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ギュンター・ベルトラン

 判を押したように同じような毎日を過ごしている、と言えるかどうかは分からないがここ二年程は比較的平穏な日々だ。

 傍から見た分にはともかく、私自身がそう感じているならそれで十分だと思う。シュレイオーネ王国建国の立ち上げに関わってきた結果、色々と難しいことにも面倒なことにも直面してきた。しかし、それも魔王軍が闊歩していた頃に比べればいかほどのことでもない。



 そう、私、ギュンター・ベルトランはこの毎日に満足している。波乱や激動など無い方が心臓に優しいに決まっているからだ。



 (とはいうものの、今日はちょっと変わった一日と言えるか)



 ゆったりとした布張りの椅子に体を沈め、私は目の前の男を見た。同じような姿勢でいながら私には無い雰囲気--言うなれば現役の戦士の雰囲気か--を纏ったその男は、不敵な笑みをその顔に張り付かせている。その身に纏う長衣の赤がどことなく不穏な物を感じさせた。



「久しぶりに王都に足を運んでみましたが、なるほど立派な物です。復興の足音は日増しに強くなっているようだ」



 深みのあるバリトンが男の口から飛び出した。男性的な魅力を十分に備えた声だ。店内に流れる楽団の演奏の優雅な響きにも負けていない。現に隣で酌をしているこの店の女も先程から必要以上に男に寄り添っている(仕事だからという面はあるにせよ)。



「一歩一歩というところです。未だ問題は山積みで筋道すらついていない物も多いですよ」



「しかし戦後直後の荒野とはもはや段違いでしょう。いやはや......私のような田舎貴族から見れば全く素晴らしいという賛辞しか出てきませんよ、ベルトラン公爵。それとも軍事府筆頭とお呼びした方が良いでしょうか」



「どちらでもお好きなように。ベリダム・ヨーク"辺境伯"」



 男の好意的な言葉の裏に込められた揶揄に気付かないほど私も鈍くない。わざと正式な爵位でもない辺境伯という言葉を使ったのは小さな嫌味だ。もっとも本人は意に介していないようだが。



 終春の月も半ば、夏を前に王都が一時若葉の季節とも言われる時期である。新緑と深緑の両方を引きちぎるかのように、この男はいきなり来訪してきた。その真意は私には分からない。だが無視するには余りに危険過ぎる相手だった。女から注いでもらった酒を豪快に飲み干す相手を注意深く観察しながら、私もグラスを傾ける。



 ごつい、骨太な体格がまず目立つ。確か年齢は三十代半ばだったと記憶しているが、肉体的な頑健さは二十歳そこそこの若者と比べても遜色ないだろう。健康的に日焼けした顔の周りに豪奢な黄金色の長い髪が荒々しく流れており、さながら人の形をとった巨狼のようだ。



 (あながちその印象も間違いではないか......)



 先の戦のことを思い出す。解放軍を率いて最後に大魔王アウズーラを討ち取ったウォルファート・オルレアン公爵を正式に認知された勇者とするならば、彼とは並び立つようで立たぬもう一人の勇者、人呼んで北の狼。それがこの男、ベリダム・ヨーク辺境伯の異名なのだから。




******




 酒を口に含みながらベリダム・ヨークの顔を見る。やや苦々しい思いは胸に秘めたまま。

 ベリダムはこの大陸の北部に存在する一地方を統轄していたヨーク家の長男として貴族の家録に記されているが、はっきり言ってしまえばそれだけの男だった。父親も可もなく不可もない地方領主であることを考えれば、むしろ目立つ方がおかしい。恐らくこの男も大過なく広くもない領地を引き継ぎ、地方貴族として起伏の無い人生を送るだろう。子供の頃はそう思われていたようだ。



 だが平凡な一生を歩むはずの男の運命を時代が劇的に変えた。そう、魔王軍の侵攻が直接的な引き金となったのだ。



 私の記憶が確かなら先代ヨーク伯爵が魔王軍に討たれた後、この男はヨーク家を引き継いだ。その時は誰も期待しておらず、どうせすぐに滅亡すると思われていたのだ。だがベリダム・ヨークはこの急な家督の継承をきっかけに己の才を開花させた。



 目の前の男がその剽悍な顔を酒を注ぐ女に寄せている。下品ではない程度に色気を化粧で増した女もしなを作りそれに応えていた。「あの有名な辺境伯様とお知り合いになれるなんて光栄ですわ」と女が鼻にかかった声で囁き、ベリダムは「私の名前がまだ知られているとは驚きだよ」と満更でもない顔でその女に笑いかけていた。



 (謙遜に見せかけた傲慢--いや、自信か)



 隣に座る女から酌をしてもらいながら、私はこの男に対する認識を今一度自分の中で確かめた。そう、平和な世ならば埋もれ続け日の目を見ることのなかった戦いの才能、それを爆発的に開花させて北部地域を席巻したベリダム・ヨークを。



 百戦百勝の北の狼。武において無双、魔において賢者と謡われた勇名高いベリダムは魔王軍を蹴散らしたのみならず、戦乱の世を駆け抜けどさくさ紛れに戦力の落ちた他の領主の領地を切り取っていったのだ。魔王軍の防波堤という名目を盾にベリダムはその剛腕を振るい続けた。その結果、いつしか"辺境伯"という称号を勝手に名乗るようになった。領地の広さは先代ヨーク伯の三倍以上に膨れ上がり、その勢力は北方にしっかりと根を下ろしている。



「ねえ、ベルトラン公爵様。今日は素敵な日ね」



 不意に話しかけてきた私の隣に座る女の声に意識を引き戻された。この店は客一人一人に女が付くいわゆる高級店だが、性的な匂いは薄く割に上品だ。水商売の女の中にも知性を売りに客を楽しませる女はいる。



「何故そう思うんだい」



「軍事府筆頭のベルトラン公爵と陰の勇者様ヨーク辺境伯が一緒にいらっしゃるなんて中々無い機会ですもの。うちの店の歴史に残る一日ですわ」



「--まあ中々ない顔合わせではあると認めよう」



 笑みを浮かべた女の言葉の裏に隠された真意を汲み取り、私は苦笑いを浮かべざるを得なかった。そう、中々ない組み合わせだ。中央政権を小馬鹿にしたように北部を己の庭としシュレイオーネ王国建国の際にもなんだかんだ理由をつけて僅かな資金供給でお茶を濁す......ベリダム・ヨークがそういう男だというのは目端の利く人間なら誰でも知っている。



 つまり女が言いたいのは"中央と縁遠い辺境伯が何故王都まで顔を出したのか"ということになる。勿論私が答えることを期待はしてはいないだろうが。



「ふふ、ずっと北の我が領地にこもっていると世間に疎くなるのでね。ただの物見遊山だよ。もっとも会いたい相手もいるんだがね」



「あら、誰かしら。伺ってもよろしくて?」



 こちらの会話を聞いていたベリダムが口を開くと、彼の隣の女が反応した。この場には私、ベリダム、そして私達二人についた女二人しかいない。部屋は内密な話に向いた壁が厚い造りであり、少々表には出せない話をしても問題はない。



「勇者様だよ。私みたいな陰の勇者じゃない、正真正銘の勇者様。ウォルファート・オルレアン公爵その人さ」



「ヨーク伯、オルレアン公爵も些か忙しい身だ。大した用でも無いなら止めておくべきと忠告しておく」



「確かに忙しいようですね。小耳に挟んだのですが、最近では幼稚園の入園式で感動的な挨拶もされたようで......素晴らしい方のようだ。武勇のみならず人格面も素晴らしいという噂も嘘ではないらしい。だからこそ是非お会いしたいのですよ」



 ニィ、とベリダムが口元を歪めた。ゾクリと悪寒が私の背を走る。彼の金色の瞳が店の照明を受けて妖しく輝いた。

 言葉は丁寧ではあるものの、この男はオルレアン公爵に何か含むところでもあるのか。直接的な敵意ではないにしても私が感じた彼の気配は友好的とは程遠かった。



 (そしてそれを隠そうともしないか)



 ちりちりとした緊張感が指先に走る。グラスを掴んだ右手に僅かに震えがきたことを悟られぬよう、さり気なく両手でグラスを包むように変える。



「はは、ベルトラン公爵。そんな怖い顔しないでくださいよ。本当の勇者様にあやかりたいだけなんですよ、まがりなりにも陰の勇者なんて呼ばれてるんでね」



「ま、滅多なことはないと信じてはいるがね」



 胡散臭いと思いつつも一応釘は刺しておく。特に正当な理由が無くても力試しの為の一騎打ちや決闘は、正式な立会人がいれば認められているのだ。無論地位が高くなるにつれ、面子や社会的な影響に重きが置かれるためそういうことをする者は減るが、それはあくまで傾向に過ぎない。まだ戦乱の世の空気をひきずるシュレイオーネ王国において、武力の凌ぎ合いは時折貴族的なしきたりを凌駕しうる。



「信用無いですね。ま、直接剣を交えてみたい気持ちがゼロって言えば嘘になりますが......私も負けた時のダメージは考えますからね」



「......信用させていただくよ」



 くふ、くふと小さく笑うベリダムの顔は長い髪に隠れて見えない。女二人は覇気を隠そうともしない彼に畏怖の念を抱いたのか、さっきまでより距離を取っているようだ。もっともこの狭い個室でいくら距離を取ろうが高が知れている。気休めにもなりはしない。



「ヨーク辺境伯、一つだけ言わせていただいてよいか?」



 私の声に陰の勇者と言われる男は顔を上げた。私の視線と彼の視線がぶつかる。気圧されかけるが気力が勝った。



「公的な用であれ私怨であれ、この王都で万が一騒動を巻き起こすようなことがあれば私は許しはしない。辺境伯といえどもシュレイオーネの国民には変わり無い。それだけは肝に命じておいていただこう」



「理解しておりますよ、公爵閣下。私は行儀のよい男だ、一応陰の勇者ですからね」



「その言葉忘れないでいただけるよう、心より願っているよ」



 互いに面白くない相手と知りつつ無視できないとはこのことか。ともかく今私が示せる姿勢は示したつもりだ。後はこの男がいらぬ騒動を起こさぬよう願うしかあるまい。




******




 不遜な態度の狼との非公式な会見を終えたその数日後の夜、私は自宅の書斎にいた。家族は既に眠りについており自分もそろそろ寝ようかと手元の蝋燭を消しかけた時だ。



 "ギュンター様、夜分に失礼します"



「構わん。何か動きがあったか」



 高い天井から届くか細い声に返事をする。相手の姿は見えないが誰かは分かっていた。私が秘密裏に囲っている間諜の一人だ。ベリダムの態度に危険な物を感じた私が数日前から見張らせていた。重大かどうかはともかく、こうして私の元に報告しに来た以上聞いておかねばなるまい。



 "はっ。本日夕刻、辺境伯とオルレアン公爵が接触。時間にして十分程度話しただけではありますが、別れた後念の為に辺境伯の監視を続けておりました。参じるのが遅くなり申し訳ありません"



「よい。それよりどのような状況で二人が接触したか手短に話せ」



 "夕刻に二人のご子息を幼稚園に迎えに行ったオルレアン公爵の帰り道のことです。待ち伏せていたらしい辺境伯が声をかけられました。周囲に人も多く詳しい会話までは聞き取れませんでしたが、遠目で見る限りはお二人とも和やかなご様子でした"



「ああ、そういえば確か今日は早退してお迎えに行くと言っていたな。ではシュレンちゃんとエリーゼちゃんも一緒にいたのか」



 天井裏に呼びかけながら、私は勇者様からの早退願いを受理したことを思い出していた。「たまにはお迎えに行きついでに幼稚園での様子を先生達に聞きたくてですね」と勇者様は面倒そうでありながら照れた顔で申請用紙を提出していたな。受理のサインをしながら「二人によろしく」と伝えたが、まさか親子の帰り道に予期せぬ訪問者があろうとは。無理からぬことではあるが、その時は露ほども思わなかった。



 "はい。オルレアン公爵は二人のご子息の手を引きながら往来の隅で辺境伯と会話されていました。会話が短く済んだ一因は、ご子息達が早く帰りたいとごねはじめたのが原因で......"



「分かった。それ以上は何もなかったのだな?」



 "はい。また、辺境伯は明日王都を発つご予定のようです"



「もう? 早いな」



 返事の最後はほぼ独り言だ。姿の見えぬ間諜もそれを分かっているのか何も言わない。

 ヨーク家の領地はこの王都から早馬でも片道十日以上はかかる地域にある。余裕のある旅程ならば、およそ二週間はかかるだろう。そうまでして王都に訪れて滞在期間が僅か一週間程度とは腑に落ちない。



 間諜からはそれ以上の報告は無いとのことなので、監視の中止を命じて下がらせた。すっと闇に溶け込むように天井裏の気配が消えたことを確認する。視線を天井から外しつつ、私は椅子に座り直した。



 地方の領主が王都を非公式に訪れることはなくはない。目的は様々で、単純に観光だったり私費による買い物であったりすることもある。友人に会いに来ることもあるだろう。勿論それらは拒絶されるようなことでは無い。規則を守っている限り歓迎される行動だ。



 だがベリダムの場合は異なる。少数とはいえ家来を引き連れ、軍事府筆頭である私とあまり正式な形ではないとはいえ会見した。逐一行動を見張っていた訳ではないが、どうやら他の貴族達とも接触があったらしい。そしてこの短い滞在最終日にはわざわざ子供連れのウォルファート・オルレアン公爵にいきなり会いに行っている。何が目的なのか不明であり、また推察する材料にも乏しかった。



 きな臭いというにはあまりにも些細なことの積み重ねではある。気にかける程ではないかもしれないが、相手は北の狼という異名を取るベリダムだ。勇者様の名前を出した時のあの戦意にも近い気配を考えると、気にしない方が無理というものだろう。まさかとは思うが、辺境伯が謀反でも起こそうものなら国家の屋台骨を揺るがす一大事になるのは間違いない。最低限の注意は払っておくべきと私は判断した。



 (無理がない範囲で緩く監視を張り付けさせるか)



 経費の無駄遣いかもしれないな、と思いながら私は蝋燭の火を消した。暗闇に支配された部屋の窓の向こう側にいくつかの王都の明かりが見える。それがいつもと変わらないことに訳も無く安堵し、私は寝所へと向かった。

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