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思い出話ってやつなのさ 2

「ねえ、ウォル」



「なんだよ?」



「明日から出るんでしょ?」



「ああ。エウハウシャの谷に出陣だ」



 初めて二人で抱き合ったあの日から二ヶ月が過ぎた。俺とヒルダはまだ性懲りもなく会い続けていた。ヒルダは婚約者なんかどうでもいいわと言いながら俺に笑いかけるようになり、俺は俺でそんなヒルダを突き放せずにいた。全くどうしようもない。けど別れることを考えるには、俺はヒルダに深入りし過ぎていたんだ。



 そこそこ安定して収入を稼ぐようになった俺のパーティーは、この近隣では頭一つ抜けた実力のパーティーとして知られるようになった。この冬には副業で商会運営をする計画も立てており、より収入のルート確保が進む。そうなればもはや冒険者の枠を超えて小さいながらも軍を構えることになる。



 (いよいよだ。いよいよ勇者らしい活動が可能になる)



 そうなれば......そうなれば俺はヒルダに正式に求婚出来るのではないかと勝手に期待していた。聞けば婚約者はこの町の大手商人の長男らしい。今はしがない冒険者に過ぎない俺が引け目なくヒルダを奪うためには、せめて軍を率いるくらいにはならなければなるまい。



 この時十九歳だった俺はその程度に考えていたんだ。前しか見ていなかった。視野が狭かったと言われても仕方ない。



「ウォル、最近凄いわよね。めきめき頭角を表しているって町でも評判よ」



「そうでもしないと俺は君に釣り合わないからな。頑張ってるんだよ」



「......ありがとう」



 その言葉と共にヒルダは俺の胸に顔を埋めた。くすぐったい香りが彼女の髪からかすかに漂う。上目遣いがコケティッシュだなと思いながら、そっとその細い体を抱きしめる。天井から吊したランプのか細い明かりが俺達の影を床に揺らしているのが何となく視界に写った。



「私から離れていかないでね、ウォル。ずっと一緒よ」



「約束するよ、ヒルダ」



 別れと再会の言葉を交わしながら俺はヒルダを送り届けた。ヌーノバイツ家の裏口までだ。いつか表玄関で彼女と会える日が来ると希望に胸膨らませながら、俺は扉の陰から小さく手を振るヒルダに手を振り返す。



 小悪魔的な笑みがその美しい顔に宿っていた。俺の好きな顔だ。またすぐに会えるさと自分に言い聞かせながら秋の夜を一人歩いた。




******




 次の日からエウハウシャの谷に向けて俺達のパーティーは出陣した。この谷には個体として強力な魔物はそれほどはいないが、この近隣には珍しく魔王軍の下っ端がちょろちょろと派遣されてきていた。そろそろ実力的にもそいつらとならやり合えるという程度の自信はついていた俺達は魔王軍の戦力を削いでやろうぜ、という意気込みも高くエウハウシャの谷を目指した。



 霧の漂う岩が目立ち、高低差が激しいこの谷を進むのは楽ではない。下級の魔物の代名詞みたいなゴブリン、犬の顔をした小型の獣人のコボルトらの他にも肌が岩のように硬質化したロックトロールのような大型の人型の魔物もいた。これには参った。



「誰だよ、突出して強い魔物はエウハウシャにはいねーって言った奴はよ!」



「もっと強いのが世の中うようよしてんだろ!?」



 パーティーの仲間五人と怒鳴り合いながらもロックトロールの剛腕をかわし、攻撃を加え注意をひいたところでスカウトが後方から弓矢で急所を狙う。まだ強力な攻撃呪文を魔術師(ソーサラー)が習得していなかったのでこういう攻撃手段しか取れなかったのだ。おかげで倒すには随分時間がかかっちまったもんだ。



 ま、それでも事前準備もしていた俺達だ。辛くもロックトロールを倒し更には十体ほどの小隊で行動していた魔王軍の兵も全滅させたりもした。エウハウシャの谷に初めて踏み込んだにしては中々の戦果を上げたと思う。谷に篭った一週間の間に(グラン)もドロップアイテムもそれなりに回収し、意気揚々と帰途についたこの時が一番充実していたと思い知るのは後から振り返ってからだ。





 エウハウシャの谷は、東西南北どこから踏み込もうが一旦下ってそこから急激に上りになる地形になっている。谷の奥ほどその地形は絡み合い複雑になる。そんな場所だ。初心者パーティーがそろそろ中級に上がろうかという頃に挑む最初の壁みたいな地域さ。



 そんな地形だから谷から出る時はまずガンガン下っていって、浅い谷底に着いてからまた上がって脱出する形になる。第一次エウハウシャの谷攻略はひとまず成功だと俺達は考えていた。

 そりゃあ嬉しかったよな。でもな、そんな気分に冷水ぶっかけるような事が起きたんだ。



「もう半日も行けば谷が終わるなあ」



「早く帰って一杯やりたいもんだ」



 パーティーの面々も警戒はしている一方で口が軽くなる。それも無理はない。遠征終了の見通しがついた時はほっとするものだ。俺も咎めはせず、浅い谷底を歩いていた。時折ヒルダのことを思いだしながらこれでまた一歩彼女に近づけたかな、と考えながらエウハウシャの谷の最後の道を進んでいたんだ。



 その時だった。先頭を歩くスカウトが急に立ち止まったのは。



「おい、どうした?」



「変だぞ、俺達の前に誰かいたみたいだ」



 そのスカウトの言葉に俺は首を傾げた。エウハウシャの谷は冒険者には割とポピュラーな地域だ。俺達以外に踏み込んだパーティーがいても不思議じゃあない。それを知らないわけでもないのに、なんでわざわざ立ち止まってまで注意するんだろうか。



 スカウトが指指した先を見る。生木が折れていた。白い樹肌は削れ、木の葉がバサバサと乱れている。よく見ればその辺りの泥には足跡もある。



「えらいガサツな歩き方だよな」



 スカウトの言葉に俺達は頷いた。冒険者のパーティーは普通はこんな歩き方はしない。なるべく自分達の痕跡を消して歩くのが鉄則だ。それにこの辺りの道幅はそう狭くはない。人が二人は余裕で並べるくらいには広い。じゃあわざわざ道の端の木々を折るように歩いているのは何故だ? 体のでかいオーガの足跡って訳でもない。



「何だか気持ち悪いな。これ、多人数で進軍していて左右に散開したみたいに見え--」



 それがそのスカウトの最後の言葉だった。ヒュッと細く空気を切り裂く音がしたかと思った次の瞬間にはそいつの額に一本の矢が刺さってた。「え?」という間抜けな顔をしたまま、スカウトがゆっくり倒れていく。残った俺達四人は一瞬固まった。悲しいとかよりも驚きと恐怖が先に立ち、とにかくこれは異常事態だと反射的に理解して密集隊形を取った。



 砂利を蹴散らしながら四人が背中を合わせ死角を潰す。谷の上下左右を見渡した俺の目に写ったのは、節くれだった木々の間から姿を表した人間達だ。見るからに物騒な連中だった。ロングソードやショートソードの近距離攻撃武器が奴らの主な武装だが、中には長弓やクロスボウなどの遠距離攻撃武器を持っている奴らもいる。盗賊か山賊の類かと思ったがそういうならず者共特有の崩れた雰囲気はない。



 ぱっと見たところ三十人近くはそんな連中がいる。ヤバいなと思いつつ、慎重に口を開いた。



「おい、お前ら何の真似だよ。見たとこ山賊という訳でもなさそうだが何故俺達を狙う。こんな真似してただで済むと思ってるのか?」



 俺の問いに包囲する男達から答えは無かった。問答無用って奴らしい。三十対四、圧倒的に不利過ぎて涙さえ出てこなかったさ。こんな寂れた谷で俺は訳の分からない連中になぶり殺しにされるのか? 恐怖と絶望感がひたひたと手足を包む。くっそう、もうちょいでここを抜けられるはずだったのにな。またヒルダと会えたはずなのに--





「その薄茶色の髪の男だけは生かして捕らえてね」





 空耳だと思いたかった。男達の後方、ちょいと高くなった岩棚のような場所から聞こえた聞き覚えのある声に俺は耳を疑った。その声の主の姿を視界に捉える。



 見覚えがありすぎる赤っぽい金髪が優美に風に流れ、緑色の目が俺達を見つめている。均整の取れた肢体を包んでいるのはいつもの育ちの良さを感じさせるお嬢さんぽいスカート姿ではなく、体にピタリと合った革鎧とその上から纏うマントだ。違う、あれが......あれが俺の知っている女であるはずがない!



「ヒルダッ! お前、これは何の真似だっ! 悪ふざけの度が過ぎるぞ!」



「分からないの、ウォル? 私あなたが欲しいの。永遠にあなたの愛が欲しいのよ」



 おい待て、じゃあなんでこんな真似するんだ、ふざけんな。けどヒルダの目は本気だった。あんな真剣で、そしてどこか歪んだ目は初めて見た。

 背筋が凍りそうになる。俺だけじゃない、他の四人も信じられないとばかりにヒルダを凝視していた。



「お、おいウォルファート。あれ、ヒルダだろ。早くやめさせろよこんなこと」



「雑魚は黙っててね」



 仲間の一人の言葉をピシャリと封じ、ヒルダが微笑む。エウハウシャの谷に漂う霧よりも冷たくはかない笑みだった。



「ウォル、あなたどんどん強くなっていくのよ。どんどん大きくなっていくのよ私には分かるの。そして私を置いてどんどん離れてしまうのね私それを認めたくない許したくない離れたくないずっとあなたを側に置いておきたい何故なら」



 その腰から鎖のような武器を取り出したヒルダはそれを一度鳴らした。甲高い金属音が空気を震わせ、それが合図のように男達はまた一歩包囲網を縮めた。



 おい何だよ。これは何だよ。夢なら早く覚めてくれよ頼むから......



「愛してるから--だから美しく殺したあなたをずっと側に置いておきたい」



「ヒルダ......く、くっそおおおおお!!」



 絶望した。駄目過ぎる事態に直面した俺の頭は逆に冷えた。感情は死んだ、逆に五感だけは冴えきった。パアン! と何かが爆ぜるような音がしたかと思ったら、俺が抜き打ちで目の前の一人を叩き切った後だった。



「アハッ、アハハハッ無駄よウォル。あなたがいくら強くてもこれだけの数の差を覆せるわけないわ! おとなしく捕まってそして私に平伏して! お願い苦しませずに殺してあげたいの!」



 ヒルダの声が--今一番聞きたくない声が戦場にこだました。武器と防具と怒号が飛び交う混乱の極みの中で、何故か彼女の声だけは聞き分けられた。それがこの上なく腹立たしい。この上なく悔しい。この上なく悲しかった。



「逃げるぞ、とにかくエウハウシャの谷の奥へ! 追手が躊躇うまで奥へ逃げまくれ!」



 自棄気味に怒鳴りながら俺はただひたすら血路を開いた。この事態は俺の仲間達には何の関係もない。巻き込まれただけのこいつらだけは何とか無事に生かしてやりたかった。だけどあまりにも数の差が大きすぎた。必死で俺が剣を振るってもすぐに潰される。仲間達が一人また一人と剣の錆となり、谷底まで転がされていくのを目の当たりにし俺は逆上した。



「--退けえええええぇえぇぇ!!」



 自分でも信じられないような力が全身に宿った。髪の色は銀へと変わり、視界も銀色を帯びる。複数の相手の動きがスローモーションに見え、何とか剣先を交わしながら突き飛ばし俺はその場から必死で逃げた。





 愛って何だ。お前の愛って何だったんだ。こんな......こんなのがヒルダ、お前の俺に対する愛し方なのか。




 追いすがる敵を何とかあしらいながら俺は傷だらけになりながら走った。敵の中にヒルダの姿は無かったが、彼女の声がいつまでも脳裏から離れない。ウォルという愛称で初めて呼んでくれた時の声も、二人でシーツに包まった日に交わした声も、さっき岩の上から俺を見下ろした時の声もその全てが。



「っ、うっ、うぁああっ......っああううああっああーっ!!」



 獣みたいに逃げまどいながらいつしか俺は泣いていた。疲労し切っているはずのぼろ布みたいな体のはずなのに、ボロボロボロボロと涙は両目から溢れ嗚咽で喉を枯らしながら、それでも俺はただ惨めに逃げるしか出来なかった。

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