俺、なにやってんだ?
すいません、一部貼りつけミスがあったので直しました 10月11日
こうして乳母も家事手伝いも雇い、何とか育児体制が整った。出来れば二人目の乳母も欲しかったが贅沢は言えん。こうなってくると出費が気になるので一応試算してみたが、どうにでもなりそうだった。
まず、大魔王を倒した功績を評価され近隣の町の組合が合同で月10,000グランを俺が死ぬまで払ってくれることになった。
加えて魔王軍の貯めこんでいた財産を奪い返した分のうち、俺の私的な取り分がある。また軍資金調達の為に運営していたウォルファート商会の代表権も他の人間に譲り、その代わり退職金を貰った。それらを合計すると150万グランを超える巨額の財産となっている。
これに更にシューバーとエイダが残した遺産があるが迷った挙げ句、その半分は町の教会に寄付し、残り半分はシュレンとエリーゼの名義で信託金として保管することにした。流石に志半ばで亡くなった二人の遺産に手をつけるほど俺も落ちちゃいない。
しかし、だ。もう十年も勇者として各地を駆けずり回りやっとのことで大魔王を倒しさあて楽出来るぜ、と思っていたのにさ。今度は子育てとかどんな意地悪なんだ。俺が何か悪いことしたかよ?
「ごめんなさい、勇者様。ちょっとエリーゼを抱いていてくださいますか? シュレンのオムツを替えなくてはいけないので」
「へい。うおっと、首がまだ座ってないんだよな。手を添えて、と」
メイリーンから、ピンクの肌着に包まれたエリーゼを受け取る。シュレンと比べると女の子だからかちょっと体が柔らかいような......より正確に言えば体の芯が細いような印象がある。赤ん坊なのにもう男女差があるのかとちょっとびっくりした。
「二階の掃除終わりましたー。あら、エリーゼちゃん、パパに抱っこされてよかったね」
「別に嬉しくないんじゃね? うーん、かわいいのはかわいいがずっと抱っこするのしんどいなあ」
貸し家の二階(俺が借りているのは町の中心にある二階建ての一軒家だ)の掃除を終えたアイラが顔を出す。白い三角巾で髪を包んだ彼女は思っていたより小器用に家事をこなし、朝早くから炊事洗濯掃除をやってくれる。
なんせ双子だからメイリーンは育児にかかりきりだ。俺は俺でぽつぽつではあるけど、勇者様の名声とオルレアン公の肩書から日中訪ねてくる人がいるので邪険には出来ない。勢い全ての家事はアイラにかかってくる。
「もう慣れたかい?」
「仕事のことですか? はい、間取りも覚えたので目を閉じてでも歩けますよ」
「いや、別に普通に歩けよそこは」
つい突っ込んでしまったが、ほんとアイラがいなかったらと思うとゾッとする。家事の一環には双子のオムツ洗濯という、お世辞にも綺麗とは言えない仕事もあるのだが、そんな仕事も眉一つ変えずにこなしてくれているのだ。頭が下がるぜ。
そして当然、メイリーンがいなくてはシュレンとエリーゼは育たない。双子が泣けばずっと付き添い、腹が空いたと喚けば母乳を与え、下の世話もする。傍で見ているだけでも目が回りそうだ。
それでも彼女曰く実子がいた時はこれに自宅の家事もしていたのでそれに比べれば楽らしい。
まあ、亡くなった赤ん坊には可哀相だが......メイリーンがいてくれなかったら、俺は完全に詰んでいたことを考えると複雑な気分になる。
ふえふえと弱々しい声で泣いていたエリーゼが次第にとろんとした顔になり、目をつむる。(しめた! 寝る!)と思い、期待の表情でオムツを替えたシュレンの方を見た。こっちはご機嫌なのか、小さい手足をゆっくり動かしながらあばあばと何やら唸っている。あれは赤ちゃん語なのか?
「ウォルファート様、シュレンちゃん、私の指掴んでます」
メイリーンの声に俺はベビーベッドを覗き込んだ。本当だ、細いメイリーンの人差し指をシュレンの小さい、ほんとに小さい手が握り離そうとしない。
「あー、いいですねえ、かわいいです」
横から割り込んできたアイラには悪気は全く無いのは分かるが、やっぱり俺にとっては厄介だなあ、と感じることの方が多い。だから自然としかめ面になった。
「確かにかわいいけどさあ、こいつらいたら何にも出来ないじゃん。本読みたくても、すぐに泣いたりするしよ......アイラとメイリーンがいてもせいぜい訪問者の相手したり、ちょっと飯食いに出かけられるくらいだし」
これは本音だ。
びっくりするほど赤ん坊は手がかかる。今のところ日中はメイリーンが通いで来て面倒見てくれるが、夕方になったら帰ってしまう。流石に旦那がいるのに泊まりで面倒みてくれよ、とは言えない。だから、夜間は基本俺一人で見なきゃいけないのだ。
基本俺一人というのはアイラが余った部屋に寝泊まりしているから、ちょくちょく手伝ってくれるのだ。とは言え、彼女が夜間に根詰めると昼間家事をする体力が残らないので俺がメインで見ている。
(まあそりゃあよお、仮にも勇者だ。睡眠時間三時間くらいでも耐えられなくはねえけどよ)
ぼやきながら俺は双子をちらりと見た。こっちの気も知らず、フニャフニャ何やら声を出しているシュレン。エリーゼはメイリーンに甘えたいらしく、甘え泣きというのか、本気モードではない軽い泣き声で訴えている、ように見えた。赤ん坊の表情なんか分からない。
(かわいくなくはねーけど、四六時中拘束とかは--やっぱ苦痛だわ)
そうぼやきながら、俺は子供部屋を出た。あーあ、綺麗なねーちゃんのいる店とかたまには行きたいけど、昼間はやってねえしなあ。気が晴れねえよ。
これが双子を押し付けられてから二ヶ月が経過したある日の、俺の偽らざる本音だった。
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「なあ、グレイちゃん」
「エルグレイです。何ですか、ウォルファート様?」
「お前今幸せ?」
「まあそこそこに」
その日の午後、久しぶりにリールの町を訪ねてきたエルグレイと冒険者ギルドで会った。解放軍が解散した後、才能だけなら大陸で五指に入るであろうこの俊英は気ままな冒険者生活をしている。確か今二十歳、これからピークを迎える頃だろう。
「ちっ、いいよな。そこそこ幸せって言い切れる奴は」
八つ当たりに近い俺の愚痴を聞き、エルグレイは眉を潜めた。灰色の髪の毛から覗く明るい水色の目が、俺の様子を探るように動く。
あー、そうだ。こいつの癖だったよな。観察眼活かして、相手の不安や不満を晴らすように話を持っていこうとするのは。
「ウォルファート様は今幸せじゃあないんですか。それは残念ですね」
「幸せじゃねえよ! 成り行きでちいとばかし縁のあるだけの赤ん坊押し付けられてるんだぜ? 飲みにも行けねえし、遊びにも行けねえしさ。これでオルレアン公爵って、まじ名前負けもいいとこだよ」
はああ、とため息が口から漏れる。こりゃあれだ、ストレスだ。育児疲れというより精神的な閉塞感が強いのが分かる。世のお母さん方、あんたら偉いよ。俺、パパなんて柄じゃねーんだよ。
そんな鬱々とした気持ちが顔にだけではなく、全身に澱んでいたのだろう。普段は飄々とした様子のエルグレイが、難しい顔をして腕を組んだ。
その一言が彼の口から飛び出した瞬間は、今でも覚えている。
「止めたらどうです、父親のまね事なんか。幸いまだ生後二ヶ月、ウォルファート様の顔も覚えてはいないでしょう。まだ間に合いますよ?」
「え、おい、いやまて! あの双子は遺言で俺に託されたわけで、嫌だからって手放したら責任放棄になるし、それに......」
言葉に詰まった。いや、何て言っていいか分からなかった。そんな俺をエルグレイはひどく冷たく、だが同時に優しい目で見る。
「世界を救った勇者が心身困憊しているなんて、十分遺言破棄の理由になりますよ? それに薄々分かってるはずです、ウォルファート様。あなたは子育てには向かない」
容赦ない一言にギクリとした。言葉に詰まった俺に、エルグレイは更に追い撃ちをかける。
「子供のいない夫婦に呼びかければ、すぐに貰い手はつくでしょう。シューバーもエイダも素性は怪しくない二人です。その二人の子供ですし、何よりたった二ヶ月とはいえあの勇者様が見た双子だ。由緒正しいことこの上ない」
エルグレイの言う通りだ。正直言えば俺はシュレンとエリーゼを育てて......もうちょい正確に言えば愛してやれる自信が無かった。俺に似合うのは戦場か商売の場であり、家で子供に振り回されることじゃあない。そんな人間に育てられたら子供も不幸だろう。
だが。
だがしかし、何故。
俺はエルグレイの提案に「そうだな」と頷けない?
めんどくせーと心底思っているのに、何故、俺はあの双子を手放すことに抵抗がある?
そんな俺の戸惑いを見透かしたように、エルグレイが更に言った。ここはギルドの個室だ、多少言葉が過激でも外には聞こえない。
「何を迷っているんですか。ウォルファート様の決断一つで、全て丸く収まる。シューバーとエイダもあの世で納得してくれるでしょう。簡単なことです」
「だよな。確かにお前が言うとおりだ」
呻いた。笑顔でエルグレイの言葉に頷くべき俺の首は--固まったままだ。ちらつく青とピンクの肌着、抱っこした時の柔らかい感触が思い出される。同時に耳につく泣き声、夜泣きに悩まされ何度も起こされたことも思い出される。
おい、何だよ。何が正しいんだよ。
不意に脳裏に甦るのは二人の姿だ。
シューバーは最後は大魔王にぶった切られた。そしてエイダは双子を産んですぐに亡くなった。
あいつらは自分の手で子供を抱きたかったんだろうなと、ふと考える。今浮かんで来て欲しくない考えなのに、どうしてもそう考えてしまった。
「無理だ、悪い、エルグレイ。シュレンとエリーゼは......俺が、とりあえず、しばらくは俺が面倒見る」
反射的にそう答えていた。へえ、と親友でもある魔術師は一言だけ呟く。
「あの双子は、俺を信じてエイダが託した子供で。アウズーラに自らの命も省みずに挑んだシューバーの子供なんだ。あいつらは俺を信じてくれた。だから、向いてなくても何でも俺が育てる」
くそお、言っちまった。これで女も酒もパーだ。後悔、だがこれしか仕方ないという諦め。
メイリーンがほんとの子供でもないのに献身的に母乳をやりあやす姿、アイラが黙々と真剣に調理をする姿が胸のうちで瞬いた。
雇われた立場とは言え、彼女らは俺とシュレンとエリーゼの為に頑張っている。俺が、仮にも勇者である俺がどうして投げ出せるというんだ。
「こんな半端なところで止めるわけにはいかないんだよ。すまん、ほんとに無理なら他の手を考える。だけど、今は俺があいつらの父親なんだよ!」
感謝しろよ、赤ん坊共。ウォルファート・オルレアンにここまで言わせるなんてお前らくらいだぜ?