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思い出なんか振り切って

 あの時どうやって逃げ切ったのかはほとんど覚えていない。追手をまいたと確信して安堵したのもつかの間、エウハウシャの谷の奥まで来てしまったことに別の絶望感が押し寄せたことだけははっきり覚えているが......後はもう魔物とは一戦も交えず、逃げて逃げて逃げまくった。今でもあの危機を切り抜けたのは奇跡だと思う。



 命からがら谷を抜けた俺は近くの街道までたどり着いて安堵感からへたり込んだ。そこを通りがかった隊商の一行に拾ってもらい、一番近くの町まで連れていってもらった。



 (何もかも失っちまったな)



 隊商の荷馬車の荷台に腰掛けてぼーっと空を見上げていた。

 パーティーの仲間は皆死んだ。これから運営しようと思っていた商会へも連絡を取る手段が無い。ヒルダがいる以上、あの町へは戻ることもできず、また一からやり直し。拠点作りからだ。



 それに何より俺はヒルダを失った。俺が好きだった--愛した女はもういない。幸せなんて単なる幻想だった。でなきゃあの悪夢は説明つかないだろう?



「けどな、このまま終わってたまるかよ」



 俺は一度だけ目を閉じ、今はもういない仲間達へ祈りを捧げた。あいつらは俺を許してはくれないだろうけど、そうせずにはいられなかったんだ。ごめんという言葉を何度でも繰り返してる内に、祈りは低い嗚咽に変わった。今だけだ、今だけ泣くことを許してくれよ。



 晩秋の空はどこまでも青く澄み渡り、それが物悲しかった。




******




 再び剣を取るまで一ヶ月。



 ソロでの活動から新たな仲間とパーティーを組むまで三ヶ月。



 そのパーティーで活動しながら対多数への攻撃手段として特殊な調印を施した武器と意を交わし、念意操作と呼ばれる技術で操れるように地道に訓練を重ねた。呪文より威力は劣るかもしれないが、小回りがきき魔力を消耗しない遠隔攻撃手段は俺の足りない部分を補うのにピッタリだったからだ。



 そんな日々を重ねながら、ヒルダがどういう口実を設けた上であの物騒な連中と共に俺達を谷で始末しようとしたのかを考えた。行政官である彼女の父親に「しつこい男がいるの」と訴えれば、足がつかない範囲で傭兵を雇い冒険者の一団を密かに始末することくらいは出来るだろう。嫁入り前の娘に変な噂が立つのはまずいと考えたのかもしれない。



 全ては俺の推測に過ぎない。確かめる手段もない。確かなのはヒルダは俺の全てを奪い、のうのうと今も生きているという事実だ。許せるわけがなかった。





 エウハウシャの谷での事件から一年余りが経過した。俺はその時組んでいたパーティーとは別れた。「ありがとう」と笑って手を振りそのまま旅に出た。行き先? 決まってるだろう。ヒルダのところだ。俺に刻まれた痛みを叩きつけてやる為だ。失われた時間、血まみれの感情、何の罪も無いのに死んでいった仲間達......それらがぐるぐると渦になり、俺の足を速めさせ、胸の中で黒々としていたんだよ。



 復讐。



 一言でいえばそういうことだった。




******




 雪が降っていた夜だった。



 その晩、所用があり馬車に乗り出かけたヒルダを尾行した。もうその時は結婚していて旦那もいたけど、たまたま旦那は商会の仕事でしばらく留守にしていた。ヒルダの周辺には数名の護衛しかいなかった。



 俺が隠れている暗い路地の前を馬車が通った時、あらかじめ雪に埋めていたショートソードを念意操作して馬の脚を狙った。この時はミスリル製ではなくただの鉄製のショートソード、俺の念意操作も未熟だったから操れる限界はたった三本に過ぎなかったけどな。



 それでも効果は絶大。馬が暴れ馬車は横転しそうになった。慌てて飛び降りた御者と護衛が合わせて三名しかいないのを認めた俺はほくそ笑んだ。ちょうどいいじゃないか。一人一本。



白銀驟雨(シルバースプラッシュ)



 雪が邪魔で見えなかったのか、あるいは今まで念意操作による攻撃なんか見たことなかったのか。とにかく俺の攻撃は決まり、御者と護衛は真っ赤な血飛沫を上げて寒々とした冬の夜に冷たい死体となった。さっさとショートソードを念意操作で手元に回収しながら物陰から馬車を注視していると、その扉が開いた。



 ヒルダ・ヌーノバイツ......ああ、今は結婚したから姓が変わったのか。まあどうでもいいか。



 赤っぽい金色の髪は艶があり、高価そうな白狐の毛皮を使った外套に身を包んでいた。美しかった。それだけは認めるよ。



「ヒルダ」



 俺は物陰から彼女の前に姿を現した。念意操作で切り刻んでもよかったんだが、それじゃ気が済まなかったんだ。手に握った剣の柄がやけに冷たかったのはなんでだろうな。単に冬だったからかい。



「ウォル......? ねえ、ウォルなの?」



 恐ろしいことにヒルダの奴、俺を見て笑いやがった。何の屈託もない、晴れやかな笑顔で。心底恐ろしいと思いながらため息をついた。こんな心が腐り果てた女に惚れていた自分にも、自分の内面の狂気を隠し通して生きてきたヒルダにも。



 何だよ、まんまと幸せそうな結婚生活満喫してますっていうその面は。俺を騙し、俺の仲間を殺したお前が何で今そんな幸せそうに笑っているんだ。理解出来ねえよ。



「よかった、生きていてくれていたのね。私ずっとあなたのことを」



 それがヒルダの最後の言葉だった。この一年余りで格段に踏み込みの速度を増した俺が振るった剣は、一撃で彼女の胸元をぶったぎった。躊躇いなんか微塵もねえ。そんな甘ったるい感情抱いて生きるくらいならのこのここんな場所まで来るかってんだ。



 多分ヒルダは何か言おうとしたんだと思う。ぱくぱくと口が動いた。でもそれは敵わなかった。俺も別に聞きたくなかった。操り糸が切れた人形みたいに雪の上に倒れた彼女を俺は見下ろした。しんしんと降り積もる雪が染み出した赤い血に吸い込まれて--消えてゆく。



「じゃあな」



 その一言だけを骸にかけてその場を立ち去った。お別れだ、ヒルダ。あの日お前に出会わなきゃよかったよ。お前、元からあんな病みきった性格なのか。それとも俺と出会ってからなのか。



 答えは今も謎のままだ。








 目撃者がいない通りと時間帯を選んだのが効を奏し、俺がヒルダを殺した事件は犯人不明のまま闇に消えた。幸いといっては何だが魔王軍の動きが活発化したため、一個一個の事件に関わっていられるほど治安維持の兵士も暇じゃなくなっていたようだ。それをいいことに俺は何も知らないふりをしたまま、また冒険者としてレベルアップと資金稼ぎに励んだ。



 ヒルダの件が無ければ、自前の軍を持つことも商会を持つことも恐らく一年半くらいは前倒しになっていただろう。それを考えるととんでもない寄り道だったと思うのは後日になってからの話だ。




******




 普通に女の目を見て話せるようになるまで一年かかった。



 金で女を抱けるようになるまで、そこから更に二年かかった。



 実際問題忙しいということは俺が好きな女を作らない良い口実になった。女全てを否定するほどにはならなかったが、もう愛だの恋だのうだうだ言うのはまっぴらだった。二度同じ過ちを犯してたまるかと普通の恋愛から背を向けて、勇者として勇名を馳せることだけに専念すればするほど、皮肉なことにもてた。



 首を横に振り、たまの空き時間を金で買った女と酒で埋めた。



 それで十分だったよ。




******




 吐きそうだ。気分は最悪だ。リッチに幻覚をかけられたと思ったら、俺の中の一番思い出したくない記憶を引きずり出された。いや、思い出したってもんじゃねえな。ほんとにもう一度ヒルダと出会ったあの路地裏からこの手で殺めた雪の日まで経験したみたいな不快感と疲労感が俺を包んでいる。



 "ウォルファート。今代随一の英雄よ。どうかね、貴様の人生は楽しかったかね"



 どこか遠くから声が聞こえる。多分リッチの声なんだろう、でも記憶を鮮明に展開されたせいかヒルダの声のような気もする。いや、あいつは確かに死んだからこれは......俺の思い込みだ。



 楽しいわけあるか。好いた女に全てを奪われ復讐しか思いつかなかった俺なんかが楽しい人生歩んでると思うなら、そいつの頭はゾンビ並に腐ってやがる。断言してやる。



 "そうかそうか。疲れたろう。どうだ、勇者よ。余の下に来ぬか。貴様の内面も知らず、ただ勇者だと持て囃すような連中とずっと生きていくつもりかね? 初めての恋人に裏切られ奪われ、挙げ句の果てに自らの手で殺害した記憶と共に?"



 声が響く。フニャフニャになった脳内にその声が吸い込まれていく。否定したかった、けど否定出来ない。事実を指摘されたという痛みと奇妙な納得が胸の内に湧く。



 "もう解放されるといい。大人しく不安定な生を捨てて冷たい安定した死の世界へ浸るとよい。余は歓迎する。勇者ウォルファートが余の仲間となることを"



 そうか......そう言ってくれるのか。なあ、俺はそっちの世界に行くべきなのか。リッチ、お前は俺を受け入れてくれるのか。



 暗く閉ざされた視界が真っ正面だけ白くなる。そこに悠然と佇むリッチの姿は死霊王の名の通り、威厳と奇妙な包容力を漂わせていた。考えてみりゃ死の世界より後って何も考えなくていいもんな。もしかしたら今よりいい世界なのかもしれねえな。





 ふらふらと二、三歩進んだ。その分、リッチの姿が大きくなる。なんだ、別にそんなに恐ろしい姿じゃないじゃねえか。最初からこんなもんだって分かっていればなんてこたあねえ--



 "パパー"



 "あしょぼー!"



 (......ありゃ)



 あと三歩も歩けばリッチがこちらに差し出した手に触れられるかという時だった。暗く澱んだ俺の意識の中で遠くから呼びかける声があった。ふわふわとして柔らかくてうるさくて暖かい声。



 (ああ、そうか。そう、だよな)



 押し付けられた形で育てることになった双子の声だ。この世の中で俺のことを勇者としてではなく、パパという存在として認識してくれるちびっこい奴ら。生まれた時には両親もいなくて俺を頼るしかなかった双子--シュレンとエリーゼの声が聞こえた。



 覚えてるさ。お前らが初めて離乳食食べた時も、ハイハイした時も、急に熱出して看病しなきゃいけなかった時も、メイリーンからアイラにバトンタッチした時も、初めてパパって俺のことを呼んでくれた時も。

 思えば大魔王を倒してからの三年間、俺を世間とつないでくれたのはお前らがいたからだよな。お前らがその小さい手で俺にしがみついて小さな体で思い切り泣き叫んで俺を必要としてくれたから、俺も何とか応えようとして頑張れたんだよな。



 メイリーンや、アイラや、アニーともお前らがいなきゃ出会えなかった。

 

 

 ラウリオとも知り合えなかったろう。イヴォーク侯爵と愉快な話をすることも無かったし、ギュンター公爵とも仕事する機会も無かっただろうな。



 それに、昔俺に命を救われたって言ってくれて二人を面倒見ることを快諾してくれた銀髪の女の子とも再会出来なかっただろうな。セラ、お前だって苦労してるのは俺ちゃんと覚えてるぜ。



 "どうした、ウォルファート。ほら、こちらへ来い"



 リッチの声が足を進ませようとする。だがそれに抵抗した。少し足に力が入る。視界がはっきりする。死霊王の誘惑に唆されようとした体をその場につなぎ止める。駄目だ。今はそっちに行っちゃ駄目だ。まだ、俺にはやることがある。



 "シュレン、お風呂やーだー"



 "エリーゼ、りんごたべたいー"



「はっ......わがままばっか言ってんじゃねえぜ」



 小さな声だった。だが、確かにその呟きは俺の唇から漏れリッチの耳に届いたらしい。奴の燃え盛る目がギョッとしたように見開かれる。まだリッチの下へ行こうとしていた体がそこで止まった。腹に力を入れて俺は全力で声を振り絞った。



「シュレン、エリーゼ! 俺はな、お前ら二人がちゃんと成人するまで死ねねえんだよ!」



 解ける呪縛、取り戻した自由。四肢に力が入る、行けるまだ戦える。俺は--俺はあの時の雪の中に佇むウォルファート・シリルじゃねえ。双子の命に責任持ってるウォルファート・オルレアンだ!



 "ま、まさか余の幻覚を受けて尚戦う意志があるだと!? そ、そんな馬鹿なことがあろうはずが無い、まさか!"



 狼狽したリッチが飛び退く。推測に過ぎないが、奴がかけたのは人の記憶の中からもっとも酷い記憶を呼びだし疑似追体験させることで廃人寸前まで精神力を削る幻術だ。なるほど、奴が差し向けた呪操兵はこうやって作られたのか。上手いことやるもんだ。



 何とかリッチの手先になるのは免れた。けどやたらめったら体が重いし頭もずきずきする。ただの幻術じゃねえな、これ。体力と精神力削って相手の抵抗する潜在意識を削る効果もあんのかよ、ちきしょうが。



 しかしこれはチャンスだ。まだリッチの奴、俺が幻術破って正気に戻ったことで動揺してるらしい。一応離れて暗黒闘気を放って防御姿勢はとっているがな、疲労した相手に攻勢をかけることをしないなんて甘過ぎるぜ。



 (それならそれで行かせてもらうまで)



 魔払いとタワーシールドはいつのまにか手放していた。拾う暇も惜しいし、だるい。覚悟を決めて残り少ない魔力を全て右手に注ぎ込む。やってやる、リッチが冷静になる前にこの俺の撃てる最大攻撃を。右の手の平を突き出した。溜められた魔力は煌々と白く十字に輝き、おののくリッチを照らし出す。



 消し飛べ--



固有呪文(エクストラスペル)--聖十字(ホーリークロス)

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