犬と双子と侯爵の家
周囲の大人の思惑はともかく、幼稚園に行くということでもっとも影響を受けるのはシュレンとエリーゼの二人に違いない。それまで屋敷を中心に二人だけで好き勝手していたのが、いきなり周りに多数の子供がいる状態で過ごすようになるのだから。
俺は別に育児の専門家じゃないから断言は出来ないが、子供が何の遠慮もなくのびのびしているのはそれ自体はいいと思う。だが周囲に自分達と同じような子供がいないためにわがままがいつも通ってしまう状況があるというのはさ。あまりよろしくないんじゃないか?
なんだかんだ言ってセラも思い切り双子を叱り飛ばすことは出来ないらしいし、周りのメイドや使用人に至ってはそれは無理だろう(主人の子供を必要だからとまったく遠慮なく本気で怒る使用人がいたらそれはそれで問題だけど)。そして、唯一遠慮なくそれが出来る俺は日中は仕事で不在なわけです。
「ふ、ふふふ。いいかあシュレン、エリーゼ。来年春からはお前らの天国はなくなるんだぞお。覚悟しとけよー」
「? パパが変ー」
「いつもおかしいー」
ああ、気味悪い含み笑いをした俺が変なのは認めるさ、シュレン。けどいつもってどういうことだ、エリーゼ......やっぱ三歳児でも女の方が口達者なことは変わりないのだろうか。それともアニーやロリスに悪い影響を受けたからか。
「パパ、あそんでー」
「たかいたかいはー」
「はいはい、二人まとめてでいいかー」
シュレンとエリーゼが二人とも"高い高い"をリクエストかとこの時は思っていたんだが、それは単なる俺の早とちりだったらしい。
「やだ、シュレンはおんぶ!」
「エリーゼ、たかいたかいー!」
「おんぶ! たかいたかいはやーだ!」
「たかいたかいがいーい! シュレンちゃんだめ!」
「どっちやねん!」
そうだな、双子だからっていつも同じ意見とは限らないよな。いやもうどっちでもいいから早く決めてくれよと、俺はぼーっと二人の"おんぶor高い高い論争"が終わるのを待つことにした。
うん、幼稚園入れようそうしよう。同年代のライバル達に揉まれて世の中自分の思い通りに行かないこともあると思い知るがいい!
そう心の中で強く思ったある秋の日の午前中は涼しい秋風が気持ちのいい平和な一時だった。
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「というわけで、オルレアン家は来年春からシュレンとエリーゼを幼稚園に行かせます」
「分かりました、よろしくお願いします。シュレンちゃん、エリーゼちゃんお友達と仲良く出来るかなー」
「「できなーい」」
「......」
俺もイヴォーク侯も無言になってしまった。俺が幼稚園に行かせようと強く決意したその日の午後、ちょうどいいのでイヴォーク侯の屋敷を訪れたんだ。最近、飼い犬のカーニイとも遊んでいなかったせいか双子も喜んでついてきたんだが、こいつらときたら。全く親の顔が見たいよって......俺だったな。
「そんなことないわよね、二人とも同じくらいのお友達と遊びたいわよね? ほら、いつも私とばかりじゃつまんないでしょ」
セラが焦りながらフォローする。子育てを他人に委ねがちな貴族の奥方には反感はあるようだが、双子が同じくらいの年齢の子供と遊ぶこと自体は賛成らしい。しかし親の心子知らずとはよく言ったもので。
「しっぽしっぽー」とシュレンがカーニイのふさふさした尻尾を恐れることもなく引っ張るという暴挙に出れば。
「もふもふー」とエリーゼは自分と同じくらいの体高があるカーニイの首に満面の笑顔で抱き着いている。かわいそうなカーニイ、迷惑そうな顔をしているがよくしつけられているためか吠え声一つあげない。犬ながら見上げた根性だ。
「うちのが大型犬で良かったですな、小型犬なら双子ちゃんに押し潰されているところです、ハハハハ」
「す、すみません。やんちゃ盛りで」
「カーニイの散歩、後でやっとくんでここは一つご寛容を」
声は笑っているが、飼い犬がもみくちゃになっているのを見てイヴォーク侯が顔を引き攣らせていた。セラと俺は大人しく頭を下げるしかない。もっとも侯も別に本気で怒ってはいないけどね。
「いやいや、元気がよくて何よりですよ。あの双子ちゃんを見ているとうちの子供が小さかった頃を思い出します」
「はあ、恐れいります。イヴォーク侯、お子様いらっしゃったんですね」
「あれ、前に話しませんでしたかな? 息子が二人と娘が一人です。皆大きくなったので家を出てしまいましたがね」
「そうですか......」
イヴォーク侯の顔がほんの少し寂しそうになったのを見て俺は言葉を濁した。多分長男がパルサード家を継ぐために戻っては来るのだろうが、それでも寂しいものなんだろうか。
そんな俺の無言の疑問を感じとったのだろう。シュレンとエリーゼの犬への無邪気な暴挙を止めに入るセラを見ながら、イヴォーク侯が話してくれた。
「長男が他家に出向いて留学中でしてね。今、二十歳です。遠隔地なので中々会うことも出来ません。あと一年か二年は戻ってこないでしょうな」
「他のご子息は? 差し支えなかったらですけど」
「次男は従軍しています。王都直轄の軍で一年勤務した後、地方に配属されましたね。勇者様のお陰で魔王軍が壊滅したので危険はあまりないみたいですが、それでも会えないことに変わりはないですな。娘は昨年嫁いだので、王都には住んではおりますが普段屋敷にはおりません」
「ご結婚されたらそれはまあ、仕方ないんですかね」
俺の言葉にイヴォーク侯はハハ、と小さく笑った。暖かいような、切ないようなそんな複雑な笑みだった。
「おっしゃる通りなんですよ。結婚に限らず子供がいつか自分の手元を離れられるように育ててきたのです。だから、自分の家以外の場所を見つけることが出来たことを私は喜ばなくてはならないんですが」
イヴォーク侯はそこまで言って視線をシュレンとエリーゼに移した。まだカーニイに纏わり付く二人がセラに止められている。
「--なかなかそうは思えず、時々子供達が小さかった頃を思い出してしまう始末です。なんせ三人いましたからね、それはもう賑やかでしたよ」
「うちは二人でもうたくさんと思ってるんですけどね......あれよりうるさ、いえ賑やかっていうと想像つかないですね」
それ以上何と言っていいか分からず、俺は黙って手元のカップから茶を啜った。冷めかけてはいるが風味は上等で舌から鼻に抜ける香りは申し分ない。だけどやっぱり熱が足りないその風味はどこか少し物足りなかった。
(子供が巣立った後の家もこんなものなんだろうか)
カップの表面に視線を落とす。いい紅茶には違いない。だが、それでもこれより等級が落ちてでも熱めの紅茶の方が好きだという人は多いだろう。それと同じように子供の笑顔というものは家庭という茶に命を吹き込む熱なのかもしれない、とふと拉致もないことを考えた。
「......俺には分からないです。シュレンとエリーゼは別に俺の実の子じゃねえし。三年以上も一緒にいるから愛着みたいなもんは確かにあるし、ちゃんと育てなきゃという責任は感じてるけど大きくなって屋敷を出たら多分ホッとする気がします」
「それでもですよ、ウォルファート様。どんな風に感じたとしてもきっと貴方は子供がいた時と出て行った時では違う感情を抱くはずです。その違いや差というものが家族というものなのではないですかな」
「例えホッとしてもですか? イヴォーク侯みたいに寂しいなとか思わなくても?」
「それでも良いと思います。なぜならそういった感情が生まれること自体、親が子供に重きを置いていた証拠なのですから。少なくとも私は三人の子供がパルサード家を出て--まあ長男はいずれ戻ってきますがね--うちがガランとして寂しいと感じはしますが、後悔はしておりませんよ」
イヴォーク侯はそこまで言って紅茶を一口飲んだ。既に湯気も出ていない茶を満足そうに。
「寂しいと感じられる程に、私は自分の子供達と良い時間を過ごしたということですから。詩的な言い方が許されるならば家族の歴史というものを築いてきた、そういうことです」
「家族の歴史ですか。何だか難しい話っすね」
「はは、私が勝手にそう思っているだけです。お気になさらず」
家族って何だろうとイヴォーク侯の言葉を改めて噛み締める。俺、シュレン、エリーゼ、セラの間に血の繋がりがあるのはシュレンとエリーゼの双子だけだ。親役をやっている俺とセラは恋人ですらない。それでも何となく楽しく毎日を過ごしてはいる。
こういうのも家族なんだろうか。例えよく分からない薄い繋がりでまとまっていても? 生活を共にしているから?
「その、家族の歴史ってのはイヴォーク侯にとっちゃすごく意味があって重い物なんですよね。なんだか俺にはそういう大事な物があるのかどうか真剣に考えたら分からなくなってきましたよ」
「あると思いますよ。ただ気づいていないだけかもしれません」
「そうですかねえ、うーん」
確かにリッチの幻術にかかって誘惑に乗りかけた時に、それを破るきっかけになったのは心の底で響いたシュレンとエリーゼの声だった。だがそれだけって言ってしまえばそれだけだ。大事、うん、大事だとは思うんだが。多分にそれは責任感からであって、"愛情は?"と問われると正直自信が無い。
「なんていうか、今日のイヴォーク侯はカッコイイです」
「いやいや、私など平凡な父親に過ぎませんよ。それにウォルファート様は自分のやり方でここまで来られたのです。私と重ねて己を計るのはあまりよろしくないかと」
「「パパー! カーニイ逃げちゃったよー!」」
ちっ、せっかくいい話をしていたのに双子の声に水を差されてしまったぜ。見事にハモった双子の声に振り向いてみれば、大きな白い犬の後ろ姿がちょうど部屋から出ていったところだ。そうか、子守はもう嫌か。
「あんまりしつこく構うからです! ダメでしょ、わんわんいじめたら!」
「だってー」
「もふもふー」
セラの注意にシュレンは顔を曇らせ、対照的にエリーゼはまだ懲りていないらしくそわそわしている。はは、カーニイ、この二人を同時に相手によく遊んでくれたな。後でご馳走でもあげるか。そしてその忠犬とすれ違いにドアから顔を覗かせたラウリオが双子を見つけた。飛んで火に入る夏の虫ってか。
「あれ、シュレンちゃんとエリーゼちゃん来てたんですか。てことは」
「よお、ラウリオ。ちょうどいいや、二人の相手してやって。カーニイが遊び疲れちまったってさ」
「え? あの、僕一人でですか」
おいおい、何を今更ぶるってるんだよラウリオ君。君以外に誰がいるんだ。
「ほら、シュレン、エリーゼ。カーニイの代わりにラウリオお兄ちゃんが遊んでくれるってよ。存分に遊んでいいぞー」
「え、ちょ待っ......」
ラウリオの抗議の声は双子達の「キャー!」という声と突進に掻き消された。さっきまでカーニイに抱き着いていたので、二人とも服のそこかしこに犬の毛がついていたり涎の跡があったりする。しかし子供はそんなことはお構いなしだ。
「あ、あははは、シュレンちゃんもエリーゼちゃんも元気だねー。ちょーっと遊ぶ前に服拭いたりした方がいいと思うんだけどなー」
「だめーっ」
「あたちおんぶしてー」
そうさ、世の中言ったもん勝ちなのさ。遠慮の欠片もない三歳児二人に迫られ、ラウリオの顔に情けない表情が浮かぶがこれも将来に向けての勉強だ。
「良かったわね、二人とも。うふふ、子供に優しい殿方って素敵ですわ、ラウリオさん」
駄目押しとなったセラの朗らかな声が止めとなったのだろう。ラウリオは諦めたようにシュレンとエリーゼを一人で抱えて出ていった。「僕まだ結婚とか先の話なんだけどなあ」というぼやきが聞こえてきたがなあに、お前は俺と違ってちゃんと身を固めるだろうから、早い内から実戦経験(子育て)を積んでも無駄にはならねえよ。
「我ながら完璧な論理だ。そう思いませんか、イヴォーク侯」
「ウォルファート様、あの一応ラウリオは私の部下なんですが」
「あれ、俺の舎弟じゃなくて?」
「......」
うん、細かいことは忘れよう。子供は国の宝なんだから皆で大事にしないとな!
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仕事と子育てに追われる月日は飛ぶように過ぎてゆく。毎日一枚一枚薄紙を重ねるようにシュレンとエリーゼは成長していく。昨日と今日を比べても同じに見える。だけど三ヶ月前と今日を比べると少し重くなっていたり、言葉の数が増えたりと、こちらが認識出来る範囲でその成長度合いが増していたりするんだ。
「ゆきってなんで白いのー、ねーなんでー」というシュレンの質問に頭を悩ませた冬が終わり。
「きょうあの木にお花咲いていたの!」と喜ぶエリーゼを微笑ましいなと思う春の初めがやってきて。
気がつけば二人が幼稚園に通う日を迎えていたんだ。




