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こういう喧嘩の仕方は駄目だろ

「おやすみ、シュレン、エリーゼ」



「......はい」



「......うん」



 俺が精一杯元気よくかけた声に対し、双子の反応は鈍い。前は素直に寝そうになかったんだ。「えー!?」という反応が、二人から返ってきたのにな。それを想像するのが難しいくらい、二人は元気が無かった。二人をベッドに連れて行くのもセラではなく、メイドがやっている。だから俺が見送る背中は、紺色のメイド服姿だ。



「......ちっ」



 苛立つ。三人の姿が扉の向こうに消えてから、思わず舌打ちしてしまう。俺の傍らでは、セラが沈んだ表情で三人が消えた扉をじっと見ていた。夏らしいじっとりと暑く重い空気、それが更に苛立ちを加速させる。



「取り付く島がねーな」



「幼稚園でもあまり活発じゃないそうです。私が声をかけても反応が鈍くて」



「ああ、分かってるさ。気にするな、時間がかかることくらい承知している」



 セラにそう声をかけつつも、内心は俺だってがっくりきていた。今日だけじゃない。シュレンとエリーゼが嘘のように元気が無くなり俺とセラを遠ざけるようになってから、既に一ヶ月が経過している。

 時間が解決してくれる。そう無理矢理自分に信じ込ませながら過ごす時間は重苦しい。ただでさえ寝苦しい夏の夜が、よりうっとうしさを増していた。



「大丈夫ですよね、シュレンちゃんもエリーゼちゃんも。またウォルファート様のこと、パパって呼んでくれますよね?」



 セラが訴えかけてくる。心配なのは分かるが、正直今の俺にはその気遣い自体が重い。"大丈夫"という一言さえも胡散臭くてしんどいから、俺は言えなかった。



 その代わりにふらりと立ち上がった。財布だけ掴んで、俺は部屋を後にする。どこに行くか分かっているので、セラも咎めはしない。ただ「お気をつけて」という短い言葉が俺の背中にコツンと響く。



「ああ。お前も寝ろよ」



 振り向かずにそれだけ答えて外に出た。生温い夜風を振り切り、俺は歩き始める。

 どこへだって? 決まってるだろ、金で買える一夜の夢だよ。どっぷりこのまま辛気臭い雰囲気に浸ったまま、眠れるわけがねえだろ。



「あー、楽しいなあー。俺にはこの方がお似合いだってな」



 本音のはずの俺の独り言は、信じられない程に虚しく夏の夜に散っていった。はっ、今夜も酒がまずそうだな。




******




 中夏の月ともなると、どうしたって暑さは避けられない。喉の乾きは日中に適度に水分を摂ることでどうにかなっても、だるさは残る。これを夏バテと言うんだそうだ。地味に効く。

 基礎体力は常人離れしている俺だが、だからといってこういう季節特有の症状に全く悩まされないわけじゃない。"こりゃどっかで息抜きしたいよなあ"と思いつつ、重い足取りで屋敷に帰ってきたある日のことだ。



 夕暮れが赤い光を斜めに投げかけるこの時間、俺が帰るとまずは玄関近くにいるメイドや使用人がさっと近寄り挨拶をする。「お疲れ様」と言いながら、書類や私物が入った鞄を渡す。その間に、セラや双子が出迎えにくるのがいつものことなんだが、今日はそのどちらも来ない。



 おかしいな。シュレンとエリーゼの二人は分かる。あの真実を告げてからここ一ヶ月俺を避けているから、仕方ない。けどセラが来ないのはおかしい。いつでも俺が帰ると出迎えてくれていたのに、一体何があったんだ。



「おい、セラは? 今出かけているのか」



「いえ、実は先程ちょっと事件がありまして。そのことでセラ様落ち込まれているんですよ」



「は? 事件っておい、何だまさかうちに泥棒でも入ったのか。誰か怪我でもしたのかよ」



 俺の質問にメイドが頭を振った。何と答えていいか分からないようだ。それでも主人の俺に何も言わないわけにもいかなかったのだろう。その重い口を渋々開いた。



「シュレンちゃんが幼稚園で他の子に暴力振るって、怪我させたらしいんです」



 血の気が引いた。








 セラを探す。彼女は双子に何を話しかけるでもなく、一緒にいた。ひとまず別室に呼び出し、俺は話を聞き出した。顔は冷静でも内心は動揺しているのだろう、時々つっかえながらも彼女が語った内容をまとめる。話自体は至極単純だった。



 事件が起きたのは、今日の午後だそうだ。昼食後の午睡とおやつが終わり、園児達は部屋の中の玩具を使い各々自由に遊ぶ。そうして退園時間まで過ごすんだが、その楽しいはずの時間帯にそれは起きた。実際にセラもその場にいたわけではなく、園の職員から聞いた話になるのだが。



 シュレンやエリーゼと一緒にグランブルーメに通う園児の一人に、クリュクスという男の子がいる。ブレスタン男爵の次男にあたる子なんだが、体も大きく性格もそれに合わせて良く言えば元気はつらつ、悪く言えば乱暴なところがあるらしい。いくら貴族の子弟といえども所詮四歳児、この年齢の子供の世界では身体がでかい子が幅を利かすのは自然の摂理だ。



 クリュクスも、自然と園児達の間ではボス格の存在感を示すようになっていた。まあ子供達の間で自然にそうなったわけだし、特に問題が起きているわけでもない。だから園の方でも注意はしていなかった。

 クリュクスを中心にまとまりが出来ていると言われればその通りだし、子供の世界に大人が口出ししすぎるのは良くないからな。



 だから、クリュクスも不用意な一言を発しただけで、自分が殴られるとは予想していなかっただろう。話を聞く限りは、悪気は全く無かったようだしな。



「シュレン、シュレン。おまえんとこパパいないの?」



 この一言を聞いた瞬間、シュレンは固まってしまったそうだ。エリーゼはちょうどお手洗いに行っていていなかったらしい。

 オルレアン(うち)の事情についてはグランブルーメの職員に既に説明しているので、園の職員達は俺と双子が実の親子じゃないことはもちろん承知している。それに、そのことは口に出さないように気をつけていた。



 けど、前に危惧した通り、子供の口にまで蓋は出来なかった。黙ったまま表情を強張らせるシュレンに、止せばいいのにクリュクスがさらに言葉を重ねる。



「あのゆうしゃのパパ、パパじゃないんだねー。かーいそーだなー」



「......うるさい!」



 これはまずいと周りの職員が慌てて止めに入った時には、シュレンがクリュクスに飛び掛かっていた。

 体格では一回り以上シュレンの方が小さいのに、子供ながらに燻っていた部分をもろに刺激されたからだろうか、まったく躊躇いもなく、突き刺すような右拳をクリュクスに見舞っていた。



 そこから勢いのまま押し倒し、ドカドカとニ、三発蹴ったところで何とか周りの職員が二人を引きはがした。「はなして! はなして!」と鬼のような形相でシュレンは叫ぶし、口元を切ったクリュクスはショックと痛みで泣き出した。現場は混乱を極めたという。








「幸い、クリュクス君の怪我は大した怪我では無いそうです。子供の力でしたから......でも、お迎えに来たブレスタン男爵のお家の方は自分の子が口元に傷を作っていることに仰天しまして、その場で職員の方を掴まえると事情を聞き出しました。私もその時、同じ時間にグランブルーメにお迎えに行っていまして」



「ブレスタンの家と揉めたってか」



「はい。他のお迎えの方もいたので大きな騒ぎは向こうも起こしたくなかったらしく、その場で口論にはなりませんでした。けれども私が謝罪しても、受け入れていただけませんでした」



 悲しそうにセラが目を伏せる。まさかシュレンがそんな暴力を働くとはというショックに加え、俺が留守の間に不祥事を起こしてしまった責任を感じているようだ。とりあえず彼女をなだめながら俺はどうするべきか考えた。



 (あっちにも落ち度はあるが、手出したのはまずいよな)



 それだけは間違いない。子供の口喧嘩止まりなら親が介入するまでもない。だが、先に手を出して少量とはいえ流血させたのはまずいだろう。

 ブレスタン男爵という名はほとんど記憶に残っていなかったが、おぼろげながら顔と役職が浮かび上がる。確か王都では土木業者達の元締めなどをしていたはずだ。軍事府でも一、ニ回見かけた気がする。



 公爵と男爵の家格の差に物を言わせれば、無かったことにするという手段も無いことは無い。だがそれはあまりに卑怯だ。子供が怪我をしたんだ。家格なんかとりあえず脇に置いて、謝るべき人間が謝らなくては筋が通らないだろう。



「--シュレンはどこだ」



 俺の低い声に、セラが躊躇いがちに「子供部屋です。ご飯食べた後はずっと」と答えた。それを聞いて、俺はさっさと子供部屋へと向かう。



「お待ち下さい、ウォルファート様! どうかシュレンちゃんを叱らないであげて下さい、お願いです!」



「自分の子供が傷つけられて怒らねえ親はいねえだろ。ぶん殴りはしないが、あいつ自身にも謝らせる」



 いや、実際セラの言いたいことも分からなくはない。一ヶ月前に俺から告げられた事実に、無理矢理向き合わされていた。そうして不安でイライラしているところに、自分と同格の園児からそれを指摘されたのだ。シュレンとエリーゼにとっては、今一番触れられたくない事実なのにだ。



 しかしそれを鑑みても、やはり無かった事には出来ない。俺が直接謝るだけでは駄目だ。張本人のシュレン自身がクリュクスに謝らないと、ブレスタン男爵の顔も立つまい。



 面倒なことになりやがった、と思う反面、シュレンを可哀相だと思う気持ちもある。あいつも好きで拳を振るったわけでもないだろう。四歳児が感情を制御できるなら、この世に問題なんて起きない。



「おい、シュレン。ちょっと来い」



 子供部屋の扉を開け、声をかけた。部屋の四隅に立てられたランプに照らし出され、シュレンとエリーゼの影が複雑に伸びている。まるであいつらの心の乱れ方のようだなと思いながら、ずかずかと部屋に入った。



「ウ、ウォルファート様。あの、シュレンちゃんは......」



「エリーゼちゃんと一緒にさっきから隅で震えておりまして」



 二人についていたメイド二人に無言で頷く。部屋の外に下がらせて、俺は部屋の隅の双子の前に膝を着いた。

 何だか一ヶ月前と同じような構図だ。状況はあれから良化どころか悪化しているのかもと思うと、情けなくなってきやがる。



 こちらを見るシュレンは哀れな程にびびっていた。怯えているかのように視線は下を向き、その口元がぶるぶる震えている。畜生、以前のお前はどこに行っちまったんだよと叫びたくなる。その心の乱れを必死で抑える。



「ダメッ、シュレンわるくないもん。わるいの、あの子だもん!」



「どけよ、エリーゼ。どっちも悪いんだよ、事情があろうがよ。手ぇ先に出した以上、シュレンが謝らないと収まらねえんだよ」



 エリーゼがシュレンを庇うように両手を広げて邪魔をする。それを軽く左手でどかす。エリーゼは抵抗の声をあげたが、流石に構っていられない。

 そして空いている右手で、シュレンの右手を素早く捕まえた。華奢な小さな手が小さく震え、それがこっちにも伝わる。



「顔あげろ、シュレン。俺の目、見ろ」


 シュレンは答えない。無言の抵抗なのか、いやいやするように座り込もうとする。それを許さず俺はぐいと手を引き、無理矢理立たせた。力任せに起こされ小さな悲鳴が上がったけど、それを気にせずに俺は膝を着いた。目の高さを揃えた上で、シュレンと目を合わせる。



「おい。クリュクスに言われたのが、そんなに悔しかったのか。そんなにパパがいないってのが嫌だったのか」



「......いや、だった」



「そうか。叩いたんだよな。喧嘩したんだな?」



 この問いには無言。ただ返ってきたのは、うなだれるシュレンの黒い髪の毛とポタリと垂れた涙だけ。一応肯定はしてくれたようだ。ふう、と俺もため息をつく。



「やだ、ダメ、シュレンいじめないでー!」



「駄目です、エリーゼちゃん! 今大事な話しているんだから!」



 セラに取り押さえられたエリーゼが暴れる。下手したらまた噛み付かれるかもしれないのに勇敢だ。しかし、エリーゼは生意気にもセラに振り返った。



「パパ返して! ママ返して! 今、すぐ! シュレンとエリーゼに、かえしてー!」



「がたがた喚いてんじゃねえよ、糞ガキが! はあ、何だ? パパがいないから何だ? だから他の子に暴力振るっていいなんて法律どこにもねえんだよ。それとこれとは話が別なんだよ!」



 エリーゼの金切り声に、遂に俺の神経もプチンと切れた。この一ヶ月耐えに耐えた忍耐心は限界を迎え、ぎりぎりと歯を軋らせる。俺の大声にびっくりしたのか、セラもシュレンもエリーゼも固まった。

 ちっ、仕方ねえな。けどな、ここでこいつらに今回のことうやむやにしたまま終わらせたんじゃ、いつまで立っても前に進めねえんだよ。



 呆気に取られたシュレンを右脇に抱える。ついでに左脇にエリーゼを抱える。久しぶりに感じる二人の重みがちょっと面倒くさい、だが同時に懐かしくもある。

 暴れんなよと双子を目で威嚇しながら、俺はセラに指示を出した。



「馬車捕まえてくれ。今からブレスタン家に謝りに行く。お前は家にいていいから」



「いえ、私も参ります。一人楽な思いは出来ませんから」



 銀色の髪から覗く青い右目、その中に輝く意思の強さに、俺はそれ以上何も言わなかった。ただ「分かったよ」と言い、双子を抱えなおした。






 パパが何だ。


 

 ママが何だ。



 そうじゃねえだろ。人として教えなきゃいけないことは実の親だろうが何だろうが......誰かが身をもって教えてやるもんなんだよ。

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