頑張りますか)
ぐるりと肩を回し、俺は気合いを入れた。そう、日没から翌朝までは、俺が基本的には一人で面倒を見なくてはいけない。見かねたアイラが時折手伝ってくれるとは言っても、やっぱり大変ではある。
とにかくまず飯だ。幸い夕方にメイリーンがシュレンとエリーゼに母乳はあげてくれているので、双子はしばらくはもつ。この隙に、アイラが作ってくれた夕飯を掻き込む必要がある。
そんなに時間がないのかとたまに訪れる人に聞かれるが、実際ない。正確にはちゃんと赤ん坊二人をケアしようとすると、まじで全然時間がない。
奴らよく泣くのだ。それも日没を合図としたかのように。夜の浅い時間帯になると泣き喚く、それがちょうど夕飯時にかかるんだから辛い。
「「フギャアフギャアフギャアアアアー!」」
「あー、なんだよ、おしめさっき替えたろうが?二人同時抱っこしんどいんだけど」
体は小さいくせに、これがまた大きな声で泣くんだ。しかも一人が泣き始めると刺激されてか、もう一人も泣く。負の連鎖だ。
まだ寝返りも打てない赤ん坊だ。正直泣き喚いてもほっとくかと思ったこともある。
けれど、赤ん坊というのは自分が泣いている時に放置されると愛されてないと感じるようになり、歪んだ性格の子供に成長し、それがヤバくなると悪党に成長するらしい。
(そう聞くと、放置はやっぱ気がひけるっつーか罪悪感はあるよなあ)
はあ、煩い泣き声が聞こえる度にため息つきながら、俺はベビーベッドに駆け寄り、「はいはい、どうちたんでちゅか。シュレンちゃん、エリーゼちゃん」と赤ん坊二人のご機嫌を取りにかかる。
口で言うのは簡単なんだが、飯食ってる時にこれが発生するとウンザリではあるんだな。アイラの料理はけして豪華ってわけじゃないが(毎日口にする家庭料理が豪華だったら怖いか)、まあまあいい線いってると思う。
それならやっぱり味わって食べたいんだが、双子にはそんなことは関係ないわけで。
「大丈夫ですか? 私、替わってもいいですよ」
「いい、俺がやるよ。まあ、名ばかりの父親だけどな」
アイラが手伝ってくれようとするのを押し止める。仕事と一緒さ、嫌でも替わってくれる奴はいねえ。
それに実の親が両方とも死んでるのに、義理の父親にも面倒見てもらってねえとかさ、さすがに不憫だろ? そこまで勇者様は非情じゃねえよ。
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「何となく落ち着いたから湯あみしてくるわ」
「分かりました、私はそろそろ就寝しますね」
双子が泣き声が止んだ瞬間を狙って、俺はベビーベッドから離れる。冷めたスープを胃に流し込む。そして、アイラのおやすみなさいの挨拶に頷く。
「まじ辛いんですけど」とぼやきながら、その反面(魔王軍に追われてた時はもっと酷かったよなあ)とも思う。とりあえず命が取られないだけましだぜ。
湯あみ、つまりたらいに湯を張りそこに服を脱いで下半身だけ沈めて体を洗うことだが、は基本は中一日でやっている。今日湯あみしたら明日はなく、明後日また入るって感じだ。
アイラと二人でローテーション組み、片方が入る日はもう一人は入らないようにしている。お互いが入った湯に入らないように配慮する為だ。
まあ、互いに気がねえとは言っても異性が使った湯で体洗いたくはないよな、エチケットだよ。
さっさと服を脱ぎ、たらいの湯に腰を下ろした。熱い湯に思わず言葉にならない声が漏れる。あー疲れたなあ、と俺は自分を労いながら耳を済ます。
扉二つ隔てた部屋にシュレンとエリーゼがいる。ちょっとぐずつき出しているのが、気配で分かる。
驚くようなことじゃない。レベル70後半にもなればこれくらいはお手の物だ。思い切り神経を張り巡らせれば、壁があっても周囲数軒の近所の家の様子くらいは探れる自信がある。
逆に言えばこれができるから、双子をほっといて湯あみができるわけだ。何か異常があってもすぐ気がつくからな。
手早く体を拭いて、さっさと寝巻きに着替える。今は夏だから半袖の軽装だ、熱帯夜ってわけじゃなくてもこれくらいで無ければ暑い。
「さあてと、また一晩頑張りますか」
そして俺はいつもの長い夜へと挑むのだった。
赤ん坊でも時間感覚はあるらしく、基本は夜は寝る。だが真っ暗なのが怖いのか、大人が寝かしつけてやらないと眠れない。眠いけど眠れないというのが気持ち悪いのか、まず寝つくまで泣く。
「これがきついんだよなあ、ほれ、こっちだよっと」
ビャアビャアと泣くシュレンとエリーゼ。一日に何回かこいつらの服は替えてやっていて、今は赤ん坊用の寝巻きだ。ただの綿の肌着だが、イニシャルの刺繍でどっち用か分かるようになっている。その肌着に包まれたまだまだ弱々しい体二つを俺は抱える。
右手でシュレン、左手でエリーゼ。まだ首が据わってないから、ちょうど赤ん坊の頭を手で支えるようにして手から肘までで抱くような形だ。ちょっとめんどいぜ?
(っと、まあ普通は大人一人で赤ん坊二人とか、面倒見れないわけだが)
ため息つきながらそこは我慢。そうさ、俺は勇者だ。ただの泣き声くらい、遮音のスキルで邪魔にならない程度にまでボリュームダウン出来る。集中して一時間はこれで凌げる。
「ちょい重くなったか、でもまだまだ、俺を疲労させるにはほど遠いよなー」
腕にかかる赤ん坊の体重が徐々に増えてきたのは、成長している証拠だ。二人いっぺんに長時間支えるとなるとじわじわ肩にくる......というものらしいが、さすがに俺には通用しない。
そりゃそうだろう、馬鹿でかい斧だって場合によっては振り回していたこともあるし金属鎧を着て走り回っていたこともある。
二時間ずっと赤ん坊二人を抱っこという苦行も、それに比べたら全然耐えられるさ。まあ、物じゃなく人なので落とさないように気をつけなきゃいけない部分はあるけれど。
「フギャアフギャアフギャアアアア!」
「おーい、シュレン、何が気に入らねーんだよー、ほらべろべろばー」
「フエエフエエエフエーン」
「エリーゼいい子だなー、ほーら、お前は段々眠くなーるー、なーるー、頼むからなーれー」
端から見たら馬鹿みたいに見えるだろうやり取り、こんなのが最低一時間は続く。酷い日は二時間以上だ。さすがにその時は途中で一回諦めて下ろして、やけ酒一杯飲んでからまたトライした。完璧なんか無理さ、育児放棄するよりましってもんだろ。
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やっとシュレンとエリーゼが二人揃って夢の世界に旅立った。寝かしつけ開始から、既に一時間半が経過していた。「あーつらー」と呟きながら肩をぐりぐりと回す。鍛えた俺ですらこれだ、一般人の親はもっと大変だろう。
しかし油断していると、不意に夜中に夜泣きで起こされるからなあ、今日もさっさと寝るか。ま、夜襲に備えて神経尖らしながら寝ていた時に比べたらまだましか。途切れ途切れでも眠れさえすれば、体はもつ自信はあるし。
「替えのオムツよーし、寝酒よーし、寝るべ」
とりあえず眠れる時に眠る、これ大事。就寝セットと俺が勝手に名付けた双子用のオムツと寝酒を枕元に置いて、俺はシュレンとエリーゼの寝ている部屋の片隅の小さな簡易ベッドに寝転がった。ベビーベッドに仲良く並んで健やかな寝息を立てている双子から、暖かい体温が部屋の闇を通して俺に伝わる。
ほんの少し、それがくすぐったい気がしつつ寝酒を口に含みながら俺は目を閉じた。今夜は何回起こされるかな、と気が滅入りそうなことを考えながら。