仁義なき焼肉パーティー!
夏も終わりに近づいたある日の夕暮れ、俺の屋敷の裏庭は白い煙と人々の声が交差する空間と化していた。炭に燃やされた薪は夕暮れに負けない赤い炎を勇壮に噴き上げ、周囲の緑と鮮やかなコントラストを描いている。
そう、これは夢だ。悪夢に違いない。焼けただれる肉に我先にと群がる人々の目は飢えた獣を思わせ、喉の乾きを癒そうと酒を手にする姿は上品という言葉とは無縁だ。人の三大欲求の一つ、食欲を全面に押し出した人間の恐ろしさに俺が恐れ戦く中、幼子の叫び声が木霊する。
「パパ、おーにーくー! シュレン、にくすきー!」
「エリーゼもおーにーくー! 足りなーい!」
「はいはい、今取ってやるから待ってろ。おーい、セラー、そろそろ交代してくれー。俺も腹へりましたが?」
そう。ここで行われているのは、オルレアン公爵家主催の焼肉パーティーだ。贅沢にもうちの屋敷の庭を場所として提供し、友人知り合いを招いてのパーティーは血生臭い戦場でも地獄でもない。だが、仁義なき肉争奪戦には変わりなかった。
子供用にと小さなフォークを振りかざし目を吊り上げるシュレンとエリーゼは、肉を求めて止まない小さな悪魔だ。最初から汚れることを想定して粗末な麻織りのシャツとパンツを着せているせいか、貴族の子供らしき雰囲気がまるでない。まあいいんだ、子供は子供らしく伸び伸びしていれば。
「「お腹すいたのー!!」」
うん......伸び伸びしていれば......いいと思うんだよ。いいと信じたい。
「すいません、ウォルファート様! もうちょっと食べてからでもいいですか!?」
「交代われよ!? 俺も肉食べてえよ!」
普段セラは食が細い。そんな彼女が珍しく食欲旺盛なのはいいことだが、俺も我慢の限界だ。
電光石火の勢いで双子を彼女に押し付け、さっさと俺も肉を焼く鉄網に殺到する。滴る肉の脂が炭に垂れてジュウジュウと香ばしい匂いを生み出し、それが食欲を更に煽った。俺の他にも何人か鉄網の周りに人はいた。しかし、まだ俺が食べていないことに気づいたからか、場所を空けてくれた。
「ありがとう、ありがとう。でもそうだね俺今回の主催者だもんね、まだ食べてないし、これくらいしてくれても罰当たらないよねー」
声をかけながら、取り皿にさっさと肉をフォークで拾い上げていく。おお、ちゃんと俺用に肉を取っておいてくれたのか。うんうん、そうだな世の中そんなもんだよな。頑張った人間にはそれだけリターンがあるもんだと頷きながら二、三切れ肉を頬張っていた時だ。
「野菜も食べよーよ、ウォルファート様。肉だけだと加齢が進むらしいよ?」
「アニーの言う通りです、もー、リールの町にいた時もついついお肉ばっかり食べようとするから心配してたんですからね」
頼みもしないのに俺の皿に乗せられたキャベツやピーマン、人参。肉を覆わんばかりのその野菜の山の向こうに見えるのは、超作った心配顔のアニーと自然に心配した顔のアイラのオーリー姉妹の二人だった。ああ、言ってることは同じなのに魂胆が違うと人間顔に出るもんだよなとしみじみ思う。
「いいんだよ、普段気をつけてるから焼肉の時くらい好きに食べたいんだよ。まあ野菜も最低限は食べるけど。けどアニー、お前はダメだ。その手にはのらねーぞ」
「えっ、何で! あたし本気で勇者様心配してんだけどなー、もうほら三十路なんだし健康気をつけないとねって」
「そう言いながら、お前の視線が肉に行っててフォークも肉に伸びているのはどういうことか。俺に野菜食わせて時間稼ぎしている間に自分が肉を食べようなんて、そんな見え透いた作戦なんかお見通しなんだよ」
俺の慧眼はアニーの動きを見逃さなかった。とりあえず空腹も最低限収まった。俺の回転し始めた頭脳は、アニーの嘘臭い心配顔の裏の真実を暴き出した。ふん、長い付き合いなんだ。この程度分からないわけあるか。
「ちょっと、アニー! あなたって子は!」
「そーだろ、アイラ。バシッと叱ってやってくれよ」
「なんでそんなすぐばれるような作戦しか立てられないの!? 考えるならもっと上手く考えなさいよ!」
「ごめんなさい、お姉ちゃん! 今度は上手くやるわ!」
「アニー、謝る対象が違うんじゃねえか!? そしてアイラ、お前もなんか間違ってるそれも激しく!」
そうか、アイラも裏切ったのか......これ、怒っていいよね。普段は優しい俺だけどこれはさあ、やっぱり天下無双の勇者様として一言ビシッと言わなきゃいけないと思うんだよ。
幸い気の利いたメイドが更に肉を追加で焼いてくれたから、俺の怒りはひとまず収まったんだが。
「やあ、あっちの網はもう空だからこっちからいただきますね。僕まだ食べられます」
ちょっ、ロリス。それ、俺が狙っていた骨付きリブ......あっ、あぶねえ、最低二つはキープ!
「はー、やっぱり大きなクエストから帰ってきて人のお金でご飯食べるのとか最高ですよねー。魔術師って頭使うから栄養必要なんですよ、モグモグ」
あっ、やばい、エルグレイに腸詰め三本取られた。いや、だが残る分は俺が絶対防衛線引いて死守、断固死守だからな。
「あ、ウォルファート様ごちそうさまです。美味しいですよね、皆で焼肉食べるのって」
ラウリオ、お前爽やかに笑いながら、人が絶対防衛線引いた部分にあっさり踏み込むなああああ! うわあああ、主力部隊がああああ!
胃袋に送りこむべき戦力が半減し、がっくりきた俺に双子が「「パパ、やさいもおいしーよ、ニンジンたべよー」」と言いながら、俺の皿に自分の皿から野菜を持ってきた。これは流石に応えた。
いや、うん、悪気はこいつらにないのは分かってはいるさ。ニンジンが嫌いだから俺によこしたわけではないはずだ、多分な。
「とまあ、こんなこともあろうかと。これ差し入れです」
「ん? 何だそれ」
ちょっと涙目になった俺は、エルグレイが収納空間から差し出した物を見た。
うーん、どうも肉っぽいけど何だろうな。1kg以上ありそうなその肉塊は灰色の獣皮がまだ付いたままで、その周りを加工した羊皮紙で覆っている。これなら保存はちゃんとされているだろう。食べるには問題ないだろうが、果たして何の肉だろう。
「古代山羊の肉の一部ですよ。絶対美味しいですからこれ」
噴きかけた。岩山を住家とする山羊型の魔物だ。そりゃまあ脚が六本、角が四本ある以外は、単なる体長3メートルある巨大な山羊に過ぎない。けど、これを食べようなんてよく考えたな。
エルグレイの言葉に、周りの面々もこの見たこともない肉を取り囲む。軽く塩漬けされた肉は牛や豚などの家畜にはない野生の臭いがあるが、むしろそれが肉本来の旨味を思わせるアクセントになっている気もする。
誰かがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。美味そうではある、食べてみたい、しかし、間違いなくこれは未知の領域に属する食物だ、果たして大丈夫なのか?
「エルグレイ、お前この古代山羊の肉は食べようと試みたか? いけそう?」
「討伐直後にちょっと味見しましたよ。まあ野趣溢れるというか結構いけます」
その答えに俺は覚悟を決めた。周りの人間の視線を一身に浴びながら鷹揚に頷く。多分食べられるだろう、討伐直後から多少日にちは経過しているようだが、塩と簡易保存の魔力付与で何とかここまで保管してきたのだから。
「熟成された分、ハムみたいになって美味いかもしれないな。とりあえず薄切りで試してみるか」
俺の指示通り、ごつい肉塊から薄切りのスライスが三枚ほど切り出された。見た目はやや赤身が濃い鹿肉と言ったところか、悪くはなさそうだ。それがさくさくと炭火で焼かれる。ものの数分で香ばしい匂いで鼻孔をくすぐる古代山羊の焼肉の出来上がりだ。
「美味しそうですね......」
「流石にこれは俺が食べる。おまえらその後な」
涎を垂らさんばかりにロリスが口を開けるが、彼女を押しのけ俺は肉を口に含んだ。その途端、舌上を走り抜ける何とも言えない味に「何っ!」と叫びかける。
魔物の肉と侮ってはならない。そこにあるのは確かな弾力性と脂のコク、最上級の牛にもヒケをとらない肉の旨味を兼ね備えた極上の味だった。多分塩漬けにされたせいで熟成されたのだろう。エルグレイがもたらした感想より数段美味い。
いや。しかしだ。これを素直に伝えるべきなのか。もし伝えたが最後、こいつら一気に群がるよな。さっきまで後回しにされていた恨みが俺にはあるんだよ。小さい人間と笑うなら笑え、食い物の恨みは恐ろしいぞ。
「ウォルファート様、いかがでした? 食べられそうです?」
「いや、一口じゃ分からねえな。何せ魔物の肉だから魔力の残滓が邪魔して複雑な味になっているんだ。もうちょっと食べてみないと」
セラに至極真面目な顔で答えた。俺はこの瞬間だけ悪魔に魂を売っていたと罵られても仕方ないだろう。それだけ美味だったのだから。
いや、あえて言うぞ。俺に肉を回すのを後回しにしたお前らにも責任はあると!
モグモグ
まだ食べたりないなあ。
「うっ、これは未知の味覚っ! 皆離れろ、危険かもしれない!」
モグモグ
結構堪能したけどまだいけるな。というかアニーやロリスを悔しがらせてやりてえし。
「はあはあ、ここまで俺をてこずらせるとは......大した肉だ、さすが家畜の肉とは格が違うな」
モグモグ
もうぼちぼちいいか。半分近く自分で食べたしなあ。満足満足。
「いやー、それにしても美味かったなあー、やっぱ魔物って言っても山羊だもんなあ、そりゃ普通に考えたら食べられるよなあー。あれ、君達? なんで食べないの? まさか俺が本気でこの肉に必死で挑戦していると思ってたの?」
うん。正直に言う。途中から肉を堪能するよりも、全員をいかに欺くかに必死になっていたことを。手段と目的が逆転しまんまと全員の目をごまかせたと確信した俺の笑顔は最高だったはずだ。
「「「信じられなーい!!」」」 「「「ひっどくないですかああああ!?」」」
たまにはいいじゃねーか、俺だっていいもん食わねーと元気も出ないんだよ!
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とりあえずその場に残った半分余りの古代山羊の肉を、俺以外の全員で分けることで収まった。確かに俺が相当量独り占めしたのはよろしくないが、まあ腐っても勇者の俺だ、これくらいの特権は許されるという空気もあったのは事実。時折アニーやロリスから恨みがましい視線は喰らったが、そんなの痛くも痒くもないぜ。
むしろ痛かったのはな。
「パパ、ぼくらからお肉取ってはずかしくないのー。シュレンかなしいなー」
「やっぱり血がつながってないからこういうことするんだ、ひっどーい。よーちえんでエリーゼばらしちゃおー」
邪念が無いはずの幼児二人の反撃だった。止めろ、そんな恨みがましい目で俺を見るなと懇願する羽目に陥った。最後の最後に不覚を取っちまったよ。特にエリーゼが怖かったんです、ええ。
ほんとすいません、俺が悪かったですと平謝りした。
結局別の日に丸一日付き合わされたよ。二人の新しい玩具選びに振り回され俺の財布がすっからかんになったのは、ちょっとした笑い話さ。




