入園式に臨みます
中春の月を迎え、シュレイオーネ王国の王都は一際華やかな雰囲気に包まれている。大陸のほぼ中央に構えられた王都は各地を繋ぐ通商街道の交差点でもあり、行き交う行商隊や旅人で賑わうのが常だ。特に厳しい冬が終わり雪が解けると通行が容易になる春は、その賑わいが草木の芽吹きのように一層高まっていた。
「はい、王都に入ってきた方はこちらでーす。馬車はこちらで停めて警備隊に通行証を見せてください」
「行商の旅の疲れは是非うちの宿でお流しください! 手頃な値段で手厚いサービス、可愛い看板娘もいますよ!」
「討伐対象の魔物の牙や毛皮、貴重な部位の骨や内臓をお持ちの方は冒険者ギルドまで是非お立ち寄りを。鑑定結果は平等公平ですよ」
「さあさ、王都で今一番人気の芝居の開演も間近だよ! "決戦! 勇者様対大魔王!"と"影の英雄の戦い--北の狼"の二本立てだ!」
多種多様な人々が行き交い、色々な声が飛び交う。朝から賑やかなこの季節の王都の雰囲気が俺は好きだ。通常状態ならな。
「ううう......ダメだ、頭にガンガン響く。なんでこんなやかましいんだ、ちったあ静かにならねえのか」
「二日酔いしてるウォルファート様が悪いと思いますよ......」
朝日が目に眩しい。ツッコミを入れるセラの目が冷たい。一部の人間にはご褒美だろうが、俺には年下の美少女に蔑まれて喜ぶ高尚なご趣味は無い。今あるのは一刻も早く帰って寝たい、出来れば冷たい水を飲んで胃を洗浄してからという実に切実な願望だけだ。
しかし俺に手を引かれて歩くシュレンの甲高い声が耳に突き刺さり、それはしばらく不可能だと覚悟せざるを得なかった。
「よーちえんってなーにー! おいしー!?」
「--ああうんそうだねおいしいねすごくおいしいとてもおいしいだからちょっと黙ってくれないか、頭にガンガン響いて俺ダウン寸前復活不可能なんだよ」
「おしゃけのんだパパがわるいんじゃないー? だめなんだよ!」
俺の必死の願いはあっさりへし折られた。エリーゼの生意気な言葉が後方から降り注ぐ。セラに手を引かれたエリーゼはその金色の髪をリボンで結んでお洒落をしていた。その双子であるシュレンも、いつもは無造作に外跳ねしている髪を可能な限りとかして大人しくさせている。そうつまり今日は--
「なんで今日が幼稚園初日っていうのを分かっていて、昨日遅くまで飲んでいらっしゃったんですか。まだ酒精が身体にたっぷり澱んでいるのが丸わかりですよ」
「だってさあ、園児の親代表で俺が挨拶とかしなきゃいけないのが悪いんだよ。言われたの三日前だぞ三日前? プレッシャー凄いっつーの」
「だからってお姉さんのいるお店でへべれけになって、挙げ句の果てにはお店の方に肩を担いでお屋敷に運ばれるとか、もう。プレッシャーに弱過ぎですよ!?」
うん、まあセラの言う通りなんだ。否定出来ない、昨日飲みすぎたってことも、今日がシュレンとエリーゼの幼稚園初日で入園式というのをやることも。そして俺がその場にいる全員の前で園児の親代表して挨拶しなくてはいけないことも--逃れられない確かな現実なんだ。
「お子様の晴れの日の前夜に泥酔する勇者様、銀髪美少女に罵られて絶頂とかうけますよね!」
「いいわーあたしそれで薄い本書いて出版しちゃおうかしら、凄く人気出そうよねー」
「そこのメイド二人っ、やかましっ! うっ、大声出したら余計頭痛ががががが」
お付きのメイド二人のヒソヒソ話にたまり兼ねた俺、だけど二日酔いという名の悪魔はメイド達の味方だったようだ。思わず呻き額に手をやる。
「「パパかっこわるいー」」
今日の主役の双子が楽しそうに声を揃えて駄目押しをくれた。いいんだもう......
******
昨年秋にイヴォーク・パルサード侯爵が中心人物となり王都に設立されることとなった王立幼稚園、その名はグランブルーメという。"偉大なる花"というこのネーミングはシュレイオーネ王国の明日を担う幼稚園児達を指すらしいが、ひねくれ者の俺なんかは期待先行しすぎじゃねえのかと穿った見方をしてしまう。
この話をアニーやロリスにしたら「夢がなさすぎー!」「勇者様ドライですね。僕あなたの子供にはなりたくないな」と言われてしまった。「うん、俺もお前みたいな娘いらんわ」とロリスに真顔で答えたら喧嘩になった。アニーが慌てて仲裁に入ってくれたが、あのまま止めてくれなかったらどうなっただろうか。一旦トコトンまでやり合いたい気持ちも無くはない。
まあ、あのピーピーやかましい女の子達のことは置いておいてだな、幼稚園の敷地に入りシュレンとエリーゼを幼稚園に勤務する先生達に預けてみる。事前に訪れたこともあったし先生達と面通しもしていたので、普段は煩い二人もあっさりと先生に促されて真新しい講堂の中の小さな椅子に座った。あいつら二人の周りには同じように今日から幼稚園に通う子供達が着席している。
「制服の採寸は今日やるんだっけか」
「はい、確か一週間後くらいに届くんですよ」
全体的に綺麗な服を着ている子がほとんどだが、そのデザインはバラバラだ。俺がセラに聞いた通り、園児達は同じデザインの制服を着てこれから登園することになるんだが、そのデザインが決まるのが遅れに遅れたらしい。何でも親達の間でちょっとでもうちの子が似合う制服にしたいという実に身勝手親バカな論争が炸裂したという噂だ。アホくさいと心底俺なんかは思うんだが、世の中そんなもんなんだろうか。
「しかしなんだな......貴族階級の子供、それにこの一年で四歳になる子供限定なのに結構いるもんだな」
ざっと見渡す限り子供の数は十五人くらいか。まあ王都に住んでいる貴族って結構いるしな、おかしくは無いのかもしれないが予想よりいるなあと思う。見るともなしに着席しつつもそわそわとしている子供達とその周りでざわめく大人達を見ている内に、何だか聞き覚えのある声が。
「ケビン、良かったな! 今日から幼稚園だぞ、立派になったな!」
「うん、パパ。僕頑張るよ!」
「う......立派になったな、死んだ母さんがこの姿を見たらどれだけ喜ぶか」
おいおい、いつか公園で会ったケビンとその父親じゃねえか。あの人貴族だったのか。こう言ってはなんだが、生活にゆとりがなさそうな感じがしたから平民だろうと思っていたんだけどな。奥さん亡くなってどれくらい経過してるのか知らないが頑張ってくれよ。
「で、ウォルファート様。挨拶の準備は大丈夫なんですか?」
セラがいきなり聞いてきた。ギクッとしつつ俺は何でもないように答える。
「あ、当たり前だろ。三日もあったんだ。挨拶の準備くらいバッチリだっつーの」
「さっきは聞いたの三日前だぞと文句おっしゃってませんでしたか?」
「--大人の都合というやつでごまかさせてもらうわ」
ああ、そうさ。一応挨拶の文句だけはきちんと考えてきたさ。けどこの講堂に集まった父兄や何が始まるのかなーと言わんばかりの子供達の様子を目にした今は......ちょいとばかし落ち着かないだけだ。
「私達貴族の子息がこのように集団生活を通し、そして学ぶ機会があるというのは新鮮ですなあ。隔世の感があると言いますか」
「いや、全く。これからの時代は全体でこう、協調意識というのですか、そう言った物も必要になるんでしょうな」
「それにあの勇者様であるウォルファート・オルレアン公爵のご子息の双子も入園されるとか」
うお、別に側耳立てているわけでもないのに周りの貴族の会話が耳に飛び込んでくる。馬鹿やめろー、俺に注目すんなー!
しかし噂話を止める術などない。とりあえず黙ってなるべく余計な話は聞かないようにしながら講堂の前の方へ視線を移した。その間にも俺の存在に気がついた貴族達がわざわざこちらに来て挨拶するが「ええ、ああはい。こちらこそよろしくお願いします」のリピートで対応する。
(ったく、イヴォーク侯もやるなら早くやって欲しいぜ)
八つ当たりと自覚しつつも、俺の視線の先で慌ただしく準備しているイヴォーク侯に毒づいてしまった。今日の一大式典を前に事前準備はしてきたのだろうが、本番となるとまた違うのだろう。時折各職員に指示を飛ばしている。侯爵には悪いがその姿を見ている内に少し落ち着いた。
「大変なのは俺だけじゃねえんだよな」
「え、何かおっしゃいました?」
「何でもない。しかし思ったよりシュレンもエリーゼも大人しいな」
俺の独り言に反応したセラに答えつつ、双子の様子を見て俺は少し驚いていた。いつもはワーワーキャーキャー煩いあの二人がもじもじしながら椅子に座っている。予想外だった。
子供なりに緊張しているんだろうか。俺が血の繋がらない子供二人を育てていることは割と広く知られているので、自然とシュレンとエリーゼの顔も貴族の間では認知されている。そういう意味ではやはり多少は他の子供より注目されるのは仕方ない。
黒髪黒目のシュレンはシューバーに似たのだろう。まだ幼いながらも利発そうな顔立ちだ。所在なげに足をぶらぶらさせているのはまだまだ子供っぽさを感じさせるが赤ちゃんの時とは雲泥の差だ。
ピンクがかかった金髪をリボンでまとめたエリーゼは焦げ茶色のくりくりした目で隣の子供を見ている。エイダはこんな顔つきだったのだろうか。色白の可愛らしい女の子だ。
幼稚園入園か。思えばエイダが出産直後に亡くなって俺が引き取ることになってからもう四年近くも経ったんだな。月日が流れるのは早いっていうのは本当だよな。感慨深くないと言えば嘘になる。そしてこの先避けては通れない事実についても今一度思いを巡らせた。
ふっと講堂の窓ガラスに朝日が差し込む。それが椅子に座って入園式を待つシュレンとエリーゼを照らし、俺には似ていない横顔を浮かび上がらせた。それが何だか眩しくて一瞬俺は目を閉じ、瞼に焼き付けた風景は自然と俺の口を開かせる。
「なあ、セラ」
「はい、何でしょう」
「幼稚園の他の子達から俺が実の親じゃないってこと、シュレンやエリーゼが聞かされることはあると思うか」
疑問形を取ってはいるがほぼ確信、断言の響きを取った俺の言葉にセラが息を呑むのが分かった。戸惑ったのはほんの数瞬だけ、その青い右目を僅かに伏せて若すぎる双子の育児役は答える。
「......ご両親がいくら注意していても、お子さんの口から伝わることはありうるかと」
声に含まれる僅かな震えが伝わってきた。そうだよな、お前だって怖いよな。
「なら、早い内に言った方がいいか」
だから俺は頷く。他人の口からあいつらに伝わるくらいなら自分で言った方がいい。それは他の誰でもない、この世で唯一の義理父である俺の仕事だ。
セラも無言で頷いた。その唇が柔らかに開く。
「入園式、始まるみたいですよ」
その言葉通り、壇上に上がるイヴォーク侯が見えた。その顔には緊張の気配はもはや無い。いよいよか。待ちくたびれたぜ、全くさ。




