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グランブルーメ一期生へ

 イヴォーク侯が着席している幼児達--いや、幼稚園にいる間は園児達というのが正しいか--の前に進み出た。さほど大きくはない講堂の前は一段高い段差があり、そこに据えられた壇の後ろにイヴォーク侯が回り込み振り返る。丁度壇を挟んでイヴォーク侯と園児達、そして背後に立つ親達が向き合う格好だ。



 黒い制服を着たイヴォーク侯は一つ咳ばらいをした。彼の後ろには今日の入園式を彩る大きな花輪が置かれており、それがあっさりした装飾の壇の周りを華やかに見せている。



「おはようございます、皆さん。王立幼稚園グランブルーメへようこそ。私はこの王立幼稚園の園長を勤めさせていただくイヴォーク・パルサードです。ご存知の方も多いと思いますが今一度ご挨拶させていただきます」



 朗らかな表情をしたイヴォーク侯が少しゆっくりめの調子で話しはじめた。園児達を緊張させないようにという配慮だろう、目線は子供達に優しく注がれている。



「本日からこちらにいる皆さんは一緒に様々なことを遊んだり、簡単な日常生活の約束事を学んだりすることになります。私もここで働くのは初めてなのでちょっと緊張していますが、一緒に楽しく幼稚園生活を送りましょう」



 ここにいる園児達がまだ三歳児(この一年で四歳になる)ということを考えると、侯の言うことを理解するのは多分難しいだろう。だが子供というのは言っていることは分からなくても、相手がどういう態度を取っているかという点には敏感だ。イヴォーク侯も言葉ではなく態度や雰囲気で"自分は味方だよ"ということを伝えようとしているのだろう。



「はい、難しいお話はここまでです。よく来てくれたね」



「えっ、終わり?」



 満面の笑顔で挨拶を締めくくったイヴォーク侯に思わず突っ込んでしまった。他の親達も意外そうな顔だ。普通貴族の挨拶とくれば美辞麗句満載の長い物が尊ばれる。子供がいるからということを考慮しても意外な程短い。けどイヴォーク侯はそんな俺を含めた親達の戸惑いなんか露知らぬ顔で園児達に近寄り、頭を撫でたり膝を折って目線を合わせて話しかけたりしていた。



「皆仲良くできるかなー?」



「「「はーい」」」



 とても素直だ。すごく素直だ、有り得ないくらいに。入園式の前に既に座らされてウズウズしていたところから解放されると園児達なりに分かったのか、安堵感が伝わってくる。



 いや、だが俺が親代表で挨拶しなくちゃなんだよな。この雰囲気の中でか? もうチビ共は椅子に座る退屈から脱出出来ると顔を輝かせているんですよ、もしもーしイヴォーク侯爵さーん、いや園長せんせーい!



「さあそれでは皆で楽しく初めての遊びをしましょう。今日は特別に皆が大好きな勇者様が皆と遊んでくれるために来てくれましたよー」



「「「えー、ほんとー!! どーこー!?」」」



「え? え? ちょっと、挨拶はどうなりましたか?」



 寝耳に水のイヴォーク侯の言葉にびびる。しかし園児達のテンションが伝わり、もはや断れそうもない。シュレンとエリーゼの二人もこちらを見て「パパとあしょべるねー」と言っているじゃねえか。やばい、断れない。



「いや、やはり子供達が退屈してますし、それにここは双子ちゃんを男手一人でここまで育て上げたウォルファート様にですね、親の何たるかを実技指導していただきたいと!」



「女手もあったぞ! 誇張しない話盛らない膨らませない!」



「「「ゆーしゃしゃまーあしょぼーよー!!!」」」



 俺のイヴォーク侯への抗議はわっと寄ってきたチビ共の声に掻き消された。セラが気の毒そうに目を逸らし、周囲の親達は俺に期待と興味で輝く目を向けている。は、嵌められた感満載だぞ!



「勇者様、さすがですね。十五人もの子供をいっぺんに相手出来るなんて」



「私も見習わなくちゃいけないわ。最近わんぱく盛りだから持て余し気味で......」



「ケビンよかったな! あの勇者様がお前と遊んでくれるって! 死んだ母さんが聞いたらどんなに喜ぶか!」



 ああ、逃げ道が塞がれた。特に最後に聞いた言葉に超塞がれた。こうなると俺が出来るのは一つだけだ。本気で子供達と遊んで早めに疲れさせて落ち着かせることだけだ、腹括ったぜ。



 上着をセラに預ける。颯爽と講堂から外に出ながら纏わり付くチビ共に可能な限り優しい顔を作り、可能な限り楽しそうな声で言ってやった。



「よーし、じゃあ皆まとめて高い高いしてあげようねー。それが終わったら追いかけっこにしよー」



「「「はーい!」」」



 容赦してくれそうもないと戦慄させるには十分だ。そんな可愛らしい声が幼稚園の庭に響き渡った。




******




「お、おお。さすがですな勇者様。十五人もの幼児とこれほど存分に遊ぶとは」



「はい。私共グランブルーメの職員もこの勇者様の献身ぶりに恥じない勢いと真剣さを見習いますね! そしてこれから園児達と共に過ごして行きたいと思います!」



 疲れてボーッと座る俺の耳に周囲の会話が聞こえてくる。ねえ、イヴォーク侯......すごくキリッとした顔して応対してるのはいいけど。いいんだけど。俺は実験台じゃないんだからいきなりの無茶ぶりは止めて。ほんと止めてお願いだから。



 庭の木陰に避難した俺の前には同じように座りこむ園児達がいた。幼稚園の職員からおやつと飲み物をもらい大人しくしている。一重に俺の功績だ。自分で言うのも何だが、自分で言うしかないから仕方がないだろ。



 きっかり一時間、もうありとあらゆる手段を尽くし俺は身を張って園児達と遊んだ。高い高い、鬼ごっこ、かけっこ、果ては俺の体を木に見立てた木登りなどそれはもう多岐に渡る。職員が熱心にメモを取る中では手も抜けず、園児の靴に顔を踏まれても笑顔を絶やさなかった俺は褒められてしかるべきだ。



「お疲れさまでした、ウォルファート様。お水いかがですか?」



「わりい、セラ。ありがとう」



「二日酔いも抜けてよかったですね」



「それかよ!」



 労ってくれるかと思ったセラの言葉に俺は打ちのめされた。がっくり来た。確かに前日飲み過ぎた俺が悪いんだが、こんなに頑張った後に言わなくたっていいじゃん。



「あら、勇者様ったら何だかうなだれちゃってますわ」



「あの銀髪の可愛らしい方--内縁の奥様でいらっしゃったかしら--に尻に敷かれてますのね」



「あんな風に若い女性に頭が上がらない勇者様って」



「「「かーわいいー!!」」」



「やかましい!」



 ひそひそ話のつもりかもしれねーけどすごく良く聞こえてくるんだよ、奥様方! 何がかわいいんだ、全力で突っ込んでしまったじゃねえか!



 ふう、でもいい汗かいたのは本当だ。疲れを知らないガキ共とこれだけ遊べば汗と一緒に酒も抜ける。はっ......もしやイヴォーク侯は俺の二日酔い状態を見越してこれを押し付けた......はないな。ただの偶然だな。



 セラのくれた水を飲んで一息ついた。初春の月くらいならまだ穏やかな暖かさの中にも時折冷たい風が混じる時もある。けどこんな運動をした後だと水の冷たさが素直に嬉しい。「ゆーしゃしゃましゅごいねー」「ねー」とおやつを片手に話す園児達を見ていると、まあいいかなという気にもなってきた。



「パパはしゅごいんだよ」



「おしゃけ飲んでもしゅごいんでしゅ」



 シュレンは単純に鼻高々だけどエリーゼは論点がずれているような気がする。けど何だな、他の子達と混じってうちのチビ共もこんなに遊べるんだなあ。王都に来てから他の貴族のお子さん達と遊ぶ機会なんかあまり無かったからちょっと心配していたんだけど、取り越し苦労だったようだ。



 (シューバーとエイダがこの姿を見たらなんて言うだろうな)



 二人の笑顔を見ているうちにふっとそんなことを考えた。そうだよな、ほんとはあいつらが二人を自分の手で抱きたかったはずだったんだ。



 おしめ替えたり夜泣きに悩まされたり熱が出たら看病したりも--あいつらがほんとはしなくちゃいけなかったんだぞ。



 パパ、ママって呼ばれて抱き着かれて、たまに迷惑でもちょっと痛かったりしても暖かいなって思えることだって--あいつらが感じなきゃいけないことだったんだぞ......



 つい感傷的になってしまったと己を恥じ、そんな感情を冷たい水で流し込む。うん、せっかくだから遊ぶだけじゃなくて挨拶もしておこうか。一応俺、勇者だし。らしいとこ見せておかねえと。



 今一度園児達を見る。周囲の大人達を見る。木漏れ日が差し込みキラキラと踊るこの空間は優しく穏やかな空気に包まれていた。すっと息を吸い込み俺は園児達に話しかけた。



「おーい、ちょっと聞いてくれるかい?」



 俺の言葉が届いたのか、ざわざわしていた園児達は皆こちらを向いた。シュレンもエリーゼもそれぞれの視線を向けている。



「ご挨拶もしていただけるのですか、ウォルファート様?」



「遊んだだけで帰ってたんじゃ勇者の名折れだってね。ま、手短にしますよ」



 後ろから声をかけてきたイヴォーク侯に背中越しに答える。視線は子供達に向けたままだ。俺の様子に大人達も気づき居住まいを正した。この辺は腐っても公爵位持ちさ。権威ある人間の行動には自然と注意が払われる。



「さっき楽しかった子は手を挙げてー」



「「「ハーイ」」」



 十五本の小さな手が元気よく上がった。うん、皆いい笑顔だな。



「そうだな、今日初めてだったけど皆で遊ぶと楽しいよな。でもな、なかなか楽しいことばっかりが続く保証はないんだ」



 まだ四歳にもならない子供達に俺の話が全部理解出来るとは思わない。俺の真意が伝わるとは思えない。けど、とにかく言いたいことがあった。



「悲しいことがあったら泣いちゃうこともあるだろ? 玩具が壊れたり、やりたいように出来なくて悔しくて泣く時もあるよな」



 俺の言葉に園児達が顔を見合わせた。そうだな、どう答えていいか分からないよな。ちょっとざわめいた後、一人の子が「ぼくママに叱られて泣いちゃたことあるの」と口を開いた。それを皮切りに、園児達は互いの顔を見ながらちょこちょこと自分達が経験した泣いた思い出を話しはじめた。



「ミルクのめなくていやだったー」



「おねつでておしょとでちゃいけませんってしかられたの」



「人形の手がとれて泣いちゃったー」



 結構話せるな、この子ら。意外に言葉が通じることに手応えを感じた俺は更に話しかけることにする。

 シュレンとエリーゼを見ると二人も俺の方を見ている。子供なりに真剣な表情だ。いいか、よく聞いておけよ。今から話すのはこの子達全員に話すことだけど、ほんとはお前らを心配してのことなんだからな。



「うん、ありがとう。そうだな、皆泣いちゃう時があるってのは知っているし、そういう思い出はあるよな。いいかい、今日ここにいる皆は楽しく遊べる仲間だ。仲間ってのが大袈裟なら友達だ」



 友達か。うん、そうだよな。俺にだっているんだしこのグランブルーメに通う一期生のこいつらは皆、親の立場の違いはあっても良い友人になれるはずだ。



「だから皆で楽しく遊んで笑うことも出来るし、もし周りの子が悲しそうな顔をしていたらどうしたの? って聞いてやれ。友達が困っていたら話を聞いてあげるんだよ」



 まだちょっと難しいかもしれないが話しておかなくてはいけないだろう。近い将来、シュレンとエリーゼが傷ついた時に大人の立場からのいたわりではなく、同じ目線の子供の友人との触れ合いが慰めになるかもしれないんだから。



 (わりい、イヴォーク侯。俺、園児達への挨拶なのに双子のこと優先してるわ)



 この時だけ俺は私情を優先させた。この場を借りてほんの少し我が儘を通させてもらっている。何故ってそんなの決まってるさ。あいつらのほんとの両親の顔を思いだしちまったからだ。それが俺にシュレンとエリーゼを心配させる。



 自分が親と思い込んでいた人間が実はそうじゃないと知ったら--全部は分からないまでも相当ショックなのは間違いない。だからそれに備えて悪あがきさせてくれ。



「隣の子が泣いていたら涙を拭いてやれ」



 慰め一つが事実の重さを忘れさせてくれるわけじゃない。けれど何もないよりよほどまし。



「暗い顔していたら一緒に遊ぼうねって笑顔で誘ってあげるんだ」



 そんな気休めで何が変わるというわけじゃないが、だからって独りの殻に閉じこもらせちゃまずいだろ。



「その子の話をただ聞くだけでいいから側にいてやってくれ。それが友達ってやつだからな。勇者の俺からのお願い、聞いてくれるかい?」



「「「うん!」」」



 俺の願いはどこまで通じたのか分からない。けれどここにいる十五人全員が口を揃えて元気よく答えてくれた。今はただそれだけで十分だった。信じていいよな、きっと俺の願いは届いているって。




******




 俺の簡単な挨拶が終わった後、園児達はずらずらと並んで講堂に戻された。「いい挨拶でした、ありがとうございます」と皆が褒めてくれるのを愛想笑いでやり過ごし、今度は制服の採寸に向かう園児達を見る。その中にはシュレンとエリーゼもいる。



 相変わらずちっちゃい背中と思ったが、それでも俺の腰に頭が届くくらいにはなってやがるんだ。周りの子達も同じくらいの背格好をしている。子供ながら制服の採寸の為に皆ぴんと背筋を伸ばしている姿は何とも微笑ましい。



「グランブルーメ--偉大なる花、か」



「次代のシュレイオーネ王国を担う鮮やかな花ですかな」



 俺がぽつりと漏らした呟きに近づいてきたイヴォーク侯が答えた。今日の入園式を大過なく終わらせ、安堵感が隠せないホッとした顔だった。



「そうなるといいですね。親と幼稚園が協力して花を咲かせる為の土になればと願いますよ」



「詩人ですな、ウォルファート様。ならば私も及ばずながら美しい花を咲かせる土を耕すとしましょうか。きっとうまくいくと信じてね」



 イヴォーク侯の言葉に俺は心の中で付け加えた。そう、花はそれでいいと。ただ明るく美しく存分に咲くように土が支えてやるべきなんだろうとね。



「ウォルファート様ー、シュレンちゃんとエリーゼちゃん制服採寸終わりましたよー」



「ああ、今行く」



 セラが呼ぶ声が聞こえた。そちらを向くとこちらに小さな手を振るシュレンとエリーゼの姿と二人の肩に手を置くセラのほっそりした姿が見えた。他の家族に何の違和感もなく溶け込みながら俺を呼ぶ三人を、俺は何と呼んでやればいいか分からない。ただ出来れば何も考えずに今少しだけこんな幸せな時間が続いてくれ、と思わずにいられなかった。

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