俺が伝えられること
結構な広さがある王都には、乗り合い馬車という規定の料金を払えば王都内ならどこでも連れていってくれる馬車が走っている。
本当なら、俺は仮にも公爵位持ちなので、自家用馬車の一つや二つ持っていてもおかしくない。けどあまり使わないから、未だに保有してないんだ。たまに馬車に乗って移動する用事がある時は、この乗り合い馬車を使っていた。
セラに捕まえてもらった乗り合い馬車に、双子と共に乗り込む。客が俺であることに気づき、御者が「勇者様に乗って頂けるとは幸運です」と笑顔を見せてくれたが、それに冗談を返すだけの余裕は俺には無い。セラが乗り込んだのを確認して「ブレスタン男爵家へ。急いでくれ」と行き先を告げた。
いきなり馬車にほうり込まれるように乗せられ、シュレンとエリーゼは最初のうち抵抗した。降りたいと主張したが、俺が一瞥すると黙った。少々強引だが今回は時間優先だ。
「聞き入れていただけるでしょうか」
「流石に門前払いは無いだろう。こういうのは早い内に終わらせた方がいいんだ」
「ウォルファート様は......シュレンちゃんが殴った理由についてはご承知の上で、やはりこちらから謝るべきだとお考えなんですよね」
カタコトと軽い音を立てて走る馬車の中は暗い。外から差し込む街明かりが、向かいのセラの白い顔を仄かに浮かび上がらせる。思うところは色々あるのだろう。シュレンが怒った事情も考えてほしいという無言の意見も、俺には届いてはいる。だが。
「ああ。全部の事情引っくるめて、それでもやっぱり謝るのはこちらからだ。それに俺が謝らないと向こうの顔も立たないし、何よりこいつらがな」
シュレンとエリーゼは俯いたままだ。分かるか、双子。俺が今どういう思いでいるか。お前らに何を伝えようとしているのか。
四人を乗せた馬車は、夏の夜を掻き分けるように疾走していく。
「ありがとうございましたー」
満面の笑顔を浮かべて御者が去る。
要求通り無理がない範囲で速く走ってくれた礼に、ちょっと多めに代金を払ってやったからだろう。ニ頭の馬車馬もヒヒンと愛想よくいなないていた。美味い人参でも貰えるといいな。
ブレスタン男爵の屋敷は、貴族としてはちょっと小さいかもしれない。しかし、綺麗に手入れされた庭や頑丈そのものの壁が堅実さを感じさせてくれた。中々良い屋敷だと思う。もっとも今はそんなことに感心している暇は無いんだがな。
「行きたくないよう」
「行かなきゃ収まらねえだろ、シュレン。エリーゼも見ておけ、どう謝るのか俺が教えてやる」
「あたちもゴメンするの?」
「お前はいい。クリュクス君を殴ってないからな。けど人に頭下げるってのがどういうことなのかよく知らないだろ。分からなくてもいいから、セラと一緒に見ておくんだ」
二人の顔は緊張と困惑が半々ずつ占めている。今にも回れ右して帰りたそうだが、俺がいつになく怖い顔だからか、それを押し止めているようだ。そんな二人をセラが「大丈夫だから。ね?」となだめてくれるのが正直ありがたい。
足取りが重い双子を促しつつ、屋敷の門番に挨拶をして中に入れてもらう。突然のオルレアン公爵家の来訪にびっくり仰天したらしい。門番は脱兎の勢いで屋敷内の人間に報告しに走りだし、それから間もなく俺達は中に通されたのだった。
******
「申し訳ありませんでした!」
「な、ななななにをなさっているのですか、ウォルファート様!?」
「そそそそそうですよ、何もそんなに謝っていただかなくても」
俺の耳に届く二人の声、そこに混じる困惑の響き。こちらのいきなりの来訪に、ブレスタン男爵家は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
家主とその夫人がどんな表情をしているのか、見たい気もした。けれども床に届かんばかりに頭を下げているから、それは無理だ。俺が抑えつける形で頭を下げさせているシュレンも抵抗を諦めたのか、今は大人しく俺にならって不器用に頭を下げていた。
「パパ、シュレンなにしてんの? なんでペコンてしてんの?」
顔は見えないが、これはクリュクスの声だろう。さっき挨拶した時に見たが、確かに双子よりも立派な体格の男の子だった。その口元に薬を塗った跡を確認して、すぐ俺は頭を下げたというわけだ。
「馬鹿っ、お前、公爵様のご子息様が頭下げとんのに何をボサッと、いや、まずは我々も悪いんですな」
クリュクスを叱りながら、ブレスタン男爵は慌てて頭を下げた。いや、正確には頭を思い切り勢いよく下げようとしたが、お腹が出ているせいなのか。下げきれず、ぼよんぼよんと折った上半身が定まらない。縦にも横にも大きいブレスタン男爵には、この姿勢は厳しいのだろうか。
「そうですわ! こちらも悪いのに、公爵様が直々にお屋敷に足を運んで謝罪していただいて......こちらこそ申し訳ありませんでした! お家のお取り潰しだけは、なにとぞご勘弁くださいませ!」
夫と似たような体格--良く言えばグラマラス、悪く言えば太い--の夫人も頭を下げる。かなりの過剰反応を引き起こしてしまったらしく、夫人が文字通り平身低頭している。悪いがちょっと滑稽ですらあった。
クリュクスを夫と二人で床に抑えつけるように謝らせているのはまあいいけど、あんまり二人で力入れるからか「グェッ! パパ、ママくるちい!」という悲鳴が彼の喉から聞こえてきた。
「いえ、家格などこういうことには関係なく、悪いもんは悪いんです。どんな理由があろうと拳を先に振るったのはうちのシュレンですし、それに対しては言い訳の余地が無い」
夫婦二人を等分に見ながら、俺は思った通りに素直に答えた。シュレンはどうしていいのか分からないまま、クリュクスの方を見たり床に目を落としたりだ。
ちゃんと聞いているか、シュレン。エリーゼもだぞ、大事なことなんだから。
「......ご存知の通り、オルレアン家は義理の家族です。でも、周囲から気を使われて二人が育つなんてことにはさせたくない。同情なんてその場限りの慰めにしかならない。だから俺は及ばずながら、本当の親のつもりで悪い時にはちゃんと謝らせたい。それに、俺自身も至らない部分があったと謝りたい」
そう言って、もう一回深々と俺は頭を下げた。怪我をして痛い思いをしたクリュクスにも、心配したブレスタン男爵にも、その奥方にも。
なあ。シュレン。エリーゼ。
俺はさ、お前らの両親を生き返らせることも出来ねえ。
お前らの親にもなれねえ。
だからさ。せめてこれぐらいしかしてやれねえんだよ。
子供が悪いことした時に、本気で一緒に謝るぐらいしかしてやれねえんだよ。
勇者なんて言われてもな、そんなもんなんだ。だけど、だからこそ俺は親じゃなくても。一番傍にいる人間として、言葉と態度できちんと示さなきゃいけないと思ってんだよ。
お前ら二人がさ、実の親がいないからたいしたことない、ほら見てごらん可哀相ねなんて後ろ指指されないように。知ってる限りのことを教えてやるくらいなら、俺でも出来るからな。
お前らが可哀相なんて、誰にも言わせたくないんだ。
俺がまた頭を下げて詫びたのを手本に、シュレンが見よう見まねでやる。これは本当にいけないことだったと少しは伝わったのならいいけどな。
「ごめんなしゃい、クリュクスくん、ごめんなしゃい、クリュクスくんのパパとママ。ごめんなしゃい」
「シュレンくん、おれいたくない、だいじょぶ」
か細い声で謝るシュレンに、明るい笑いでクリュクス君が答える。体格だけではなく人間的に大物だと思った。
「だからまたあしょぼーなー、よーちえんたのしーもんなー」
「......うん!」
「あの、えーと、あたちもごめんなしゃい」
傷つけられた当事者と加害者の間に和解が成立したところに、エリーゼがそっと割り込んだ。セラが心配そうに寄り添っているが、エリーゼの目は不安以上に決意がある。どうしたんだ、一体。
「あの、エリーゼちゃんは別におじさん達に謝らなくていいんだよ。シュレンちゃんが謝ってくれたし、もともとクリュクスも悪かったんだしね」
「あたち、シュレンときょーだい? しまい? うんと、よくわかんないけど同じだから。シュレン悪いことしたらあたちもあやまらないとダメなの」
「お前いつからそんな殊勝になった」
ブレスタン男爵も俺も、エリーゼの必死に言葉を探す姿に驚いた。いや、セラも男爵夫人もシュレンもクリュクスもだ。皆が目を見張っている。
そんな周囲の目をものともせず、エリーゼは言いたいことを乏しい語彙で紡ぎ出す。
「シュレンとあたち、いっしょ。二人ともいっしょにごはん食べて、いっしょに遊んで、いっしょに......パパやセラのおうちにいるから......」
エリーゼがいつからこんなに話せるようになったんだと驚き、それ以上にちゃんと自分達の生活を認識していることに驚いた。何となく、ただその日その日を楽しく過ごしているだけだろうと子供の記憶力を舐めていた。けれども、子供は子供なりに考えているようだ。
なんだ、俺の知らない内にちゃんと育ってたんだな。赤ちゃんだった頃がついこの間みたいに思い出せるのにさ。意外としっかりしているじゃないか、うちの双子は。
「「しゅいましぇんでしたー!」」
シュレンとエリーゼが口を揃えて、最後に一回頭を下げた。クリュクスは二人に「俺もごめんなー。ゆうしゃのパパ、俺のパパよりずっとパパっぽいなー」とばしばしと肩を叩きながら語りかける。嬉しいこと言うじゃないか、お世辞言うには早い年齢だぞ坊主。
「......あの、ウォルファート様。私、ちょっと誤解していましたよ」
「何を?」
汗を拭きながら口を開き、ブレスタン男爵は仲直りした三人の子供を見て、次に俺を見た。ちょっとその声が震えている。
「勇者様と言われる割には、ちょっとチャラくて軽い人だなーと思っていたんですよ本当は」
「え......」
「けれどね、言ってしまえば、今回の件は所詮は子供の喧嘩如きです。それに対して本気で謝罪しにいらっしゃって頭を下げた貴方は、私から見てもとても輝いていますよ。親じゃないかもしれないですが親の鑑だ。むしろ私が見習わなくてはならないぐらいです、お恥ずかしい」
「貴方が見習わなくちゃいけないのは、勇者様の体型でしょ! あらやだ、私もですけどオホホホ!」
ブレスタン男爵の脇から夫人が突っ込む。いや、まあ確かにそうなんだが、これにどう反応しろというんだ。
何となく決まりが悪くなり黙っていると、セラが助け舟を出してくれた。
「この度はオルレアン家のシュレンちゃんがご迷惑をおかけして真に申し訳ありませんでした。私も二人とは血は繋がっておりませんが精一杯頑張っていくつもりなので、今後ともどうぞよろしくお願い致します」
ナイスタイミングだ、セラ。
謝りに来たのに褒められた。何だか居心地の悪くなってきた俺は、これをきっかけに脱出しようと決めた。
「本日は夜分にいきなり訪ねてすいませんでした。そろそろおいとまいたします。ほら、シュレン、エリーゼ帰るぞ。クリュクス君またなー!」
「えっ、もう帰られるのですか。確かに夜ですが、せめてお茶の一杯だけでも!」
「パパー、クリュクスくんがあしょぼうってー」
「あたちたちもあしょびたいよー」
「ダメだダメだ明日幼稚園で遊べばいいだろ、帰るぞ帰るぞ帰るんだからなサヨウナラー!」
おかしいな。何だか逃げるように二人を担いでブレスタン男爵の屋敷から出る羽目になったんだが、一体どこから歯車が狂ったんだ。いや、まあ俺らしいっちゃあ俺らしいんだが。
乗り合い馬車を捕まえる。四人で乗り込むと気疲れが出たのか、どっと疲労が襲ってきた。適度に柔らかい馬車の座席に腰を下ろすと、もう立ち上がりたくないなとすら思う。あれ、そういえばさっき俺、パパって呼ばれたよな。
「なあ、お前ら俺がパパじゃないの知っててパパって呼ぶ、いや、いいや」
シュレンとエリーゼに聞こうとしたが止めた。馬車の座席に座った二人は適度な揺れもあるせいか、既にこっくりこっくり船を漕ぎ出していたからだ。考えてみればちょっと子供には遅い時間だったよな。まあいいや、ゆっくり今度聞けばいいし。
「ウォルファート様、格好よかったですよ。いつも格好いいですけれど今夜は一際輝いていました」
「別に俺は何もしてねーよ。謝って頭下げるのがどこが格好いいんだよ」
セラから意表を突いた言葉が飛んできたので、俺は首を傾げる。格好いいなんて嘘だろ。全く変なこと言う奴だな。
「いいえ、ブレスタン男爵に頭をちゃんと下げて、シュレンちゃんにきちんと人としてのマナーを教えようとなさった。あの時のウォルファート様は、ほんとに格好よかったですわ」
「ふーん、そりゃどうも」
素っ気なく答えながら窓の外を見た。王都の明かりがどんどん後ろに流れていく。それを見ている内に俺も何だか眠くなって、一つあくびをしてしまった。疲れたなー、何だか慣れないことしたせいで頭が重いぜ。
「でも、まあ、あれだ。俺の背中見て双子が何か学んでくれたならそれでいいさ。あー疲れた」
「はい」
目を閉じながら呟いた俺の頭に、そっとセラが手を置いたのが分かった。何だろう、頑張りましたねってことか? 俺は子供じゃないんだけど。
******
この日以来、シュレンとエリーゼの様子はちょっと変わった。本当のパパやママがいないことはいないこととして認識した上で、俺のことをまたパパと呼ぶようになった。一応会話は成り立つようになったのが嬉しい。顔も見たことのないシューバーやエイダのことを話してやると「本当のパパとママ」と二人は何となく分かったようだ。
「ああ、そうだ。シュレンとエリーゼがこうして生きているのはな、本当のパパとママがいたからだぞ。だから俺は仮のパパみたいなもんだ」
「かり? ってなーにー? ぼくわかんないよー」
「蟹のなかまー? ハサミないよねー」
うん、シュレン。お前の反応が正解だと思う。エリーゼ、蟹じゃない。俺は甲羅もなければ食べても美味しくない。ちなみに茹で蟹より焼き蟹の方が好みだが、そんなことはどーでもいいさ。
「わかんないからパパはパパでいーや」
「ほんとのパパとママとパパとセラー、みんなでいち、にい、さん、よにーん」
シュレンは適当に自分の中で、俺の存在を落としこんだらしい。ちゃんと指折り数えてはにかんで笑うエリーゼも、多分俺のことを認めてくれたんだろう。
いきなり前の通りとは行かない。まだシュレンもエリーゼも、俺に対する態度はぎこちなかったりするんだけどな、でもまた新たにやっていけるって今は思えるんだ。
朝、いつものように軍事府へ出勤する道で俺は空を見上げた。馬鹿みたいに明るい青が突き抜けた空には一つ二つ白い雲が浮かんでいて、嫌でも夏の空気を感じさせた。
うーん、こういう天気だとたまには皆でパーッと野外で飯食いたくなるよなあ。あいつらとも最近馬鹿騒ぎしてねーし、全員呼んで豪快に焼肉パーティーでもするか!




