親子喧嘩勃発
人間というのは最初から人間なのか。そう考えたことはあるだろうか。
いや、言い直そうか。生まれたばかりの赤ん坊は大人と同じように行動することは出来ない。言葉も喋れないし、考えたりすることも出来ない。とりあえず何かあったら(何にもなくてもとも言えるが)泣く。それくらい無力で非理性的な生き物だ。
だから赤ん坊というのは動物に近いんじゃないかと、シュレンとエリーゼが生まれたばかりの時そう思った。いや、まあ俺も子育てを押し付けられた形だったから、その恨みもあって余計にそんな風に考えた部分はあるんだろうけどな。
今、俺の目の前にいる双子は、その時の考えを思い出させるような目をしていた。幼児なりの理性を捨てている。感情剥き出しになったその顔は小さな獣に近い。怖いとは思わないが、あえて近寄ろうとは普通ならしないだろう。
けど、俺はそれでも二人との距離を詰めた。びびらせないようにゆっくりと静かに、だが確実に。
泣き腫らした目でこちらを睨み、双子は部屋の隅でギュッと身を寄せ合っている。不安も怒りも共有したその姿がほほえましいような痛々しいような......何とも言えなかった。けど、このまま睨み合っていてもどうにもならない。
「どうしたんだ、そんな顔して。くしゃくしゃだぞ? こっち来いよ」
「あっち行って! あっち、あっち!」
「嘘つき! パパじゃない、嘘つき!」
なるべく優しく声をかけたつもりだったし、覚悟は決めてはいたんだが。実際にこれほどまでに怒りの感情を向けられると刺さる。もう心にびしびしと刺さる。逃げ出せるものなら回れ右して逃げ出したいが、そうもいかない。ここで俺が引いたら完全に俺達の--義理の親子の--関係は終わる。俺の勘がそう告げていた。
「認める。確かに俺はお前らのパパじゃない。血は繋がっていないという意味では、確かにそりゃそうだ。お前らが戸惑って怒るのも仕方ない」
さすがに俺の話が理解出来てはいないだろうなとは思う。血縁関係なんて概念を、四歳児は持ち合わせてない。けど俺は馬鹿だから、まっすぐ自分の言葉でシュレンとエリーゼにぶつかるしか方法を知らねえ。それをしつこく続けるしか、今のところ思いつかないんだ。
「けど、俺から離れちゃ駄目だ。パパじゃないけど俺、約束したんだ」
差し出した右手がパチンとはたかれた。エリーゼの全力のビンタに迎撃された。「やーだ!」の金切り声と共に、今度はシュレンが腰の辺りを全力で突き飛ばす。痛くはない、けど敵意を向けられるってのは嫌なもんだ。それが今朝までは自分を慕ってくれていた子供なら尚更な。
膝を着いた俺の顔に、シュレンがめちゃくちゃに振り回した拳が当たる。ああ、駄目だそれじゃ。パンチは腰を落として入れないと全然力が伝わらねえぞ。
エリーゼが小さな足で俺の膝あたりを蹴ってきた。それも駄目だ、体重が乗ってないだろ。何発蹴ろうが、そんなんじゃ痛くも痒くもない。
「うーあああああー!!」
シュレン、お前何泣きながら俺を叩いてるんだ。そんなに俺が嫌いなら、俺が憎いなら、パパがいないのがほんとにほんとに悲しいなら泣かずに本気で殴れ。お前も男なら一発でいいから俺を怯ませる一撃入れてみろ。
「近寄らないでえっ! 嫌い!」
エリーゼもだ、ほら、お前が殴りやすい位置までわざと頭下げてるんだぜ。いいビンタの一発でも入れてみろよ。さっき俺の手をはたいた一発から全然強くなってねえよ。涙流しながら叩こうとするから、狙いもつかねえんだよ。
(いや、喧嘩のやり方も教えてない俺が悪いのかもな)
ハッと小さく自嘲した、その俺の口元にようやくシュレンが少し体重の乗った一発を入れた。ま、四歳児の体重なんて高が知れているから、気持ちましな程度だけどな。「だ、大丈夫ですか!?」と後ろからセラの声が聞こえた。片手をあげて応える間に、エリーゼが両手で思い切り突いてきた。ほんの少しだけグラッときた。
シューバーやエイダなら。
こんな時はどうしたんだろうな。子供と喧嘩する時、その感情をもろにぶつけられた時、どんな風に反応したんだろうか?
あいつらは親になる前に死んでしまった。本当は自分の子供をこの手で抱いて仲良く生きたかったろうに。何故か人並みの恋愛から背を向けた飲んだくれの俺が生き残って、まっとうなあいつらが死んじまった。
ポコポコと軽い音と共に、事実をどう処理していいか分からない双子の攻撃が俺に入る。ちっちゃな手によるパンチ、まだ細い足による蹴り、たまに体当たり、何発当たろうが効かない軽い攻撃を受けてやる。
それくらいしかしてやれないからだ。一応これでもな、勇者なんだぜ。子育てに向いてるなんて考えたことは一度もねえよ、けど死んだ仲間の遺児を見捨てるなんてことだけは、誇りにかけても出来ねえし。
俺だって四年も一緒にいたら愛着の一つや二つ、双子にはあるしさ。
ヒック、ヒックという嗚咽がシュレンの喉から漏れてきた。エリーゼの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。ああ、でもそれでも手を止めないのは凄いな。泣くか眠るかしか出来なかったお前らが、いつのまにか一丁前に俺に向かってこれるようになったのか......
「......そうだよ、子供二人の人生背負うくらい出来なくて、勇者様なんていえねーだろ」
俺の小さな独り言、そのすぐ後に本当にたまたま入ったのは、シュレンとエリーゼのまったく同じタイミングで放ったパンチだ。鼻っぱしらにそれが入り、僅かに俺を怯ませた。けど二人もそれが限界だったらしい。息切れしたのか、ふらふらしながら床にへたり込んでしまった。
「パパなんか、パパじゃないから......ハアハア、やだ、やだっ、う......ううう......」
「ハアハア、ハアハア......嘘つき、エリーゼ、嫌いだもん、駄目だもん......」
「そっか、でもな、お前らが俺を嫌いでも、俺はお前らが嫌いじゃないんだよ。好きなんだよ。それだけは覚えていてくれ」
へたり込んだ二人を腕の中に包みこんだ。疲れきったのかシュレンもエリーゼも抵抗はしない。でもどうしていいのか分からず、顔もあげず身じろぎするばかりだ。そのまましばらくじっとしていた。今朝からの曇り空が灰色の濃度を増し、遂にポツポツと雨音が聞こえ出す。それに重なるように、双子の喉からも細い細い泣き声が響き始めた。
なんて表現していいのか分からない、ア行の音が組合わさったその泣き声が俺の心を濡らしていった。
パパはパパじゃない、か。
沁みるよ、まったくさ。
******
午後になって雨はますます強さを増してきた。暴れ疲れたのか、双子は眠りに落ちている。とりあえず静寂を取り戻した屋敷の一室で、俺はベッドに寝転がっていた。
昼間なのに雨雲のせいで薄暗い室内。見上げた天井は俺の心を反映したのか、どこかいつもより高く思える。気のせいだと否定しながらちらりと視線を窓際に移した。
セラが窓の外と膝上の編み物(最近幼稚園に双子が行き始めたので暇な日中にやり始めた)を交互に見ていた。どこか落ち着かなげな雰囲気だ。
「手は大丈夫か?」
「はい、おかげで全然痛くありません。ありがとうございます。魔法って凄いですね」
「しょぼい回復呪文だが、無いよりは全然ましだな。けど、シュレンとエリーゼには効きそうもねえよ」
自嘲気味な俺の返答。何と切り替えしていいか分からなかったのだろう、セラは目を伏せた。
自分の親が実際は親じゃないなんて知らされたんだ。そのショックを治す便利な呪文なんてない。魔法は万能じゃあないんだ。
「ウォルファート様はお怪我は大丈夫なんですか。散々叩かれてましたけれど」
セラの声と雨の音が混じる。少し降りが強くなってきたようだ。銀の線を描きながら落ちる初夏の雨は、どこかセラに似ていなくもない。陽光のような明るさはないが、優しく落ち着いている点が。
「レベル70超の俺にちょっとやそっとじゃ傷はつかねえよ。皮膚は鍛えられないから無傷じゃないけどな」
「それでも痛かったんじゃないですか。体ではなく心が」
「--ああ。痛くないって言ったら嘘になるけど」
お見通しか。視線を天井に戻し、口を閉じる。ふっと二人の間に差し込んだ静寂を、雨のサアアアッという音が引き立てるようだった。それが今は疲れた心に妙に優しく、俺は静かに目を閉じた。




