たまの息抜きくらいいいじゃん
この時の気持ちを、俺は上手く表現出来ない。双子への愛情ではないのは分かる。親しさでもない。しいていえば同情が近いかもしれない。
俺も伊達に十年も勇者してきたわけじゃあない。各地で転戦しているうちに、親を失った子供はたくさん見てきた。表面上は平静な表情していても、どこか目に陰のある子、親のいる子を羨ましそうに見る子など色んな子がいた。
解放軍の指揮や商会の仕事を優先してきたから、俺は直接的にはそういう子供達に対して何かはしてやれていない。部下に命じて良い孤児院に協力を願ったり、その子らの面倒を見てくれる人間に寄附したりくらいが関の山だった。
(その判断が間違いだったとは思わないが)
あの時の状況を考えると仕方なかった。複数の案件を抱えてりゃどれを優先すべきか、判断しなけりゃいけないんだから。
(ただ、もちっと優しくしてやってもよかったか?)
自慢になるが俺は勇者だ。俺が一声そういう子供達に「元気出せよ」と言ってやるだけでも、ちょっとは心の支えにはなっただろう。ガキは苦手な俺だがそれくらいは出来たはずだ。
エルグレイの「辛いならシュレンとエリーゼを手放すべきです」という提案に心惹かれながらも頷けなかった俺は。
ほんのちょっとそんな過去の行動に対する後悔があったのかもしれない。
一言で言っちまえば下らない意地みたいなもんだ、と自分の感情に自分で説明をつけて、俺は冒険者ギルドを離れた。
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「でだ。なんでお前までついてくんだよ?」
「別にいいじゃありませんか。ウォルファート様の義理の息子と娘に挨拶くらいしても」
ベビーベッドで眠る双子を興味深そうに覗きこみながら、エルグレイが笑う。今が寝てる時で助かった、いや、そうじゃなくてだな。
「お前が子供好きだとは知らなかったよ」
エルグレイの奴、寝ているシュレンの頬を指でつついたかと思うと、隣のエリーゼの髪を少し触っている。起こさないように気を使っているのか、とても慎重にだ。
突然の来訪者にメイリーンとアイラは驚いていたが、大魔王と戦った友人だよと紹介するとあっさり警戒を解いた。優男っぽいエルグレイの外見も手伝っているのだろう。とりあえず顔がいいやつは得だ。
今は双子が寝ているので、挨拶だけした後にメイリーンは隣の部屋でうたた寝している。家事が一段落したアイラが茶をいれて持ってきてくれたところだ。
「じゃ、私は席を外しますねー」
「え、せっかくだから一緒にお茶の時間にしようぜ。家事、だいたい終わってんだろ?」
茶を出した後、退室しようとしたアイラに俺は声をかけた。どうも元々俺の家に寄るつもりだったらしいエルグレイは手土産です、と言って菓子をくれた。まだ魔王軍の影響で生産活動が本格回復していない現在、菓子は中々の貴重品だ。有り難く貰う。
「え、でもお邪魔になってしまいそうな......はっ、お菓子! すいません、同席させていただきます!」
「素直ですね」
アイラの目を輝かせんばかりの反応にエルグレイは苦笑する。双子を起こしてはいけないので子供部屋と名付けたベビーベッドのある部屋の隣、本来居間なんだが今はスペースの半分が物置だ、に俺達三人は移動していた。そこに小さい円卓と椅子があるのだ。
エルグレイの持ってきてくれた菓子をつまみながらのティータイムだ。全く予想していなかったが、ぽつぽつと三人で話していると何となくホッとする。
(あー、考えてみりゃ、メイリーンやアイラとこんな風に気さくに話す暇なかったもんな)
俺はフランクな方だとは思うが、この降ってわいたような双子騒ぎにぴりぴりしていたし、メイリーンとアイラも雇われの立場だ。気軽に接しようと思っても無理があっただろう。というか一応世界を救った勇者であり、名ばかりとはいえオルレアン公である俺に遠慮があるのは当たり前なのかもしれない。
「それでですね、ウォルファート様は多忙になればなるほど女の子のいる店に行って、業務の憂さを晴らしてきてたんですよ」
「えっ、そうだったんですか!? 意外です」
いらんことまでエルグレイがアイラに話しているのが気にならなくもないが、まあ場を和ます為の話題だと思う。
「別に意外じゃねーだろ。恋人いなかったらそういう店行くのは普通だろ」
俺が茶を飲みながら答えると、アイラは目をぱちぱちさせた。アニーより二つ上だから今十九歳だったか。美人だけどまだちょろっと可愛さも残ってるそんな年齢。
「あ、はあ、まあそうですけど。ウォルファート様、お付き合いしてる人いらっしゃらなかったんですかその時」
「ああ。理由はいろいろあったんだけどな。聞きたいか?」
意外そうな顔のアイラ、従軍していたからその辺の事情はよく知っているエルグレイ。二人を等分に見ながら俺は話し出す、ついこの間まで赤ん坊の代わりに剣を握っていた手でカップを持ち上げながら。
「勇者なんかしてるとさあ、不規則な生活しか出来ねーんだよ。いつ敵が襲ってくるかわからねえし、急な仕事は入るしよ。しかも、いつ死んでもおかしくねえしな」
話しながら俺はふう、とため息をついた。まあ色んな意味で刺激的だったのは間違いない。
「そんな生活してたら、呑気に恋人作ってイチャイチャとかしてられねえんだ。魔物倒して殺伐とした気分の時に憂さ晴らせるような店行って遊んでた方が楽だったし、実際俺には合ってたしな」
「ああ、何となく分かりますけど......でもウォルファート様、もてますよね? 女の子から告白されたこととかもあったのでは」
「何回かはあったね。でも断った。転戦するような毎日だ、無理」
言外に"まともに恋愛してる暇はなかった"という響きを含ませたのをアイラは感じとったらしい。「すみません」と謝る彼女に「謝ることじゃねーよ、結構楽しかったしさ」と笑って返してやる。
--俺がもし勇者じゃなくて普通の町人だったなら。いや、普通の冒険者でもいいんだが、とにかく違う職業についていたらもしかしたら普通の恋愛ってやつも出来ただろうが。
けど済んだことは済んだことだし、金で解決できる仲にだって肌の触れ合いだけじゃなく、情の触れ合いの一つや二つはあったのだからこんなもんじゃねーかなとは思ってはいるんだ。
だから、俺はアイラに笑ってやった。彼女が気を使わないように。
「最初にさ、うちに泊まり込みで家事手伝いしてくれって頼んだ時に俺、誓約書渡しただろ。"万が一アイラさんに手出したら十万グラン払います。けして身に危険及ぼすようなことしません"て書いたやつ」
「ずいぶんな内容ですね」
呆れたようにエルグレイが苦笑する。「黙って聞いてろ」と言って俺はアイラの方に改めて向いた。
「あれ、君に手出すつもりが完全ゼロだから書けたんだぜ、この際だから言っちゃうけど。勇者だからまあ変なことしないだろうと信用してくれてるのかもだけどさ。それ以前に俺、素人に興味ねえもん」
「ええっ、そうなんですか! いや、確かにあの誓約書貰う前から信用はしていましたが、そこまで言っちゃいますか?」
「言い切れるんだよ。さっき話したみたいな生活を十年もしてたら、その場限りの関係でしか満足出来なくなっちまったよ。まあそりゃ、将来勇者様の血を家に取り込みたい貴族から縁談の話が持ち込まれることもあるだろうけど、とりあえず結婚する気もないね」
ガタッと椅子を揺らしたアイラに、俺は言い含めるように説明した。何だか言っているうちに"寂しい老後"というぞっとしない単語が浮かんできたが、そんなのは将来の話だ。それに、自分にまともに家族が作れるような恋愛ができる自信もない。
「だから安心して夜眠ってていいぜ。興味ないし指一本触れるつもりないから」
「真顔でそう言われると、年頃の女としては若干傷つかなくもないんですけど」
アイラの眉が下がる。なんだ、女心ってやつは複雑でわがままだな。
「やたらめったら下半身でしか物事考えない奴よりはよっぽどましだと思うけれど?」
「なんか、ウォルファート様って女性にだらし無いのか、ストイックなのか分からないところありますよね、昔から」
「ばーか、俺は昔からだらしねえよ」
口を挟んできたエルグレイに軽口を返し、俺は隣の部屋を見た。薄く開けた扉の向こうでは双子が眠っているのが気配で分かる。勇者として最前線で鍛えてきた感覚は生後二ヶ月の赤ん坊の寝息でも感知出来るのだから、我ながら大したもんだ。
(なんつーか、こんな世に背くような恋愛関係しか持てない義理の親でわりいな、お前ら)
その代わり、独り立ちするまでは面倒見てやる覚悟は一応あるから心配すんなよ、と心の中で呟いて俺は菓子の最後の一切れを摘もうとしたが、諦めた。アイラの物欲しげな目にやられたからだ。
「どうぞ、お嬢さん」
「いいんですか? では遠慮なく!」
「どうみても遠慮する顔じゃなかったですよね、アイラさん」
俺の言葉に素早く反応するアイラ、突っ込むエルグレイ。なんてことのない会話、だけど久しぶりにホッとする瞬間だった。
たまにはこういう気分を味わう必要はあるよな。適度な息抜きは必要だぜ。
******
その夜、俺は久しぶりにおねーちゃんのいる店に遊びに行った。夜はメイリーンがいないのにどうやって行ったかだって?
そんなのエルグレイが代わってくれたに決まってる。俺が押し付けたわけじゃない、あいつが自分から買って出てくれたんだ。
「子育てって長いんですからたまには息抜きの必要ありますよ。今日は僕が替わってあげますから、どうぞ遊んできて下さい」
「んじゃ頼むわ」
これだけ。俺とあいつだから出来る。まあ正直俺もそろそろ限界に感じてたし、ここは有り難くエルグレイの好意に甘えた。あいつにはまた別の形で礼を言おう。
「ねえ、勇者様。何を考えてらっしゃるの?」
久しぶりの女の子が酌をしてくれる店の雰囲気と開放感に浸ってちょっとボーッとしていたらしい、隣に密着して座る女の子の甘い声にふと我に帰る。
「ん、君が俺についてくれて良かったなってな」
そんな台詞を言いながら、俺は女の子の肩に手を回す。キャッと媚びを含んだ可愛らしい声が俺の耳を刺激し、肩を剥き出しにしたドレスの薄い布地越しの肌の感触は官能的だ。
(たまにならいいよな)
所詮、金が繋ぐ一瞬の夜の夢でもいい。俺にはこれが必要で、そしてそれで十分だ。そう思いながらそっと唇を女の子の耳元に寄せて囁いた。
「たまにしか来れないけどさ、君のおかげで元気出るよ」
本音、本心。
そう、子育てという戦いに舞い戻る前に、休息時間があってもいいだろう? 美人が酌してくれる酒は十分それに値するのだから。